異端審問官は新米子羊の夢を見るか?
テメノスはクリックを連れ、ニューデルスタ裏街までやってきた。表と違い華やかさは薄れ、同じ街だというのに騒がしさなど無い。
今日も異端審問官だとバレないようテメノスは普段の法衣ではなくありふれたローブを羽織り、クリックを引き連れている。クリックにも普段の鎧ではなく軽装に剣を携えてもらっている。裏街で聖堂騎士がうろうろしていると怪しまれるからだ。この格好で歩いていれば、街の住民にはただの旅人に見えるだろう。
寂れた路地を通り娼館の前を通ったあたりで、見知らぬ女がこちらに声をかけてきた。テメノスはとっさに被っているフードを深くかぶり直す。
「すてきなお兄さん方、少し寄って行かない?」
見れば、その女性はくびれが強調され胸元が大きく開いた服を着ていた。どこから見ても娼館の人間だと分かり、ため息が漏れる。
無視して先を急ごうとしたが、娼婦は今にも零れそうな胸を揺らしながらクリックの腕に自分の腕を絡ませていた。どうやら彼の方へ狙いを定めたらしい。
「いえ、僕たちは……」
クリックは娼婦から離れようと腕を引こうとしていたが、しっかりと掴まれているため動けなくなっている。無理やり引きはがすと彼女に怪我をさせるかもしれないとか考えていそうだ。こんなときにとんだお人好しめ、とテメノスは眉間にしわを寄せる。どうしてか面白くないのだ。
「つれないこと言わないで。ほら、少しだけだから」
娼婦はクリックの腕に胸を押し当てながら上目遣いをしている。はっきりと断ればいいものの、おそらく娼婦という存在に慣れていない彼は完全に固まってしまっている。しかたがないと、テメノスは助け舟を出すことにした。
「申し訳ありません、私たちこれから二人で楽しむところなので」
テメノスはクリックの空いている方の肩にわざとらしくしなだれかかった。そして「そうですよね?」とアイコンタクトを送る。クリックもテメノスの言いたいことに気が付いたようで、テメノスの腰を抱き寄せながら娼婦に向かって「そういうわけなので……」と申し訳なさそうに告げた。
「なーんだ、アンタ達そっち側かぁ」
娼婦はこちらを客にならないと判断したのかあっさりと手を離し、「お幸せにぃ」とからかう様な口調で言い残しどこかへ行ってしまった。その背を見送ってからクリックから離れようとしたが、腰に回されている手はそのまま動こうとしない。
「……クリック君、もう演技しなくていいですよ」
「えっあ、すみません!」
クリックは光の速さでテメノスから離れると、何故か腰に触れていた手を開いたり閉じたりしてそれを眺めていた。
「どうしたんですか?」
「い、いえ。ただ、恋人っぽいことが出来たなと思って……」
「……君ねぇ」
呆れているはずなのに、なんとなくクリックの顔をまっすぐ見ることができず、テメノスは目線を反らした。
すると、視界の端で何かが動いたのが見えた。それはローブを羽織った男の人影のようだった気がして、テメノスはクリックの腕を引き物陰に隠れると人影に集中した。
(あそこは……)
レンガの壁の奥に消えた人影は、そこから消えてしまった。不審に思ったテメノスは物陰からでると、現場へと向かう。
そこは路地裏のさらに奥の、人ひとりがやっと通れるほどの通り道だった。すぐに行き止まりだというのに、ここへ向かった人影は姿を消している。地面もよく見たが、下水道へ続くような道も無い。
「あの、テメノスさん。何かあったんですか?」
「先程までここに人がいました。だけど消えた……行き止まりだというのに」
テメノスは辺りを見渡しながら、壁に手を添わせる。なんてことない普通のレンガ壁だ。
しかし、一か所だけ妙に窪んでいる箇所がある。もしや、とそこを手の平で押してみると、通路の奥の壁がみしみしと重い音を立てながら引き戸のように横へスライドし、隠し通路が現れた。これは“当たり”を引いたかもしれない。
「テメノスさん、これって……!」
「ええ、もう怪しさしかないですよね。さて、調査させていただきましょうか」
にこりと微笑むテメノスとは反対に、クリックは表情を引きつらせていた。