あなたと共にある
大聖堂に辿り着いた時には夜になってしまっていた。
穏やかに燃え続ける聖火を見ると事件のあった日を思い出してしまいそうなので、無心にその横を通り過ぎていく。
大聖堂前には騎士が佇んでおり、中には入れてもらえなかった。
「今は改修工事中のため、申し訳ありませんが異端審問官といえどもお通しすることはできません」
ステンドグラスは既に修復されているはずだが、教皇が魔物に襲われるという事件が起こったことから全面的に大聖堂の守りを強化する動きがあったことは知っている。その工事のために入れてもらえないのだろう。
しかし大聖堂には正面入り口でなくとも入る方法がある。それも、彼と一緒に見つけた方法だった記憶が蘇る。
(あのとき初めて私の審問を見た彼は、まるで軽蔑するかのような目をしていた)
どうしてあなたのような人が異端審問官に。教皇に選ばれたから。ただ、それだけ。
そんな会話をしたことを思い出し、ずっと自分の中にいてくれる存在にじわりと胸があたたかくなった。
こんなにも満たされているのに、どうして仲間たちは不安そうな顔をするのだろう。それも、大聖堂に入れば、きっと分かるのだろう。
大聖堂内に続く地下道へと足を踏み入れる。暗い道をカンテラの灯りを頼りに進んでいると、いろんな記憶が蘇ってきた。
テメノスさん。今でもあの声で名前が呼ばれそうな気がして、何度も振り返ってしまう。いないと分かっているのにやめられなくて、こんなことになるなら一緒に連れて行ってほしかったと己の運命を呪いたくなる。
もう“夜”は明けたのだ。聖典になぞらえて、人々の平和を願いながら眠りについてもいいのではないだろうか。
* * * * * * *
大聖堂内に辿り着き辺りを見渡す。中には誰もおらず、恐ろしいほどに静まり返っている。祭壇の方へと向かって美しく見事なステンドグラスを見上げた。あの事件があった日は違い、今はどこも荒れていない。
月明りに照らされた室内は幻想的で、まるで夢の中のようだった。目を閉じて深呼吸する。そのままゆっくりと両膝をついて祈るように手を組んだ。
(私には、もう祈る資格もないのかもしれない)
心などここにはない。形ばかりのそれに、テメノスは吐き気がしそうになった。
いくらか落ち着いたのか、今まで感じなかった鈍い痛みが全身を覆い始めた。不思議に思ってローブの袖を捲ってみると、両腕には無理やり押さえつけられたような痕や何かにぶつけたような痣があった。もしやと思って足も見てみると、同じようなものが見つかった。
キャスティが無理やり眠らせていた理由がここにある気がした。テメノスの身を案じた彼女はかつての仲間たちに手紙を出したが、詳細は隠すために誰も部屋にいれなかった。
そこまで推測して、目を閉じる。心が“ここ”から逃げ出そうとしているのだ。だとしたら、自分にはもうどうすることもできない。
「テメノスさん」
再び名前を呼ばれた気がして、顔を上げる。きっとまた幻だろう。
それでも幻に縋りたくて振り返る。するとそこには、ずっと会いたかった彼がいた。
「……クリック君。これは、悪い夢なんでしょうか」
「僕には分かりません。ただ僕はここにいて、あなたも同じ場所にいる。……それだけです」
穏やかな笑みを向けるクリックに、テメノスは一歩一歩とゆっくり近づいていく。
やっと手が届く距離までやってきて、溢れそうになる涙をこらえていると今度は困ったように笑っていた。
「テメノスさん、我慢なんてしなくて良いんですよ」
「我慢、なんて」
「してますよね、いつも。あなたは口数が多いのに、本心を探られないように大事なことを隠したままだ。悲しかったら泣いていいし、苦しかったら助けを求めていいはずです」
普段だったら、捻くれた返事をしていただろう。だけど今は素直に頷き、目の前にいる彼の存在を確かめる為に手を伸ばした。
鼓動を感じたくて心臓のあたりに触れてみるが鎧のせいで分からない。冷たい感触だけが伝わってきて顔を顰めていると、クリックはテメノスの手を取った。
「僕もあなたに確かめてもらいたい」
その言葉を聞いて、夢心地のような気分のままテメノスはクリックの手を引いた。
* * * * * * *
テメノスがクリックを連れてきたのは、巡礼者用の客室だった。
最低限の家具だけが置かれている室内のベッドにクリックを座らせると、何も言わずとも彼は鎧をすべて脱いでくれた。着たままのギャンベゾンを今度はテメノスが脱がせるとやっと薄い布地が出てきて、これならば大丈夫だろうと再び心臓を確かめるように胸へと触れた。
