persona
クリック君に言われるがまま、私は宿の自室へ彼を招いてしまった。ここで彼の恋の悩みを聞くとなると、もう私には逃げ場がない。どうして連れてきてしまったのか……。
自分の愚かさを呪いながら室内に備え付けられた簡易的な椅子を引っ張り出す。そこへ彼を座らせようとしたのに、それより先に背後から抱きしめられた。
――え、なんで?
「……テメノスさん。これから僕が言うこと、呆れずに聞いてくれますか」
首筋にクリック君の吐息がかかる。くすぐったいような、ぞくぞくするような、不思議な感触に包まれて声を出せなくなった私は小さく頷いた。
彼は今、普段見ている騎士の格好ではない。私服のためこのままでは心臓の音が伝わってしまいそうで身じろぐが、拘束は簡単に解けそうではなかった。しかも私が動いたせいで余計に身体が密着してしまった。
すると、すん、と鼻の鳴る音が聞こえた。匂いをかがれている。羞恥で死んでしまいそうだ。彼はこんなにも酔っていただろうか?
「あなたがここへ来るたびに、オルトと一緒にいる姿ばかりお見掛けして。仕事をしていると分かっているから声もかけられず、ただ遠くから見ているばかりでした」
つまり、クリック君は寂しかったのだろうか。
酒場でもあまり友人は多くないのだと言っていた。だから、自分の親友と私ばかりが一緒にいて、仲間外れにされたような心地にさせてしまったんじゃないだろうか。
そんなことまで気が回せていなかった。立場上、彼が私たちに関われないのは仕方がない。とはいえ、彼だって一緒に事件を追ってくれていた大事な仲間だ。もうすこし譲歩できる面もあるのではないだろうか。
「ごめんなさい、私は君を……傷付けていたんですね」
返事は無い。代わりに嗅がれていた首筋を吸われた。変な声が出そうになるからやめてほしいが、今の彼にそんなことは言えない。
子どもがするような甘えた様子に、私は困惑した。普段のクリック君は、他人へ無遠慮にもたれかかるような男ではない。まさかここまで酔わせていたなんて。
食事中、私は自分のことばかりで彼のことをしっかりと見てあげられていなかったということだ。好いている相手だというのに。このままでは恋愛対象どころか、友人や人生の先輩としても見限られてしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
とにかく、立たせたままの彼を今度こそ椅子に座らせて休ませよう。
「ねえ、クリック君――」
少し休みましょう、と言いかけたところで、軽々と横抱きに抱えられてしまった。何が起こったのか分からず固まっていると、そのままベッドに横たえられる。
そしてクリック君もベッドの上に乗り上げてきて、ひとつしかないベッドが大人二人を乗せたせいで小さな悲鳴をあげた。
過去に、見知らぬ男から同じようなことをされたことがある。あの時は全力で足掻いて逃げ出したが、今はそんな気はまったく起きなかった。
だってクリック君は、私を傷つけたりなんかしないから。
「事件が起きた時はあんなに鋭いのに、どうしてこんな時だけ鈍くなっちゃうんですか?」
しかし、私を組み敷き見下ろしながら問いかけてくるクリック君の目の色は深い。
澄んだ青空の様だと思っていた瞳が今は深海のようで、このまま溺れてしまいそうだった。どうやら、予想以上に怒らせていたらしい。
「わかんない、です……説明してくれるって言ったじゃないですか」
「言いましたね。僕、怒ってるんですよ。テメノスさんがちっとも分かってくれないから……」
やはり、彼は怒っているようだ。
シーツの上に投げ出されていた私の手に彼の指が絡まっていく。私を逃がさないためだろうか。
だけど不思議と恐怖を感じない。彼になら殴られても罵倒を浴びせられても良いと思えた。クリック君相手であれば、それぐらいで私は傷ついたりなどしない。もう、十分すぎるほど病気だと思う。
「僕の気も知らず、あなたは……、……。ごめんなさい、こんなことを言いたわけじゃないんです」
そしてクリック君は、覆いかぶさるようにして私の肩口に顔を埋めた。
嗚咽とまではいかないが、ぐす、と鼻をすする音が聞こえる。私は空いてる方の手で彼の頭を撫でた。今はこうするべきだと本能が伝えてくる。
「どうすれば、いいですか」
撫でながら訊くと、クリック君は私の手に絡めていた指を解いた。彼が顔を上げたので、互いの目線が交じる。
「どうすれば、私を許してくれますか……?」
少しの沈黙のあと、クリック君から先に口を開いた。
「僕を……好きになってくれませんか」
――今、彼はなんと言った?
