no one knows
それからクリックは、言われた通り怪我を負った際に神官の元へ訪れた。
再び顔を合わせたときにテメノスという名前を教えてもらい、その際に改めて自己紹介をしたら「真面目で融通の利かない騎士が来ると聞いていましたが、まさか君だったとはね」とくすくすと笑っていた。おそらくは褒められてはいない。
そして、彼がただの神官ではなく異端審問官であることを知った。テメノスが希少な肩書きの人間だとは思ってもいなかったクリックは慌てふためいたが、そんな様子ですらテメノスは楽しそうに眺めていた。
「まあ、異端審問官といっても何も起こらなければ普通の神官ですから。そう身構えず普段通りにしてください」
「いっいえ、そういうわけには……ッ!」
「そんなことより」
テメノスがクリックへと一歩近づく。ここは麓の教会にある個室で、今は二人きりだ。
テメノスは室内にある客人用の簡易ベッドへクリックを座らせるや否や、傷痕の場所を訊いた。
「どこか怪我をしたから私のもとへ来たのでしょう? さあ、見せてください」
「は、はい……」
クリックは籠手を外し、腕元を捲る。そこには真新しい包帯が巻かれており、説明するまでもなく今朝できたばかりの傷だと伝わった。
「正直でよろしい。……包帯、外しますね」
テメノスの言葉にクリックが頷く。丁寧に解かれる包帯はするするとクリックの膝上へと落ちていき、赤く腫れた傷痕が表れた。
そこへテメノスが優しく触れる。他の神官たちによる触れ方ではなく、すう、と指でなぞる様に触れられる感覚に心臓が跳ねそうになっていた。ただ触れられているだけなのに、どうしてもそこばかりに集中してしまう。どうにも落ち着かず、クリックは視線を彷徨わせていた。
そんな騎士の様子など気に留めず、テメノスは長い指で傷跡をなぞっていく。出血はしておらず薄いかさぶたが出来ている。あとは回復を待つだけのはずだった傷痕が、みるみると塞がり消えていった。
「……やっぱり、君だけですね」
消えた傷痕を見つめながらもう一度撫でて、テメノスが呟く。
「あのあと、別の怪我人の治癒をすることがありました。だから君と同じように触れてみたのですが、傷痕は消えなかったんです」
「同じようにって……」
あの日のことを思い出す。突然服を捲られたり危うい箇所に触れられたり、つい意識してしまう様だった感触がクリックの頭の中を駆けていった。
他の患者にも同じように触ったのか。僕へしたのと同じように、あの触れ方で……と、余計なことを考えてしまう。
そんなクリックの異変に気が付いたテメノスは「違いますよ」と小さく笑い、必要なくなった包帯を片付け始めた。
「ただ傷痕に触れた、という意味です。普段は直接触れることはありませんからね。……ふふ、嫉妬深い子羊くんも嫌いじゃないですよ」
何か勘違いをされたような、いや、勘違いではないのかもしれないが。察しなくていいことまで晒してしまった恥ずかしさに、クリックは慌てて顔の前で両手を振った。
「え!いや、そういうことではなく……! と、とにかく、この効果が出るのは僕だけなんですね……」
「ええ。本当に不思議です」
捲っていた袖口を戻そうとしているクリックの横へテメノスが腰かけ、ベッドが軋む。
まだ何かあるのかと思いクリックが首を傾げると、隣の男はずいっと顔を近づけてきた。
「な、なんですか……?」
テメノスの鋭い視線を受け、クリックは慌てるように息を呑んだ。
「君、まだ怪我をしているでしょう。隠さずぜんぶ見せてください」
気を抜いていたクリックは、いとも簡単に包帯を巻いていなかった方の腕を掴まれてしまった。
そしてもう片方と同じように籠手を外され、勢いよく腕元を捲られる。
先程よりは浅い傷が現れた。
「やっぱり。どうしてこっちのことは言わないのですか」
クリックはテメノスの険しい視線から逃れることが出来ず、観念したかのように口を開いた。
「小さな傷だったので、見せるまでもないかと……。神官の治癒は魔法と同じように体力も精神力も消耗すると聞きます。だから、テメノスさんにばかり負担をかけられないと思ったんです」
その返答に、テメノスは呆れたかのように溜息を吐いた。
居た堪れなくなり、クリックは項垂れてしまう。
「検証だと言ったではないですか。どんなに小さなものでも私が治しますから、ぜんぶ教えてください。いいですね?」
テメノスの言葉にクリックが頷く。「よろしい」と頭を撫でられ、子ども扱いされている感覚に妙な感情を覚えつつ、大人しく治癒を受けることにした。
掴まれた腕の傷跡を、再び指でなぞられる。思わず身じろぐと「じっとしてください」と小言を吐かれてしまった。
血管を辿る様な触り方に耳が赤く鳴るほど熱くなって、治癒の最中クリックはテメノスの顔を直視することが出来なかった。
「――はい、おしまい。まったく、私には隠し事なんて通用しませんからね」
テメノスの手が傷痕から離れていく。
どうしてか寂しさを覚え、クリックは無意識に「あっ」と小さな声をあげた。不思議そうに視線を向けられる。
「なにか?」
小首を傾げる姿から目を反らし、クリックは慌てて言葉を濁した。
「あ、いえ……。治療、ありがとうございました」
服を戻しながらもそわそわとしていると、テメノスが再び顔を近づけてきた。
心臓がうるさくなる理由が分からず、上手く息ができない。
「テメノスさん……?」
吐息が伝わる程の距離で、二人の視線が絡む。その揺らめくふたつの翡翠に、クリックは吸い込まれそうになっていた。
「ふふ、本当に変わった子羊くんだ。怪我をしたら、またおいで?」
こちらを捉える瞳にから逃げる術を知らない。
クリックは騒がしい胸の奥を無視したまま、小さく息を漏らした。
「……怪我をしたとき、だけですか」
言ってから、しまったと自分の口を手で塞いだ。
しかしテメノスにはしっかりと伝わっており、驚いたように瞬きを繰り返している。
そして柔らかく微笑まれる。怪我などしていないのに、クリックの頬を白い手が優しく撫でていた。
「君だったら、いつでも歓迎しますよ」
――自分は揶揄われているのだ。
そう理解したクリックの顔が、みるみると赤くなっていく。優しく頬を撫でるその手を払いベッドから立ち上がると、テメノスへ一礼だけして足早に個室を出てしまった。
自分は一体、彼に何を。
心臓が鳴りやまない。
頭の中がうるさい。
混乱したままのクリックは教会を出ると頭をがしがしと掻き、己の煩悩へと向き合っていた。