異端審問官は新米子羊の夢を見るか?
【3】
ストームヘイルに戻ってきたテメノスは、クリックとともに聖堂機関本部へ向かっていた。一連の事件に関する報告をしなくてはならないためだ。すでに他の派遣されていた騎士たちは帰還済みで、さっそく次の任務にあたる準備をはじめているらしい。
帰還する道中、二人の間に会話は無かった。昨夜のことに触れもしなかった。何事も無かったかのように上辺だけの挨拶をして、ただ同じ方向へ歩く。それだけだった。
機関本部へ戻るなり、まずは副機関長となったオルトへ報告しようと提案したテメノスにクリックが無言のまま頷く。
「それでは、この後のことは聖堂機関で引き継ごう」
二人から報告を受けたオルトは報告書をまとめながらテメノスへ礼を述べる。同じ事件に関わったにも関わらず、クリックまで頭を下げるのでテメノスは慌てて二人の顔を上げさせた。
「思えば、聖堂機関はずっと閉鎖的だった。同じ聖火を信じているはずなのに教会との関わりも薄い、形ばかりの組織だ。此度の事件にテメノス審問官が関わったことで、良い方へ変わっていけたら良いのだが……」
どこか遠くを見ながら話すオルトに、テメノスが肩をすくめる。
「そのために君たちの様な若者がいるのでしょう。少なくとも、聖堂機関には私が知る限り優秀な騎士が二人は存在しますよ」
テメノスの言葉にオルトは顔を背けながら咳ばらいをすると、机に広げられた書類を整理して、その一部をクリックに渡した。
それを受け取ったクリックは書面の内容を確認しながら、ほっとしたように、けれど寂しそうに息をついている。
「本当に、ぜんぶ終わったんだ」
その言葉はテメノスへ向けられている。きっとその手の中には、この事件と今まで交わされていた契約の終わりが記されている。
それを理解しているオルトは揶揄う様に笑い飛ばした。
「お前はそう思うのかもな。しかし事件がひとつ片付いたんだ、ここは喜ぶべきところだぞ」
「それは分かってるけど。……うん、そうだよなぁ」
何かを一人で納得しながらクリックがうんうんと唸っている。喜びたい気持ちと寂しい気持ちが入り混じり、彼の中で複雑化されているようだ。
そんな若者の隣で、まるで楽しいものでも見ていたかのようなテメノスが窓へ視線を向ける。
「きっと君たちは、今よりもっと……誰かのための存在になりますよ」
雪は止み、外からはまばゆい光が差していた。
* * * * * * *
依頼されていた事件は終わった。その解放感からテメノスはストームヘイルの宿でベッドに身を投げ出していた。
しばらくはクリックとともに行動していたが、それも今日で終わり。明日の朝にはフレイムチャーチへ帰るので、しばらくは会う予定も無い。また仕事で付き合うこともあるだろうが、きっとそれも先のこととなるだろう。それを寂しくないといえば嘘になる。
しかし、どこか安堵を覚えているのも確かだった。クリックから向けられる感情を、徐々に無視できなくなっている自分が怖かった。
それが永遠だとは思えなかった。いつかきっと別の出会いを経て、私のことなど忘れてしまうだろう。
とにかく、とても疲れたことにかわりない。食事をとるのも面倒で、テメノスは微睡みを抱えシーツの中に沈んでいった。
控えめなノックの音に覚醒し、テメノスは体を起こした。
ドアに向かって返事をすればよく知る声が名乗ったので、急いでベッドから降りて出迎えた。
「夜分遅くに申し訳ありません。明日、何時に発たれるのか分からなかったので……。今日の内に、どうしてもお会いしたくて」
目の前に現れた青年を招き入れる。部屋に備え付けられている椅子へ座るよう促せば、彼は大人しくそこへ腰を下ろした。それを見届けて、テメノスは向かいのベッドへ腰かけた。
「それで、わざわざ宿まで来るほどの用事とはなんですか?」
「……わざと言ってますよね?」
むう、とクリックは口を尖らせている。大人に叱られた後の子どものようで、テメノスは表情を綻ばせた。
