完璧な彼
昔々、レッドはとても泣き虫な少年だった。
一人になると寂しくて泣き、テレビで怖い映像が流れれば泣き、遊んでいる時に転んでは泣き、そして野生のポケモンに襲われかけた時も泣いていた。
「あーあ、また泣いてんのか」
泣き虫だとか情けないだとか、そんな余計な言葉を付け加えながら手を差し伸べられることが常だった。
きつい言葉とは裏腹にどこか優しいその声と小さな手に、一体何度救われてきたか。その度にレッドは、胸の中があたたかいものでいっぱいになっていた。
歳を重ね心も体も成長するにつれ、レッドの泣き癖はいつの間にか消えていった。傷を作ろうと怖い話を聞かされようと暗闇の中で一人になろうと、涙を流すことは無くなった。ただ、それと同時に少年の頃にたくさん持っていたはずの年相応の感情も失くしたように薄れていった。
笑ったり悲しんだり怒ったり、そんな誰でも持っている感情を言葉にすることも表情に出すこともあるが、それらはいつもどこか乏しい。それはきっと、いつも隣に感情豊かな人がいたからだ。レッドの胸の奥を、彼がいつも理解してくれていた。
「グリーンは、全然泣かないよね」
幼い頃、旅に出る前に隣の家の幼馴染に聞いたことがあった。泣き虫なレッドとは反対に、グリーンは泣かない子どもだった。今まで彼の涙は見たことがない。
大人たちに入ってはいけないとキツく注意されていた草むら付近で遊ぶのに夢中で野生のポッポに襲われかけた時だって、涙を流すことしか出来なかったレッドの腕を掴み走り出すほど、グリーンは勇敢な少年だった。
「そんなの、お前が泣き虫なだけだろ」
「そうかもしれないけど。でも、なんか悔しい」
「そんなこと気にしてるなんて、レッドはお子さまだなー」
口の端を上げて、はは、といつものように笑う姿からは涙を流す姿なんて想像がつかない。
だけど、だから、なのだろうか。彼が泣いている姿が見てみたい。涙で表情を歪めるところを見てみたい。レッドのその想いは、日に日に強くなっていった。
そんな中、レッドが初めてグリーンの涙を見たのはリーグで彼に勝利した時だった。
互いの力を全て出し切った勝負だった。勝利を手にしたはずのレッドも興奮からか瞳にうっすらと涙が溜まっていく。戦いで傷を負ったリザードンの体を撫でながら治療をしていると、床に倒れたカメックスをボールに戻したグリーンがこちらに背を向けた。同じようにリザードンをボールに戻してすぐさま彼の傍に駆け寄りその肩に触れた、その時だった。
びくっと震えた少年の肩と、その反動で一瞬だけ見えた彼の表情。あれは見間違いなんかではない。彼の目が、美しい二つの目が、ずっと見てみたかったもので溢れている。
「……グリーン」
なんて声を掛けたらいいのだろう。君も強かったよ、もう少しでこっちが負けそうだった。いや、違う。言葉なんかいらない、そんなもの、彼は求めていない。
そして振り返った彼の歪んだ表情が、レッドの胸を熱くした。こんな時に、一体自分はどうしてしまったのだろう。
言葉はいらない。だから代わりに、爪が食い込むほど強く握られた彼の手を包むように握った。いつもは冷たい幼馴染の手が、ひどく熱かったのを覚えている。
カントーチャンピオンの座を放棄してシロガネ山に籠り3年が経つが、レッドはグリーンの涙を忘れられなかった。
最後に見た、リーグを飛び出した彼の背中。あの時、一体どんな顔をしていたのだろう。どうして自分は、あの背を追いかけなかったのだろう。
故郷へ戻った時に誰から何を言われたのかまったく思い出せないのに、あの時のグリーンの顔ははっきりと思い出せる。ああ本当に、この数年で頭がおかしくなってしまった。
そんな時、久しぶりに人間が山頂にやって来た。相手の足音以外何も聞こえないこの雪景色の中で自分に会いに来る人間なんて、酔狂なトレーナーか、もしくは力を示したい命知らずのどちらかだ。
足音が止まり、こちらに向けられた視線から興奮、期待、動揺、いろいろなものを感じる。そうか、こいつは酔狂な類の人間か。
