がちゃがちゃ

泡沫に帰す

 その後、ストームヘイルへ辿り着いたのは夜に差し掛かった頃だった。
 道中、私が何も喋ることができない状況だと理解したクリック君は酷く狼狽えていた。
 だけれど護衛として、騎士として、目的地までの道のりを安全に進められるよう普段以上に気を配ってくれていた。
 
 到着したことだけでも伝えようと聖堂機関本部へ向かうと、すぐに副機関長殿が出迎えにやって来た。予定よりも遅い到着で、多少なり心配してくれていたようだ。
 私が何も喋らないことに気が付いたようで、すぐにクリック君が説明に入る。
 そして表情を険しくさせた副機関長殿により、応接室へと通されることとなった。

「——それで、そのときからテメノスは声が出なくなったと?」
 私たちの向かいのソファに座っているオルト君は、信じられないといった様子でこちらをじっと見ている。
 一方隣にいるクリック君は報告を終えたあと眉を寄せ、俯いてしまった。
「僕がついていながら、テメノスさんをお守りすることが……できませんでした」
「……、……」
 いいえ、そんなことはありません。魔物から助けてくれたのは君じゃないですか。
 そう言いたいのに声が出ないことを忘れていて、喉から掠れた音だけが漏れる。
 そんな私の様子を、クリック君とオルト君は痛まし気に見つめていた。
 
 どうしたものかと悩んでいると、オルト君が傍にあったテーブルから羊皮紙とペンを持って来てくれた。
 彼の意図を理解した私はペンを受け取り、今伝えたかったことを紙へと綴った。それを読んだクリック君は、力なく首を横へと振っている。
「だとしても、あなたはこうして声を失ってしまっているんです。……外傷はないようですから、何か他の原因があるはず。薬師のところへ行って、診てもらいましょう」
 彼の言葉に頷くと、クリック君の表情は少しだけ柔らかくなった。
 しかしオルト君は相変わらず難しい表情のままで、何かを考えるように顎に手を添えている。
「……テメノス自身に、何か思い当たる原因は無いのか?」
 その質問に首を傾げると、彼は「分かるなら苦労は無いか」と肩を竦めた。
「お前をここへ呼んだのは俺だ。だから俺にもこの状況の責任はある。快復への支援は惜しまない、なんでも言ってくれ」
 ありがとうと感謝を伝えるために微笑んで見せる。するとオルト君は忙しなく瞬きさせて、ごほんと咳ばらいをした。
「普段は口達者なお前が静かだと、どうにも落ち着かないな……。クリック、異端審問官殿の快復に向けて、引き続き護衛や身の回りのことも任せていいか?」
「それは、もちろん。テメノスさんも困ったことがあれば、すぐ僕に言ってくださいね」
 隣のクリック君から与えられる真っ直ぐな視線に耐えられず、私は頷くふりをしながら俯いた。
 声を失うまで、言葉というものは私を守ってくれる壁だったことを忘れていた。それが無い今、誰かから向けられる感情を全身で受け止めなければならない。
 例えその正体が、何であろうとも。

 * * *
 
 聖堂機関の紹介ということもあり、在中している薬師は夜更けだというのに快く診察を引き受けてくれた。
 椅子に座らされると顎や喉、口内に外傷は無いことを確認され始める。そのままいくつか薬を試しながら何度か口を開閉するよう促され、私は指示に従っていた。
 しかし、やはり声だけが出ない。簡素な丸椅子に座っている私の隣では、クリック君が心配そうに立ち尽くしていた。
 
 そして、薬師は過去に似たような症状の者がいないかを確認しつつ「原因は強い精神的負担によるもの」と診断を下した。
「命の危険はないだろう。時間が経てば戻る者もいるし、何か別の衝撃をきっかけに突然戻ることもある」
 つまり、治る見込みはあるということだ。
「よかった……」
 私と同じことを考えたのか、クリック君も緊張の糸が切れたようで大きく息を吐いていた。
 だというのに、ほっと胸を撫でおろしたと思ったら、次の瞬間には眉を下げてしまっていた。
「僕のせいで、あのときテメノスさんを冷たい川に入らせてしまったから……それが強い負担になってしまったのではないでしょうか」
 そうなのだろうか。
 強い精神的負担とは言っても、何が自分にとって決定打となったのかが分からない。
 魔物との戦闘で消耗はしていた。その状態で極寒の川へ飛び込むことは、たしかに体へ大きな負担を与えたかもしれない。
 だが、しかし。声を失うほどの、ましてや精神にダメージを負わせるほどのものだったのだろうか——?

