がちゃがちゃ

あなたなしでは生きられないのに

 久しぶりに訪れたフレイムチャーチという村は、ひどく穏やかだった。村に入ると早々に羊たちの気の抜ける鳴き声が聞こえてきて、先ほどまでの緊張がどんどんと解かれていく。
 ここまで付き添ってくれているテメノスさんは、僕のあとに続きながらきょろきょろと辺りを見回していた。10年以上も故郷へ帰って来れていないのだから無理もない。
「僕は大聖堂に行くので、テメノスさんは村の教会へ行ってください。お会いしたい方もいるでしょうし」
 振り返ってそう告げると、テメノスさんは首を横に振った。
「だめです。私は君に付き添うためにここへ来ているのだから、一人にさせるなんて……」
「この村で事件なんてそうそう起きませんよ。ほら、たまには羽を伸ばしてください!」
 彼女の腕を引いて無理やり教会まで連れて行く。するとちょうど教会の扉が開かれ、中から数人の子ども達が駆け出してきた。
「こらこら、そんなに走ってたら危ないぞ!」
 その子どもたちを追うように、神官の装束を纏った黒髪の青年が顔を出した。
 青年はこちらに気が付いたのか僕をじっと見つめ、続いて背後のテメノスさんへと視線を移している。そして両目を大きく見開き、小さな声で「テメノスか……?」と呟いた。
 そこで気が付いてしまった。彼が手紙の差出人である『ロイ』その人であると。
「その、久しぶり……です……」
 テメノスさんは僕の後ろで恥ずかしそうに、姿を隠すように縮こまっている。
 メイド達は屋敷の者に付き添って外出する際、わざわざ私服に着替えることはない。制服の上に外套を羽織る程度なので、今日の彼女もそのような格好だ。
 メイドとしてはたいして珍しくもない格好だが、ロイさんと思われる方は何かを確認するようにテメノスさんを眺めている。久しぶりの再会に感動しているのか、数年ぶりに見た顔と記憶の中の姿が違うのか、理由は分からないが二人の間には確実に僕が立ち入ることが出来ない何かが漂っていた。
「それじゃあテメノスさん、僕は大聖堂に向かうので。また用事を終えたら迎えに来ますね」
「えっ、ちょっと……!」
 まだ何か言いたげな彼女を残して、僕は足早に立ち去り大聖堂へと向かった。

 大聖堂前までやってくると、記憶の中よりも大きな建物が僕を迎え入れた。修繕をしたのか外観は思っていたよりも綺麗で、汚れや傷などはほとんど見当たらない。
「教皇、お久しぶりです」
 建物に入り、入口からまっすぐ奥へ向かった先に立ち並ぶ巨大なステンドグラスと荘厳な礼拝堂に目を奪われながら、僕は目当ての相手へ声をかけた。
「これはこれは……」
 幼い頃に家族に連れられながら数回会っただけであるが、教皇は僕のことを覚えていた。
「あのときのウェルズリー家のご子息がこんなにもご立派になられて。どうですか、テメノスはしっかりとやれていますか?」
「はい。長い間ご挨拶に伺えておらず申し訳ありません、テメノスさんには毎日お世話になりっぱなしで……」
 彼女が教会出身なのは知っていた。16歳まではフレイムチャーチで過ごし、その後ウェルズリー家へ奉公に出たという事も。
 神官や修道女が貴族の屋敷で働くことは珍しい。彼女がウェルズリー家へ仕えるようになったのには理由がある。
 僕が子どもの頃、ソリスティアでは聖火教会の力が強くはなく、資金繰りに苦労していると聞いたことがある。そのため大聖堂があるような立派な村でも、働けるものを貴族の屋敷へ奉公に出すことがあったのだという。
 もちろん強制などではない。援助さえ募ることが出来ればその必要も無いのだ。
 しかし我が家は、神官をひとり送り出してくれれば多大な援助をすると条件を出したらしい。というのも、この大聖堂が存在するフレイムチャーチという村との関係を強めたかったそうだ。
 10年以上経った今では聖火教会の信者は増え、教会の力は強まっている。王族ですら教会に逆らえない場面があるらしい。教会に属す聖堂騎士という存在も生まれた。それを思えば家族の読みは当たっていたわけではあるが、その代わりテメノスさんという一人の人間の人生を奪ってしまったのではないか。そう思って両親や兄に詰め寄ったこともあるが、何が悪いことなのかと反論されて言い返せなかった。
 金は力だ。この世は昔からそうで、それは貴族だろうか平民だろうが変わらない。教会が納得して出した結論であるならば誰も咎めることはできない。ただ援助するだけでは駄目だったのかと考えたが、きっと両親は教会の人間を抱えたかったのだろう。互いの関係を終わらせないための、今にしてみればそれはある種の人質ではないのかと思う。
「テメノスからは、ウェルズリー家での様子を手紙でお聞きしています。何事もなさそうで安心していますよ」
 昔話もそこそこに、僕は教皇へ本題を切り出すことにした。
「ところで、そのテメノスさんのことですが――」