レッドはボールを構えて、はじめて相手のトレーナーの顔を見た。その姿は自分より幼い少年だった。まっすぐ前を向くその瞳の奥の情熱から、かつての自分と似たものを感じて忘れかけていた何かを思い出しそうになる。
今日は、勝利のにおいがしないな。だって少年は、バトルをしに来たんじゃない。勝利を掴みに来ているのだから。
レッドが見ず知らずのトレーナーに敗北したと聞いて最初に涙を流したのは、意外にも頭に焼き付いて離れない幼馴染だった。
シロガネ山の麓まで迎えに来てくれたかと思うと、なんでオレ以外に負けてんだ、馬鹿野郎、どれだけ人を振り回せば気が済むんだ。といろんな感情と言葉を叩きつけられた。そして吐き出された言葉を全部受け取って、ごめんね、と返すと優しく優しく抱きしめられた。
数年ぶりに見た彼の涙はあの時のままで、歪んだ表情も思い描いていたもので、今すぐ全部自分のものにしたいなんて思っていると知ったら、今度はどんな顔をしてくれるのだろう。
そんなこともあり、外界から離れて音信不通になる生活は辞めた。人と触れあえば触れ合う程、生きている実感がわいてくる。そしてこれは人間らしさを取り戻していく中で気が付いたことだが、人というのは、一人では生きていけない様に作られているらしい。
人間と関わりが無くたっていつもすぐそばにポケモン達がいてくれているが、言葉というものは思っていたよりも重要で発する回数が少なくなればなるほど上手く喋れなくなるものだ。それが理由なのか徐々に他人と話すことが苦手だと感じるようになり、そしていつしか、こんなものは不要だと感じるようになってしまった。
レッドの口数が減っても周囲は勝手に無口だクールだと枠にはめてくれるので困ったことが無い。稀にこれ以上のコミュニケーションを要求されることもあったが、まあ、人生というのはなんとかなるものだった。
それに困ったと感じた時には、気が付けばいつもレッドの傍にグリーンがいた。彼は不思議とこちらの言いたいこと、避けたいこと、全てを理解しているかのような立ち振る舞いをする。
レッドは一度「君はエスパーか何かなのか」と訊いたことがあるが、「そんなわけないだろ」と苦い表情で返されただけだった。
そういうわけで、例え一言も発さずとも苦労は無かった。それと同時にグリーンの隣にいる時間が増えた。バトルの中では手持ちのポケモン達とさえ意思疎通が取れれば良いし、グリーン以外の人間相手でも相手は何かを察してか、必要以上に求められることは減っていった。
いつしか成人を迎え、マサラタウンの少年たちは立派な大人になっていた。
そんなある日の夜、突然グリーンが家に来いと連絡を寄こしてきたものだからレッドは大人しく彼の借りている部屋へと向かった。するとドアを開けてくれた彼の顔は耳まで赤く、こちらを上目遣いに見てくる視線は危うく、溶けそうな瞳にかつて胸の奥に隠した何かが再び顔を出した。
「グリーン、どうしたの」
どうにかそんな感情を悟られない様に、アルコールの匂いを纏いふらふらする彼の体を支えながら家の中に入り後ろ手にドアを閉めた。途端にしなだれかかるようにレッドの肩にグリーンが額を乗せてくる。
「なあレッド、知ってるか」
「な、なに……?」
これから発せられるのであろう彼の言葉の続きが恐ろしく、密着した体に伝わってしまうのではないかと思う程心臓が忙しなくばくばくと音を立てている。
「オレさあ、レッドの前以外で泣いたこと、ないんだ」
一人で泣いたことだってない、と続けるグリーンの声が上ずっていたからだろうか。気が付けば彼を支える手がいつもより弱々しい背に回り、まるで子どもをあやす様にゆっくりを撫でていた。
「お前は余計なことを言わないで、ただそこにいてくれる。それがオレにとって、どれだけ……」
その続きは言わせなかった。だって、全部分かってる。彼がエスパーか、だなんて馬鹿なことを聞いたものだ。だって、こんなにも簡単なことだった。
