がちゃがちゃ

persona

「かわいい。名探偵、恋してるんだ?」
 ソローネ君の言葉で、私は飲みかけの茶を吹き出しそうになってしまった。彼女は旅をしていた時と同様に、好き放題に言葉を並べている。まったく、何を言ってるんだか。恋だなんて。まさか、そんなはずはない。
 今日は、各地を転々としているソローネ君がわざわざフレイムチャーチへと寄ってくれていた。だから私は彼女を大聖堂の応接間に招き、こうして久方ぶりの友人との会話を楽しんでいた、はずなのだが……。
 私は首をぶんぶんと振りたいのを堪えながら、テーブルを挟んだ向かいに座ったまま目の前で頬杖をつき、ニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべているソローネ君へと向き直った。
「そんなわけないでしょう。悪い冗談はやめてください」
「どうして? 恥ずかしいことなんかじゃないよ。テメノスのそういう話、もっと聞きたい」
「……はぁ」
 前のめりになっている彼女を見て、「絶対に思っていないだろ」と言い返す気力も失せてしまった。
 私は雑談の中で、クリック君のことを話していた。
 というのも、最近の私は自分でも理解しがたい状態に陥ることがあるからだ。その原因が彼なのではないかということを相談したのだが、診断結果が恋だなんて馬鹿げている。
 
 聖火教会での騒動も落ち着いて教会が聖堂騎士と関わりやすくなった今、何かとクリック君やオルト君を含める聖堂機関との接点が増えていった。
 クリック君は私の姿を見つけると、いつも真っ先に駆けつけてくれる。笑顔で、誠実な態度で、どんな時も変わらない。
 そんな彼の子犬のような無邪気さ、甘えん坊の子羊のような愛おしさが好ましいのだと思ってはいるが、それを本人に伝えたことは無い。子ども扱いするなとへそを曲げるだろうし、そもそも伝える必要も無いのだから。
 だがクリック君と過ごす時間が増えていくたびに、徐々に離れがたいと思う様になっていった。
 なんとか口実を作ってストームヘイルに滞在できないだろうか、などと考えてしまった時は「何を馬鹿なことを」と自分で自分を疑った。こんなの、どうかしてる。
 だが、ふいに彼に触れられた時、もしくは触れてしまった時。決して表情には出さないが心臓の音がうるさくてしかたがなく、私は自分の変化に戸惑っている。
 そんなことを本人には言えないので、こうしてクリック君との関りはそこまでないソローネ君に相談したのだが。
 まさか、恋をしていると結論付けられるとは思わなかった。

 思えば、今まで誰かに浮ついた感情を抱いたことがなかった。実年齢より幼く見える容姿のせいなのか他人からは軽視されることが多く、若い頃には男女を問わずやたらと近づこうとしてくる輩もいた。そういったとき、昔はロイがうまいことあしらってくれていたし、いつしか自分で対処できるようになっていた。やんわりと否定するより微笑みながらきっぱりと気が無いことを言い切って、それ以上近づこうものならば神はきっと見過ごさないだろうと伝えた方が効果があると知ったのは二十代後半のときだ。
 さらに神官という職業は珍しいものではないが、その立場は決して強くは無いことも軽視される要因と言える。基本的には誰にでも寄り添うのだが、それが原因で巡礼者の中には勘違いをしてくる者もいた。助けを求められればそれに応えはするが、『なんでも言う事を聞くのだろう』と“奉仕”を要求してくる者もいるのだ。あまり信じたくは無いが、どこかの地域には金銭をちらつかせ、神官に対してそういった要求をする者とそれを黙認している者がいるのだという。
 フレイムチャーチの様な大聖堂のある教会のお膝元ではその様な行いは滅多に起こらない。しかし、過去にひとりの若い神官が村の外れへ連れて行かれそうになったことがあった。あの時はうまく助け出せたが、こんな人間が何人も存在するということが恐ろしくてたまらなかった。俯いて泣きじゃくっていたあの神官は、それでも「誰でも平等に導かれるべきである」と、痛ましい姿で弱々しく語っていた。
 私も例外ではなかった。男であるし小柄でもないから変な輩に絡まれる頻度こそ高くは無いものの、中には物好きも存在した。戦闘職ではないからか旅人や商人、派遣されてきた騎士が力や権力で従わせようとしてきたり、下卑た視線を向けてきたりと、気味の悪いことを経験した過去がある。なんとか躱してはいたが、気分を害していたのは間違いない。神の使いに対しての過ちというより、人をなんだと思っているのだという嫌悪が勝った。
 そんな経験もあってか、あまりロイや教皇などの顔見知り以外と深く関わることは避けていた。他人というのは何を考えているのか分かったものではない。
 クリック君も、はじめは過去に私へ触れてこようとした騎士達と大して変わらないだろうと思っていた。でも彼は違った。私が神官だと知っても見下さなかったし、無暗に近づこうともしなかった。異端審問官という立場もあったからかもしれないが、下心を抱かず、いつだって誠実に接してくれたのだ。いっしょに事件を追っている間も、常に守ろうとしてくれた。それがどれだけ私の心を救ったのか、彼は知らないだろう。
 ――そうか。これが、彼に惹かれているということなのか。

