がちゃがちゃ

あなたの月まで連れてって

 しばしの間、二人の間を沈黙が流れる。
 有明さんは今、なんといった――?
 
「夢の中の大崎さん、狼になってて……といっても見た目はいつもの大崎さんなんですけど。でも頭に狼のような大きな耳がついてて、歯も鋭くって……えへ、なんだか興奮しちゃいました」
 しちゃいました、ではないだろう。どう考えたって人間の頭には獣の耳はつかない。そんな人物を目の前にして興奮する彼の危うさに、ついため息がでてしまった。
「あ、でも僕が愛しているのは人間の大崎さんなので!ちょっと、いろいろ触られはしましたけど。でも“彼”とは何もしていませんよ」
「自分は何も疑っていないし聞いていないです」
 そして、有明さんはいつも通り「えへへ」と愛らしく笑った。
 他人が聞いたら馬鹿げた話だと笑うだろう。しかし彼と同じように兎になった有明さんを夢に見た自分としては思うところがあり、手が自然と頭上へと伸びて行った。
 当然そこには獣の耳など存在しない。あるのは寝ぐせで乱れた髪だけであり、行き場のなくなった手を誤魔化す様にぐしゃぐしゃとそれをかき混ぜた。
 
 腕の中の有明さんは、まだ楽しそうに微笑んでいる。
 こちらの反応を窺って楽しんでいるのは分かっている。自分の動揺を誘いたいのだろう。
 だけど有明さんは、自分も同じような夢を見たことを知らない。これを彼に話すつもりは無かったが、先に夢の話をしたのは向こうだ。それに釣られるように、自分も今朝見た夢について話したくなった。
 そして、それを告げた時に彼がどんな反応を示すのか。それが気になったのだと気が付き、また恋の病の深さを知ってしまう。

「有明さん」
「どうしました?」
「自分も、見ました。有明さんの夢を。夢の中のあなたは……真っ白な兎、でした」
 言いながら、やっぱりおかしなことを言っているなと気が付いてしまった。
 この夢を見たことは事実なので、後出しになっているせいで彼の話にあわせた作り話をしているのではないかと疑惑を持たれてしまうのでは、と話し終えてから後悔してしまう。
 しかし有明さんは揶揄うこともなく、ぱちぱちと瞬きを繰り返した後に恥ずかしそうに身を捩り、耳を自分の胸の押し付けてきた。
「……大崎さん、すごくどきどきしてる。僕の夢を見てくれたんですね、嬉しいです……」
 絵具を垂らしたように頬を赤く染めながら、有明さんが小さな声で自分の名前を呼んだ。
「大崎さん。夢の中の僕は兎だったんですよね。あなたは、そんな僕をどうしたんですか……?」
 正直に話したところで、彼が自分から離れて行くことは無いだろう。むしろ、酷く扱おうとしたことを伝えれば悦んでくれそうな気さえした。
 しかし、先ほど有明さんは“夢の中の大崎さん”とは何もしなかったと言った。だから自分が兎の有明さんに手を出したと告げれば浮気だなんだと騒がれそうな気がして、まだ見ぬ未来を面倒に感じてしまい「何もしませんでした」と嘘をついてしまった。
 しかし、彼は自分をよく知っている。不思議そうに目を細め、こちらの顔を覗き込んできた。
「本当ですか?嘘をついていませんか?大崎さんって、すごく分かりやすいから」
「そんなことを言うのは有明さんだけですよ」
「えへへ。僕はあなたの伴侶ですから、これぐらいは当然です」
 あまり表情の変わらない自分の癖や仕草など、ちょっとしたことを彼はよく見ている。甘味が好きだと見抜かれた時も随分と驚いた。
 表情だけではなく多くを語らない自分をこんなにもよく知ろうとしてくれる姿勢。無邪気で明るく、常に笑顔でいられる才能。冷たい自分とは違っていつだって陽だまりの様にあたたかい体温。そんなところに惹かれ、いつからか自然と彼ばかりを追うようになって、心の奥が囚われ続けている。その自覚はあるのだ。
 そんな彼に対して、どんな状況であれ嘘をつくということは裏切りに値するのではあろうか。或いは嘘だと認定されないにしても、そんな自分を許せなくなる日が来るのではないか。
 ぐるぐると頭の中を駆け巡ったのち、ついに観念して素直に夢の話をすることにした。

「――それで、大崎さんは夢の中の僕に触ってしまったんですね?」
「それだけでなく、噛みついたり舐めたりもしました」
「つまりは普段僕にしているようなことを、夢の中でもやってしまったと」
 上手くまとめてくれた有明さんに、自分は小さく頷いた。
 すると有明さんは笑顔を外し、真顔の仮面を被った。笑顔が消えるだけでチューリップのような愛らしさは消え失せ、一気に冷たい印象と早変わりする。彼は顔が整い過ぎているせいで、美人な面が仇となっているのだ。
 
「ねえ、大崎さん。夢の中とはいえ、偽物の僕に手を出してしまったんですね……いけない人です」
「反省しています」
「僕は大崎さんのそんな素直なところを可愛いと思っているんですよ。“僕”を前にして、我慢ができなかったのでしょう?えへ、嬉しいです」
 言いながら、有明さんの唇が自分のそれに触れた。ちゅ、と小さなリップ音を立てるだけで終わってしまったことの名残惜しさを追う前に、有明さんは再び小さな口を開いた。
「……ごめんなさい。夢の中の大崎さんとは何もしていないと言いましたが、ちょっとだけ嘘がありました」
 そんな気はしていた。
 彼の夢の中の検証など自分には不可能なので確かめる術はないが、彼がわざわざこんな話をしてきたということは、ただ夢に自分を見たというだけで済んでいるはずがないと思っていた。
「夢の中のあなたは、僕のことをおいしそうに食べていました。噛みつかれたと思ったら、僕の指を舐め始めて。そしたら歯を立てて、また噛みつかれて、食事をするように頬張って、幸せそうにして。このあいだ一緒に行った喫茶店のケーキよりも、評判になっていたカレーライスよりも、あなたは僕を選びました。それはもう、高級な料理を目の前にしたように。あなたは食べ物に、あまり興味を持たないのに」
 潤んだ瞳が、じっとりと絡みつく様にこちらを見つめている。逃げ出そうと思えばいつだってできるが、自分はとっくに彼の蜘蛛の巣に捕まっている。そしてそれを喜ばしいと思ってしまっている。
 我ながら、救いようが無いと思う。

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