プリズムに陥落
目が覚めると、そこは自宅の寝室だった。
やはり夢だったのだと安堵しながらベッドから降りて顔を洗う。冷たい水が頭の中をクリアにしていくようで、夢の中の出来事を思い返した。
ロイは、遠くへ行ってしまうわけではない。ただ立場が変わるだけだ。寂しいかもしれないが、一緒にいる時間は減るかもしれないが、友人としての関係が変わってしまうわけではない。
真っ黒なコーヒーを淹れながら自分に言い聞かせ、窓の外を見る。曇天が広がる外の景色がまるで自分の心の中のようで、身支度を進める気が起きなかった。
それでも朝のお祈りはかかせない。神は休まないしそれに仕える者も同様だ。
教皇に呼ばれていたので大聖堂へ向かおうとしていたら、道中でロイを見つけた。彼も大聖堂に向かうのだと言うので一緒に行くこととなった。
そこで私は、なんとなく今朝の夢の話をしてしまった。ただの雑談のつもりだったのにロイは真剣に考え始めてしまって、ウンウンと首を捻っている。
なんだか申し訳なくなったので「夢の話だから」と言ってもロイの表情は変わらなかった。
「テメノス、夢魔の話を覚えているか?」
「ああ、おとぎ話の……」
「僕は、そいつの仕業じゃないのかと思う」
その言葉に私は隣を歩く友人を見た。笑い飛ばそうと思ったのに、どうやら冗談ではないらしい。
「存在が証明されているわけではないが、可能性としては有り得るだろう? 一部では何かの魔物の見間違いではないと言われているが、僕にはそうは思えないんだ」
いつになく真剣な声色で、雑談としての話題だったのに引けなくなる。
しかしロイが私を気遣ってくれているのも分かる。なので、否定はしないこととした。
「なんだか興味が湧いてきました。もし本当に存在するとしたら、会ってみたいですね」
「それは危険だからやめたほうがいいぞ」
「へえ、なぜ?」
ロイが言うには、夢魔にも様々な種類が存在するらしい。男性型の夢魔をインキュバス、女性型の夢魔をサキュバスと呼ぶそうだ。
寝ている人間の前に現れて生気を奪おうとしたり、あらゆる方法で誘惑しようとしたりするらしい。主に弱っている人間へ近寄り、悪夢を見せることで更に心を弱らせて取り憑かれるとかなんとか。恐ろしい話である。
それなりに年を重ねているので“誘惑”の意味することはなんとなく想像がつくが、ロイはそこまでは話さなかった。朝からする話ではないので当然ではあるが、例え夜であったとしても聞きたくはない。
どちらの夢魔なのかは知らないが、そのインキュバスだかサキュバスだかが私に悪夢を見せているかもしれないとロイは言う。
「だから……テメノスは疲れているんじゃないかと思う。心配だ」
本気で心配しているのもあるだろうが、こういった話に繋げて彼が私を落ち着かせてくれようとしているのだと分かる。
「私は平気ですよ。それより君の方がこれから忙しくなるのでは?」
「そうかもしれないが、僕が君を心配したっていいだろう?」
自分が慌ただしくなる中でさえ私のことを気遣うロイに感謝しつつ、大聖堂への歩みを進める。
結局は夢魔の話はどれもおとぎ話のようなもので、どこからが作り話で体験談なのかは分からない。結局は架空の存在だろうと思いはしたが、どうしてか夢魔の話が頭から離れなかった。
* * * * * * *
結局、その日も昨日と同じ悪夢を見てしまった。
今度はロイすら現れなかった。どんどん人がいなくなる。この小さな村でひとりぼっちなのは意外と堪えるのだと知ってしまった。
しかも明晰夢なので自由に動けてしまう。朝起きた時に疲れてしまうので面倒だな……などと考えていると、ついに村の外れに人影を見つけた。
(あれは、誰だ?)
それは知らない男だった。この村の住人ではないその男は、こちらに気が付いたのか振り返ってきた。
視線がぶつかり、咄嗟に一歩後ずさる。しかし男はこちらにずんずんと大股で近寄って来たかと思うと、私の前で立ち止まって一礼したのだ。
「あなたはこの村の神官でしょうか。実は迷ってしまって、案内をしていただけると助かるのですが……」
少し緊張気味に頬を赤らめた目の前の男は、二十代前半ぐらいの青年だった。大聖堂にいる聖堂騎士と同じ格好をしている。なぜ聖堂騎士が夢の中に……と考える間もなく、男はこの村にやって来た理由を話し始めた。どうやら探している人がいるらしい。
その探している人物とは彼にとっての運命の相手らしく、この村にいることは分かっているがまだ見つかっていない、ということだった。なんだか恋愛小説のような展開で、「見つかったらいいですね」だなんて相槌を打ってしまう。
そんな話しを聞きながら男の顔を見る。私よりも少し背が高いので目線が自然と上を向いてしまい、疲れる。しかし不快にならないのは、なんとなく彼がロイに似ていたからかもしれない。
人懐こい柔らかい笑顔に、耳馴染の良い優しい声。見た目こそ茶色がかったくるくるでふわふわの金髪なのでロイとはまったく異なるが、その他のすべてが自然と溶け込んでいって、これならば自分の夢に現れてもおかしくないと思えた。
「私はテメノスといいます。大聖堂へ行く前に、君の名前を教えてください」
夢の住民に名前なんて聞いてどうすると思ったが、なんとなく彼のことを知っておきたかった。
「僕の名前、ですか」
彼はきょとんとして、それからすぐに元の笑顔に戻ると名前を教えてくれた。
……そのはずなのに、自分の口からその名を出すことが出来ない。どうしてかは分からないが、聞いても聞いても記憶に残らない。
「一体、君は――」
そこで夢から覚めていくのが分かった。手を伸ばすこともできず、ただ視界が流星のように移り変わっていく。
最後に見えた彼の顔が、少しだけ悲しそうに笑っていた気がした。