がちゃがちゃ

あなたなしでは生きられないのに

【テメノス視点】

 子どもの頃のことだ。村の奥でなにやら騒がしい声が聞こえてきて、私は振り返った。
 辺りには誰もおらず、なんとなく気になって声がする方へ向かうと、小さな子羊が同じく小さな子どもを追いかけ回していたのだった。
「わぁーッ!」
 少年は泣きじゃくりながら逃げ回っている。子羊は、きっと近くの放牧地からはぐれたのだろう。子羊はじゃれているつもりなのだろうが子どもにとっては恐怖なようで、頭突きを受けるたびに悲鳴をあげていた。
 流石にそのままにしておけず、私は彼らの傍までいって子羊を宥め、まったく泣き止む気配のない少年の頭を撫でた。
「ほら、もう大丈夫ですから」
 くるくると跳ねている少年のふわふわの頭を撫でていると、子羊は飽きてしまったのか群れの方へと戻っていった。少年はそんな背を見送りながら「お姉さんは怖くないの……?」と法衣の裾を掴んでくる。
「……私は平気。君はどこから来たの。ご両親は?」
 お姉さんではないと否定しようかと思ったが、あまりにも目の前の少年の目が無垢だったためできなかった。
「えっと、大聖堂に行く途中で……」
「ああ、はぐれてしまったんですね」
 ぐす、と鼻をすする少年を見る。身なりから貴族か何か、良家の子どもだろうと推察できた。
 こんな村の離れで放置するわけにもいかず、私は柔らかな小さな手を握って大聖堂まで案内した。
 その間にも、彼はその手を一度も離さなかった。

 * * *

 それから、このフレイムチャーチからウェルズリー家という貴族の家へ奉公へ出すという話が上がった。
 神に仕える身としては通常であれば考えられない話であったが、この村は教会の総本山であるにも関わらず巡礼者が少ない。つまり、閑散としているのだ。
 今のままでも問題はないのだろうが、もしこのまま教会が力を失っていけば私たちの立場も危うくなる。ただでさえ神官自身は力を持たない。教会という存在が弱くなればなるほど、人々へ救いの手を差し伸べることは難しくなっていくだろう。
 そして、私が奉公先へ向かうこととなった。先方はそこで暮らす子どもと年の近い人間を欲しているそうで、該当するのが私とロイだけだった。
 ロイは既に異端審問官としての道が決まっている。それに、その家の名前に聞き覚えがあった。
「教皇、もしかして以前そちらの方は――――」

 あれよあれよという間に奉公の話が進み、私は気が付けばウェルズリー家へとやって来ていた。
 大した荷物もないのでさっそく着替えて逃げ回る坊ちゃまを捕まえてくれ、と言われて差し出された制服。それが、あのメイド服だった。
「……あの、これを着るのですか?」
 はじめは冗談か、田舎者の私を揶揄っているのだと思った。
 しかし制服を差し出してきたメイド長は首を傾げ「そうに決まってるだろう?」と言い放ったのだ。
 そこで気が付いた。どうやら勘違いされているらしい。
 ため息交じりに自分は男だという事を告げると、メイド長はお腹を抱えながら笑い声をあげた。「それはそっちの村の冗談かい?」などと言われ、どうしても信じてもらえそうも無かった私は着ていたシャツを脱いでみせた。
「正真正銘、私は男です」
 まわりにいた執事や他のメイド達は絶句して、ぽかんと口をあけている。見世物ではないと言いたいが、誤解を解くにはこれしかなかった。

 なんとか誤解は解けたが、男物の制服は用意されていなかったためしぶしぶメイド服を着ることになった。
 気を遣われているのか「似合ってるよ」と口々に声をかけられ複雑な気持ちになる。似合ってたまるか、こんなもの。
 しかしどうしようもないので、そのまま屋敷内を散策した。思っていたよりも動きやすく、なんとか今日一日は乗り切れそうだった。
 そして廊下の大きな窓から庭の方を眺めた。自分がこの屋敷の子どもでだったらどこへ逃げるだろう、と考える。
(大人が簡単に手出しできない場所。例えばそう、あの大きな木のような……、……あっ)
 木の根元で小さな影が動いた。恐らく正解だろうと、私は庭へ出て眺めていた木の方へと向かった。
 そこへ辿り着いた頃には小さな影は木を登り、頭上より遥か上の枝につかまる様にしていた。
「坊ちゃま」
 名前を呼ぶと、そこにいるだろう少年の気配がした。
 少年は足を踏み外し、まっすぐこちらへ落ちてくる。私はなんとか全身で受け止めることができた。
「……大丈夫ですか?」
 ざっと見た限り、怪我は見当たらない。服のあちこちについている葉っぱや汚れを払いながら受け止めた少年の顔を見る。
(やっぱり――)
 あのとき、子羊に追いかけられていた少年。ふわふわの髪と、小さな手。
 こうして再会できるとは思っておらず、胸の奥がじんわりとあたたかくなっていった。
 もしかしたら、あれが初恋だったかもしれない。

