異端審問官は新米子羊の夢を見るか?
更に夜が更け月明りに照らされ始めた頃、夕方頃に討伐へ向かった団体が拠点へ戻ってきた。
その声と足音に誘われるようにテメノスはテントから外へ出る。しかし、探していた顔が見つからない。
戻ってきた騎士達は、どこか様子がおかしい。テメノスが詳しく話を聞くと、一人が声を震わせながら話しはじめた。
「と、突然……青白い魔物が、現れて。あっという間に部隊が切り離されて、俺たちは気を失ってた。気が付いたら副機関長たちがいなくなってて、やっと……ここまで戻ってこれたんだ」
――カニス・ディルス。
魔物の名前が浮かび、テメノスは用意していた杖を掴む。握る力を抑えられず、柄が悲鳴を上げていた。
「討伐地は、どこですか」
* * * * * * *
テメノスはひとり、騎士達の制止を振り切って教えてもらった討伐地へ向かっていた。
雪が降り始めている夜道は方向が分かりづらい。慎重に歩みを進めていると、地面の揺れを感じたテメノスは足を止めた。
(この気配は……)
強大な魔物が、すぐ近くにいる。
耳をすませば微かに剣が風を切る音が聞こえた気がした。それを頼りに再び歩きはじめると、真っ白な景色の向こうで動いている影が見えた。
雪に足を取られながらテメノスは彼らのもとへ走る。そこには予想していた通りカニス・ディルスが咆哮を上げていた。そしてそれに立ち塞がるように、信頼している二人の聖堂騎士が剣を構えている。
耳を劈く唸り声に首を振る。ここで彼らを死なせるわけにはいかない。
魔物が振りかぶるのを見て、テメノスは咄嗟に唱える。
クリックに向かって落とされる大きな腕に向かって光を放つと、そこでやっとテメノスの存在に気が付いた二人が振り返った。
「――テメノスさん」
吹雪いてきた中でも、その声は確かに届いていた。
「話はあとで。今は前だけ見ていてください」
二人が頷いたのを見て、テメノスは彼らを援護する。
この魔物の弱点を考えると、こちらはかなり分が悪い。とりあえず今は討伐するのではなく、この場を切り抜けることが先決だ。攻撃はそこそこに、守りを固めていく。
しかし、回復が追い付かない。こちらの術を使う回数に限界があり、あまり長期戦にもできない。
どうしたものか――と視線を巡らせると、魔物の頭上を覆う様に、高くそびえる影が見えた。雪が詰まっており、少し刺激を与えれば今にも雪崩そうなほどに危うい。
そしてその雪崩の先は深い谷底に繋がっている。この近辺に村や山道はない。そして今は討伐途中で、一般の侵入は禁止されているエリアだ。
(あの崖を使えば)
テメノスは息を深く吸い、詠唱の準備を始める。同時に声を張り、杖に意識を集中させた。
「ふたりとも、私が術を唱えたらすぐにこちらへ戻ってきてください!」
テメノスからは前線で戦う二人の表情は読み取れない。しかし確かに伝わったのを感じて、詠唱に戻る。
そしてオルトが大剣を振るい、それをかわすように魔物が大きく後ろへ下がった。
――――今だ。
テメノスが大きな光を放つ。それと同時に全身から力が抜けていき、その場に膝をついた。騎士達はテメノスの言いつけ通り、こちらへ戻ってきている。
光は魔物を包み、爆発するかのように拡散されていく。すると頭上の雪へと振動を起こす。途端に雪崩れを起こし、カニス・ディルスの影が白くなっていった。
そのまま雪に押されるように魔物の巨体が崖へと向かって行く。奈落へと消えていく泣き叫ぶような呻き声を受け、さらに雪は勢いを増していった。
それらに巻き込まれないようテメノス達はその場を離れる。力を使い切って動けないテメノスは、クリックが抱えて連れ出していた。
しばらくすると雪崩は収まり、しんしんと降り注ぐ雪の間から、月明りが静かに雪原を照らしていた。
「……終わった、のか?」
オルトが辺りの気配を確認しつつ、安堵の息をつく。
テメノスは持って来ていたプラムを齧る。全回復とまではいかないが、二人が負っている傷程度であれば対応できるだろう。
そしてクリックに抱えられたままだったことに気が付き、そっと身体を離した。
「ありがとうございます、助かりました」
「い、いえ。こちらこそ、テメノスさんに来ていただかなければ今頃どうなっていたか……」
クリックの言葉に、テメノスは返さないまま黙々と治癒魔法を唱える。
一通り終えると、三人は立ち上がり先程まで魔物と戦っていた方向へ振り返った。そこは何事も無かったかのように静かで、そして恐ろしいほどに穏やかだ。
「……君たちが無事で、本当に良かった」
ぽつりと呟いたテメノスの声に、クリックとオルトはお互いを見やった。
「二人が戻ってきていないと知ったとき、生きた心地がしませんでした。もし、もし私がここに来なかったら……いや、君たちなら無事だったのでしょうか」
「テメノスさん――」
クリックがテメノスへ声をかけようとした、その時だった。
突然地鳴りが鳴動しはじめ、足元が不安定になる。
「な、なんだ……ッ?」
オルトが一歩下がる。それに釣られるようにクリックとテメノスもその場を離れようとするが、その瞬間、先ほどまで穏やかだった雪原に大きな地割れが起こっているのが見えた。
それから逃げ出す様に三人は走る。視界に映る景色は激流のようで、逃げることで精いっぱいだ。
雪原さえ抜けてしまえば――そう思うが、この一帯はオルトが話していたようにとにかく足場が悪い。脚がもつれないように走るのがやっとで、振り返る余裕すらない。
「あっ」
自分の発した声で、テメノスは頭の中がクリアになっていった。
足元が割れる感覚。今まで存在していたはずの地面は無くなり、雪は落ち、無力な体は空へ投げ出されていった。
そして無意識に伸ばした手を掴む、ひとりの青年の顔が見えた。
「――テメノスさんッ!」
今にも泣きだしそうな顔で、名前を呼ばないでほしい。
足元は完全に崩れ落ち、見てはいないがこの下は先ほどカニス・ディルスが消えていった奈落へと繋がっているのだろう。
幸いなのは、もう地鳴りは止まったという事だ。
つまり。
「クリックくん、手を離してください。君まで落ちてしまいます」
どうしてこんなにも落ち着いた声が出るのは分からないが、とにかく彼を危険に晒したくない。
クリックは首を横に振る。その背後にはオルトが見えて、二人して助け出そうとしてくれているのだと分かった。
徐々にクリックの顔が険しくなっていく。崖から落ちないよう己の身を支え、かつ重力に逆らえない男を救うなど至難の業だろう。
――自分は、二人を危険に晒してまで助けられる価値のある人間なのだろうか、などと考えてしまう。ここで誰かを犠牲にして生き残るより、二人に無事でいてほしい。これからの未来を明るく照らして、聖火に集う人々を正しく導いてほしい。
そう思うと自然と力が抜けていった。
するりと掴まれていた感触から抜け出す。背に風を受け、抵抗できない体が投げだされていった。
徐々に遠のいて行く二人の表情を見る。もうどんな顔をしているのかも分からないが、どうか、無事でいてほしい。