散るは覚悟
このフレイムチャーチは、他の村よりも神官の人数が多い。
それも当然だ。ここは大聖堂のある聖火教会の総本山であり、巡礼の為に信徒も頻繁に訪れる。旅の途中で立ち寄る人間も多い。
なので、神官とすれ違うことは珍しくない。
そう、まったく珍しくはないのだ。
だというのに、この村の住人である自分はひとりの神官を前にして、妙にそわそわとしてしまっていた。
昼下がりの村の広場で、今日も教会から出てきた神官様のもとへ駆け寄る。
「こ、こんにちは!」
早速声をかける。最早日課だ。
自分の上擦った挨拶に気が付いた神官様はこちらへ顔を向けると、にこりと微笑んだ。あたたかい陽だまりのようで、直視できない。
「はい、こんにちは」
たったこれだけの返事だというのに、神官様からの返事に胸が高鳴って仕方がない。
ああ、今日も綺麗だ。自分の中で春風が通り過ぎていく。
そう。数か月ほど前から、自分は恋をしていた。
相手は目の前の男性、テメノス審問官。普段は神官として過ごされているが、時には異端審問官として務められているらしい。
自分のようなただの村人とは身分があまりにも違い過ぎる。しかし神官様は相手の肩書きなど気にはしない。誰にでも平等に接してくださる、心優しいお方だ。
神官らしい凛とした佇まいに、崩されることない柔和な笑顔。物腰柔らかで、実年齢より幼く見えるお顔は今日も愛らしい。
そんな神官様に、自分はよからぬ感情を抱いてしまっているのだ。
「あの、今日もいいお天気ですね」
何か会話を続けなければ。そう思い、つい天気の話なんてしてしまった。完全に選択を誤っている。
しかし自分のこんなつまらない話にも神官様は嫌な顔ひとつすることなく、まるで聖母のように柔らかな表情を見せてくれた。
「ええ、そうですね」
なんてお優しいんだ。紡がれる言葉すべてが身に染みていく。
その声を聞き逃さぬよう集中していると、いつの間にか神官様はそのまま大聖堂の方角へと向かおうとしていた。
すぐ横を通り過ぎていく際に、花の様ないい匂いがふわりと漂ってきた。更に、彼の歩調に合わせて絹糸のような銀髪がさらさらと流れるように揺れている。綺麗な人は身に纏うものすべてが美しいのだと実感させられてしまう。
「神官様、これから大聖堂へ向かわれるのですか?」
再び声をかけると、振り返った神官様が頷いた。
これはチャンスだと無意識に握りこぶしを作る。
「それでは、自分がお供します」
返事を待たず、自分は神官様の横に並んだ。
そのまま滑らかな白い手を取り、両手で包み込む。
以前にも、一度だけこの手で触れられたことがある。自分がこの村に来たばかりのときに怪我をして、神官様に治癒をしてもらったときだ。
そのときの感触が忘れられなかった自分は、つい包み込んだ手をすべすべと撫でまわしてしまう。あのときと同じで柔らかく、滑らかな肌。ずっと触っていたい……。
近頃は触るだけでは満足できずにいる。この柔肌を隅々まで舐め回したり、その白い手で扱いてもらう妄想を、今日まで何度してきたことか。
「い、いえ……慣れた道なので、お気遣いなく……」
神官様は握られている手から視線を外すことなく返事をした。少し言葉がもつれそうになっている理由は分からない。
「大丈夫です。自分も用事があるので」
自分の言葉に、視線の先で神官様は俯いてしまった。
このままでは逃げられるかもしれない。なので手を引っ込ませないよう力を入れると、僅かに肩を揺らしていた。
その小動物のような愛らしい反応にどうしようもない感情を抱えてしまい、可愛い以外の感想が出てこない。
「それでは、行きましょう——」
包んでいた手を解放し、彼の細腰へ手を添えようとした。
その時だった。
「テメノスさん、探しましたよ!」
遠くからでもはっきりと聞こえてくる、青年の凛とした声。
声の主が分かってしまった自分はそちらへ振り返ることなく、神官様から目を離さなかった。
……思った通り、神官様はほんのりと頬を染めながら青年の声の方へ振り返っている。
「クリック君」
神官様が青年の名を呼ぶ。彼が一歩踏み込む前に、青年は自分と神官様の間へ割って入ってきた。
そして自分ができなかったことを、つまりは彼の腰に手を添え、ぐっと抱き寄せていた。
お互いほぼ無意識なのだろう。神官様も抵抗することなく、彼へと身を任せている。ちくしょう。
彼の名前はクリック。若き聖堂騎士の青年で、自分がフレイムチャーチへ訪れる少し前に大聖堂へ派遣されてきたらしい。
はじめは、ただの気の良い青年だとしか思っていなかった。真面目で体格の良い、いかにも騎士らしい男だと。
だがある日、気が付いてしまった。神官様の日常を追っていたところ、その9割に騎士君が存在しているということに。
朝昼晩と時間を問わず、とにかく神官様の近くには彼がいる。いなくても気が付けばやって来る。どういう仕組みなのかは知らない。
二人の関係など知らないが、他の人間よりも仲が良いことは周知の事実だ。だから彼のいない今を狙ったというのに……。
「午後には大聖堂へいらっしゃる予定だったじゃないですか。なのに、全然来る気配が無いから」
「だからってわざわざ探しに来たんですか……?」
まるで自分など存在しないかのように言葉を交える二人の体がぴとりと寄り添い、神官様は騎士の青年へ上目遣いになっている。
そのまま甘ったるい空気が流れ始め、なんだか周囲の色まで変わり始めた気がしてきた。
まるで恋人同士の様な二人の仕草に唇をかみしめながら、自分は二人の様子を窺った。羨ましいという感情よりも、居心地の悪さが勝っている。
青年は神官様の腰から手を離すと正面に向き合い、そして彼の両肩に手を置いて目線を合わせた。
「そうですよ、あなたが心配だったので」
この村では事件など滅多に起きない。起きたとしても羊が脱走しただとか、老人が茶をこぼしただとか、その程度だ。
なので、ひとりの神官が時間通りに訪れないだけでわざわざ聖堂騎士が迎えに来るほどの心配事など無いはずなのだ。
だが、青年が神官様の身を案じる理由は分かる気がした。
神官様へ抑えきれない劣情を抱いている人間は、なにも自分だけではない。
これは“同類”の勘で分かってしまうのだが、ときどき訪れる巡礼者や旅人の中に神官様へお近づきになろうとしている輩が存在している。それも数人などではない。他人を魅了する何かがあるのか、性別を問わず大多数の人間が神官様に心を奪われてしまうようなのだ。
まず、彼らは目の色が違う。どんなに普通の人間だったとしても、神官様を見ると途端に瞳の奥に欲を宿してしまうのだ。神官様との出会いでその美しさと気高さを知り、何かに落ちてしまった瞬間を迎えている何人もの憐れな羊の姿を、自分は見てきた。
全員が神官様から声を掛けられるだけで下半身に響くようになってしまっているわけではない。元々の住民は慣れているのか、神官様を“そういった目”では見ていない。あくまで外からやって来た者だけが、まるで蜘蛛の糸にかかったかのように囚われてしまうのだ。
そんな絡新婦か何かのような神官様の色香にあてられた人間は少なくない。だからこそ騎士の彼は「心配だ」と口にしたのだろう。
気が付けば、神官様は騎士君に連れられ二人で大聖堂へと向かってしまっていた。
ひとり残された自分はしばらくその場から動くことが出来ず、神官様って後ろ姿もお綺麗なんだな……などと、見えなくなるまでその影を見送っていた。