あなたなしでは生きられないのに
時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる室内で、僕とテメノスさんはソファへ隣に並んで座っている。
あらためて、彼女……いや、彼の姿を近くでまじまじと見てみる。細く白い喉には、確かに喉ぼとけがあった。
そして視線をゆっくりと下へ向かわせ、胸元を見る。平らで薄っぺらい胸。例え控えめだとしても、それは確かに男のそれだった。
「あの、僕……どこからどこまでを勘違いしていたのでしょうか……」
「私との出会いから今まででしょうか」
「全部じゃないですか!」
そのまま膝に肘をついて頭を抱える。横からはテメノスさんの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「私は自分を女性だと言った事なんて一度もありませんよ」
「で、でも!出会った時からそんな恰好で、しかも似合ってるし! それに、それに……!」
「はいはい。順番に説明するから落ち着いて」
顔を上げた僕の頭を、彼がよしよしと撫でている。
幸せそうに「子羊みたいにふわふわですね」なんて微笑まれたら、これから何を言われても許してしまいそうだった。
それからテメノスさんは、ゆっくりと、そして丁寧に今までのことを話してくれた。
テメノスさんがウェルズリー家にやって来たのは16歳の頃。それまで神官としてフレイムチャーチで過ごしていた彼はウェルズリー家へ奉公に呼ばれることとなった。
その理由は知っている。しかしテメノスさんは「君が知らない理由がある」と教えてくれた。
僕が家でひとり寂しくしているのを知った両親は、年の近い使用人を雇おうと考えたらしい。遊び相手にはならないにしても身近に同年代がいれば悪戯も減るだろうという算段だ。
そして強い繋がりを求めてフレイムチャーチでその相手を募ると、候補になったのはテメノスさんと、そしてロイさんだったらしい。どちらが向かうかとなったとき、テメノスさん自ら立候補した、ということだった。
そして、まったく記憶にないのだが、それより以前に僕たちは出会ったことがあるらしい。子羊に追われてトラウマになっていた記憶。あれはどうやらフレイムチャーチでの出来事らしく、両親とともに大聖堂へと訪れる途中で牧場から逃げ出した子羊に襲われたそうだ。
そんなとき、偶然近くを通りかかったテメノスさんが走り回る子羊を宥め、泣きじゃくる僕を慰めたのだという。その出来事を彼は覚えていて、立候補の後押しになったらしい。
「あのときの君は本当に可愛かった。ずっと私にしがみついて、小さな子羊に脅えて。だから私も、もう一度君に会いたかったんです」
それから、ロイさんとテメノスさん二人の関係についても教えてくれた。昔からずっと仲が良く、親友として多くの時間を共有してきたとテメノスさんは話した。だから家族のようなものだと思っていて、その関係は今も続いているのだとも。
「私がロイからの手紙を受け取ったとき、恥ずかしそうにしていたと言っていましたね。あれは彼からの返事を待っていたというのもありますが、君のことを……手紙で相談していたんです。だからそれについて訊かれた時、どうも恥ずかしくて……」
「僕のこと、ですか」
「ええ。年下の、しかも奉公先の男の子に求婚されている、どうしよう、なんて。今思えばとんでもないことを書いてしまったと思います」
きゅ、とスカートの裾を握るテメノスさんを見る。最近になって、彼は緊張するときにこの仕草をするのだと知った。
「はじめてこの屋敷に来たとき、私は昔からこんな感じだから……少女だと思われていたようで。メイドの制服しか用意されていなかったんです。だから仕方がなくこれを着ていました。そして最初に私へ与えられた仕事は、屋敷内を走り回る君を捕まえることでした」
「そうだったんですか……」
そんなこと、何も知らなかった。しかもテメノスさんが言うには、両親はちゃんと彼が男性であることは知っていたらしい。屋敷で知らなかったのは僕と、年の離れたきょうだい達だけだったとか。
両親もなぜ教えてくれなかったのかと悩んでいると、テメノスさんは目を伏せて続きを話してくれた。
「次の日には男性用の制服も用意してくださってて、一度だけ男の格好で幼い君のお世話をしたこともあるんですよ」
「ええ!?」
まったく記憶になく、思わず大声を上げてしまった。
「君は私のことに全然気が付かなくて、おまけに『メイドの私』がどこにもいないものだから大泣きして。大変だったんですよ? ふふ、あの時の子羊くん、可愛かったなぁ」
「……だからメイドの格好を続けて、両親もそれを僕に隠していたと?」
「そういうことです」
信じられない。この12年間、ずっと騙されていたなんて。
いや、勝手に騙されていたのは僕の方なのだろうか……?
「そもそも私を見て何故性別を疑わないのか不思議でした」
「だって、その服とても似合ってますし」
「胸なんて無いんですよ」
「控えめで可愛らしいと思ってました」
「声だって高くないし、小柄でもないし」
「透き通る綺麗な声の、背が高くてすらりとしていて美しい人だと思っていました」
「君、私だったらなんでも良いんですね」
もう一度テメノスさんを見る。
紛うことなき男の体をしている彼を見て、それでも自分の気持ちは変わらないことを確信した。
「さすがに私の年齢ではこの格好も限界が違いと思っていたので、明日からは男の格好に戻ろうかな」
スカートの裾を持ち上げながらテメノスさんがしみじみとした感じで零す。
それを聞いた僕は「え!なんでですか!?」などと声を上げながら、つい彼の両肩を掴んでしまった。
「なんでって。女装していたこともバレてしまいましたし、三十路近い男が理由もなくこの格好で屋敷内をうろつくわけにはいかないでしょう」
「そ、それは……そうなんですが……!」
「……まあ、それは後で考えます。ところで」
ずい、とテメノスさんが顔を寄せてくる。暗闇でも分かる程の彼の瞳は煌めいていて、はっきりと僕の動揺している顔を映していた。
「私は男だったわけですが。君の気持ちはどう?」
その迫力に押され、ついソファの縁へ手を逃がしてしまう。
その手の甲へ彼の手が重なってきて、つう、と血管をなぞる様に指先で撫でられた。
「今も、僕は……変わらずあなたのことが好きです」
「結婚したいほどに?」
「もちろん」
よかった、とテメノスさんが頬を紅潮させながら微笑む。
「残念ながら結婚はしてあげられないんですけど。でも、私も……ずっと君のことが好きでしたよ」
彼はそっと身を寄せてきて、僕の胸に顔を埋めてきた。
「僕を拒み続けた理由は、あなたが男性だから……?」
「だって私は子どもを産めない。君に家族を作ってあげられない。血を繋げない。君とそのご家族を、幸せにしてあげられないんです」
そんなことは関係ないのだと言いたくて彼の背を抱く。すると安心したのか、そのまま僕にもたれかかったままでいてくれた。
「ねえ、クリック君」
テメノスさんが顔を上げる。
まっすぐと僕だけを見る、昔から大好きな表情だった。
「それでも私を愛してくれると言うのなら、君のものにしてくれますか?」