幻装アラカルト
最悪だ。クリックは目の前の惨劇を受け、絶望しながら項垂れている。
そんな状態を見下ろしているテメノスの表情には、感情など無かった。
毎週末、クリックは仕事を終えたあと必ずと言っていいほどテメノスの自宅へと通っている。数ヵ月前にやっとの思いで友人から恋人へと昇格して、今まで触れあえなかった分を埋めるかのように二人の時間を大切にしているのだ。
この週末もその予定であったが、最近隣の部署へ配属された中途社員の歓迎会が今夜行われることとなり、参加しないかと誘われた。急なことだったので迷いはしたが、近い部署で業務での関わりも増えるかもしれない人である。早いうちに人となりを知っておきたいと思い、参加することにした。
休憩中にメッセージアプリでその旨をテメノスへ伝えると『私のことは気にせず楽しんできて』と簡素な返事が来た。もう少し寂しがってくれてもいいのに、などと思いながら、クリックは『遅くなるかもしれないけど必ず会いに行きますから』と返して仕事へと戻った。
そして、今に至る。
歓迎会を終えて予定よりも3時間遅れでテメノスの自宅へとやって来たクリックは、荷物をその場に置いて深夜だというのに起きて待ってくれていた家主をすぐさま抱きしめて、キスをして「酒臭い」と小言を吐かれて、それでも抱きしめられたまま顔を赤くしているのを見て胸がいっぱいになっていた。つまりは幸せを噛み締めている。
テメノスは入浴を済ませているようで、全身からいい香りがしている。クリックの酔った頭ではなんの匂いかまでは分からないが愛おしさが増していき、つい白い肌に吸い付いてしまった。
「ちょっと待って、せめてベッドで……!」
テメノスはクリックの肩を掴み、密着するのを押し戻そうとしている。
しかしいくら酔っ払いとは言え、体格差もあるのでクリックが優勢だ。
「やだ、待てないです」
クリックはジャケットを脱ぎ捨てるとテメノスを横抱きにして、傍にあるソファへと寝かせる。そのまま覆いかぶさりながら彼の寝間着の中へ手を滑り込ませたところで、何かがゴトンと鈍い音を立てて落ちていった。
「……あ」
それは、一体どちらの声だっただろうか。
床に落ちていたのは、先ほどまでポケットに入っていたクリックのスマートフォンだった。落下音のせいで二人の視線は自然とそちらへ向かったが、まさに、最悪のタイミングであったと言える。
ちょうど表面を上にして落ちていたそれは、ポコンッと小気味良い通知音まで鳴らしていた。そして、点滅する液晶画面。
そこに映し出されていたものは――。
「……可愛らしいお名前の方ですね。今日は楽しかったね、次はいつにする……ですか」
テメノスは顔を青くしているクリックを押しのけて、床に落ちたままのスマートフォンを拾い上げる。そして恐ろしいほどに爽やかな笑顔と丁寧な所作で、それを持ち主へと差し出した。
「ほら。はやくお返事してさしあげないと」
クリックはスマートフォンを受け取ると、メッセージの送り主だけを確認してソファへと放り投げた。
「い、いや。違うんです。これはそういうのじゃなくって!」
「へえ、何が違うんですか? 会社の飲み会だと言いながら私に隠れて女性と会ってはいなかったと?」
テメノスの笑顔の奥にズモモモ……と音を立てそうな程の暗雲が見えたクリックは息を呑んだ。これはまったくの誤解であると伝えたいのに、そんな空気ではない。
この紛らわしいメッセージの送り主は、クリックの職場の同僚である女性社員だ。今日の歓迎会にも同席していた彼女は、職場の中ではたしかに親密な方だ。
しかし、所詮職場での付き合いである。彼女以外の付き合いだって仕事の数だけ存在する。それだけのことだ。それ以上のプライベートな関りは一切ない。このメッセージだって、酒の席が好きな彼女が単に次の飲み会の日取りを決めたいだけだろう。主語が無かったため、こうして誤解を生むこととなっているだけだ。だが、それが真実であれどテメノスには知らないことだ。クリックはこれをどう伝えるべきか考えあぐねている。
気が付けば、先ほどまでは笑顔を張り付けられていた顔が今は寂しそうに影を落としていた。声をかけようとしたが、それより先に恋人の小さな口が開かれた。
「良いんですか、いつまでもこんなところにいて。先程の女性の場所へ行った方が――」
その先は、絶対に言わせては駄目だ。
「……テメノスさんっ!」
クリックは目の前の恋人を抱きしめる。痛いだの離せだの言われようと、今だけは聞き入れられなかった。
