がちゃがちゃ

物語の一部に過ぎないから

 そして、ついに囮として屋敷に忍び込む時間がやって来た。
 あの恋人たちは、逃亡がバレないように日付が変わる頃に馬車でこの街を出立するそうだ。この作戦を実行するとなったとき、泣いている二人から「本当にありがとう」と手を握られたことを思い出す。

 屋敷の近くまではイレブンが送ってくれた。イレブンは作戦中も屋敷の傍で待機をして、日付が変わる頃を見計らってカミュが脱出したら一緒に逃げる算段だ。
 女装をしている恋人の姿を見たイレブンは、案の定かなり狼狽えていた。そんなに似合っていないかと問えば、「そうじゃなくて!」とぶんぶんと音が鳴りそうな程に首を横に振っていた。
「似合い過ぎてて困ってるよ。もし作戦の時間通りに君が出て来なかったら、僕は一人でも屋敷に乗り込むからね!」
「それは頼もしいことだな」
 それだけ言い残して屋敷へ向かおうとしたところ、イレブンがカミュの手首を掴んだ。どうしたのかと振り返ると、手のひらに収まるほどの小瓶を手渡される。
「これ、シルビアから預かって来たんだ。ちょっとでも屋敷の連中の気を反らさせるための香水だって……あとはなんか、お守りだって言ってた」
「ああ、ありがとう」
 カミュは受け取った香水を軽くつけると残った小瓶をポケットにしまい、愛しい勇者へと背を向けた。
「それじゃあ、行ってくるよ」

 * * * * * *

 屋敷の入り口に到着すると、事情を知っているのか門番らしき大柄の男がカミュの全身を舐めるように見た後はすんなりと中へと通された。エントランスは普通の貴族の屋敷らしい内装であったが、そのまま客間などに連れて行かれるものだと思ったのに廊下の奥の物々しい扉の奥へ向かうよう指示されたので、カミュは大人しくそれに従った。
 扉を開けるとすぐに地下へと続く階段があり、思わずごくりと息を呑んだ。これは抜け出すのも大変なのではないだろうかと考えながらも、薄暗い階段を一歩、また一歩と降りていく。

 辿り着いた先の扉をゆっくり開けると、いかがわしい紫のようなピンクのようなライトに照らされた部屋が現れた。部屋の中央には大きなソファがあり、その真ん中には例の貴族と思われる男が脚を組んで座っている。そしてその両隣には、大きく胸元があいたドレスを着ている女と丈の短いドレスを着た女が男に寄り添うようにして座っていた。
 男はこちらに気が付いたのか顔を上げると、立ち上がることもなく静かに手招きしてきた。一歩部屋に中に入ると突然視界が悪くなった。何か特殊な香を焚いているのか、部屋中に煙のようなものが立ち込めている。そのため、男の顔はよく見えなかった。
 やっとの思いで男の近くまで行くと、元々座っていた女二人は部屋の奥へと向かってしまった。空いてしまった隣へ座るように促され、そこへと腰を下ろす。
 隣に座ったことで、やっと男の顔が分かるようになった。てっきり中年の意地汚さそうな風貌のやつだと思っていたのに、カミュよりは年上だろうが想像していたよりも若く、高級そうな身なりには劣らない程度に整った格好の男だった。
 想像していた姿とのギャップに一瞬気が抜けてしまい、それが相手にはお見通しだったのか肩を抱かれた。一気に距離が近くなり、とにかく男だとバレないようにしようと俯いていると、男は徐にカミュの髪へと触ってきた。
「見事な青い髪だ。本当なら陽の下で見たかった」
 男の言葉にカミュは首を傾げる。どういう意味だろうと考えていると、男は聞いてもいないのに今まさに恋人と逃げ出そうとしている彼女に一目惚れした時のことを話し始めた。
 男は生まれつきの病で、太陽の下へ出られないらしい。ある日の昼間、いつものように屋敷の中から街の様子を眺めている際に偶然青い髪の彼女を目撃して、一目で気に入ってしまったそうだ。
 この街では青い髪が珍しいらしく、太陽の光に照らされた髪とそれに隠された美しい顔が忘れられなかったと、落ち着いた声で説明された。そうしてようやく彼女の身元を特定し、屋敷に連れてきて娶ることにしたそうだ。
 病については同情の余地もあるが、それにしてもなんて自分勝手な男なんだとカミュはすぐに文句をいってやりたくなった。しかし、どうにも優しい手つきで髪に触れてくるものだから、この男もそこまで悪いやつではないのだろうか、などと考えてしまう。もしかしたら、話せば分かってもらえるのではないだろうか。
 そんなことを考えていた矢先、肩を抱いていた男の手がするすると降りていき、スリットから手が差し込まれ太ももを撫でられはじめた。突然のことにカミュが体を強張らせるとそれが伝わったのか、男は小さく笑いながら顔を寄せて来た。
「思った通り、美しい人だ」
 イレブンに言われるならともかく、よく知らない男にこんなことを言われると全身が拒否し始める。顔を背けて恥ずかしがっている振りをしていると男の手がより奥へ進もうとしたのでその手を掴み、カミュは男の方へと向き直った。
「と、突然のことでまだ緊張していますから……なにか、お話をしてくれませんか?」
 上目遣いでそう言えば、男は素直に頷いた。ほっと胸を撫でおろし、カミュは男の話に耳を傾けることにした。

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