persona
本部での用事を済ませたあと、オルト君に言われた通りクリック君へ会いに行った。
彼の勤務体制が分からなかったので少し顔を見せるだけのつもりが、今夜は空けているのだという。
「テメノスさんがいらっしゃると聞いていたので」
笑顔でそう話す姿が眩しい。私の邪な感情にも気が付かず、友人として無邪気に接してくれる。申し訳ない。
だが、彼の反応を見るに少なくとも私を好いてはくれているようだ。一緒に食事をすることぐらい、許されるだろう。
私は今、クリック君と二人で酒場へ行き、適当に料理を注文して会話を楽しんでしまっている。何か余計なことを喋ってしまわないよう注意を払ってはいるが、念のため用心しなければ。
だが、確認しておきたいこともある。なので私は酒の力を借りて、テーブルの向かいへ座っている彼へ踏み込んだことも聞いてみることにした。
「今日は時間を空けてくれていたということですが、良かったのでしょうか」
「なにがですか?」
ちょうど大きな肉料理が運ばれてきた。酒場なので多少はマナーを無視して食べたっていいのに、それでもクリック君は丁寧に切り分け、綺麗に口へと運んでいる。
「その、騎士の皆さんは休みがまばらじゃないですか、だから私とばかり過ごしていいのかなと」
前回ここへ来たときも、クリック君は「時間があるなら食事でも」と誘ってくれた。その日は生憎すぐにフレイムチャーチへ戻らなければならなかったが、あの時ももしかして、わざわざ私の為に時間を作ってくれていたのかもしない。……などと都合の良いことを考えてしまう。
「僕がテメノスさんともっと一緒にいたかったので誘ったんですよ。……もしかして、ご迷惑だったでしょうか」
クリック君がしゅん、と不安そうに眉を下げてしまう。私は慌てて否定して、なんとか誤解を解こうとした。
「いえ、迷惑だなんて。ただ、他にもご友人だとか……例えば恋人、だとか」
言ってしまった。顔が赤いと言われたら酒のせいにしてしまおう、と手に持っていたグラスを空けていく。
「今の僕が気軽に話せる相手といえば、テメノスさんとオルトぐらいですよ。他の騎士の中にも友人と呼べる者はいますが、わざわざ休みを合わせるなんてことはしませんね。いろいろあったので、故郷の友人にも今更会おうとは思いませんし、恋人もいません」
僕けっこう寂しい奴なんです、とクリック君は冗談めかして笑う。
「……そうですか」
平静を装ってはいるが、私の心臓はばくばくと忙しなく脈打っている。彼にとって気軽に話せる相手にオルト君の名前が出ることは分かっていたが、まさか私も同列に扱ってもらえているとは。社交辞令も含まれているのかもしれないが、思っていたよりもクリック君の中で私の評価はそんなに悪くないのだと知ることが出来て表情が緩みそうになる。
恋人がいないという言質も取れた。今のところ、好調な走り出しだ。
しかし。
「でもテメノスさん、なんでそんなこと訊くんですか?」
そのとき、クリック君の顔からほんの一瞬だけ笑顔が消えた気がした。
いや、正確には笑顔のままだ。だけど、いつも彼が纏っている穏やかな空気が取り払われたような、もしくはそれを凌駕する何か別の感情が滲み出ていたような……。
「……別に、他意はないです」
なんとかその質問から逃れたくて、下手くそな嘘をついてしまった。これでは異端審問官失格ではないだろうか。
明らかに狼狽えている私に対して、クリック君は「そういえば」と続けた。
「テメノスさん、ストームヘイルに来ている間はオルトと一緒にいることが多いですよね」
深海の様な二つの海色が、ゆらりと揺れる。
「え? ああ、君も知っていると思うけど教会内部のことで……あまりここでは詳しく話せませんが、その件でオルト君に呼ばれることが多いんです」
「そうなんですか。あいつ、僕が聞いてもはぐらかすから。いつも二人で何を話してるのかなーって気になってたんです」