「あなたが想像しているようなことなんて何一つ起こっていません。だけど僕は約束の時間に遅れてしまったし、結果としてテメノスさんを悲しませてしまった。それを、謝らせてくれませんか……」
もう一度強く抱きしめた。すると頬を優しく撫でられて「もう怒ってませんよ」と困ったような声に包み込まれていく。
「なかなか来ないから、今日は会えないかもしれないと思っていたんです。でも君は来てくれた。それが嬉しくて、だけど、もしかしたらここへ来る前に他の人と……なんて、悪い方へ考えてしまって」
どんどんテメノスの声が小さくなっていく。こんなにまで不安にさせてしまったのかとクリックは自分を殴りたい衝動に駆られていた。
「すみません、ぜんぶ僕が悪いんです。あなたは何も悪くない。今夜のことだって断れば良かった……僕にとっては、いつだってテメノスさんが最優先事項なのに!」
クリックの頬に触れていた手が頭へと移動し、ふわふわとしている髪を撫でている。
「それはどうかと思いますが……ふふ、子羊くんって本当に不思議」
テメノスは、こうして時折クリックのことを『子羊くん』と呼ぶ。いつも一生懸命で元気に走り回る姿とふわふわの髪の毛が小さな子羊のようだから、と言っていたのを思い出す。
子ども扱いされているようで複雑ではあるが、呼んでいる本人はこれを気に入っているようなので咎めたことは無い。
「私も……ごめんなさい。君の話をよく聞きもせずに嫌な態度を取ってしまって。……これで仲直りですね?」
「はい!」
抱きしめられている恥ずかしさから、腕の中でテメノスが身じろぐ。その体が少し震えていることに気が付いたクリックは腕を解き、密着していた体を離した。
「このままだと寒いですよね。……ベッド、行きますか?」
クリックの言葉にテメノスは顔を赤くして、無言のまま頷いた。可愛いと口にすると怒られてしまうことは分かっているので、胸の中にとどめておく。
お互い何も言わぬまま寝室へと移動しようとして、そこでクリックは床に放置したままだった自分の荷物を蹴ってしまった。
「あっ」
今日は、どうしてこうも色々と起こってしまうのだろう。
クリックが蹴とばしたのは、自分の鞄の横に置いていた派手な印刷の施された紙袋だった。倒れた拍子に袋の中が飛び出し、現れた物に二人とも呆然とする。そしてテメノスは再び顔を顰めながら『それ』を手に取った。
「……私は君のことを信じています。だから、ひとつずつ説明して?」
今テメノスが持っているもの。もとい服。より詳しく説明するならば看護師の制服。さらに俗っぽく言えば、ナース服。……丈が少し、いや、かなり短めの。
ほぼ白に近い薄いピンク色のそれは、大手ディスカウントストアで購入可能な所謂コスプレ衣装だ。そんなものをテメノスが手に取っている光景が異様に思えて、クリックは頭を抱えた。
クリックはこんなものを持っている理由をゆっくりと、先ほどのような誤解が生まれないよう丁寧に説明を始めた。
事の始まりは、今日の歓迎会だった。新人が少しでも早く職場に馴染めるようにと、幹事が簡易的なクイズ大会を行ったのだ。その大会の景品の一つに、これがあった。
景品であるこの衣装はハズレ枠だった。他にも笑いのネタにするために極端に豪華な景品とハズレ枠とで差をつけて用意したらしい。こんなものを貰ったって嬉しい人はそうそういないだろうし、そもそも今日の面子は8割が男。どうすればいいのかとクリックが幹事に問えば「彼女にでも着てもらえ」と言われてしまった。彼女なんていないと返したが、毎週末に軽い足取りで恋人の家へ通い詰めていることは同僚たちにバレてしまっているため、意味が無かったのだ。
なので、貰ってしまったものは仕方がないとクリックは受け取ることを拒否できなかった。その場で捨てるわけにもいかなかったのでとりあえず持って帰り、譲れそうな人が見つかれば渡そうなどと気楽に考えていた矢先にこの有様だ。
そこまでを、クリックはなんとか説明し終えた。
「――で、うちまで持ってきたと?」
「はい……」
やっぱり、無理してでも受け取らないべきだっただろうか。恋人がこんなものを持って帰ってきたら、怪しむのも無理はない。
せっかく誤解がとけて仲直りしたのに、とクリックが項垂れる。
「君は、…………なの?」
「えっ?」
服を持ったまま、テメノスが小声で何かを言いながら視線を忙しなくさせている。
「だから、こういう服……。君は興味、あるの?」
俯きながら、頬を染めている姿に目を奪われる。まさか、いやそんなこと……有り得るのか?