「素敵じゃない。事件以外に興味なんて無さそうな異端審問官様が若い騎士を想うなんて、なんだかロマンス小説みたいでさ」
「面白がってませんか?」
「まさか」
 私が用意した茶を飲んでいるソローネ君は笑顔を崩さない。いつも見ていた隙のない表情などではなく、時折酒場で見せていた、仲間たちと戯れる時のものだ。だから心の底からこの状況を楽しんでいることが分かるのだが、だとして……である。
 私がクリック君に恋をしていると仮定しよう。だからなんだというのだ。私は彼より随分と年上であるし、しかも同性だ。友人程度には思ってもらえているかもしれないが、それ以上であるとは考えられない。叶うはずもなく、実ることのない想いをどうにかしたいとも思わない。
 ため息交じりにそう伝えればソローネ君は口元を抑えながら「あらら、認めちゃった」と呟いていた。
「今までこの感情に名前をつけられませんでしたが、まあ……あなたの言う通りなのでしょうね。なんだかしっくりきてしまって悔しいですが」
「そうやって素直にしてる方がかわいいって」
 ソローネ君は飲み干したカップをソーサーに置き、脚を組みなおす。
「かわいくなくて結構。私はこういう人間なんです」
「なんでもいいけどさ。じゃあ、もしあの子羊がどこかの令嬢と結婚なんてしたらどうするの?」
 結婚。確かにあり得る話だ。
 彼は聖堂騎士で、おまけに人当たりが良く、誰にでも好まれる容姿をしていると思う。周囲が放っておかないだろう。
 それ以前に、婚約者や恋人が存在する可能性だってある。そんな話をしたことが無いので分からないが、可能性としてはゼロではない。
「……複雑ではありますが、祝福しますよ。彼には幸せになってもらいたい」
「うわ。本気じゃん」
 本気で何が悪い。今思えばクリック君に対して、本気でなかった時など無い。はじめて会った時から何か縁のようなものを感じていたし、運命と言えば重く感じるが、そう言われても否定できないほどに惹かれていた。
 クリック君は馬鹿正直で、真っすぐで、人を疑うことなんてしない。ロイに似ているから好感を持てたのかと思ったが、理由はそれだけではない。子どものような純粋さがあった。目が離せない危うさがった。私の言動ひとつひとつに素直に頷いて、歩み寄ろうとしてくれる姿をずっと見ていたかった。だから理想と夢を掲げて前に進もうとする彼の背を押して、支えて、できれば一番近くで見守りたかった。
 でも、その役目は私なんかではない。

「テメノスと子羊の仲について、そんなに知ってるわけじゃないけど。仕事だとか気にせず会いに行ってみたらいいのに。案外、想像つかないほど喜んでくれるかもよ」
「そんなわけないでしょう。用も無しに顔を出したら迷惑ですよ」
「そう思い込んでるだけでしょ。友人としてだったら会いたいって思ったときに顔を見に行くぐらい……普通なんじゃないの?」
 そう言いながら、ソローネ君は私ではなくどこか遠くを見ていた。彼女の交友関係を詳しくは知らないが、きっとソローネ君にも会いたい人がいるのだろう。
 そして、友人はさほど多くない私は供に旅をした仲間たちの顔を思い浮かべた。人が良い彼らのことだ。キャスティやパルテティオ、他の仲間だって、私が会いに行って嫌な顔はしないだろう。
 きっと私は、クリック君に対して臆病になってしまっている。それが恋をしているということの証であるならば、この先どうなろうと彼と対等な関係に戻りたい。
 一度恋だと認めてしまえば、あたたかい感情がじわじわと全身に染みわたっていった。

「ありがとう、ソローネ君」
「え。急に感謝されると怖いんだけど」
「あなたは相変わらずですね」
 名探偵こそ。そう言いながらソローネ君は私に向き直った。
「今度会うときはさ。相談じゃなくて、惚気話を聞かせてよ」