 * * *
 
 大聖堂での用事を終えた僕は、そのまま真っ直ぐに教会へと向かった。
 少し遠くから教会の前にある小さな広場を見る。そこでは、テメノスさんと例の青年が楽し気に会話している姿が見えた。ころころと表情を変える姿には家では見せない幼さがあり、その目の前で同じく楽しそうに微笑む青年が彼女へと優しい眼差しを向けている。
(屋敷であんな顔してるの、見たことないなぁ)
 寂しいことを考えてしまっている自覚はある。だが事実なのだから仕方がない。
 彼女の幸せを思えば僕の行動は間違っていないのだと何度も言い聞かせながら、僕はテメノスさんへ声をかけることなくその場を後にした。

 少し歩いていると、羊たちが放牧されている農場へとたどり着いた。
 めぇ、めぇ、となんとも気の抜ける鳴き声が聞こえるが、トラウマを抱えている僕としては恐ろしい鳴き声にも聞こえていた。
 そのまま近くにあった大きな木の陰に腰を降ろす。空を見上げると憎らしいほどの快晴で、だけどどこか清々しくて、膝を抱えたまま自由に過ごしている羊たちを眺めることにした。

「やあ、探したよ」
 ふいに頭上から声をかけられて、そちらを見ると黒髪の青年がこちらに手を振っていた。表裏の無い爽やかな笑顔で、まるで春風のような人だと思った。
「しばらく経っても君が帰って来ないとテメノスが慌てているよ。もしかして迷子かい?」
「いえ……」
 今は一番会いたくない人だと思いながらも、僕はゆっくりと立ち上がった。
 テメノスさんを自由にするには、この人との関係は避けて通れない。
「先程は挨拶が出来ず申し訳ない。ロイだ、よろしく」
 差し出された手は、神官にしては無骨で大きかった。僕も名乗りながら差し出された手を握ると、彼はにこりと微笑んで「よかった」と呟いた。
「テメノスから君の話は聞いているよ。どんな人なのかと思っていたから、こうして会うことが出来て嬉しいんだ」
「その、彼女は僕のことをなんて……?」
「えっ」
 彼女、と言ったところでロイさんの眉が上がった気がしたが、彼は何かを考えたあと「そういうことか」と呟いて笑顔に戻ると「面白い人だと言っていた」と答えた。
「いつまで見てても飽きないって。それから、昔は子羊のようだったのに今ではワガママを覚えたばかりか図体ばかり大きくなって手を焼いている、とも。あとは馬鹿正直だとか、青臭いだとか」
「……随分はっきりと言うんですね」
「隠したって仕方がないだろう?」
 言いながら、彼は快活に声を上げて笑った。あまりにも正直な伝聞に顔を顰めるが、ロイさんは気にしてい無さそうだ。
「内容はなんであれ、テメノスが他人に興味を持つことは珍しいからね。だから、ずっと君のことは気になっていたんだ」
「そう、なんですか」
 恋敵だというのに、どうにも憎めない。人を引き寄せる何かを持っているロイという人間を、僕はこの先何があっても嫌うことなどできないだろう。そう思わせるような存在だった。
 こういう人だからこそ、テメノスさんは彼を選んだに違いない。僕では到底適うことができない相手を前にして、ため息が出そうになる。
「さて、そろそろ戻ろうか。テメノスも待ってるよ」
「……そうですね。ロイさんは教会へ戻ってください。僕はこのまま、一人でウェルズリー家へ帰ります」
「なんだって?」
 ロイさんは僕の言葉に顔を顰める。それも当然だ。
 理由を問われ、僕は口を開いた。
「今日は、テメノスさんがいるべき場所を確かめる為にここへ来たんです」
「あいつがいるべき場所?」
 ロイさんに向かって頷くと、彼は腕を組んだままじっとこちらを見やった。
