がちゃがちゃ

泡沫に帰す

「お願いですテメノスさん、もう一回。僕のこと好きって言ってください」
 もう、これで何度目だろうか。
 ベッドの上でクリック君に抱きしめられたまま数十分が経とうとしている。
 声が戻ってから、彼は私の声を聞こうと強請ってばかりだった。
「もう……好きですよ。これでいいですか?」
「うーん、もっと聞きたいです!」
 ぎゅう、と甘えるように抱き寄せられる。
 私の腰を抱える大きな手に自分の手のひらを重ねると、彼の体温が僅かに上がった気がした。
「子羊くんはいい子だから、ワガママは言いませんよね?」
「う……」
 私の言葉に大人しくなったクリック君は「ではまた明日聞かせてください」と言って、私の部屋を後にした。

 部屋を出て行く彼の背を見送り、私はベッドへ大の字に寝転んだ。
 天井を見上げながら、想いが通った興奮と幸福を噛み締める。
 しかし同時に、新たな課題が生まれていることにも気が付いていた。
(人は一度何かを手に入れてしまうと、どうしてこうも欲深くなってしまうのだろうか)
 先日の、街で出会った女性からクリック君が言い寄られていた場面を思い出す。
 女性らしい魅惑的な外見。それを前にした彼が動揺していたのを、私はしっかりと見ていたのだ。

 彼と心が通った。それはとても嬉しい。
 だけど。
(もっと欲しい、だなんて。はしたないと……思われてしまうかな……)
 シーツを掴み、ぎゅっと目を閉じる。
 クリック君とのキスを思い出すと自然と指が唇に触れていた。
 
 * * *

 翌日、私は声が戻ったことをオルト君へ報告しに本部へと向かった。
 その報告を受けた彼は心底安心したといった感じで、執務室の椅子に深く腰を降ろしながら、長く重たい息を吐いている。
「テメノス……良かった……。昨日も商人がお前に無礼を働いたと聞いた。奴はこっちで対処するから安心してくれ」
「いえいえ。こちらこそ、ご心配をおかけしました」
「それで、どうやって戻ったんだ?」
 ぎく、と肩が跳ねる。笑顔は崩さないままでいるつもりだが、どうだろうか。
 隣に立っているクリック君へ視線を送る。彼も同じような状態で、冷や汗を流しながら背筋を伸ばしていた。
「お前たち、一体どうしたんだ?」
「いえ、なんでも……。昨日はクリック君に看病してもらっていて、目覚めたら、その……声が戻って、いまして」
 私の返事にクリック君が「そう!」と声を上げた。
「昨夜、突然戻ったんです。不思議ですよねぇ……!」
 そして二人で、あはは、とわざとらしく笑いあってしまう。
 オルト君は頭上に「?」と浮かべたままであるがなんとか納得してくれたようで、ごほんと咳ばらいをしている。
「なんであれテメノスが快復して良かった。黙ったままのお前が相手では手応えが無い」
「ふふ、それでは今日から本気でお相手いたしますね?」
「それはそれで困るのだが。……まあ、もう少しここでゆっくりしてくれて構わない」
 おや、と首を傾げる。いつもなら用事が済んだらさっさと帰れと言われても不思議ではない場面だ。

 オルト君への報告を終えて彼の執務室を出ると、クリック君は楽しそうに顔を綻ばせていた。
「オルトのやつ、あれですごく喜んでいるんですよ。きっと、もっとテメノスさんと話したいからあんなこと言ってたんです」
「へえ……、あのオルト君がねぇ」
「あいつも素直じゃないですから」
 先を歩いているクリック君が振り返り、私の方へ手を差し出してきた。
「おや、なんでしょう?」
「あなたの声は戻りましたが、護衛という任務はまだ終わっていません。だから、引き続きあなたの傍にいることをお許しください」
 いつも以上に真剣な声色と真っ直ぐな視線を受け、私は自然を口元が緩むのを感じていた。
「ふふ、そうですか。では、お言葉に甘えましょうかね」
 彼の手を取っても、鎧のせいで体温は感じられない。
 だけど心は通じている。それだけは確かだった。

