黎旦にさよなら
つまらない男。はじめてそう言われた日のことを思い出す。
何をもってつまらないと評するのかなど人それぞれだろう。僕が言われた「つまらない」は恋愛方面においての評価だった。人生ではじめての彼女からその言葉ひとつで振られた時にはそれなりにショックも受けたし、結局その「つまらない」の理由を知ることはなかった。
そもそも“恋愛”をしていたのかも分からない。好意を寄せられれば誠実に応えたいと思い、嫌な相手でさえなければ自分なりに寄り添ったつもりだった。
しかし、いつしかそれが“つまらない”に変わる。何度もそれを繰り返したが改善されることはなく、自分はつまらない男なのだと思うことで納得し続けた。
歳を重ねるにつれ、好意を寄せられたからという理由だけで誰かと深い仲になることは無くなっていった。
そうしている内に、友情以外での付き合いも減っていく。それについては何も問題がなく、むしろ面倒事に巻き込まれずに快適だとさえ思っていた。
しかし、僕は出会ってしまった。
僕が苦手な部類の人。だけれど、とても綺麗で澄んだ人。
「いらっしゃい、クリック君」
フレイムチャーチの穏やかな夜、今日もテメノスさんは玄関先で僕を招いてくれている。
この村へ来るたびに彼の自宅へ通っている僕は勝手知ったる部屋へとお邪魔して、着替え、彼が作ってくれた料理を食べ、湯浴みを終えたら彼と一緒に眠る。そんな日々を過ごしていた。
夜が更けてランプの明かりを消すと二人で同じベッドへ潜り込み、おやすみなさいと言い合って眠る。この村のように優しくて穏やかな時間が大好きだった。
ふと、眠りにつく前に隣のテメノスさんを見つめる。
伏せられた瞼の先で長い睫毛が影を作り、時折険しい表情をするのに眠っているときは子どものような幼さがある。
愛おしさが募り顔にかかっている髪に触れて指で解いていると「くすぐったいです」と聞こえてきた。
「起こしてしまいましたか?」
「いいえ、起きてました」
ゆっくりと瞼が開かれ、ふたつの翡翠がこちらを捉える。
そのまま引き寄せられるように顔を寄せる。柔らかな唇を食んでぬるりと舌先を触れあわせると、テメノスさんの身体が一瞬だけ強張るのが伝わってきた。
「すみません、僕……!」
慌てて彼の身体を抱きしめて、もう何もしないのだと全身で伝える。すると安心したようにテメノスさんも僕の背に腕を回しながらながら「大丈夫です」なんて笑っていた。
こんな風に、自分から誰かを欲するのは初めてだった。
思えば、今までは求められたからだとか好意を伝えられたからだとか、受け身な関係しか築いてこなかった。
それが“つまらない男”と言われる所以なのだと理解できたが、だけどそれは間違いだったのかと疑問にも思う。
しかし今こうして、僕はテメノスさんを欲している。自分から想いを伝えたのも彼が初めてだった。
僕の想いを彼はすべて受け止めてくれて、こうして体温を共有してくれる。
触れあえるだけで、一緒にいられるだけで幸せだ。そんなことを考えているにも関わらず、それでも恋は人をおかしく、そして欲深くさせるものだ。
もっと彼が欲しい。そう思って近づこうとするが上手くいかない。
テメノスさんはどうしたいのだろう。僕とどんな関係を続けたいのだろう。
今のまま?もっと深く?本人に聞けばいいだけのはずなのに、初めての真剣な恋で臆病になってしまっている僕はそれが出来なかった。
テメノスさんを抱きしめていた腕を解き、柔らかな頬に触れる。すると目を細めてふわりと笑う彼が僕をじっと見つめ、「クリック君」と名前を呼んだ。
「私、君のことが大好きなんです」
ほわ、と彼の頬が朱に染まっていく。
僕の手に頬を擦り寄せながら小さな口で懸命に言葉を紡いでいる姿に胸が苦しくなり、「僕もですよ」と返していた。
「いつもあなたのことばかり話してしまうから、最近はよくオルトに叱られます」
「ふふ、駄目じゃないですか」
テメノスさんは頬を撫でていた僕の手を取ると自分の指を絡めた。
そのまま僕の手の甲にキスをして、上目気味にこちらを見つめている。
「私も同じです。いつも真面目で一生懸命で、危なっかしくて目が離せない。そんな君とこうして一緒にいるだけで、どうしようもなく幸せで……。君を好きになって、よかった」
「……僕を、つまらないとは思わないんですか?」
過去に言われ続けたことを聞いたのは、もし同じことを思われているならば改善したいと本気で思ったからだ。
「まさか。こんなに可愛くて楽しい子羊くんなんだから見ていて飽きませんよ」
返ってきたのは予想外の回答で、胸が締め付けられていく。
握られている手に力を込めるとテメノスさんは「あっ」と声を漏らした。
「僕も、あなたと出会って、好きになって……よかった」
彼がしたのと同じように手の甲に口づける。
すると視線が絡まって、少しだけ吐息に熱が混ざっていった。
「——テメノスさん」
もう片方の手で、ぐっと彼の腰を抱き寄せた。
胸が触れあう程に互いの距離が縮まって、離れがたくなっていく。
「僕は、もっとあなたのことが欲しい。その、もし……嫌でなければ、ですが」
剥き出しの欲望を晒すことで彼に嫌われてしまうのが何よりも恐ろしい。
彼の顔を見るのが怖い。
だがなんとか視線を向け、まっすぐと視線を注いだ。
そして髪の間からちらりと見えた表情は、耳までほんのりと赤く染まっていた。
「あ、あの……私も、きっと。君と同じ、です」
顔を隠すように口元を手で覆い、なんとか僕の言葉に応えようとしてくれている。
嬉しいという感情をどう伝えるべきか迷っていると、彼から僕へキスをしてきた。
僕と同じように唇を食んで舌先で触れられる。驚きながらも深く口づけると、息を乱しながらテメノスさんは笑っていた。
「ごめんなさい、さっきは驚いてしまって。……本当はこうやって、私しか知らない君の顔を見るの、大好きなんですよ」
そう言って、まるで猫のように唇をぺろりと舐められる。
ああもう、可愛いなあ。口にするよりも行動で示した方がはやいかと、僕は体温の上がった彼の身体をめいっぱい抱きしめた。