クリックは自分にとって都合の良い展開を思い浮かべながらテメノスの細い肩を掴んだ。
「その、僕の勘違いだったらすみません」
「……」
「も、もしかして。着てくれるんですか……?」
直球に聞くと、耳まで赤くしながら小さく頷く姿が目に入った。
「君が、どうしてもと言うのなら」
* * * * * * *
見慣れた寝室のベッドに腰かけたクリックは、膝上に握りこぶしを作っていた。隣の部屋と繋がる扉のその向こうで、今、恋人が着替えている。あの、やたらと生地が薄くて丈が短い服に。そう思うと緊張が止まらない。
普段はあまり肌を見せてくれないあの人が、あんなものを着てくれる日が訪れるなんて思わなかった。しかも、自分から言い出したことにも驚きだ。
何をするわけでもなく座ったままでいると、控えめなノックのあと部屋のドアがゆっくりと開かれた。そして、そこから顔だけを覗かせたテメノスがクリックの様子を窺っている。
「クリック君。……ひとつ、約束してください」
「な、なんでしょうッ!」
はやく全身を見せてほしくてたまらないクリックの声が裏返る。
「何を見ても絶対に笑わないでください」
「笑うなんて、そんなこと有り得ません!絶対似合いますからッ!」
「それはそれで複雑なんですが……」
自分から言い出したわりに、テメノスは随分と歯切れが悪い様子だ。
クリックの酔いはすっかり醒めている。ベッドから立ち上がると、恥ずかしそうにしている恋人の方へずかずかと大股で近寄った。
「く、クリックくん?」
思い切りドアを開けると、遮られていた光景が広がっていく。
そこには夢にまで見た恋人の姿が、あった。
(ああ……神様、ありがとうございます)
薄い布地のミニスカート衣装を纏ったテメノスを見て、クリックは思わず長い長い息を吐いた。
身体のラインに沿う様な作りなため、くびれと臀部の形がはっきりと分かる。惜しみなく晒されている白い二の腕と太ももには、どうしても目を奪われてしまう。気が付かなかったが衣装にはニーソックも付属されていたようで、それもしっかりと身に着けてくれている。テメノスは細身な方だが衣装自体が少し小さめな作りのようで、衣装と同じ色のニーソックスは滑らかな肌へ食い込んでいた。それがひどく官能的で、ついまじまじと見てしまう。
テメノスはどうしても丈が短いのが気になるようで、なんとか少しでも伸ばせないかと裾を引っ張っている。そんな姿を目に焼きつけつつ、クリックは彼を寝室の中へと招き入れた。
薄暗い寝室の中、二人でベッドに上がると向き合う様にして身体を寄せ合った。
どちらともなく顔が近づいていき、唇が触れる。ふに、と柔らかく優しい感触がして、たまらずクリックは堪能するようにそれを食んだ。
「ん、ふぁ、あ……♡」
テメノスはキスが好きで、そして弱い。それを知っているので、まずは緊張している恋人のためにクリックは彼の唇を啄んだ。
何度も重ねながら、密着している身体を抱き寄せる。腰に触れるとびくりと小さく跳ねたので「大丈夫ですよ」と耳元で囁いた。
「テメノスさんは普段通りにしててください。僕はしっかりと楽しませていただきますが」
「なんだか変態っぽい……」
「嫌ですか?」
小言を吐く口を塞いで舌を捻じ込むと、すぐに鋭かったはずの両目が蕩けていった。
「……君にされて嫌なことなんて無いです」
分かってて言ってるでしょう、意地悪。と返ってきた。しかし何を言われても怖くはないし、なんなら煽っている様にしか思えずクリックは苦笑した。
「テメノスさんの方こそずるいです。僕があなたに何をされたら喜ぶか知ってますよね?」
腰を撫でていた手を下ろしていき、魅惑的な太ももを撫でる。そして彼が必死に伸ばそうとしていた裾から手を忍ばせた。
そして何度も触れてきた手に吸い付くような柔らかい肌のぬくもりを感じながら、クリックはまたしても慌て始めたのだった。
「な、なんで何も穿いてないんですか……!?」
驚きながらもそこを撫で続けていると、クリックに体重を預けるようにして身を寄せているテメノスが見上げてきた。
「だって思ったよりも丈が短くて、穿いてたら見えてしまいそうだったから。それに、どうせすぐ君が脱がしてくるでしょう?」
クリックの様子を観察するように目を細めたテメノスは、ぎゅう、と更に密着するようにクリックの首へ両腕を回した。
「こう見えてそれなりに恥ずかしいんですよ。私の気が変わらない内に、はやく」
テメノスはクリックの広い肩口に顔を埋めながら小声で言い放つと、もじもじと太ももを擦り合わせた。
ああもう、どうしてこの人は煽るようなことをするのだろう。クリックはますます抑えが効かなくなっている理性と戦うことになった。
「もう、どうなっても知りませんからね」