 * * *

 夜、宿へ戻った頃にはどっと疲れが押し寄せてきた。喋れなかったときには出来なかった仕事や会議に参加しなくてはならなかったのだ。
 なんとか法衣から部屋着に着替え終え、そのまま怠惰にベッドへ横になっていると、部屋のドアを控えめにノックする音が聞こえた。
 ドアを開けに入口まで向かうとノックの主はクリック君で、高揚感が伝わらないように彼を部屋の中へと招き入れた。
「お疲れのところすみません。もう少し、お話がしたくて」
「大丈夫ですよ、私もそう思ってましたから」
 するすると思っていることが口から溢れてしまう。これはまずいと思ったが、クリック君が幸せそうにしているからこれで良いのかもしれない。
 
 彼をベッドへと座らせ、私もその横へ腰かける。
 当然ではあるが、以前よりも距離が縮まっていると感じる。鎧ではない私服姿の彼と少し肩が触れるだけで過剰な程に意識してしまい、自然と視線が絡んだ。
「……クリック、くん」
 私が声をかけるとクリック君はふわりと微笑んでいた。
 それに引き寄せられるように顔を近づける。気が付けば、そのまま昨日のように唇を重ねていた。
 触れるだけのキス。それだけで十分幸せだ。だけど。
「あ、あの。わたし……」
 ぎゅ、と彼の服の裾を掴む。
 言葉にしなければ伝わらないと学んだばかりだというのに、どうにも声にすることができない。
「テメノスさん。僕に、どうしてほしいんですか?」
 クリック君は小首を傾げて可愛らしく、だけど意地悪をするように聞いてくる。
 もどかしさを抱えつつ、私はもう一度彼へキスをした。
 今度は首へ腕を回し、身体を密着させる。するとお互いの心臓の音が伝わってきて、彼も緊張しているのだと分かってしまった。
「ん……ッ、クリックくん、もっと……おねが、い」
 触れるだけのキスを繰り返していると、黙っていたクリック君が私の腰を抱き寄せて更に身体が密着していく。
 するとキスの角度が変わって、深く口づけられた。
 にゅるりと舌が入ってきて、歯列や上あごをなぞられる。互いの舌先が触れあって、確かめるようにぬるぬると絡んでいった。
「や、あっん」
「テメノスさんの声、もっと聞かせててくれますか……?」
 口を吸われ、無意識に身体が逃げようとする。
 しかし顎を掴まれてしまい、それは許されなかった。
「僕の知らないあなたのこと、もっと教えてください」
「あ、私も……、あっんン!」
 大きな手が身体を這う。腰から太ももへ、そして服の中へ滑り込んできた。
 きっと、他人から同じように触れられれば嫌悪しか感じなかっただろう。
 だけどクリック君は違う。触れられる場所すべてが気持ちいい。だから余すところなく触れてほしいし、どこを見せても構わないと思えていた。

 身体の中の熱へ従うように彼の服に手をかける。
 覚束ない手で、彼のシャツのボタンを上から順番に外していった。そうして現れた肌を指でなぞる。鍛え上げられた筋肉に触れると自分のものとはまるで違って恥ずかしくなってしまう。
「君が、欲しいんです。私のことも、君のものにしてくれますか……?」
 私も自分が着ているものを脱ぎ、今度は素肌となった身体を擦り合わせた。
 心臓の音も、体温も、ぜんぶ本物だ。彼の全てが愛おしくて堪らない。
 はしたないと思われたっていい。今すぐ彼が欲しい。
 そう伝えるための言葉は……——。

「……テメノスさん。本気と受け取って、いいんですね……?」
 そこには可愛らしい子羊などではなく、欲情を含んだ瞳を持つ男が、いた。