「僕は彼女に幸せになってほしい。彼女がなんのためにウェルズリー家へ仕えているのかも知っています。僕は十分すぎるほど、テメノスさんには幸せを貰いました。だからもう、あの人を自由にしてあげたい」
「……それでテメノスは納得すると?」
「もちろん、家族のことは説得して変わらず援助は続けます。今となっては教会にとって資金以外に我が家との繋がりなど意味をなしていないでしょうから、問題は無いはずです」
 大聖堂の修繕されていた壁やステンドグラスを思い出す。あれはウェルズリー家の支援だけではなく、信者が増えたことによる功績もあるだろう。
 となれば、もう教会にとってウェルズリー家との繋がりなど無用だ。何かあっても他の貴族が喜んで支えるだろう。
「このことは、先程教皇にもお話してきました」
「教皇はなんと?」
 強張る表情と共に、ロイさんが僕に一歩詰め寄る。
「テメノスさんが納得すれば、僕の言う様に、と……」
 その気迫に押されながら、負けじと答える。
 するとロイさんは盛大にため息をつきながら視線を下げた。そして再び前を向くと僕の腕を引き、そのまま教会へ向かって進もうとしている。
 僕はなんとか足がもつれないよう歩きながらも腕を振り払おうとした。
「ちょ、ちょっとロイさん!?」
「テメノスの同意が必要なのだろう? だったらまだ帰っては駄目だ」
「でも、彼女はきっと気を遣って……」
 ロイさんは急に足を止めるとこちらへ振り返り、目を細めた。
「君はこの十数年間、いったいテメノスの何を見てきたんだ?」
「え……」
 ずい、と顔を近づけてくる。気圧されそうになったが、なんとか姿勢を保ったまま次の言葉を待った。
「あいつは他人に気を遣って自分の意見を曲げる様なやつじゃない。もしテメノスが納得しないのであれば、それがあいつの本心だ」
 そう言って笑顔に戻ったロイさんは「さあ行こう!」と僕の腕を掴んだまま大股に進んでいく。
 神官なのになんて力だ、と感心してしまう。今までそれなりに剣術を学んできたが、やっぱり敵いそうもない。きっと彼は実戦も積んでいるのだろう、と悔しくなる。
 
「なあ、クリック君」
 前を向いたままのロイさんに名前を呼ばれる。返事をすると、すこし陽気な声が返ってきた。
「君はテメノスのことを、どう思ってるんだ?」
「それは、もちろん――」
 言葉が出てこなかった。今まで当たり前のように何度も言えていたはずの続きを、声にすることができない。
 その理由は分かっている。目の前の彼こそがテメノスさんにとっての大切な人だからだ。そんな人の前で愛しているなど口に出せるはずがない。
 もごもごと声にならない声を発していると、肩越しに振り返ったロイさんの楽しそうな横顔が見えた。
「君は素直な男だな。心に清き炎が在る」
「清き炎……?」
「ああ、美しい炎だ。テメノスが言っていた通り生まれつきの馬鹿正直ってやつだな。しかし同時に迷いも抱えている。違うかい?」
 とんでもなく失礼な言い方だと思ったが、嫌な気にはならなかった。
 彼に褒められる(と言って良いのかは分からないが)のはどうしてか誇りに思えて、気恥ずかしさで目を反らしてしまう。
「僕は異端審問官なんだ。神官をやっている傍らに人を疑い、嘘を暴くのが仕事だな。だけど君にはその必要が無さそうで安心したよ」
「なぜ、嘘が無いと分かるんですか」
 途切れないようはっきりと聞けば、今度は鼻歌が聞こえてきた。
「顔にぜんぶ書いてある。君ほど分かりやすい人間はそうそういないさ」
 そう言ってけらけらと笑うロイさんは、とうとう教会に辿り着くまで僕の腕を離さなかった。