がちゃがちゃ

no one knows

 聖火教会の総本山であるフレイムチャーチは、ゆっくりと時間が流れる穏やかな村だった。
 ときおり聞こえてくる羊たちの鳴き声が在中している騎士たちの緊張感を削いでいる気がしないでもないが、それでも彼らは教会に認められた騎士である。皆表情を変えることなく、それぞれの持ち場で姿勢ひとつ崩すことなく厳然と立っており、まるで柱の様に動かない。
 
 つい一週間ほど前にこの村へ派遣されたクリックもその一人だ。今日も立派な大聖堂の前で、いつものように巡礼者たちを見守っている。
 フレイムチャーチへ着任したばかりのクリックは、この平穏な村に対して重装備である聖堂騎士達がどうにも似つかわず浮いているように思っていた。
 しかし村人たちは慣れているのか誰も気にも留める様子はない。一般の村人だろうが騎士だろうが旅の商人であろうが貴族であろうが、態度が変わることは無い。もともと頻繁に巡礼者の訪問があり人の出入りが多い村のため、どんな人間が訪れようと気にする人は少ないようだった。
 そういった村なので大きな事件が起こることもなく、暴漢が現れることもなく、まさしく平和という言葉が似あう日々が続いていた。
 
 日差しが強くなり、正午を知らせる鐘が聞こえた頃だった。大聖堂入口で佇むクリックのもとへ、深緑の法衣を纏った神官が近づいてくる。
「今日もお疲れ様です、クリック君」
 麓の村からやって来たのであろう、神官は少し乱れた髪を整えながら声をかけてきた。
 声の主へ視線を向けたクリックは、胸元に手を添えて恭しく一礼する。
「お疲れ様です。テメノスさんは、教皇へ用事が?」
「いえ、今日は別の神官に呼ばれまして」
 テメノスと呼ばれた男は柔和な笑みを浮かべている。他人が見ればこの村の様に穏やかな神官そのものだろう。
 しかしクリックは密かに彼を警戒している。
 この人好きのするようなアルカニックスマイルを浮かべる男に振り回されることを、極端に恐れているのだ。

 * * *

 聖堂騎士であるクリックが、何故一介の神官である男を気にしているのかと言えば。
 事の始まりは、クリックがフレイムチャーチへやって来てすぐのことだった。村に滞在していた旅の薬師が薬草の採取に行ってから戻らないと報告があり、数人の騎士で捜索にあたることとなった。
 クリックもこれに参加して村の周辺で薬師を探していたところ、ひとりの男性が山道で倒れている姿を発見した。男にはまだ息があり、服装と所持品から行方不明になっている薬師であることが分かった。
 そして村へ連れて帰ろうとしたところ不運にも魔物と遭遇してしまい、なんとか撃退できたものの怪我を負ってしまったクリックは駆けつけてきた他の騎士達の力を借りながらもなんとか生還したのだった。
 村へ戻ると、教会で待機していた神官たちはすぐにクリックを個室の寝台へ横たえらせた。そのまま治癒を施しはじめたが、薬師は意識を取り戻したもののクリックが負った傷は想像以上に深く、なかなか塞がらなかった。
 そんなとき、数日前から村を空けていた別の神官がちょうど帰還したらしく、クリックのもとへやってきた。その男は他の神官よりも治癒能力に長けているらしい。これまでの状況説明を受けながら、クリックの様子を確認しはじめた。
「なるほど、なかなか厄介そうですね。君、私の声は聞こえていますか?」
 クリックは真っ白な医療用のベッドの上に横にされたまま、ぼやける視界の中で声をかけてきた神官を見上げる。
 小さく頷きながら「はい」と声にすると、男は少し安堵した様に表情を和らげた。
「問題なさそうだ。もう少しだけ、辛抱してくださいね」
 傷口を覆うように、ゆっくりと神官の手がクリックの腹当たりへ近づく。既に重たい鎧は脱がされており、裸になった上半身へ触れるか触れないかギリギリの距離で淡い光が放たれる。それは傷だらけの男の体を包みはじめて、この部屋だけまるで春が訪れたかのようだった。
 すると先程まではどうにも塞がらなかった傷がみるみると消えていき、まわりの神官達が息を呑む。クリック自身も信じられないといった様子で、徐々に塞がっていく傷口と真剣に治癒を施す神官とを見つめていた。
 しばらくして、治癒を終えた神官は大きく息を吐き「もう大丈夫ですよ」と微笑んだ。
 室内に残っていた別の神官や騎士達はクリックの治癒が終えたことを見届けると、各自報告へ向かうために退室していった。
 
