静寂に茹だる
拳を走る鈍い痛みとともに、びりびりと突き抜けるような感覚が指先から走り去る。目の前の男は笑うでもなく怒るでもなく泣くでもなく、ただ今し方に起こったことを享受するかのように地面を睨みつけていた。男はまるで助けを求めるようにぱくぱくと口を開閉するが、それでもこちらを見ない。見るつもりがない。男の視線は先ほどからずっと同じ場所へと注がれている。
悟空が顔を上げてやっとこちらを向いたと思った時はいつもの目をしていて、冗談でも言うかのように「痛ってぇなー」とベジータに殴られて赤くなった頬を撫でていた。それを見た途端に目と眉を吊り上げ、気が付けば逆の頬へも再び強烈な一撃を喰らわせていた。
カカロット。怒りを込めてその名を呼ぼうとしたが口を開くことができなかった。まるで時が止まったのではないかと錯覚するほどに口の中が渇いていくのを感じる。
馬鹿がと言ってやりたいのに、その声を飲み込んでしまう。何故なら、男は笑っていたからだ。黒い瞳にベジータを映したまま、ただただ不気味に笑っていた。
空へと飛び去ったベジータが人の寄り付かない岩場にたどり着いた時どくどくと脈打つ心臓が恐怖と緊張を訴え始め、それを誤魔化すように舌打ちをした。下を見れば先ほどの悟空の表情を思い出してしまいそうで空を見上げる。雲に覆われ灰色へと薄暗く塗りつぶされた景色を美しいと思ってしまうほど、今だけは鮮やかな色を見たくはなかった。オレはどうかしてしまったんじゃないかと思うほどに、何も聞こえなくなってしまうほどに、頭の中を眩い山吹色の男が支配している。
悟空をあの場に置き去った時から手の甲で何度も何度も口を拭っていた。あの感触が頭から離れない。
つい数十分ほど前の出来事を思い返しながら、ベジータは瞼を閉じた。
* * * * * * * *
数時間前のことだ。ベジータが重力室に籠っていると、突然目の前に山吹色で身を包んだ笑顔の男が現れた。いつものことなので特に驚きもしなかったが、男の目の色だけは見知らぬもののように思えて少し興味を引かれたのは事実だ。
「ちょっと付き合ってくれ」
そう言われ素直に西の都から離れた岩場までついて行くと、案の定修行に付き合って欲しいと頼まれたのでベジータはそれに応じた。一人で黙々とトレーニングを行っているだけでは得られぬものが多い。だから悟空の誘いはベジータにとっても好都合だった。
ウォーミングアップで始めた組手が少し本気になりかけた頃、突然悟空が目の前へまわってきた。不意を突かれ驚いたベジータは次に襲い掛かって来るであろう攻撃に備えたが、そんなものは来なかった。
考えが読めず困惑するベジータの行動などは余所に、悟空は筋肉量のわりには細い目の前の腰を抱き寄せる。そしてそのまま、力任せに唇を押し付けてきた。
このまま食われるのではないかと思う程の貪るような乱暴な行為にベジータは必死に悟空の身体を引きはがそうとするが、腰と後頭部を強く抱えられ敵わない。抵抗も空しく更に互いの身体はどんどん密着する。こじ開けられた口の中を探る様に絡みついてくる舌に涙が出そうになり首を振るが状況は変わらない。何度も角度を変えてキスをしてくる悟空は目を閉じている。光を宿さない男の顔は、まるで獣そのものだった。鼻先に劣情を含んだ吐息がかかり、背中がぞくりと震える。
ベジータの腰を掴んでいたはずの大きな手がいつの間にか下へと向かっていて、その形のいい尻を揉んでいた。これ以上何をされるのか分からず身じろぐと、尻臀を揉む太い指が谷間の奥にある窄まりをするりと撫でた。
「あ、ぁ……ッんぅ、ふぁっあ」
この情けない声が本当に自分のものなのかと疑いたくなる。されるがままになっている状況に納得がいかないはずなのに、身体はまるで言うことを聞かなくなっていた。厚い胸板を押し返そうと腕に力を籠めるも、なんの反撃にもならない。ただただ強い者に従おうとしている。
太ももに硬いモノを押し当てられ、汗が額を伝う。もう一度見上げ悟空の表情を確認するが、そこには知らない男がいるだけだった。
「か、かろっと……」
吐息が漏れるキスの合間に何を考えているのか分からない同胞へと恐怖を募らせながら、やっとの思いで名前を呼ぶ。それに応えるように悟空の目が見開かれたのをベジータは見逃さなかった。その一瞬の隙に悟空を突き飛ばし、緩んでいる頬に向かって殴りかかる。
怒りを宿した拳で反撃して来ればそのまま何事も無かったかのように振舞えただろうに、悟空はそうしなかった。無かったことにはしなかった。ベジータを見て、ただ笑っているだけだった。