泡沫に帰す
あれから数日後。
聖堂機関副機関長殿より便りが届き、私はストームヘイルへ向かうことになった。
よく知る道なので気ままに一人で向かうつもりではあったが、手紙には『近頃魔物が増えているので必ず護衛を付けろ』と添えられていた。どうやら見透かされているようだ。
となれば、私が声をかける相手は決まっている。きっと副機関長もそのつもりだろう。
大聖堂へ向かい、正面入り口の警備にあたっていたクリック君へ声をかける。
まずストームヘイルへ向かうことになったと伝えると、私が頼むより先に「護衛が必要ならば僕がお供します」と名乗り出てくれた。これが、私が彼を好ましく感じる部分だと思う。
「テメノスさん、きっとお一人で向かうつもりだったのでは?」
肩を竦めながら話すクリック君は眉を寄せ、小さなため息をついている。
「おや、バレていましたか。オルト君に護衛を付けろと釘を刺されてしまいまして」
「そうだと思いました。そろそろ僕のことも頼って欲しいです。あなたの傍には神の剣があることを忘れないでいただきたい」
頼っているからこうして声をかけに来たと言いかけて、やめた。
彼に必要以上に甘えのはよくないと自分に言い聞かせ、正式に護衛の依頼を申し込んだ。
すると、ただのストームヘイルまでの付き添いだというのにクリック君は表情をぱっと輝かせた。
「もちろん、あなたの頼みであれば喜んで」
胸に手をあてながら礼をする姿に、つい表情が緩みそうになる。
この感情は、感覚は、その正体は。
今はなにも分からないままでいい。そう思えた。
* * *
ストームヘイルへ向かう道中は、確かに手紙に書かれていた通り普段よりも魔物の遭遇率が高かった。
戦闘に手間取ることは無かったが想定よりも魔物との対峙が多く、なかなか先に進めない。もし一人で向かっていたならば、きっとこの倍以上の時間がかかっていただろう。
手紙に従いクリック君へ護衛を依頼して良かったと思うと同時に、必要以上に彼を頼ってしまっていないだろうかと不安になる。彼は感情をすぐ顔に出す癖に、疲れや内面的なことは隠そうとするのだ。
「クリック君、怪我はありませんか?」
戦闘を終え、彼へと近寄り剣を振るってばかりの手を取る。
以前こうした時は振り払われてしまったが、今では違う。すぐに「大丈夫ですよ」と微笑まれて、寒い雪道だというのに胸の奥があたたかくなっていった。
余計な思考を振り払うように、クリック君へと向き直る。
「予定よりも時間がかかってしまいました。今から遅れた言い訳を考えておかないと」
「いや、オルトは何も言わないと思いますが……」
談笑をする余裕があるぐらいには体力も残っているようで胸を撫でおろす。
このまま今日の内に街へ着いてしまいたい。なので、少しだけ休憩して先を急ごうとした。
しかし、前を歩いていたクリック君が急に立ち止まる。その瞬間私も魔物の視線を感じて、彼が剣を構えるのと同時に杖を握る手に力を込めた。
「テメノスさん、下がっていてください」
緊張感を含んだ声に従い、一歩下がる。
そして一体のホワイトレオパルドが飛び出してきた。それをクリック君が迎え撃ち、後方から援護を行う。
着実に魔物の体力を削りながらクリック君の状態にも目を配り、状況を見ながら、回復・補助・攻撃を使い分ける。
魔物の体がよろめいた。もう少しで倒せそうだ。
その直後、クリック君の一太刀が魔物を大きく斬る。ホワイトレオパルドは白い雪原へと倒れ、生命を感じさせていた吐息は途切れていった。
「テメノスさん、ご無事ですか?」
前方にいたクリック君が振り返り、こちらへ駆け寄ってくる。
私が頷くと彼は安堵したのか息を吐いて、額の汗を拭っていた。
その、一瞬の隙だった。
無事倒すことが出来たと安堵した瞬間に聞こえた唸り声。
その方向へ向き直ると倒れたはずのホワイトレオパルドが起き上がり、私に向かって突進してきたのだ。
「——テメノスさんッ!」