クリック君は笑顔のまま残っていた肉料理も、他の野菜も、魚も、すべて均等に綺麗に切り分けていく。
そして私の分を取り分けながら目を細め、「グラス空いてますね」とワインボトルを持った。飲み干したままだった私のグラスへ注ぎながら、彼は私の返事を待っている。
「オルト君からは、方向性がまとまれば下りてくると思いますよ。ここへ来るたびに二人で遊んでいるわけではないのでご心配なく」
遊んでいる、と言った瞬間、グラスへ酒を注ぐ手が僅かに止まった気がした。
しかしクリック君は表情を変えることなく空になったボトルをテーブルへ置いて、私の方へと向き直る。
「さっきの話の続き、ですが」
「続き……?」
どの話だ、と記憶を辿り寄せる。答えを貰っていない会話などあっただろうか。
「恋人はいないと言いましたが、好きな人はいます。最近はその人のことしか考えられなくてとても困っているので、相談に乗ってください」
――好きな人。
その可能性を忘れていた。今は特別な関係の相手がいないにしても、彼が好意を寄せている人だっているだろう。
なんだか胸の奥にぽっかりと穴が空いてしまったようで、何も考えられなくなる。クリック君はすぐ近くにいるというのに、ひどく遠くへ行ってしまったような気がした。
「……申し訳ないのですが、私にはあまりそういった経験が無いので。君の力にはなれないと思います」
やっと絞り出せたのが、これだった。せっかく頼ってくれた彼に対して、あんまりな返答であることなんて分かっている。
だけど、例え嘘だとしても『協力する』だなんて言えなかった。間接的に失恋してしまった今、まともに頭が働かない。
涙なんてとうの昔に枯れてしまったと思っていたのに、じわじわと目が熱くなっていく。情けない。なんとかそれを悟られないように髪を整える振りをして誤魔化してみるが、逃げきれていない気がする。
「駄目です。テメノスさんにしか、相談できませんから」
「私だけって……」
私に相談したいということは、彼が好いているのは私が知っている相手なのだろうか。今日会った彼の親友と、クリック君と面識のあるかつての旅の仲間たちの顔を思い浮かべる。誰もが素敵だと評価されるに値する人ばかりだ。私が知らないところで彼が好意を抱いていたとしても、おかしくはない。
そんなことにも気が付けなかった自分の愚かさと幼稚さに羞恥を覚え、私は彼から目を反らした。
「テメノスさん」
クリック君の透き通るような声で名前を呼ばれるのが好きなのに、今はそれを聞きたくない。
もう適当な理由を付けて逃げ出してしまおうか、と思ったところで彼がテーブルの上に置いていた私の手を握った。
「……クリック君?」
逃げ出そうとしているのを悟られてしまったのだろうか。
でも、クリック君の表情は険しいものではない。ほんのりと顔を赤くして、だけど真剣に、真っ直ぐこちらを見ている。
「もおーーー、あなたって人は……どこまで鈍いんですか」
「えっ……?」
触れている手が熱い。その体温がどちらのものなのか分からない。
クリック君は空いている方の手でぐしゃぐしゃと後ろ頭を掻くと、盛大にため息をついた。
「いいですよ、もう。テメノスさんはそのままで。きっとこれが惚れた弱みっていうやつですよね」
「惚れた弱み……なんのことです……?」
私が首を傾げると、クリック君は小さく唸った。
「そうやって、いつもはかっこいい癖に時々ぽやんとしてるところが可愛いと思ってしまう僕は病気なんです。どうしてくれるんですか!」
さっきから彼が何を言っているのか分からない。もしかして今、聞き間違えでなければ私のことを可愛いと言った?
だけど、何故。理由が分からない。
「ちょっと待って。クリック君、私ついていけてないです……」
視線を膝に落とすと、クリック君は私の手を握る力を強めた。
「ちゃんと説明するので、今日あなたが泊まる宿まで連れてってください」
その声は、いつもの子羊くんではなかった。