がちゃがちゃ

今すぐ愛を誓いなさい

 テメノスは今日も聖堂機関本部に訪れており、クリックを見つけるなり「昨日は迷惑をかけてしまってすみません」と謝罪を述べてきた。まったく気にしていないのは本心であったのでそれを伝えても、彼はずっと何かを言いたげにしていた。
 しかし罪の意識から、クリックはテメノスを避けるようにその場を去った。どうせこの恋は実らない。自分の様な汚らわしい人間は彼の隣にいるべきではないと自身の感情を押し殺した。必要以上に彼には関わってはいけないのだと自分に言い聞かせると、幾分か気持ちが軽くなった。
 
 それでも仕事上の付き合いというものはある。なるべく個人的な部分には踏み入らないように気を付けてはいるというのに、彼は頻繁に夢の中に現れた。
 「クリック君」と甘い声で囁かれる。穢れを知らない手で触れられる。熱を持った吐息を感じる。気がおかしくなりそうで、クリックはますますテメノスから距離を置くようになった。その度に彼の寂しそうにこちらを見る目に気が付かない振りをすることには胸が痛んだが、自分から彼を守るにはこうするしかなかった。

 ついに耐えられなくなったクリックは、夜の騒がしい酒場でオルトにすべてを打ち明けた。こんなことを話せるのはたった一人の親友しかいないのだ。
「僕は尊敬する人を汚してしまった」
 酔いが回っていたのかもしれないが、そう話した時オルトは丸テーブルに顔を突っ伏して笑っていた。それはもう盛大に吹き出しながらジョッキを握ったまま腹を抱え、こんなに笑っている親友を見るのは初めてだと怒りよりも驚きが勝ってしまった。
「お前は真面目なやつだとは思っていたが、まさかそこまでとはな」
 笑いながらも、オルトはクリックの悩みを最後まで真剣に聞いた。夢の中に想い人であるテメノスが出てくること。夢の中の彼は迷いなく自分に触れてくること。愛を囁いてくること。そして夢から覚めた時には己の欲深さに幻滅すること。
 話していると余計に落ち込んでくるので勢いに任せて酒を煽ると「その辺にしておけ」とオルトからストップがかかった。
「それで、お前はテメノス審問官を諦めるのか?」
「それは、そうだろう……僕が気持ちを伝えたところで困らせるだけだ」
 酒を止められたので、テーブルに置かれたまま手が付けられていない肉料理にフォークを突き刺す。そのまま口の中へ頬り込むと濃い味が雑念をより鮮明にしていった。
「なるほどな。それならお前が取るべき行動は一つだ」
「……なんだそれ?」
「テメノスを忘れること」
 オルトの言葉と一緒に口の中の肉を飲み込む。ごくんと喉元を通り抜けていく感覚で咳き込むと、オルトはまた笑っていた。
「お前はとにかく色恋に関する経験が浅いんだろう。もっと他を知れば見えてくることもある、例えば……」
 言いながらオルトが辺りを見渡し始めた。どうするつもりなのか静観していると、近くを通った女性客を突然呼び止めた。
「こいつ失恋したばかりなんだ。一緒に慰めてやってくれないか?」
「お、オルト!?」
 オルトが声をかけた二人の女性客はこちらを値踏みするように視線を走らせ、その後に愛想の良い笑顔で同じ丸テーブルの席に着いてきた。クリックの近くに座った女性は椅子の位置をずらし、肩が触れそうな程に距離を詰めてくる。
「こんばんは、良い夜ね」
 クリックに声をかけてきたのは、銀色のミディアムヘアの女性だった。その髪色が少しだけ想い人を彷彿させて、クリックの心を揺さぶる。
 その女性は饒舌だった。クリックとオルトが、というよりも男が気持ちよくなるような言葉を理解しており巧みに使い分けている。彼女を利用しているようで落ち着かないが、悪い気はしない。

 しばらくして、銀髪の女性客はテーブルの下の見えない位置でクリックの太ももに触れてきた。はじめは特に気にしていなかったが、次第に撫でるように細い指を滑らせてきたので驚いたクリックはテーブルに手をつき、椅子を蹴り飛ばす様に立ち上がってしまった。
「悪いオルト、今日は帰る!」
 少し多めに支払いをテーブルに置いて立ち去ろうとすればオルトも慌てたように立ち上がり、クリックを引き留めた。
「おい、急にどうしたんだよ」
「もう馬鹿でも不器用でもなんでもいい。ただ、僕にはあの人の代わりなんて……」
 それ以上伝えることが出来ずにいると、オルトは溜息をつきながら「分かったよ」と頷いた。
「こちらから声をかけておいて申し訳ない。これで好きに飲んでくれ」
 オルトはクリックから受け取った金と合わせた金貨をテーブルに置く。女性と少し言葉を交わした後、喧騒を背に二人で店を後にした。

「オルトが僕のことを気にしてくれているのは分かってる。だけど、気持ちが追い付かないというか、これじゃあ解決しない気がして……」
「ああ、俺が悪かったよ。お前はそんな単純なやつじゃなかったことを忘れていた」
 雪の降る寄宿舎までの帰路を並んで歩く。この時間では人通りも少なく、何を話しても許される気がした。
 
