がちゃがちゃ

真暗な朝が来る

 悟空がウイスに連れられてビルス星にやって来た時、いつもは面倒そうな顔をするはずのベジータは表情一つ変えなかった。こちらに声をかけてくることもなく、もくもくと家事をこなしている姿に違和感を覚えた悟空は首を傾げる。
「ウイスさん、ベジータのやつなんかあったのか?」
「ええ、まぁ……悟空さんには、まだ説明していなかったですね」
 どこか歯切れの悪いウイスの言葉に悟空は眉を寄せる。詳しくは後で話すから先にベジータと話して来いと言われ、悟空は言われた通り家事をしている男へと声をかけた。
「よっ!ベジータ、久しぶりだな」
 いつもと変わりない挨拶のはずだ。そして悟空が声をかけた後は決まって険しい顔で小言を吐かれるのが決まりだが、今日は違った。顔を上げたベジータは悟空の顔を見ても無反応で、数秒じっくりと見つめられただけたった。物足りなさを感じて、悟空は目の前の男が本当にベジータなのか分からなくなってくる。
「どうしたんだよ、今日のベジータなんか変だぞ」
「変ではない。……そうか、お前が」
 ベジータは何かを言おうとしていたが口を噤み、すぐに背を向けられてしまう。
 やっと声が聞けたことに悟空はほっとしたが、返ってきた言葉はそれだけだった。やはりいつもと様子が違うが、見た目はなんら変わりはない。体調が悪いようでもない。男の様子がおかしい理由が分からない悟空は、がしがしと乱暴に後ろ頭を掻いた。
「ウイスさん、やっぱりベジータおかしいぞ。なんて言ったらいいか分かんねえけど……」
「……そうですね。今回悟空さんをここへ呼んだのは修行の為でもありますが、ベジータさんを元に戻す為でもあるんです」
 ベジータを元に戻すという言葉の意味が分からず、悟空は黙ったままウイスを見上げる。天使は顎に手を添え何かを考えはじめたかと思ったら「とりあえず食事にしましょうか」とその場を後にした。

 ビルスは眠っているようで、食卓にはウイスと悟空、そしてベジータが席についている。空腹だった悟空は一旦ベジータのことは忘れ、食事に夢中になっていた。そして大皿に盛られている残り一つとなった肉へ手を伸ばすと、ちょうどベジータもその肉を取ろうとしているところだった。悟空は構わずそのまま肉を取って頬張ると、目の前の皿は空となった。前にもこんなことがあったと思いながら隣に座っている男を盗み見たが、特に反応はなく別の食べ物を取ろうとしていた。
 やはり、ベジータは変だ。確実に怒ると思ったのに、何も言わなかった。それどころか悟空の行動に興味を示していないようだった。それが寂しいのか、悔しいのか、どういった感情かは分からないが胸の奥がぐちゃぐちゃとなった気がする。喉が一気に渇いたように感じて、勢いよくコップの水を呷った。
 そんな二人の様子を対面から窺っていたウイスは深く溜息をつく。そして「そろそろ説明しましょうか」と、やっと今のベジータについて説明を始めてくれた。

 * * * * * *

 それは一週間ほど前、悟空より先にビスル星に来ていたベジータがひとりで修行をしていた時のことだ。
 ちょうどウイスが不在だった日、たまたま目を覚ましたビルスが腹が減ったと言い始め、ベジータが食事の準備を行うことになった。ベジータがキッチンに向かうとテーブルには見慣れない果物のような食材が置かれていた。よく分からないものには手を付けない方が良いだろうと無視しているとビルスがそれを食べたいと言ったので、仕方がなくベジータはその果物のようなものを食べやすい大きさにナイフで切り分け、ビルスへと差し出した。それに食らいついているビルスは、お前も食べたらいいとベジータにも食すよう勧める。
「食べたことないだろう?たまにウイスがどこかから貰ってくるのさ。本当はぜんぶ一人で食べちゃいたいけど、僕は優しいからね」
「……ありがとう、ございます」
 ベジータは自分が切り分けた果物を一つ手に取り、そのまま口の中に放り込んだ。甘いような酸っぱいような、よく分からない味が広がっていく。じゅわりと口の中で溶けていくような触感は癖になりそうで、ビルスが食べたいと駄々をこねた理由が少し分かる気がした。
「どうだ、うまいだろう?」
 目の前でビルスがにやりと笑っている。はやく、返事をしなくては。でもどうしてか、声が出ない。体が熱い。まっすぐ立っているはずのビルスの姿がぐにゃりと歪み、頭が、ぐるぐると、回っているような――――。

 次にベジータが目を覚ますとビルスではなく、こちらを覗き込んでいるウイスの顔が視界の中に現れた。
「ああベジータさん、目を覚まされてよかったです。まったく、ビルス様ときたら……」
 何かぶつぶつと言っているウイスを尻目にベジータは身体を起こす。辺りを見渡すと、そこは見慣れた寝室だった。どうやらいつも使っているベッドに寝かされていたようで、あの不思議な果物を食べた後に気を失ってしまったようだ。
「オレは、どれぐらい眠っていた?」
「そうですね、丸一日ほどでしょうか。戻ってきたら倒れていたので驚きましたよ。ビルス様に渡されてアレを食べたのでしょう?あれは神以外のものが口にするとどんな影響が出るか分からないので注意するようにと以前から言っておいたのに……」
 アレはどうやら人が口にしてはいけないものだったらしい。だが、こうして生きているし体もおかしなところはない。手を握ったり開いたりを繰り返して感覚があることも確認する。気を失った以外には特に影響もなかったようだ。
「まあでも、どこも悪くなさそうで安心しました。今度悟空さんが来た時にもアレは食べてはいけないと伝えておかないといけませんね」
「……悟空?」
 突然知らない名前が出てきて、思わずウイスに聞き返してしまった。まるでその『悟空』というやつもこのビルス星に頻繁に訪れているような口ぶりだ。
「ええ、悟空さん……ですが、どうされたんですか。あなたが彼を、その名前で呼ぶなんて」
 その名前も何も、『彼』に他の名前があることを知らない。そもそもそんな男を知らない。
 ウイスが何を言っているのか分からず、ベッドから降りたベジータは記憶を辿ってみる。だが、やはり悟空なんて男は知らない。
「誰だ、その悟空というやつは」
 ベジータの問いに、ウイスは困ったように笑うだけで何も答えなかった。