 * * *

 あれからクリック君は、都度私に向かって「好きだ」とか「結婚してください」と想いを伝えるようになった。
 まわりは子どもが年上に憧れているだけだとか言って微笑ましく見守っているが、こちらとしては堪ったものじゃない。
 私が彼をただの子どもだと思っているのならば笑い話で済む。しかし、8も下の彼に向かって私は少なからず好意を抱いていた。
 こんなこと許されるはずがない。身分が違うし、そもそも同性だ。上手くいくはずがない。
 分かりきっているのに無下にも出来ず、毎日適当にあしらうことしか出来なかった。

 クリック君が18歳となり、いつの間にか私の背を追い越し立派な男性になった頃。それでも彼は私へのアプローチをやめなかった。
 ここまでくると意地になっているのではないかという気がしたが、どうやらそうではないらしい。たびたび上がる見合いの話も夜会での付き合いも舞踏会のダンスも、彼は逃げるから協力してほしいと言ってくるのだ。
 それが嬉しくてつい手を貸してしまう。旦那様にバレたら即クビだろうと思っていたが、後から知ったがクリック君専属のメイドであるため見逃されていたらしい。彼は私以外の言うことを聞かないのだ。
 そんなある日、とんでもないことが起こった。強風のせいで、あろうことかクリック君の前でスカートが捲れてしまった。
「…………ッ」
 声にならない声が出た。慌てて裾を押さえながら彼に「見えたか」と確認する。反応を見るに、すべては見えなかったようだ。
 それに安堵しながら逃げ出してしまった。もし男だとバレたら追い出されるかも――それよりも彼と一緒にいられなくなることが怖い――。
 残りの仕事をこなしつつ夜に自室へ戻ったときにはふらふらで、ベッドへ倒れ込んだ。
(……もし、あのとき。男だとバレていて、それでも私のことを求めてくれていたら)
 制服から着替えぬまま仰向けに寝転び、無意識に手がスカートの中へと潜り込む。もう片方の手も胸元のボタンを外し、中へと滑り込んでいった。
(彼に触って欲しい……)
 下着の中で、つぷ、と今まで触れたことが無い窄みへ指を押し入れる。同時に膨らみなど無い胸を弄り、興奮で膨らんだ突起をコリコリと指先で引っ掻いた。
(クリックくん、触って。おねがい)
 目を閉じると目の前に本人がいるような錯覚に陥った。私よりも大きな体で押し倒されて、無理やり押さえつけられて、荒い息のままキスをされて、それから――。
「あ、ん……ッ♡」
 自分の体にイイトコロがあるだなんて知らなかった。ナカの一点を指が掠めると腰が跳ねて、自分の意思とは関係なく揺れ始める。
「クリックくん、クリックくん……あ、んぁ、もう出ちゃ、うッ♡」
 止まらなくなり、弱々しい手は寂しい男の身体を慰め続けていた。
 それから静かな夜はこうしていることなど、誰にも知られてはならない。
 
 * * *

 この屋敷へ来てから10年以上が経ち、私は懐かしい故郷のフレイムチャーチへとやって来ていた。
 クリック君はどういうつもりなのか私をここへ連れてきて、おまけにロイ達と会わせてくれた。真意は分からないが久しぶりの再会は嬉しいもので、ロイとは手紙のやり取りもしていたが随分と話が弾んでしまった。
「ところでテメノス、その格好は?」
「……気にしないでほしいのだけど」
「いや、それは無理があるだろう」
 ロイが興味津々に訊いてきたので、しかたがなくこんな格好をすることになった理由を伝えた。
 それから、私が手紙で相談していたクリック君という男が、先ほどまでいた彼であることも。
「へえ、彼が君を夢中にさせている子羊くんかぁ」
「その含みがある言い方はなんなの」
「いや、確かにテメノスが惚れるのも分かると思って」
 何か危機を察した私はロイを見やる。すると彼は笑いながら「そうじゃないよ」と言った。
「きっと、いい人なんだろう。……彼の中に清い炎が見えたよ」
 ロイはどこか遠い目をしながら話を続けた。
「でも彼は君を女性だと思っているんだよな。どうするんだ?」
「別にどうも。彼とどうなろうとも思ってないし。ただ一緒にいられたら、私はそれで……」
 ふうん、と軽い相槌が聞こえた。
 
 しばらくロイと話し込んでいたことに気が付き、時刻を確認するとゆうに数時間も経っていた。
 クリック君の戻りが遅いと心配になった私が慌てていると、ロイは「僕が探してくるからここにいてくれ」と言った。
 たしかに二人してあちこち動き回るよりかはどちらかが残った方が良いだろうが、なぜロイが探しに行くのか。
 そう問えば「彼とは僕も話したい」と言い残し、走り去ってしまった。