「でも、おかげで逃げているばかりじゃ駄目だって分かったよ。自分の心ぐらいは真剣に向き合わないとな」
 俯いていた顔を上げると、オルトはもう何も言わなかった。親友の存在を有り難く思いながら歩いていると、次第に雪は止み月明りが夜道を照らしていった。

 * * * * * * *

 次の日、二日酔いの頭を抱えながら目を覚ましたクリックは休日にも関わらず頭痛に耐えながらも朝早くに身支度をしていた。
 先日からストームヘイルへ訪れているテメノスは今日フレイムチャーチへ戻ると聞いていた。最近は頻繁に顔を合わせていたが、今回彼がここを離れてしまうと次に会えるのはいつになるのか分からない。その為なんとしてでも今日の内に彼と話がしたかった。

 身支度を終えたクリックが寄宿舎を出て外へ向かうと、丁度街の入り口付近でテメノスを見つけた。慌てて声をかけるとテメノスは珍しいものでも見るかのように大きく瞬きをして、そして目を細めて笑った。
「おはよう。……ふふ、私服の子羊君なんて始めて見たから一瞬誰だか分かりませんでした」
 そして白い手を伸ばしてきて、クリックの髪へと触れてきた。その様子が夢の中と同じで、クリックは思わず一歩後ずさる。
「失礼、寝ぐせがついていたもので。……うん、もう大丈夫」
 少し寂し気に離れて行った手を見送る。まただ。また無意識に彼を遠ざけて傷つけてしまった。彼は友人として心を許してくれているというのに。
 クリックはテメノスに向かって頭を下げる。こんなことですべてが許されるとは思っていないが、とにかく今は彼に謝りたかった。
「いえ、こちらこそすみません。あなたをお見送りしたかったのに寝坊して、慌てて準備したものですから……」
「なるほどね、お気遣い感謝します。私は気にしていませんから頭を上げてください」
「今日のことだけじゃありません。今まで僕は、あなたに……テメノスさんに無礼を働いてしまった。許してほしいとは言いません。だけど今日は、お話したいことがあって来ました」
 顔を上げると、テメノスの表情が強張っているのが分かった。それが嫌悪なのか、もしくは緊張なのかは分からないが、クリックはテメノスの手を取って真っすぐに彼を見つめた。
「あなたが好きです、テメノスさん」

 クリックの告白を受けたテメノスは、時が止まったかのように動かなくなってしまった。
「あの、テメノスさん……?」
 返事は無い。これは拒絶に違いないとクリックの表情が曇る。手を離すとやっと意識を戻したテメノスが首を振り、今度は彼からこちらの手を握ってきた。
「今の君の言葉、本気だと受け取って良いのですね?」
 クリックを映した二つの瞳が揺れている。今度はクリックが動けなくなりそうだったが、逃げ出すことなくテメノスへと向き合った。
「もちろんです。これから永遠に、あなただけを愛すると誓います」
 その言葉を聞いた瞬間、テメノスからぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。慌てたクリックは今更だと思いつつも自分たち以外に人がいないことを確認して、そっと彼を抱き寄せた。
 背中を撫でていると、しばらくして落ち着きを取り戻したテメノスが顔を上げた。
「情けない姿を見せてしまってすみません……嬉しくて、なんと言えばいいのか分からなくて。ずっと君に避けられていたから」
 すん、と小さく鼻をすすり、テメノスはクリックから離れると涙を拭い顔を上げた。
「君は私にとって光の様な存在です。いつだって私の道を照らしてくれる。だから私も……君だけを想っていると誓います」
 無理やり微笑んだ不器用な笑顔すら美しい。クリックはもう一度テメノスを抱きしめると、再び胸の内を曝け出した。
「ごめんなさい、僕が弱いばかりにあなたを何度も悲しませてしまいました。もう迷いません、だから……これからずっと一緒にいてください」
 腕の中でテメノスがくすくすと笑っている。瞳には光が差しており、穏やかな表情でこちらを見上げた。
「ふふ。なんだかプロポーズみたいですね?」
「はい、そのつもりですよ?」
 言った途端、テメノスの顔が赤くなってしまった。恥ずかしさから逃げ出そうとしている彼を抱きしめていると、すぐ傍から「こほん」と圧を含んだ咳払いが聞こえてきた。
「お前達、いい加減にしてくれないか」
 見れば、そこには普段以上に眉間の皴を深くさせたオルトが佇んでいた。彼は非番ではなかったこと思い出し、クリックはテメノスから慌てて離れる。
「お熱いのは構わないが、お前らの熱でストームヘイル中の雪が融けてしまいそうだ。そろそろ街の住民もやって来るぞ」
 オルトはこちらへ歩み寄ると表情を和らげた。そして深呼吸をしたのち、二人の顔を交互に見やる。
「よかったなクリック。テメノス審問官、どうかクリックのことをよろしくお願いいたします」
「ええ、もちろんです。子羊君のお守りは慣れていますから」
「ちょ、ちょっとテメノスさん……!」
 穏やかな空気が流れている。まるで終わりなく暗かった道が照らされていくようだ。
 ただ大切な人達が傍にいてくれるこの瞬間がいつまでも続けばいいのにと願うばかりで、クリックの心は晴れ渡っていった。