がちゃがちゃ

プリズムに陥落

 ――昔々、ソリスティアには夢魔がいました。
 ――夢魔は眠っている人間へ干渉し、苦しめたり、或いは誘惑したりなどをする存在で、時代や土地によってその成り立ちは変化し続けておりました。
 
 もともとは大人が子どもへ夜更かしをしないように「遅くまで起きていると夢魔が来るぞ」と言い聞かせるための作り話だ。だから躾けに使うためならばその存在など夢魔だろうが妖精だろうが、なんだっていい。なんて馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑っていたこともある。そんなことを言っていた幼い頃の私は、きっと可愛げのない子どもだっただろう。

 そんな可愛げの欠片も無かった私は両親に捨てられた後も運よく聖火教会へ拾われ、気が付けば友人のロイと共に神官として迎え入れられていた。
 20年以上暮らしてきたフレイムチャーチという村は穏やかで居心地がよく、昔は自分を捨てた両親のことを恨んだりもしたが次第にどうでもよくなっていった。友人と、教皇と、見知った村人たちと、平和があればそれで良い。そんな私にとって、神官という職業はまさに天職であった。

 私が25歳になろうとしていた頃、とくに事件もなくいつも通り教会前の広場を箒で掃除しているとロイが「テメノス、僕は異端審問官に選ばれた」と教えてくれた。
 正式な発表は後日となるだろうが、私には真っ先に伝えたかった。そう言ったロイの照れくさそうに笑う表情を見て、すぐに「おめでとう」と彼を祝う。
「では、ロイは遠い存在になってしまうのか」
 続けて私が口にした内容に、ロイは驚いたように目を見開いた。
「まさか!僕は僕のままだ、少し仕事が変わるだけだよ」
「そう。……そうですよね」
「ああ。君がいてくれたからここまで頑張ることができた。本当にありがとう」
 無垢な笑顔。本気で私を慕い、同等に扱ってくれる親友が幸せを得ている。なんと喜ばしいことか。
 もう一度おめでとうと伝えると真正面からハグをされて、こんな人目があるところで恥ずかしくないのかと引き剥がした。
 ロイは昔からそうだ。いつだって真剣で、正直で、何も疑うことがない。だから口にしたことはないが、私が彼を守らなければ、などという正義感を胸に秘めていた。
 しかし、どうやらそんな私は必要が無かったようだ。彼は同じ空間で自立しているし、いつの間にか私よりも先に進んでいた。私がいなくても、彼は正しい方向へ進むことができているのだ。
 
 ロイは優秀だ。神官としても人間としても、同じように育てられた私とは出来が違ったのだ。
 誰にでも好かれ必要とされている唯一無二の存在。そんな彼が長年親友として、或いは家族として傍にいてくれたことが、どんなにありがたかったか。
 だから、彼が異端審問官に選ばれたことは喜ばしいのだが、同時に寂しさが押し寄せてきた。今までは同じ“神官”として隣に並ぶことはできていたが、そんな日々が無くなるのではないか。
 ロイは「何も変わらない」というが、どうしてか私にはそうは思えなかった。

 その日の夜、どこにぶつけて良いのか分からない感情を抱えながら私はベッドに潜り込んだ。普段ならば夜の静けさを心地よいと感じるのに、何故か今日は胸騒ぎがする。
 夢なんて、見なければいいのに。

 * * * * * * *

 人間という生き物は不思議で、たとえ自分の体であっても言うことを聞かない。
 こんな日に限って夢を見ている。しかも夢だと自覚できている。どうせ良くない夢に決まっていると思い、私は明晰夢なのを良いことに夢の景色から動かないようにしていた。
 目の前に広がっているのは見慣れたフレイムチャーチの風景だ。太陽は高く、人口の少ない村ではあるが普段ならばそこそこに行きかう人々を目にする頃だ。
 しかし、夢の中だからなのか自分以外の人間が誰も見当たらない。遠くで鳴いているはずの羊たちもいない。どこへ行ってしまったのだろうか。
 夢の中なので気にする必要も無いのだが、どうにも気になってしまう。私はその場を離れて、夢の中の故郷を少し探索してみることにした。

 少し歩いてみたが、やはり誰も見当たらない。夢は心の鏡だというが、この夢が何を意味するのか分からない。
 誰もいないというのは、紛い物の世界とは言えどうしても孤独を感じてしまう。寂しい。そう自覚したとき、ロイの顔が思い浮かんだ。いつも傍にいたはずの彼すら見当たらない。私の夢だというのに。どこに行ってしまったと言うのか。
 はやく目覚めないだろうかと村の入り口辺りまで戻ると、やっと人影を発見した。慌てて駆け寄ると、それはよく知る後ろ姿だった。

「ロイ」
 名前を呼ぶと、彼はゆっくりと振り返った。いつも通りの笑顔だった。
「テメノス、探していたんだ」
 ロイはこちらに近づくと私の腕を掴んだ。
 そして辺りを見渡しながら「君が最後だ」と呟く。
「ほら、君も一緒に行こう」
「行くって、どこへ」
 ロイは答えなかった。ただひたすらに私をどこかへ連れて行こうとしている。
 そして私は気が付いた。ロイはもう、私の傍にはいないということを。
 私の世界はとても狭い。このフレイムチャーチを中心に、本と知識の中で生きている。
 どこでだって生きていけるだろうが、私は教皇に育てられたこの村が好きだ。離れたくはない。ロイと一緒が良い。だけど、それはもう叶わないのだ。

「ロイ、私のことは気にしないで。自分の思うように生きてほしい、君の足枷にはなりたくない」
 私がロイの腕を振り払うと、彼は寂しそうな顔で、それでも笑っていた。
「随分と寂しいことを言うんだな」
「私も大人になったから。いつまでも君に頼ってばかりではいられない」
 俯いてしまいそうなのを必死に堪え、真っ直ぐにロイを見る。その笑顔は、きっと本物だ。
「そうか。だけど覚えていてくれ、僕たちは死ぬまで親友だ」
 そう言い残してロイは夢の中のフレイムチャーチから出て行ってしまった。