no one knows
それからもクリックは、怪我を負うたびにテメノスのもとへ通った。
はじめは大きな傷が残った場合のみ訪れることにしていたが、そうするとテメノスからどんなに小さな怪我でも報告に来いと小言を吐かれるのだ。
そして同じ時間を過ごす様になってから、テメノスについて分かったことがある。
神官にしては珍しくアルコールを嗜むのだとか、読書のおともは甘味にしていることが多いだとか、実は動物に優しいだとか、意外にも絵が上手い、だとか。
それから、けっこう自分のことを気に入ってくれている、だとか。
テメノスは人当たりの良い神官だ。笑顔の裏では何を考えているか分からないと言う者も少なくはないが、困っている人がいれば必ず手を貸すし、怪我人を見捨てることは絶対にしない。
そのためか村人から信頼されているようで、よく声をかけられている。子どもたちのために書いたのだという紙芝居を読み聞かせしている場面も見たことがある。その紙芝居もテメノスの自作だということと、想像していたよりも出来が良かったことで二度驚いた。
そうしてテメノスという人間を知っていくうちに、あまり特定の人間と一緒にいることは少ないことに気が付いた。
たしかに村人や在中している見知った騎士達と話している姿はよく見かける。しかしそれも偶然すれ違ったからという理由で、誰かを懇意にしている様ではなかった。
しかしクリックが顔を見せると、どこまでが本心なのかは分からないが決まって笑顔を見せてくる。用事など無いはずなのに、テメノスからわざわざ声をかけてくることもある。
そういったことから、クリックはどういうわけかテメノスに気に入られているらしいと自負してした。
周りの印象も同じようで、知り合いの騎士からは「テメノス審問官と仲が良いのか」と直接聞かれたこともある。
仲が良いと表現していい関係なのかは分からなかったのでクリックが「悪くはないと思う」と返すと、何故かその騎士は安堵したかのように胸を撫でおろしながら、そうか、と返事をしていた。
そして、クリックがテメノスの治癒を受けるようになって一ヵ月程が経った頃。
その日も怪我の治癒を頼みにテメノスのもとへ訪れようと、クリックは大聖堂へと向かっていた。
本当に小さな傷のため見せるまでも無いとは思っているが、これも隠すと後々面倒なのだろうと急ぎ足で向かう。
そして辿り着いた大聖堂内でテメノスを探していると、偶然居合わせた神官が「テメノス様ならあちらに」と居場所を指した。廊下の一番奥の個室だ。
扉の前までやって来て、ノックをしようと腕を上げる。しかしそれより先に、目の前の扉が勢いよく開かれた。
「うわっ……!」
出てきたのは以前テメノスとの関係を訊いてきた聖堂騎士の男で、クリックの姿を見るなり慌てたように立ち去ってしまった。
過ぎ去り際に見えた顔は耳まで赤く、気になったクリックはついその背を見えなくなるまで見送っていた。
その姿が見えなくなり、一体どうしたのかと今度は部屋の中を覗く。
そこには、何かを手に持ったまま椅子に座っているテメノスがいた。
「いらっしゃい、子羊くん」
手招きをされて迎え入れられる。向かいの椅子に座り、テメノスが持っているものへと視線を移した。
それは真っ白な封筒だった。丁寧に封をされており、大事な手紙なのだろうと分かる。
この状況から、その手紙の差出人はきっと先程の騎士だ。手紙を書くほど、彼とテメノスが親しいなどとは知らなかった。
あの騎士はクリックより前に大聖堂へ勤務している。つまりはテメノスとの出会いもクリックより早い。
自分の知らない関係があったって何もおかしくはないのだと、クリックは余計な詮索はしないことにした。
「テメノスさん、いつもすみません。怪我を……診てもらいたくて」
クリックの言葉にテメノスは反応せず、手紙を近くにあったテーブルの引き出しへとしまった。
「聞かないのですか」
「なにを……でしょうか」
引き出しが閉じられていく。ぱたん、と頼りない音が鳴りやむと、テメノスはクリックへと視線を移した。
「なんの手紙なのか、だとか。気にならないの?」
テメノスがクリックへと手を伸ばす。何も言われなくてもそれが治癒を始める合図なのだと分かっているクリックは、大人しく籠手を外しはじめた。