クリック君は再び私を組み敷くような体勢になって、じっとこちらを見つめている。
深海のようだと思った両目は、今度は浅瀬の様に淡い。
「テメノスさんが好きです。ずっと好きでした。でもあなたは僕を後輩か弟、良くて友人だとしか思っていない。近くにいられるならそれだけで良いと思っていたのに、我慢ができなくなってるんです」
分からない。そんなはずはない。だって、彼が私なんかを好きなはずがないのだ。
事件を通して信頼はしてくれていただろう。現に彼は私を信じていると話してくれた。だけど、それとこれとは別だろう。
だって彼は優秀な人間なのだ。誰にでも好かれる人柄も、惹きつけてやまない笑顔も、甘い声も、私なんかには勿体ない。私が彼にしてあげられることも少ない。何も与えられない。私はいつも、クリック君からは貰ってばかりだ。
「……そんなの、嘘だ」
気が付けば、私は年甲斐もなく泣きじゃくっていた。火がついたように涙が溢れだし、子どもの様にわんわんと泣く姿にクリック君は驚いている。当然だ。
「きみが、わたしを、わたしなんかをっ好きになるはずが……ない……ッ」
止まらない涙を拭っていると、頬に優しく触れられた。
「そんなこと言わないでください」
クリック君が泣き続ける私の頬を撫でてくれている。さっきは私が彼の頭を撫でていたのに、まったく逆になってしまった。
「僕はテメノスさんの素敵なところをたくさん知ってるんです」
私をなだめる為なのか、クリック君はひだまりのような笑顔を向けてくれる。
幾分か落ち着いた私は、なんとか声を絞り出そうとした。
「だって、私は君よりかなり年上で」
「年齢なんか関係ないです」
「昔から変な輩に絡まれてばかりだし」
「それはあなたが魅力的過ぎるから」
「おまけに口が悪い」
「そんなところも愛してます」
愛してる。そうはっきり言われて、涙は止んだというのに今度は顔中が燃えるように熱くなっていった。
本当に、彼は私のことを好きだと言うのだろうか。
「すみません、今日伝えるつもりじゃなかったんです。ただでさえオルトにばかりあなたとの時間を取られているのに、恋人はいるかだなんて聞かれて……ちょっと、自分でもどうかしてたと思います」
言いながらクリック君は項垂れてしまった。
いたたまれなくなった私は彼の首に両手を伸ばし、抱き寄せた。すると大人しくされるがままになってくれたので、再び互いの身体が密着する。
「私も、素直になれなくて……ごめんなさい」
「テメノスさんは謝る必要ないです」
「いえ、だって、私も……」
続きを言おうとしても声が出せず、まごまごと口が動くだけだ。
こんなときに恥じらってどうする。乙女でもないのに。
彼は自分の気持ちを正直に伝えてくれた。私も同じように応えるべきだ。だけど、だけど……。
私が続きを言わなくても、クリック君は私を強く抱き寄せてくれた。大人二人が並ぶには小さいベッドの上で落ちないよう身を寄せ合っているなんて、おかしな光景だ。
とんでもなく、どきどきしてしまう。ずっと思いを寄せていた相手に好きだと伝えられて、こうして抱き合って。
ああ、幸せだ。ふわふわとした心地に包まれて、この瞬間が永遠であればいいのに、だなんて思ってしまう。
「……ねえ、テメノスさん」
クリック君が私の耳元に顔を寄せる。囁かれる吐息がくすぐったくて身体を捩ると、彼の優しく笑う声が聞こえた。
「本当は気が付いてたんです。あなたが僕を好きだって」
「えっ――」
クリック君の笑顔の、更に奥が見えた気がした。