塞いだ唇から荒く息が漏れるので離れると、名残惜しそうに糸が引く。両手で彼の顔を包み込み無理やり上を向かせて、ずっと欲しかったものは案外すぐ傍にあったのだと気がついた。
どうして大人はお酒を飲むのだろう、と子どもの頃は不思議でしかたがなかった。あんな美味しくないもの、人の頭をおかしくなせるもの、どうして自分から体に入れてしまうのだろう、と。
だけど、人って想像以上に弱い生き物だ。だから自分一人ではどうしようもない時に、何かの力を借りたいときがある。そんな時、お酒ってものすごく手頃なんだと気づかせてくれたのがその日のことだった。成人した時に酒の溺れることだけは無いようにしようとひっそりと思っていたのに、そんな誓いはあっさりと崩れてしまった。
どちらが誘ったのかなんてもう覚えていない。まるで運命だった。あの日の夜、そのままグリーンは泣きっぱなしだった。彼の涙の理由は知らないし、見当もつかなった。自分から聞くこともしなかった。ただ「泣きたい時はいつも呼んで、すぐ会いに行くから」と言えば、ぐずぐずと子どものように乱れることはなくなり、次第にいつもの調子へと戻っていった。
あれから、グリーンは泣きたいときにはレッドを呼んだ。彼は一人では泣けない人間だった。想像もつかないが、きっとそれはとても辛いことなのだろう。なんでも一人でこなして、かっこよくて、周囲からあこがれの対象として存在する彼が自分の前でだけ涙を流す。それが何を意味するのか、わざと考えないようにしていた。
彼の涙を一度だけ舐めてみたことがある。「おいしくない」と言えば、グリーンは「なんだそれ」と笑っていた。涙より笑顔が見たいと思っているのに、この姿を永遠に独り占めしたくて自分から泣かせてみたいと思ったこともある。だけど、一体、どうやって。
珍しく、いつもの調子のグリーンに家に呼ばれたことがあった。彼がレッドを家に呼ぶ時は泣きたいときが常だったので、どうしてと訊けば、なんでかな、と返事が一つ。
グリーンが気になっていると言っていた他地方の酒を手土産にしていたこともあり、二人で酒に溺れてみることにした。たまにはこういうのだって、許されるだろう。
次第にとろりとしてくるグリーンを見て、以前からではあるが、グリーンは案外酒に強くないのだと確信を持つ。弱いというほどでもないが、レッドよりは強くはない。これを口に出せば、途端に罵声が飛び出すのであろうが。
そして、彼は泣き上戸だった。机に突っ伏しながら呂律のまわらない口でふにゃふにゃと何かを口走っている。小さくて形の良い唇が動くたび、夢中になってその動きを目で追った。
泣き疲れて半分夢の中に入りかけている彼の口の前に、時々ピカチュウにしてやるように人差し指を出してみる。すると不思議そうにこちらを見た後、とろんとした表情のまま綺麗な舌で指をぺろりと舐められた。
駄目だろ、こんなこと。そう自分に言い聞かせてももう遅い。次にはぱくりと加えられて舌先でちろちろと遊ばれるものだから、ずっと自分の中に閉まっていた何かを隠すのにも限界が近いことを悟った。
気が付けばグリーンの寝室のベッドにいて、記憶の中よりも細い(レッドがでかくなっただけだが)彼を押し倒していた。キスは戯れの一環だ、じゃれ合いと変わらない。だけど、本当にそうなのだろうか。
首に両腕をまわして楽しそうに啄んでくるグリーンがいつもの彼なのか、酒に溺れた姿なのか分からない。とりあえず好きにさせながら体の色んな所に触れていく。その度にくすぐったそうに体を捩るものだから「逃げないで」と言えば、途端に大人しくなってしまった。
髪を撫でると気持ちよさそうに目を細める様子が愛おしく感じてしまって、泣かせたいなんて考えていた自分を殴りたくなる。だけど、だからこそ、もっといっぱい色んな顔が見てみたい。
二人の体は繋がる様に出来ていないなんて重々承知している。だから程々にしてストップしようと思っていたのに「やめるな」なんて言われ、ついでに腕を引かれてしまう。だって、と言えば、意気地なし、と返って来ることすら胸が苦しくなる。そうか、そこまで言うのならお望み通りにしてやる。
