聞こえないふりをした
「おやおや、どうしましょうか」
ウイスのわざとらしく発せられた悩ましい声に引き寄せられるように、草むしりの途中だった悟空が手を止めて立ち上がった。
「どうしたんだよウイスさーん。何かあったかー?」
遠くにいるウイスに聞こえる様に悟空が声を張った。それを見ながらベジータは手を止めぬまま草むしりを続けている。
ウイスは何か分からない植物が植えられた小さな植木鉢を抱えており、それを持ったまま草むしりの途中の二人へと近づいてきた。
「こちらの植物、最近手に入れたものなのですが私にはお世話をする時間が無くて……申し訳ありませんが、お二人で育ててはくれませんか?」
にこりと笑顔を張り付けている天使に、悟空は一歩後ずさる。どう考えたって自分たちには植物の世話など向いてはいないし、枯らせたとなると何を言われるか分かったものではない。
「オ、オラ達には植物の世話なんて向いてないんじゃねぇかなぁ……」
「おや、そんなことはありません。植物を育てるのだって立派な修行ですよ。澄んだ心を持って深く愛情を注がなければなりませんからね……精神統一にも丁度いいと思いますが?」
言いながら、ウイスは無心に草むしりをしているベジータへと視線を向ける。見られていることに気が付いたベジータもやっと立ち上がると、腕を組み反論をはじめた。
「そんなこと言っても誤魔化されんぞ。だいたいどこで育てるつもりなんだ」
「そうですねぇ、しばらくは貴方たちの寝室でしょうか。この子は成長すると一気に大きくなるので、そうなったらどこか空いている所に植え替えればいいかと」
簡単に言ってくれる天使の言葉にベジータは溜息をつく。どう考えたってここのサイヤ人二人は植物の世話など向いていない。いくら悟空が畑仕事をしていると言っても観賞用のそれと野菜とでは扱いも育て方も全く違う。もちろんベジータにも同じことが言えるので、きっぱりノーと断った。
「そんなに大切な植物ならオレ達に任せない方が賢明だと思うが」
「ふむ、そうですか。残念ですねえ、せっかく良い修行になると思いましたのに……お二人にとって、本当に、とても良い修行になるのに」
眉を下げながら話すウイスの言葉に、修行と言う単語に惹かれた悟空が目を輝かせている。それに気が付いたベジータは慌てて止めようとしたが既に遅く、「そんなに良い修行になるんか?」などとせっかく終わりかけた話を続行させてしまっていた。するとウイスは笑顔を取り戻し「勿論ですともぉ!」と植木鉢を掲げて悟空の前に差し出した。
植木鉢の植物はうねうねとしたピンク色の幹と枝という変わった姿をしており、更にビルス星に自生しているような紫がかった葉と青紫色の小振りな花を蓄えていた。複数の幹と枝が絡み合って一つの塊のようになっており、遠くから見るとまるで一本の大樹のようにも見える。
不思議な色の葉に触れようと悟空が手を近づけると、突然まだ小さな花の奥から細い触手が伸びてきて指に絡みついてきた。驚いた悟空が慌てて手を離すと触手は離れて行き、一部始終を見ていたベジータも植物の特異性に驚き目を見開いている。
「――どうですか?今はまだ小さいですが、成長すればこの何倍にも大きく育つんです。この植物を相手にした修行なんて面白そうだと思うんですけどね」
ウイスはそう言うが、ベジータは不安しかなかった。確かに良い修行相手にはなるかもしれないが、どことなく悪い予感しかしない。
だが悟空は興味を持ったようで「すっげぇー!」と興奮気味にまじまじと植物を見ている。これはもう自分が何を言っても駄目だろうと、ベジータは半ば諦め気味になっていた。
「では、決まりですね!お二人の寝室に置いておくので、毎晩しっかりお水をあげてくださいねぇ」
* * * * * * *
修行を終えたベジータがシャワーを浴びて寝室に戻ると、いつの間にかウイスが置いていった植物が入口付近の棚の上に置かれていた。それを悟空が観察しており、コップに水を汲みながらベジータはその様子を眺めている。
「あまり近づくと指を持っていかれるかもしれんぞ」
「わ、おっかねぇこと言うなよ」
悟空は植木鉢から離れると、ウイスの言いつけ通りに水をやり始めた。水を浴びた植物はどこか活き活きとし始めて、小さな葉と花は嬉しそうに揺れている気がする。
「一日一回、それも夜だけ水をやればいいなんて不思議だよなぁ」
悟空はそう言うが、正直何があっても不思議では無い気がしているベジータはそういうものなのだろうと思っていた。とりあえずウイスの言う通りに世話をしていれば問題ないだろうし、この植物について深く介入する気にもならなかった。
「オレは修行ができればなんでもいい。貴様も水をやり終えたらさっさと寝ろ」
「分かった分かった。ああー、どんなふうに育つかな」
ベジータが水を飲み終えたと同時に悟空も水やりを終えたようで、二人はベッドへと向かう。布団に潜った悟空は一分もしないうちに夢の中へ行ってしまったようで、その寝つきの良さは見慣れたものだがベジータは内心複雑だった。
というのも、ここ最近のベジータは悟空に良くない感情を抱いていたからだ。良くない、と言ってもマイナスなものではなく、むしろ好意だった。初めて出会い、そして見逃された際は悟空に対して殺意しか無かった。自分よりはるかに劣るはずの下級戦士に負けただけではなく情けをかけられたとなればプライドの高いベジータの心がボロボロと崩れていくのは当然で、次に会った時は必ず殺してやると誓っていたのに。ナメック星でも救われ、セルとの戦いでも救われ、そして命を落として……、……。
今お互いに生きていることが奇跡ではなくなんだというのか。いつの間にか好敵手のような間柄になってしまったが、きっとそう思っているのはベジータだけで悟空は初めて会った時から何も変わってなどいないだろう。ただ近くにいる同じ力を持った純血のサイヤ人。ただ、それだけのことだ。
だからと言って、別にこの関係を進展させたいとも思っていなかった。こうやって同じ場所で同じように修行が出来る。それだけで満たされているし、それ以上も望んではいけないと分かっている。
ベジータは余計なことを考えない様に布団をかぶり直して瞼を閉じる。すると、いつもよりも深く夢の中へと誘われていった。