がちゃがちゃ

異端審問官は新米子羊の夢を見るか?

「また、君への借りが増えてしまいました」
 戻ってきた宿屋のベッドに横たわりながら、テメノスが零す。そんなテメノスを介抱しながら、ベッドの横に置いた椅子に腰かけているクリックは深い溜息をついた。
「だから、そんなの気にしなくていいって言ったじゃないですか!僕はあなたさえ無事なら……それで良いんですから」
 ぐず、と鼻をすする音が聞こえた。見れば、クリックの目が潤んでいる。泣かせたいわけじゃないのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
「すみません。危ないことはしないと言ったのに、結果として危険なことに巻き込んでしまいました。まあ、異端の本拠地を見つけてあの薬のおおもとを断てそうなので収穫はありましたが……」
「薬と言えば。テメノスさん、あの薬を思い切りかけられたのではありませんか?お身体は平気なんですか……?」
 クリックは心配そうにテメノスの顔を覗き込む。咄嗟に口と目を閉じたので体内には入っていないだろうし、もし入っていたとしても少量だ。あの薬の効力を考えると、大したことはないだろう。
 ……だが、テメノスに一つの考えが浮かぶ。今こうして心底こちらの身を案じている男。そしてこちらを好いているのだという男。どうしてか今、この新米子羊が愛おしくてたまらなくなってきた。もう、自分の気持ちが分からなくなってしまいそうだ。
 我が神は寛容だ。これを薬のせいだと言っても、きっと罰は当たらないだろう。

「……あの、クリック君。実は私、ちょっとだけアレ、飲んでしまいまして」
「ええ!? 大変じゃないですか、すぐに薬師を呼んできます!」
「落ち着いて。あの薬の効果を覚えていますか?少量の場合は危険性が薄いんです」
 立ち上がりかけたクリックの腕をテメノスが引く。椅子に座り直したクリックは腕を組み、薬の効力を思い出そうとしていた。
「えっと、確か……少量だと媚薬のような効果……だと……」
 言いながら、クリックの顔はみるみる赤くなっていった。つまりテメノスは今……と、何かよからぬことを考えている。
 テメノスはベッドの上に横たわったまま、わざとらしく身を捩る。
「私が湯浴を終えるまで……待っていてくれますか?」
「あの、その……」
 かわいそうなほど真っ赤な顔をしているクリックを見て、つい笑みが漏れてしまう。テメノスは体を起こし、赤くなっている耳元に顔を寄せた。
「子羊くんは良い子だから、待てますよね……?」
 無言のまま何度も頷いているクリックの頬に「よろしい」と口付け、テメノスはベッドから降りた。
 振り返りはしなかったが、背後から何かが床に倒れた音がした。

 * * * * * * *

 湯を浴び、髪を軽く拭いてから寝室に戻るとクリックは自分のベッドの上で剣を磨いていた。彼は先にシャワーを浴びていたので、テメノスと同様に寝間着に着替えている。
 こちらに気が付いたクリックは想像していたよりも緊張しておらず、普段の表情のまま「おかえりなさい」と声をかけてきた。なんだか拍子抜けだ。
 しかしこちらから仕掛けた手前、もう引くこともできない。テメノスは無言のままクリックのベッドに近づき、乗り上げた。
 クリックは驚きつつもテメノスの様子を窺っている。仄かに顔が赤い。よしよし、なんとか意識してくれているようだ。
「お待たせしました。さて、子羊くん」
「はい……」
 テメノスがクリックの首に腕を回し、一気に二人の距離が縮まる。クリックが剣をベッドの脇に立てかけたのを見て、テメノスは更に身体を密着させた。
「私は昨日の時点で、君に二つの借りがあった。それが今は三つに増えています。少しずつ対応していたのでは、返しきれないかもしれません」
「だ、だからそれは気にしていないって……」
「君が気にしなくても私が気にするんです。だから私を助けると思って、なんでも言ってください。今なら何を要求されても許しちゃいますから。薬のせいにしてください」
 クリックに言い聞かせているようで、本当のところは自分に言い聞かせている。告白を断っている負い目から、今更自分から好きにしてほしいだなんて言えない。
「ほら……」
 顔を寄せ、唇が触れる寸前まで身を寄せる。しかし、クリックから顔を背けてしまった。
 なぜ、と言いたいがそんなことを言う権利は自分にはない。テメノスは名前の分からない感情を抱えながら、クリックを見つめる。
「あなたは……昨日キスを拒んだ。当然のことです。だから決めました、そういうことはあなたと心が通ってからにしたいと」
「おや、ずいぶんと堅物な子羊だ」
「なんとでも言ってください。自分へのけじめでもありますから」
 そっぽを向いた頬を撫でると目をぎゅっと瞑り、何かに耐えはじめた。その反応がおもしろくて、どうしても揶揄いたくなるのだ。
「君はそれでいいかもしれませんが、私はどうなるんです。薬のせいで疼いてしかたがない身体のまま夜を明かせと?」
「そ、それは」
「まあ……相手は君じゃなくたっていいんですけどね」
 そう言ってベッドから降りようとしたら、今度はクリックがテメノスの腕を掴んだ。予想通りの反応に、つい笑みが零れそうになる。
「おや、なんでしょう」
「その……行かないで、ください。こんなことを言う資格が無いことは分かっています。でも、僕以外に触れられてほしくない」
 俯いて許しを請う姿に胸が締め付けられそうになる。釣られてこちらまで赤くなりそうで、テメノスは再びベッドに上がると顔を見られないようにクリックに抱き着いた。
「君が、そう望むなら」