「ふふ、君を見ているとどうしても意地悪なことを言いたくなるんです」
じっと、行儀よく椅子に座ったままの青年を見る。
鎧を脱いだ私服姿は、はじめて見たわけではないのにどこか新鮮だった。膝の上に握りこぶしを作り、迷いを含んだ瞳でこちらの様子を窺っている。
彼の気持ちを知っているからこそ怖いと思う。だけどそんなこと、当の本人には少しも伝わらないのだろう。
いつか終わりが来るならば、それは今日が良いと思った。
「……クリックくん」
名前を呼び、それ以上は言わないままテメノスは自分の隣をぽんぽんと叩いた。クリックは何も答えず、しかしゆっくりと立ち上がりテメノスの隣へと座る。表情は変わらず、おどおどとしたままだ。
何も言わずに座ったままの男を見上げ、テメノスは考える。かわいそうな人だ、と。なぜ自分のような男に執着するのか理由が分からない。
彼の膝の上で握られたままの手に自分の手を重ねながら、テメノスは口を開いた。
「続きを、しましょうか」
「は……?」
テメノスの顔を見ながら、クリックは時が止まったかのように固まってしまっている。
かわいそうな人。そして、かわいい人。
「本当に、どうして私なんでしょうね?」
言いながら、テメノスはクリックの頬に手を添える。相手が動かないのを良いことに顔を寄せ、吐息が分かる程の距離になった。
少し厚めの唇に自分のそれが触れる。ふに、という柔らかな感触に目を細め、そのまま深く重ねようとした。
しかし。
「――――テメノスさんッ!」
両肩を掴まれ、勢いよく引き剥がされてしまった。
何が起こっているのか分からず、テメノスは首を傾げる。
「……君は、私のことが好きなのだと思っていました」
テメノスの言葉に、クリックがはっと目を見開く。
「そうですよ!好きだからこそ、今ここでしたくないんです。あなたは僕の方を向いてはいないというのに……ッ」
「真面目ですね。まだ若いのに」
「だから年齢は関係ないですって! ……今夜は、ただ話がしたくて来たんです」
肩を掴んでいた手が、ずるずると力なく落ちていく。
クリックは深くため息をついたかと思ったら大きく深呼吸をはじめて、背筋を正すと再びテメノスへと向かい合った。
「僕は未熟です。あなたに相応しくない、それは分かっています。あなたにとって本気になれない相手だということも、理解しているつもり、です……」
どんどん言葉尻が小さくなっていく。
違う、悪いのはこちらであって君が未熟なわけがない。テメノスは首を振って伝えようとするが、言葉が出てこない。
「今回の事件で分かりました。僕は確かにあなたを守ることは出来たかもしれない。だけど結局は危険な目に遭わせてしまった。そんなこと、本当は起こってはならなかったんです」
俯きそうな男の両頬に手を添えて、前を向かせる。テメノスの視線を受け、クリックは眉を寄せながら瞳を揺らした。
「いつだってあなたは正しくて、そして優しい人です。それを欲しいと思ってしまった事を恥じるべきでした。それを認めるのが、怖かったんです」
無理やり笑顔を作ろうとするクリックにテメノスの胸の奥が重く、暗く、淀んでいく。こんなことを言わせたいわけじゃないのに。悲しそうな顔をさせたいわけじゃないのに。
光のような彼にどうやって手を差し伸べたらいいか分からず、テメノスは広い背に向かって両腕を伸ばした。
「……臆病なのは私の方です」
鼓動を確かめるように抱きしめる。互いの心臓が交わるようで、言葉などなくなっても平気だと錯覚させてくる。
しばらくそうしていると、クリックはテメノスを剥がしベッドから立ち上がった。
「クリック、くん」
呼び止めた本人であるテメノスが困惑している。呼び止めて、どうするのだろう。分からない。
クリックはそのまま部屋のドアの前まで行くと、一度だけ振り返って下手くそな笑顔を作った。
「次に会った時、もし僕と同じ気持ちだったら……今度こそ、続きをしてください」