そこは確かに脈打っており、夢なのかどうかが分からなくなる。顔を近づけて耳を押し当てると小さな音が聞こえてきて、安心しきって力が抜けていく。大人しく座ったままのクリックへしな垂れかかると優しく受け止めてくれて、それだけで空っぽになっていた箇所が満ちていくようだった。
「僕も、確かめていいですか?」
彼が触れて駄目な理由がない。もちろんです、と答えたテメノスがローブを脱ぐと下に着ていたシャツの上から胸へと触れられた。気恥ずかしさから脈打つ速度が上がっている気がして、それに気づかれたくなくて顔を反らした。
「テメノスさん、照れてますよね」
「……だったらなんですか」
バレないわけがなかった。余計恥ずかしくなって睨むように言うと、クリックは楽しそうに笑った。
「いや、なんだか新鮮だなと思って。いつも僕が子ども扱いされていたので」
子ども扱いとは言うが、30歳のテメノスにとって22歳のクリックは子どものようなものだった。もちろん教会へ来ている子どもたちと同じように接していたわけではないが、初々しく正直で無垢なその姿はどうしても揶揄いたくなって、その結果子ども扱いのようになっていた気がする。騎士として剣を振るう姿は立派な青年であったが、どこか幼さを持つ表情を見ると心が穏やかになるのだ。
「このまま君と一緒にいたら、私も同じ場所に行けそうな気がしてきました」
抱き留められたまま呟くと、クリックはテメノスを抱く腕に力を込めた。
「……どうして、こっちに来たいんですか?」
「イェルク様に会いたい。ロイに会いたい。そして何より、もっと君と一緒にいたい。話したいことが、たくさんあったんです」
「テメノスさん、それって」
少しだけ、クリックの鼓動が強くなる。それにつられるように顔が赤くなっていって、テメノスは姿勢を正してベッドの上でクリックと向き直った。
「今でも、大切な人はいます。外で待ってくれている仲間たちも、あたたかく迎えてくれるフレイムチャーチの人たちも、私を必要としてくれている教会の方々も。だけど、そこに君はもういないって思いたくないんです。喉が渇いて仕方がなくて、きっと君がいないと満たされません」
寄り添っていた体を離すと、クリックは大きく息を吐いた。しばらくして大きな手で両肩を掴まれ、真剣な眼差しがこちらを射抜いた。
「好きだって言われるより恥ずかしい気がします……」
「そうなんですか。私は恥なんて何年も前に捨てちゃいましたよ」
「またそうやって……、まあいいか。言葉は違いますけど僕も同じ気持ちです。最後に会いたかった人も、聞きたかった声も、触れたかったぬくもりも、全部あなただった。真実を見つけるまで着いて行きたかったのに出来なくて、それが心残りだった」
そんなこと、何も気にする必要は無いのに。欲しがってくれさえいれば、いつだって与えられたのに。どうして、どうしてと込み上げてくる感情がとめどなく溢れてくる。
肩を掴んでいた手がゆっくりと下りていって、腰に添えられる。そこに触れたクリックは少し驚いた表情になって「細い……」と声を漏らした。
「前から細いとは思っていましたけど、ちゃんと食事できてますか?」
「キャスティには嘘をついてしまったんですけど、実は君のお墓参りをしてからまったく食事が喉を通らなくて」
「暗いからよく分からないですけど、たぶんくまも酷いです」
「全然寝付けなくて。だから何日も眠ってしまってたんですかね」
そこまで話すと、優しく抱きしめられ子どもをあやす様に背中をさすられた。
きっと、無意識のうちに彼のところへ行こうとした。生きることを諦めようとした。自覚がなかったからこんな形になってしまったが、キャスティには見透かされていたのかもしれない。彼女の判断は、薬師としてきっと最善だった。彼女がいなければ、きっとこの脆い命はとうに無くなっていた。
「こんな見窄らしい男は、やっぱり嫌ですか?」
言ってからすぐに「そんなことありません!」と強く返される。
「姿なんて関係ないんです。どれだけ傷があってもかまわない。僕はあなただから好きになった」
腰を抱き寄せられて、再び体が密着する。全身に彼の鼓動が伝わってくるようで、このまま本当に死んでしまいそうだ。
「ねえ、これは夢……なんですよね」
テメノスがクリックに顔を寄せながら小さな声で言うと、続きは喋られないように口を同じもので塞がれた。泣きたくなるのを堪えながら彼の背に腕をまわす。
全身があつい。こんなにもあついのに、どうして彼は“ここ”にいないのだろう。