魔物との激突の直前に名前を呼ばれる。
そして、とん、と隣から手で押される感触があった。
あ、と頼りない声が出てしまう。
隣を見れば険しい表情のクリック君が私を押していて、代わりに魔物によって吹き飛ばされていた。
その光景はまるでスローモーションのようで、不思議なことにやけにはっきりと見えている。
手を伸ばすが掴めるはずもなく、私は雪原に倒れ込む。
同時にクリック君は背後の川へ落ち、大きな水しぶきとともに水音が響き渡った。
「…………ッ!」
そんな、まさか。
熱い、熱い、熱い。喉の奥が焼けるようだった。
考えるより先に私は立ち上がり、掴んだままの杖をホワイトレオパルドへ向けて光を放つ。
そして魔物が再び倒れたことを視界の端で捉えながら、迷うことなく極寒の川へと飛び込んだ。
幸いにも川は想像よりも浅く、流れも穏やかだ。大人であれば足がつくほどではあるが、だというのに吹き飛ばされたはずのクリック君が上がってこない。
「クリック君!」
名前を呼ぶが、返事は無い。
澄んだ水のため、目を凝らしながら彼の姿を探す。
すると、水底から出てきた腕が岩場を掴み、なんとか立ち上がろうとしている姿が見えた。
すぐさま近寄って、水を吸って重たくなっている彼の体を引っ張り上げる。良かった、息も意識もある。
「岸まで運びますから、もう少しだけ頑張って」
吹き飛ばされた衝撃で全身を打撲してるようで、体を支えながら治癒をかける。
しかしその間に彼の息が弱々しくなっていった。その恐怖を払いながら彼を岸まで引っ張るように運び出し、ゆっくりとその場へ寝かせた。
そして状態を確かめようと頬に触れる。
しかし。
「……クリック君?」
名前を呼ぶが、返事が無い。息をしていない。肌は冷たく、生気を感じさせない。
そんな、ともう一度治癒をかける。しかし効果は無かった。
どうしてだろう。
こんなときだというのに、彼と一緒に見た童話が頭をよぎった。
——王子を救った人魚姫は声を失い、叶わぬ想いとともに泡沫となって消えた。
馬鹿らしい。今はそんなことを考えている場合ではない。
(私はどうなってもかまわないから、どうか、彼のことだけは救わせて)
私は彼の胸へ手を当て、もう一度呼吸を確認した。
その結果に狼狽えるがなんとか堪え、クリック君の頭を後ろにそらして顎を上げ、鼻を摘まむ。
そのまま躊躇うことなく唇を重ねた。氷のように冷たい。しかしかまわず息を吹き込み続ける。
一度。二度。
そして、三度目のときだった。
「……、……げほっ!」
クリック君が激しく咳き込み、大きく水を吐き出した。
生きている。その安堵から私の体からはどんどんと力が抜けていき、気が付けば地面に手をついていた。
(良かった。彼を救うことができた。失わずにすんだ……)
涙が出そうになるのを堪えながらクリック君の体を支え、上体を起こしてやる。
すると彼は目覚めたばかりの朧げな視線でこちらを見ていた。
「テメノスさんが、助けてくれたんですね……ありがとう、ございます」
声も表情も弱々しい。無理をしなくていいのだと伝えたいが、涙を堪えているせいで声にならない。
そして、念のためもう一度互いに治癒をかける。あたたかな光に包まれて、僅かではあるが下がった体温も戻ってきていた。
「……テメノスさん?」
何も言わない私を気にしてか、クリック君に名前を呼ばれる。
彼を安心させるため、すぐに「大丈夫だ」と伝えようとした。
しかし。
(——声が、出ない)
慌てて喉に触れる。傷はない。体温も戻っている。呼吸も出来ている。他の部分もクリック君のおかげで外傷はない。
しかし、何度試しても声が出ない。
何か喋ろうとしても掠れたような吐息が出てくるだけだ。
——もし、本当に声を失ったら。
愛する王子のため、声を失う?
そんなことが現実にあるものか。
あれはただのおとぎ話だと一蹴した、 あの日の人魚姫を思い出す。
でも、確かに、今、私は。
声だけが、出なくなっていた。