だけどやっぱり彼が大事ではあるので傷つけたくはない。液体を纏った指を彼のナカへと進めて行けば、小さく声が上がる。
「痛くない?」
「痛くない」
本当かな、と思いつつ探る指を奥へと進める。ある箇所を一瞬擦った時、ひゃ、と高い声が聞こえて思わずため息が出る。こんな声、この先誰にも聞かせないで欲しい。
指を増やしていくほど彼の腰が強請る様に動き出して、言葉には出さない癖に「もっと」と訴えているのが伝わって来る。それにしても、想像よりも反応が好くて違和感が無いと言えば嘘になる。
「グリーンって、僕が思ってたよりも、その……」
「な、んだ……よ……」
どうにも歯切れが悪くなってしまうが、黙っていても仕方が無いので正直に話すことにする。
「えっと、想像よりもずっとえっちな人なんだなあって思って」
絶対に怒られると思っていた。だと言うのに、彼は怒るどころか慌て始め、仕舞には両腕でその真っ赤になった顔を隠してしまった。だからだろうか、そんな彼の様子に気をよくしてか、普段よりも口がまわってしまう。
「ねえ、自分で触ってたんでしょ……いつから?」
「……ぅ、ばか、ばか。そんなんだから、オレ以外に相手にされねえんだ!」
「いいよ、君にさえ相手にしてもらえられれば」
最後にもう一度ばかと言われ、そうだね、と真っ赤な耳元に顔を寄せた。酒と恋に溺れているんだ、馬鹿以外の何者でもないなんて分かりきっている。
耳は彼の弱い部分だ。それを知っているので口に含むように舌を這わせれば、熱のこもった声で「いれて」と小さく聞こえてきた。
「後悔しない?」
「誰がするか」
彼の、いつだって強きな所が大好きだった。
彼との間に0.01ミリの壁を作ろうとしたら「そんなの、いらない」と鋭い視線で訴えられる。
「でも」
「聞き飽きた」
「だけど」
「くどい」
仕舞には、せっかくつけようとしたそれを奪われてしまう。それならば、と硬くなった自分のものを、とろとろになった入り口に宛がう。ぐち、と音がして、頭の中がやけにクリアになった。
「ねえ、……」
「もう、いいから」
はやく、なんて強請られて断れるはずもなく、あっさりと折れてしまう。
「力、抜いて」
脚を広げさせて、みちみちと少しずつナカへと挿入っていく。半分くらい収まったあたりでグリーンがすっかり黙ってしまったことに気が付いた。安心させたくて髪を撫でると、ふいっと顔を背かれる。意地っ張りな所は、全然変わっていない。
「だいじょーぶ……?」
「……、へーき、だから」
嘘つき、と思うが口には出さない。いっぱいキスを落としながら力の抜けたタイミングを見計らって腰を押し付けると、ぐんっと奥へと突いてしまった。
「あ、あッ」
途端に声を上げるグリーンには申し訳ないが、こちらにも余裕が無い。入口の浅いところを攻めてやればうねる様にきゅんきゅんと締め付けられる。
「ん、んッあぁ、あっは、ぁんっ、ん、はあ、あっあ!」
嬌声を上げると同時に彼の両目からぼろぼろと涙が溢れだしてしまった。涙は見慣れているが、もしかしたら苦しいのかもしれない。
「ごめん、痛い?」
一度抜いてしまおうかと思っていると、引いていく腰に手を伸ばされる。
「ちが、ちがう……」
「だけど」
「きもち、いい……ッだけ、だから、ぁ」
その言葉のせいで余計に自身に熱が集まっていく。どうやら彼は、こちらを乱す天才のようだった。
「や、あッあ、んっあっぁ、ッあ!」
涙を流しながらびくびくと何度も何度も身体を震わせている姿に、こちらがどうにかなってしまいそうだった。
「……ねえ、そんなにきもちいい?」
「きく、な……そん、なのッ」
喘ぎながらも返事をしてくれる姿が愛おしい。腰を打ち付ける度に震える身体が愛おしい。乱れても綺麗な髪が愛おしい。涙に塗れた瞳が愛おしい。
僕は今、彼を泣かせている。
「昔から、きみの…グリーンの、泣いてる姿が、好きだった」
「そ、んなの……この、へんたいが」
