がちゃがちゃ

誰のためでもない

 真っ赤な空。真っ赤な池。すべてが血を浴びたような景色の中、悟空の目の前には先程まで一人の戦士としてともに戦った男が佇んでいる。
「カカロット、フュージョンは二度とごめんだぞ」
 そう話す声からはいつもの覇気は無い。しかし永遠の別れを惜しんでいるわけでもない。
 こちらを見据えるあたたかい色を宿した目も、切なげに寄せられた眉も、彼からこんな表情を向けられたのは初めてのはずなのに懐かしい気がして悟空は静かに息を吐く。少し、ほんの少し道を違えただけ。そう自分に言い聞かせながら下手な笑顔を作った。
「ベジータ、また会おうな」
 慰めでもなんでもない。本当にまた会える気がして口にした言葉には、返事など無かった。はじめから別れの言葉を言うつもりなどない。それを口にすれば今度こそ二度と同胞に会うことは出来ない気がしたからだ。
 悟空は光に包まれ景色の中へ溶けていくベジータを見守るように見つめる。徐々に消えていく姿に手を伸ばしそうになるのを堪えることへ必死になった。
 次に会う時は――――。次。次は、一体いつなのだろう。まだ彼に話したいことが、伝えたいことが、ある気がする。
 
 ベジータが消えていくのと同時に、悟空の視界も光に包まれ白に染まっていった。

 * * * * * * *

 目が覚めて、真っ白な床に手をついた悟空は重い体を起こす。先程までは目の前で消えていくベジータを見送っていたはずなのに、いきなり見たことのない場所へ飛ばされていた。辺りを見渡すと部屋の中は天下一舞踏会の武舞台と同じぐらいに広さで、床と同じ真っ白な壁が続いていた。何故か部屋の中央には大きなベッドと少数の家具が置かれており、それ以外は窓も扉も無く完全な閉鎖空間だ。
 もう少し状況を把握しようと立ち上がったところで悟空は自分が倒れていた位置から少し離れたところに見覚えのある一つの影を見つけた。慌てて駆け寄るとそこには先程別れたばかりのベジータがうつ伏せで倒れており、肩を揺さぶりながら声をかける。
「おいベジータ、大丈夫か!?」
 ベジータが目を覚ましたのを確認した悟空は安心して胸を撫でおろす。肩を支えながら自分と同じように立ち上がらせたところで、この部屋の分かったところを頭の中で整理していった。
 
 ここは精神と時の部屋のような作りではあるが重力は地球と同じぐらいで空気もある。天井は高くジャンプしても頭をぶつけることは無いが何故か舞空術も瞬間移動も使えず気弾などの技を放つことも出来ない。何かに縛られている様な違和感があるが、悪い気は特には感じない。試しに壁を殴ってみたがヒビ一つ入ることは無く、ただ手に痛みを感じるのみだった。
 ここに長居してもいいことは無さそうだが出る術がない。どうしたものかと頭を抱えていると、隣にいるベジータはこの部屋の空間に戸惑いつつ自分の手を開いたり閉じたりしてじっと見つめていた。
「……オレは、魂だけに戻ったんじゃないのか」
 表情を変えぬままベジータが呟く。ベジータからすれば先程まで肉体が残っていたのが異例なことで、本来は魂だけの存在となって無に還り新しい生命として生まれ変わるはずだった。なのに、理由は分からないがこうして再び肉体を取り戻して悟空と同じ空間に存在している。悟空と同じように頭上の輪っかは残ったままだが、しっかりと意識もある様だ。
「ここがどこで、なんでベジータの肉体が残ってるのか分かんねえけどオラはまたベジータと会えて嬉しいぞ」
 素直に思っていることを伝えたが、同胞は怪訝そうに眉を顰めるだけで何も言わなかった。そのまま辺りを見渡しながら部屋の中央にぽつりと鎮座しているベッドの方へと向かって行ったので悟空もその後を追う。
 ベッドは豪華な天蓋がついている以外はなんの変哲もない普通のつくりのもので、成人男性二人が並んで寝転んでも余裕があるぐらい広いサイズだ。なぜこの空間にこんな立派なベッドがあるのか分からず悟空がもう少し辺りを探っていると、サイドチェストの上段の引き出しを開けたベジータが顔を強張らせて固まっていたのに気が付き声をかけた。
「どうしたんだ?」
 横から顔を覗いても微動だにしない。ベジータの視線の先を追うと引き出しの中に一枚の紙が入っており、それを手に取った。
「お、何か書いてあるな。ここから出るためのヒントかな……」
「待て、読むな!」
 悟空が紙に書かれている文字を読み上げようとした途端にものすごいスピードでそれを奪われる。ベジータを見ると耳まで真っ赤になっており、様子がおかしいと思った悟空はふいをつき再び紙を横取りした。
「あ、おいッ!」
 隣で慌てふためくベジータはひとまず無視したまま目で文字を追う。マジックで書きなぐったような文字だが、なんとか読めないことはない。
「えっと、……せっくすをしないと、でられない、へや?」
 意味を理解しないまま読み上げたせいでイントネーションが狂ったままであったが、読み上げた直後に流石の悟空もそこに書かれていることの意味を理解した。
 セックスをしないと出られない部屋、ということは書かれている通りのことをしなければこの部屋から出ることなできないのだろう。だとしても、一体だれがそれを行うというのか。ここには自分たち二人しかいないというのに。
「なあベジータ。セックスって夫婦でやることなんだよな?でもここにはチチもブルマもいねえし、どうすりゃいいんだ?」
「…………、そんなこと知るか!」
 悟空の言葉を聞いた途端ベジータは一瞬目を見開き、そして悟空へと送っていた視線を反対方向へと反らした。
 