クリックは乱れていく呼吸を悟られないようにしながら、再び深く口付けた。
* * * * * * *
テメノスはベッドの上に座っているクリックの膝上に跨る様にして、向かい合ったまま腰を上下に揺らしている。そのたびに嬌声をあげ、同時にベッドがぎしぎしと悲鳴を上げている。これはまだ序の口で、この後はもっと重たくなった音が響くのだと二人は知っている。
「あ、あッん、んぁ、ああ♡」
丈の短いスカートは動きに合わせるように自然とずり上がってしまっていた。胸元はボタンが外され上気した肌が曝け出されており、そこにはテメノスの奥を突く男の大きな手が這っている。
「クリックくん、そこ、あ、やだ、あッあん、ああァ♡」
「さっきは僕にされて嫌なことは無いって言ってませんでした……?」
ぷくりと膨らんだ乳頭を絞る様に摘まむと、隘路で扱かれている屹立が締め付けられた。
「でっでも、だって……あッ♡舐めちゃだめだってば、ひぅ、ん、んンっ♡」
胸の突起を口に含まれては舌先で弄られ、テメノスは何度も啼いている。無意識に自身をクリックの腹に擦りつけるように動いており、同時に下から突かれ暴かれている箇所からも快感を得ようとしていた。
「も、出ちゃ、ぅ……ああ、あっうぁ、あッやあァ♡」
ずぷ、とクリックが下から突くと同時にテメノスは絶頂を迎えた。ぴゅるっと熱を放ち、上がった息を整えるように自分を抱く身体に身を預けている。
「ごめんなさいテメノスさん、もうちょっと頑張れますか?」
「え、あ……んッ♡」
クリックは繋がったままテメノスをシーツへと縫い付けるように組み敷き、抽挿を始めた。ローションと津液のせいで、そこはぐぷぐぷと音をたてながら離すまいと怒張を咥えている。
腰を打ち付けられながら喘いでいるテメノスを見下ろしながら、クリックは熱い息を吐いた。
「ッはぁ……、テメノスさん、ほんとうに可愛い」
どちゅんっと強く奥を突くと、テメノスは力なく首を振った。
「かわいくなんか、ない……そんなこと言うの、君だけ、で……ひぁッあ、あんっ♡」
「僕だけでいいんです、あなたの可愛さが知れ渡ったら困りますから。……ほらまた締めつけてる、きもちいいですね?」
「んぁ、あッああ、あ……♡」
ぴくんっと小さく身体を跳ねさせながら甘イキを繰り返す恋人を見て、クリックは目を細める。この人は自分の魅力を理解していない。こんな服を着ていなくたって、どんな格好をしていたって、いつだって自分の理想の人だ。
それを分かってもらいたいが、テメノスはクリックの言葉をあまり素直に受け取らない。普段は飄々としている癖に二人きりになると甘えてくれるのも、こうやって自分に合わせて性交に応じてくれるところも、全てが愛おしい。何を言っても否定するのだろうが。
「クリックくん、やぁ、あっ♡またイっちゃう、んぁ、あッ♡」
「僕も……テメノスさん、僕のことを、僕のことだけを、ずっと信じてくださいね」
クリックは抱えていた細腰を掴みなおし、最奥を突く。そこへどくどくと熱を注ぎ練り込むようにすると、ほわ……と幸せそうに顔を蕩けさせている恋人と目が合った。
* * * * * * *
行為の後、クリックは既に深夜なのでシャワーを浴びて寝ようとした。しかし乱れたナースを服を着たままベッドに身を投げているテメノスを見ていると再び熱が集まってきてしまい、結局追加で三度ほど交わった。あまりにも自分本位だったと反省したが、それでもテメノスは「私ももっと君が欲しかったから」と甘やかしてくる。
そしてやっとの思いで二人でシャワーを浴びてベッドに潜り込むと、ふと気になっていたことが蘇った。
「今更ですけど、なんであの服を着てくれたんですか?」
クリックが訊けば、隣で寝ているテメノスは少し迷いながら口を開いた。
「だって、君はいつも友人や職場のことを楽しそうに話すから……。私と一緒にいてつまらないって、思われたくなかったんです。だから、君が喜ぶこと……したいなって……」
布団で顔を隠しながら答える様子を見て、耐えられない男がいるわけがないとクリックは恥ずかしそうに身を捩る恋人を抱き寄せた。
「……ぼくッ、ぜったいにあなたを幸せにしますから!」
「え、なんですか急に」
クリックに抱きしめられたまま見上げてくるテメノスは、動揺しつつも逃げ出そうとはしない。
「急じゃないです、ずっと考えてました。僕はまだ未熟でテメノスさんにとっては子どもかもしれません。でもいつか、あなたに認められるような男になりますから」
「ふふ、頑張らなくたって君は……私にとってたった一人の大切な人ですよ」
そう言いながら胸に頬を押し付けるようにして、テメノスがクリックを抱き返す。
その温もりを感じながら、二人は一緒に目を閉じた。