「……好きに言っていい、けど、だけどッ僕を、こうさせたのはグリーンだよ」
好き、好きだ、と何度も伝える。だって、これ以上の言葉を知らないから。
「僕以外のものにならないで、僕の前でだけ泣いて、でないと」
でないと、どうなってしまうのだろう。想像するだけで恐ろしい。
すると、両腕を伸ばされてキスをされる。吐息が混ざって、頭の中はぐちゃぐちゃで、ぜんぶぜんぶ溶けてしまいそうだ。
「なら、ないし……お前だけ、ッなんだ、よ。オレには、ずっと昔、からッ……、……」
涙が引いてすっかり乾いてしまった目元に、ゆっくりとキスを落とす。やっぱり、泣いてる顔より笑っている顔の方が良い。
心がどうとか体がどうとか、そういうのって心底馬鹿らしい。そう言い放って、グリーンは行為後の怠い体をベッドに沈めた。その隣に寝ころびながらそういうものなのだろうか、と考えるが、彼が言うのだからそうなのだろう。
「ねえ、グリーンはどうして僕の前でだけ泣くの?」
今まで聞かなかったことを尋ねると、振り返った肩越しの彼の表情は想像よりも穏やかだった。
「そんなの、決まってるだろ」
「そうなの?」
「ああ、……」
ごろりと寝返りを打ったグリーンがレッドの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「お前が泣かなくなったからだよ」
好きって気持ちは単純で、だけど難しくて、それを結びつけることはもっと難しくて。
そんな感情を受け止めてくれる彼が、僕の為に泣いてくれている。
それだけが真実で、そして僕だけの世界だった。
[newpage]
昔々、グリーンの幼馴染のレッドはとても泣き虫な少年だった。
少し目を離しただけで転んでは泣いていたり、怖い夢を見たと言って泣いていたり、まだトレーナーではなかった頃に野生のポッポに襲われたて泣いていたのを今でも覚えている。レッドが泣くたびにグリーンはやれやれと手を差し出し、悪態をつきながらもその小さな手を握っては「大丈夫だから」と笑ってみせていた。
ある日、グリーンは祖父と喧嘩をして遊びに来ていた研究所から飛び出した。背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、いつものことだと言ってきっと追ってはこない。そんなことまで分かってしまう事実が、ひどく悲しかった。
目尻にたまる涙が溢れだしそうになった瞬間、少し離れたところからこちらに視線を送られていることに気が付いた。
「……グリーン?」
声の主はレッドだった。こんな姿を幼馴染に見せたくなくて背を向けようとした時、近寄ってきたレッドは何かを差し出してきた。
「なん、だよ……」
鼻をすする振りをして涙を誤魔化していると、レッドは幸せそうに笑いながら両手に抱えている白い箱を開けて見せた。
中には小ぶりなケーキが1つだけ入っていた。それは子どもが好むようなフルーツやクリームがいっぱい乗せられているものではなく、どちらかと言えば上品に仕上げられた見るからに高級そうなものだった。
「これ、お母さんがハナダへ行ったお土産に買ってきてくれたんだ」
「そうか、良かったな」
「うん、……だから、グリーンと一緒に食べたくって」
ケーキは、とても二人分のサイズには見えない。レッドの母がレッドの為にと買ってきたものであることは一目瞭然だった。
「お前が一人で食べればいいだろ」
「だって、おいしいものって一緒に食べたらもっとおいしいんだよ」
だから、半分こしよう。そんなことを口走るレッドの目は、普段よりもきらきらと輝いている。気が付けば、涙なんて引っ込んでしまっていた。
チャンピオンになるのって、思っていたよりもずっと簡単だ。そう思いながらグリーンは、広く無機質な部屋の真ん中でレッドを待っていた。
8つのジムをまわってバッジを集めて、強そうなポケモンを捕まえて育てて、覚えさせる技の構成を考えて、相手が嫌がる戦略を練る。そして最後には、リーグで待ち構える四天王に勝ってしまえばあっという間にチャンピオンだ。