 室内に残された二人の目線が交わる。クリックが起き上がろうとしていると、神官は塞がったばかりの傷跡を見て訝し気に眉を顰めていた。
「申し訳ありません、傷痕が残ってしまいましたね……。これは私には治せないので、腕のいい薬師に診てもらってください」
 薄い痕が肌に残されているだけで痛みは消え去っているというのに、神官はやたらと傷痕を気にしているようだった。
 心配する必要は無いと伝えるために、クリックは上半身を起こした状態で首を横に振った。
「いえ、これぐらいは平気です。傷痕なんて珍しくもないですから。それよりも、ありがとうございました。あなたがいなければ、僕は……今頃どうなっていたか」
 まだ痛む体で頭を下げるクリックに対し、神官は口元へ穏やかな弧を描いた。
「ふふ、大袈裟ですよ。……うーん、でもやっぱり気になりますねぇ」
 神官は再び手を伸ばし、今度は直にクリックの肌へと触れた。
 白く長い指で傷痕をするりとなぞられる感覚に、クリックの心臓が大きく脈打つ。気恥ずかしくなり逃げようとしたが、何故だか動けない。それどころか、触れられている箇所が心地よい。医療用の冷たくかたいベッドではなく、あたたかで柔らかいベッドで横になっているような感覚へと誘われていく。
 どうしたことかとクリックが触れられている箇所へと視線を移すと、先ほどまで残っていたはずの傷跡が、いつの間にかきれいさっぱりと無くなっていた。
「……どうして」
 驚いたクリックは傷があった場所と神官とを交互に見やる。
 神官自身も驚いているようで、直に触れていた肌をもう一度撫ではじめた。
「こんなこと、初めてです」
 口元にもう片方の手を当てながら何かを考えている神官は、クリックへ「他にも傷跡はあるか」と訊いた。
 クリックは頷き、つい先日に負った傷痕の場所を神官へ教えるために該当する箇所を指さした。そこは脇腹から少し下あたりで、下衣をずらさなければ見えない場所だった。直接見せることは躊躇われたため、指さすだけに留めている。
 しかし神官は何のためらいもなく騎士服の下衣をずらした。クリックが小さな悲鳴を上げるが気にもしていない様子で、見つけた傷痕にそっと触れている。
 そして、同じ出来事を繰り返した。まるで愛しいものへ触れるかのように、神官の指先がゆっくりとクリックの傷跡を辿る。
 すると古くなった傷痕はきれいに消え去り、鍛えあげられた筋肉には傷ひとつない肌だけが残っていた。
 この不思議な現象をなんと言い表せばよいのか分からず、クリックは何も言わないまま神官を見つめている。神官はクリックの服を直すと着替えのシャツを渡し、着るように促した。
 渡されたシャツを着ながら、クリックは再び傷痕があった腹を見た。自然とボタンを留める手は遅くなり、もたもたとしてしまう。そんな様子を眺めながら、神官は表情を変えることなく腕を組んだ。
「今までも怪我人の傷に触れたことはあります。だけど、君の様な効果は現われなかった……これは、検証が必要ですね」
「け、検証?」
 着替え終えたクリックはベッドから降りようとしたが、神官が笑顔でベッドへ乗り上げ距離を詰めてくるものだから、動けなくなってしまった。
 そして留めたばかりのボタンに手をかけられる。クリックが後ずさると「ずれてますよ」と楽しそうに正しくかけ直し始めた。
「ふふ。君は面白い人ですねぇ、よく言われませんか?」
「……いえ、今日はじめて言われました」
 かけ直されたボタンから手を離すと神官はベッドから降りて、クリックへと背中を向けた。
「まあ、私にとっては観察のし甲斐がある子羊くんですよ」
 クリックが眉を寄せる。
 子羊くん。今、目の前の男はたしかにそう言った。
「あの、僕の名前はクリックです。子羊は、その。恥ずかしいのでやめていただきたいのですが……」
 肩越しに振り返った神官とクリックの視線が絡む。背を向けている男は目を細め、楽しそうに微笑んでいた。
「――クリック君。また怪我をしたら教えてくださいね。私が、治しますから」
 それだけ言い残し部屋から出て行く神官の背を見送ってから、クリックは彼の名前を訊いていないことを思い出したのだった。