 * * * * * * *
 
 ベジータは顔を青くしたり白くしたりを繰り返しながらベッドに腰かけ腕を組み、必死に策を練る。
 悟空とてセックスの意味は理解をしているだろう。しかし実際の行為の意味ではなく「夫婦の間で行われること」という認識でしかないらしい。他の誰かと真似事をしたとして、それがつまりセックスになるとは考えもしていないようだ。先程の様子を見て悟空にとってのセックスとはそういうものなのだと理解したベジータは頭を抱える。事に及ばなければこの部屋からは出られないというのに、子どもを二人も作っている癖に何も知らないような無垢な男と一体どうすればいいのか。
 部屋の様子からするに他の方法で出られないのは分かる。超化もできず、力任せに壁を壊すことも出来ない。この不思議な空間で他に無理やり何かをしたとして、どうなってしまうのかも分からないので危険だ。何かあったとしてベジータは肉体を失い魂に戻るだけだろうが悟空は違う。肉体を持っている。それを巻き込む気にはならなかった。
 結局は紙に書かれている通りに従わなければならないのだろうが、どうやら悟空にはベジータと事に及ぶと言う発想はない。それが分かった途端、落胆してしまっている自分にも腹を立て、どうして死んでまでこんな思いをしなければならないのかとベジータは恨めしそうに辺りを探っている悟空の背を見た。
 
 ベジータは死後の世界で悟空に会えないと分かった時からすべてを諦めている。ブルマやトランクスが無事ならそれでいいと己を犠牲にした。死ぬ前に現世に戻ってきた悟空に会えたことが救いではあったが決着をつけることは出来なかったし、つい数時間前に再会した時に死してなお胸の奥へ隠し続けたものを断ち切れないのだと実感してこれはある種の呪いだと目を背けたくなったのを思い出す。そこでやっと、ベジータは悟空へ抱き続けていた感情が何かを自覚したのだった。
 なのに、やはり悟空はこちらのことなど見てはいない。ただ挑まれたら相手をするだけの存在で、それ以上でも以下でもない。フュージョンだって丁度いい相手がいればきっと誰でも良かっただろう。他に方法が無かったとはいえ、だから融合なんてしたくなかったのだと過去の自分を殴りたくなる。
 そもそも互いに男で、死んではいるが家庭を持っているのだ。悟空相手にこんな感情を抱くのは間違っている。これはいい機会だと割り切ってさっさとセックスでもなんでもしてしまって泥沼から抜け出せばいい。そう思い立ちベッドから立ち上がろうとした瞬間、突然悟空がベジータの隣へ腰を降ろしてきた。
「ベジータ、オラ良いこと思いついたぞ!」
「却下だ。貴様の言う“良いこと”が本当に良いことなわけがない」
 悟空の言葉にベジータは訝しげに言い返す。しかしめげずに話を続けてきたので呆れからため息が漏れた。
「そんなこと言わずに聞いてくれよぉ!あのさ、セックスしなけりゃここから出られねえんだろ?」
 今更何を言っているのだと悟空の表情をうかがう。どこかワクワクしたようなソワソワしたような様子につられそうになり、ベジータは眉を寄せた。
「でもセックスっちゅーのは夫婦じゃなきゃできねぇ。だからさ、オラたちが夫婦になればいいんだよ!」
「……はぁ?」
 ベッドの上で距離をつめながら話す悟空の気迫に押され、ベジータの顔が引きつる。一体、何を言っているんだコイツは。
「結婚すれば夫婦ってのになれるだろ?で、結婚って二人が愛してるって言いあってからキスすれば良いからさ。オラ達でも簡単に夫婦になれるし、そっからセックスすればいいんじゃねえかな?」

 悟空の言い分にベジータは文字通り頭を抱えた。どこまで世間知らずなんだと思ってはいたが自分もブルマとは真っ当な手順を踏んで夫婦になったわけではないので何も言えない。だが、それでも「よし、それでいこう」とは言えるはずもない。
 ――しかし、丁度いいのかもしれない。どうせこの部屋を出れば再び肉体を失うだけだ。
 最後の思い出作りのため。悟空をここから出してやるため。ほんのひと時でもこの男と“結婚”してやってもいいと思えた。