 * * *

 それからクリック君には、私が男であると打ち明けることになった。
 ずっと隠してきた秘密を知られた時、嫌われる覚悟があった。追い出されても仕方がないと思った。
 だけど彼はそうしなかった。変わらず愛していると言った。それがどれだけ嬉しくて私を救ったのか伝えたいのに言葉が出てこない。
 彼と身体を重ねたとき、酷く私のことを気遣っていた。まるで宝石でも扱うかのようで、焦れた私は自分から猥らに彼の上で腰を振った。こうでもしないと、本当に求めてもらえないと思った。

 しばらくしてクリック君は家を出た。寂しくはあったが、私も彼に言われた通り神官に戻った。本来の姿を取り戻したようで、けれど慣れないような新鮮なような、不思議な心地になったことを覚えている。
 それからクリック君は約束通り聖堂騎士となり、私のもとへ戻って来てくれた。
 跪いた彼から何度目かのプロポーズを受けたとき、これが夢でありませんようにと強く願った。涙が溢れそうになるのを堪えるのが大変で、私はこんなにも脆かっただろうかと声にならない。
 そして抑えられない感情のままクリック君に抱き着いた。ずっと逃げていたものへ今度こそ向き合って、二人で一緒に生きていこうと誓った。

 * * *

「テメノスさん、神官の格好も似合いますね」
 真夜中の自宅のベッドの上。そこで寝転びながら二人で文字通り抱き合っていると、すでにお互い寝間着だというのにクリック君はそんなことを言い始めた。
「どうしたんですか、急に」
「いえ、ずっとメイドの制服姿ばかり見てきたので……私服も何度か見ましたけど、なんでも似合う人なんだと分かりました。新発見です!」
 何故か嬉しそうににこにことしている。なんだか気恥ずかしくて彼の胸へ顔を埋めた。
「……それより、あの。君に聞きたいことがあって」
「なんですか?」
 話をそらしたくて始めた雑談ではあるが、本当に昔から気にしていた噂について訊いてみることにした。
「ウェルズリー家のご子息と踊れた令嬢は幸運に恵まれるって話、あれって本当?」
「それ、久しぶりに聞きました……」
 過去、ゴシップ紙に書かれていた噂。貴族令嬢たちが好むようなその内容はあっという間に広まり、そして瞬く間に消え去った。ああいうものは流行と同じで登場から退場までの期間が短いのだという。
「どこかの誰かが適当に言ってただけですよ。僕があまりにも彼女たちと踊らないせいで、僕と踊ったことをステータスにしたい人たちがでっちあげたんです」
「へぇ、面白い話だと思ったのに。君と踊ったら幸せになれるのかなって」
 冗談ぽく言ってみせると、クリック君は不満そうに眉を寄せて口を尖らせた。
「踊らなくたって、テメノスさんのことは僕が幸せにしますよ」
「そうなんですけど。ウェルズリー家のご子息が持つ力と言うのはどれほどのものかと思いまして」
 むきになっている彼を見て揶揄ってみたくなり、ついこんな言い方をしてしまった。
 するとクリック君は突然体を起こすと私を抱きかかえ、ベッドから降りてしまった。
「えっ、クリック君?」
 驚いている私のことなど構わず、クリック君は私の腰を抱きかかえたまま室内でダンスをするようステップを踏む。
 振り落とされないように彼の首に両手をまわし抱き着いているが、遠心力に負けた脚は宙で踊っている。
「……どうですか、これでもっと幸せになれるかもしれませんよ?」
 見上げると、「どうだ」と言わんばかりの男の顔がこちらを見つめていた。
 まるで拗ねた子どもだ。私はおかしくなって、声を上げて笑ってしまった。
「ふふ、ねえ子羊くん。私のこと、踊れないと思ってるでしょう?」
「……え?」
 クリック君は私をそっと床へと下ろす。黙ったまま見つめていると彼が手を差し出してきたのでその手を取り、まるで自然な流れのように礼を終えると二人の視線が絡んだ。
 するとクリック君は私の腰に手を当てたので、釣られるように彼の肩に手を添えた。
 そこからは、音楽など流れていないのに二人で笑いあって踊った。途中で足がもつれても、ステップが遅れても、踏み外しても気にならなかった。
 子どもの遊びの様なそれは稚拙なもので、私の見様見真似のダンスなど彼にとっては滑稽だっただろう。
 しかしクリック君は笑うことなく付き合ってくれて、最後には手を取り合ったまま二人してベッドに倒れ込んだ。
「あー、おかしい。君のダンスのレッスンを見ていただけなのに、けっこう踊れるものですね……」
 先程のダンスとは呼べないものについて思い出していると、クリック君は黙ったまま嬉しそうにこちらを見つめていた。
「クリック君……?」
 互いの顔が近づいて、ゆっくりと唇が重なった。
 教えられたわけでもないのにこれが幸せだと分かる。あたたかくて、ふわふわしていて、おだやかな気持ちになっていく。
「これからも、その先も、ずっと。僕があなたを……テメノスさんを、幸せにしますから」
 抱きしめられて、もう一度キスをする。
 彼の言葉に応えるように深く口づけると、二人の体温が重なっていった。