と、言葉にしてしまえば簡単なことだ。実際はそう甘くはない。捕まえたいポケモンにすぐ出会えるとは限らないし、バトルの相手によって戦略を練り直さないといけないし、全ての手持ちがいつだってコンディションが整っているわけでもない。何より自分が一番不安定な状態だなんてことは分かっていた。
いつからか前しか見えなくなった。後ろを振り返ることがなくなった。だって、後ろにはレッドがいる。バトル以外であいつの顔を見れば、手に入れてきたものを全部失ってしまいそうで怖かった。
レッドは泣かなくなった。記憶が正しければ旅に出た頃からだ。以前よりも顔を合わせる回数が減ったからかもしれないが、口数も減った気がする。あの眩しい笑顔を見せなくなった。一体、どうしてしまったというのか。
だがそれと同時に、グリーンも自分自身が変わってしまったことに気が付いていた。しかし、これはきっと悪いことではない。人として、何よりトレーナーとしてお互い成長したからだ。必死に自分にそう言い聞かせた。
そうしている内に、部屋のドアがゆっくりと開かれる。
(もうすぐ、もうすぐ、オレが手に入れたもの、全部レッドに見せることができる)
胸の高鳴りと期待と興奮と、ほんの少しの不安のせいだろうか。目の奥が、ほんの少しだけ熱くなった。
レッドがカントーチャンピオンの座を放棄して、3年が経った。
リーグで自分を負かした癖にどこかへ消えてしまい、それからなんの音沙汰もない。生きているのか死んでいるのかさえ分からない。
(どっかで元気にやってんのかな)
彼を探そうとは思わなかった。だって、消えたのはレッドの意思だ。探しだしたところで何になる。
それに、レッドに負けたあの日、グリーンは彼の前で盛大に泣いてしまったのだ。正直3年経った今でも気まずい。最後に握られた手の感触を思い出すことはあっても、あの時のレッドの顔がどうにも思い出せない。
レッドの消息が分からない一方で、グリーンはトキワジムのリーダーになっていた。いろんなトレーナーとバトルが出来るのは楽しいし自分の勉強にもなる。だけど、あの頃の自分たちと同じぐらいの年齢のトレーナーとバトルをしたその夜は、決まってレッドに会いたくなる。ベッドの上で丸まって頭を抱えて、泣きそうになるのに涙が出てこなくて苦しくなるのだ。
(どうして、どうして、レッドはここにいないんだ。お前がここにいてくれれば、あの日のように手を握ってもらえるのに)
自分の体を抱えるようにして、胸の奥の痛みが消え去るのを必死に待つ。こんな夜は、大嫌いだった。
レッドという男は無表情で、クールで、ポケモンバトルに関しては右に出るものがいなくて、そして自分勝手な男だった。少なくともグリーンはそう評価している。
いなくなったかと思えば突然「負けた」とだけ連絡を寄こしてきて、どこにいるのかと問えばシロガネ山と返ってきた瞬間、会ったら絶対何発か殴ってやると心に決めていた。
なのに、いざ数年ぶりにその顔を見た時はすっかり枯れたと思っていた涙が溢れだして止まらなくなった。力の入らない拳で広くなった彼の胸を数回叩いた後、二度とこいつを離してはいけないと本能が訴えてきたので飛びつくように抱きしめた。(なのにレッドは微動だにしなかった)
彼の肩に額を乗せるようにして、懐かしいにおいを肺にいっぱい吸い込んだ。決して身綺麗なんかではない泥臭いトレーナーのにおいがする。だけどこの汗のにおいさえも懐かしくて、綺麗な思い出の一部で、それだけで涙が余計に止まらなくなってしまう。次にレッドから離れてしまったら死んでしまおうとさえ思えてしまう程に、自分がどうしようもなくなっていることに気が付いた。
「……なんでオレ以外に負けてんだ、馬鹿野郎、どれだけ人を振り回せば気が済むんだ」
涙のせいで声が裏返りつつ、なんとか言い切った。するとレッドが「ごめんね」と一言だけ返してきたので、なんだかそれだけで全て許してしまいそうだった。
もう一度彼の背に回している両腕に力を入れて、やっと嫌いな夜が終わるのだと安堵した。