今日怪我を負った場所は肩だった。なのでいっしょに肩当ても外し、そこをテメノスの方へ向ける。
腕や足の治癒とは勝手が違うのか、テメノスは椅子ごとクリックへと近づいて座り直していた。
「手紙なんてプライベートなもののことは、聞けませんよ」
クリックの言葉に目線を送りながらも、テメノスは服を捲り、肩に触れ、治癒が始めている。巻かれていた包帯が解かれ、触れられた箇所はいつものように傷痕が消えはじめていた。
「そう。なら、気になってはいるということですね?」
傷が完全になくなると、最後にするりとそこを撫でてテメノスは息を吐いた。今度は終わりの合図だ。
「気にならないと言えば、嘘にはなります……が……」
捲られた服を戻しながら、クリックから吐き出された言葉が小さくなっていく。
テメノスはいつもそうだ。些細な言葉で相手を翻弄する。
まるでこちらが何を考えているのかお見通しなのだという様な目で見つめられると、逃げられなくなってしまう。
「正直でいいこですね」
ちらりとテメノスの様子を窺うと、どこか楽しそうに目を細めていた。
「だから、子ども扱いはやめてください……」
クリックが眉を寄せる。テメノスは時折、こうやってクリックを揶揄うのだ。
そのときの反応を楽しんでいるだけで他意は無いと知ってはいる。
しかしテメノスから大人の男なのだと見られていないような気がして、毎回律儀に反抗してしまう。
「すみません、君を見ているとつい揶揄いたくなってしまうんです」
テメノスは椅子から立ち上がると閉められたままだった、小さな窓を開けた。
昼下がりの爽やかな風が入り込み、小鳥のさえずりが部屋の中を満たしていく。
「先程の手紙、ですが」
テメノスは外の景色から視線は外さないまま続けた。
クリックも立ち上がり、同じように外を眺める。
「今夜、一緒に過ごさないかと誘われました。手紙の中身まではまだ見ていませんが、口頭でも伝えられたんです」
「それって」
いわゆる恋文、だろう。出会いがしらの騎士の様子から、なんとなくそんな気はしていた。
クリックが視線を外の景色からテメノスへと移す。風でなびく髪がきれいで、気が付けば触れてしまっていた。
滑り込んだ手は、耳の後ろへそっと触れるように差し込まれていく。
驚いたテメノスはクリックへと向き直る。目を見開き、それから何かを言いたそうにしつつ珍しく口ごもっていた。
「……あの騎士とは、仲がよろしいのですか」
一体何を訊いているのだろう。
クリックは白銀の髪を撫でながら、すれ違った騎士とテメノスとの関係について考えていた。
「ときどき大聖堂で挨拶や雑談をする程度で……特別仲が良いというわけでは、ないです」
「そうですか」
テメノスの返答に安堵しつつ、しかしクリックの胸の内は晴れなかった。
理由は分かっている。嫉妬だ。なんて、愚かな。
「テメノスさん」
クリックは髪を撫でていた手を更に滑らせ、耳の裏や柔らかい箇所へ撫でるように触れる。
するとテメノスの顔が徐々に赤くなっていった。今すぐに逃げ出してもおかしくない状態だというのに、一向にそんな気配はない。
それどころか恥ずかしそうにしながらも、続きを待つかのようにじっとクリックを見つめている。
熱を含ませた視線に捕まれば逃げられないこと、クリックは改めて知ることになった。
「そのお誘い、行かないでくださいと言えば……聞き入れていただけるのでしょうか」
クリックが顔を寄せる。二人の距離は縮まるばかりで、離れることはない。
テメノスは髪を撫でるクリックの手へ、自分の指を絡ませるように重ねて目を伏せた。長い睫毛の影が落ちる。
「……もともと、彼と二人で会うつもりはありませんでした。でも私、こう見えて案外寂しがり屋なんです」
「それは、つまり」
ゆっくり開かれていく両目から現れたふたつの翡翠が、クリックを捉える。
心の奥が見透かされている。
「一人にされてしまうと、どこかの誰かのところへ行ってしまうかもね?」
そこでテメノスが背伸びをした。
頬にあたる柔らかな感覚に、今度はクリックが大きく目を見開く。
「テ、テメノスさん!?」
手を離したクリックが一歩後ずさると、テメノスは揶揄うように弧を描いている口元に人差し指を添えていた。
その指は小さな形の良い唇をなぞり、「クリック君」と目の前の男の名前を呼ぶ。
「また、いつでもおいで」