 とにかく、今はそれを考えても仕方がない。
 私はオルト君から貰った数枚の紙のうちの一枚を取り出し、「君は私を庇っただけ、気に病む必要はありません」と綴った。
 同時にクリック君がなるべく安心できるように笑顔を保ってみせたが、彼の表情は変わらない。
 納得していないのだろう。責任感が強いのは彼の長所であり、同時に短所でもある。
 
 とりあえず数日は様子をみるしかない。今はこの時間に診てくれた薬師へお礼を伝えるべく、紙を取り出そうとした。
 しかし、その前にあることを思いついた私は椅子から立ち上がって、薬師の手を取った。
「……?」
 薬師は不思議そうな顔を私へ向けている。そのまま彼の手のひらへ、「ありがとうございました」と指で文字を書いた。
「あっ」
 薬師が小さく声を漏らす。
 そして気恥ずかしそうに、私の書いた文字に対して「どういたしまして」と微笑んでいた。
 紙に文字を書くよりも、この方が私の言葉に近い気がした。

 * * *

 もともとストームヘイルへは何日か滞在する予定だったので、クリック君と二人で宿へ向かうことになった。
 私に何かあったときのために、ということで彼も同じ宿へ泊るらしい。声が出ないこと以外は困ることもないので大丈夫だと伝えたが、「絶対にダメです」と強く断られてしまった。
「きっと想像してるより不便が多いはずです。とくにあなたは教会の要人なんですよ、何かあったときにすぐ助けを呼べないといけませんから」
 そこまで心配されているとは思わず、私は彼の真面目さに改めて感心させられていた。
 であれば、同じ部屋に泊まりますか。そう紙に綴ると、クリック君は慌てながら首をぶんぶんと横に振って「隣室で十分です!」と声を上擦らせていた。

 宿の記帳を終え互いの部屋までたどり着くと、クリック君は私に向かって静かに一礼した。
「それでは、何かあればいつでも呼んでください」
 そう言って背を向けた彼を見て、私は大事なことに気が付いた。
 まだ、彼に感謝を告げていない。

『クリック君』
 いつものように彼の名前を呼ぼうとした。
 しかし、吐き出されたのは弱々しい吐息だけ。もどかしさに唇を噛む。
 そして、気が付けば彼に向かって手を伸ばしていた。

「……テメノスさん?」
 まるで彼の気を引く様に、私の手はしっかりと彼のサーコートを掴んでいる。
「——、……」
 どうしてこんなことをしたのか分からない。
 しかし言葉を失った今、言い訳などできるわけもなく。
 自分がなぜこのような行動に出たのか、不思議そうな顔をしているクリック君へ伝えなければならない。

 ただ、感謝を伝えるだけ。そう頭の中で繰り返しながら彼の手を取る。
 そこで、彼と薬師との違いに気が付いた。
(文字が、書けない)
 聖堂騎士であるクリック君は普段から重装備だ。今も手の甲はガントレット、手のひらは厚い布で覆われている。これでは文字を書いたところで、正しく伝わらないだろう。
 そんな私の様子を見ながら、手の文字を書こうとしたが実行できなかったことを悟ったらしい彼はふわりと微笑んだ。
「どういたしまして」
(えっ……?)
 まだ何も伝えていないというのに、先に返事を受けてしまった。
 私が首を傾げると、クリック君は困ったように眉を下げた。
「あれ、違いましたか? テメノスさんから、ありがとうと言われた気がして……」
 間違っていない。私がこくこくと小さく頷くと「よかった」と頬を赤らめていた。
「これからも僕を頼ってくれると嬉しいです。それでは、おやすみなさい」
 おやすみなさい。たったこれだけの短い言葉を伝えられないなんて。
 返事をできないことが、こんなにももどかしいなんて。
 声の代わりに頭を下げる。彼に熱くなっている顔を見られたくなくて背を向けると、私は足早に自室へと向かった。