シロガネ山から下りてきてから、レッドは益々無口になっていた。言葉だけではなく、喜怒哀楽が分かりにくいと感じるほど表情が乏しくなっている。おまけに必要最低限しか喋らないので稀にまわりの人間が困惑しているのを見かけるが、不思議とグリーンは彼の感情を読み取ることが出来た。
だけど、だとしたら、自分がレッドの代わりになればいい。レッドが喋らないのなら代わりに自分が喋ればいい。レッドが笑わないなら自分が笑えばいい。レッドが泣かないなら、自分が泣けばいい。単純で簡単なことだ。
だけど、これって変な関係だ。それに気が付きつつも、グリーンはそんな自分を見ない振りをしていた。
レッドのおかげで、もうあの苦しい夜を迎えることは無いと思っていた。なのに、どうしてか泣きたくても泣けない夜が来る。
(レッド、レッド、レッド、レッド、レッド)
頭の中で何度も名前を呼んだって、彼はここにいない。もうあの日のように手を握ってはくれない。
夢の中で見るレッドはグリーンに触れない。ただ前を歩いているだけだ。
いつから追いつけなくなってしまったのだろう。いつからあの手を握り返せなくなったのだろう。いつから、胸の奥に黒いどろどろしたものを抱えるようになってしまったのだろう。
苦しい。なのに涙が出ない。レッドがいなきゃ泣けない。だって、だってオレは。
ある日、成人してから自分を誤魔化すのに酒はとても便利だと気が付いた。
誘われた時以外に飲むことはしてこなかったが、酒は何かの言い訳に使えるのだと知ってしまった。一度知ってしまえば辞められないのが人間というもので、グリーンもそのうちの一人だった。
無性にレッドに会いたい夜にアルコールを体に入れて、いつの間にか彼に電話していて、そして次の瞬間には自分の部屋の玄関にレッドがいた。
彼を呼んだ記憶がまったくなくて、だからこれは悪い夢なんじゃないのかとさえ思った。力の入らない体をレッドに預けながら、グリーンはぽつぽつと話し始める。
「なあレッド、知ってるか」
「な、なに……?」
少し驚いたようなレッドの声に妙なリアルさを感じながらもグリーンは続ける。
「オレさあ、レッドの前以外で泣いたこと、ないんだ」
他人の前で正直になるのは難しいのに、どうしてこんなことを話してしまったのだろう。
だけど、もういいか。だって本当のことなんだ、仕方がないだろう?
「お前は余計なことを言わないで、ただそこにいてくれる。それがオレにとって、どれだけ……」
気が付いたら目の前いっぱいにレッドの顔があって、口を塞がれていた。ぬるりと入り込んでくる舌のせいで頭が覚醒していく。あれ、これって夢じゃないんだ。
荒くなる互いの息が心地いい。なのにレッドが離れてしまい、代わりに大きな手で顔を包み込まれた。
糸を引いた唇に視線を奪われると同時に、熱のこもったレッドの両目を見て心臓がうるさくなったのを感じる。そうか、オレってこいつのことが好きなんだ。
それからグリーンは、泣きたい夜もそうでない夜もレッドを部屋に呼んだ。だけどレッドが来ると、どうしても涙が出てしまう。昼間に顔を合わせている時は笑っていられるのに、どうして。グリーンには理由が分からなかった。
涙を流すたびにレッドは彼にキスをした。それは親が子をあやす様な優しいものからだんだんと熱がこもる様になり、いつもその直前に離れてしまう。それが名残惜しくて、もっとと強請れれば良いのにと思いつつ、グリーンは行動には移せなかった。
そんな時に、一度だけ涙をレッドに舐められたことがある。驚いていると「おいしくない」なんて言うものだから、その時は思わず笑ってしまった。
だけどそれと同時に、レッドが自分にするキスは求めているものとは違うのだと気が付いた。胸の奥が、ぽっかりと穴が空いてしまったようだった。
その夜は、レッドが帰っても涙が止まらなかった。それを言い訳にはしたくはなかったが、自分を慰める方法なんて1つしか知らないから情けなく思いながらもその行為に溺れた。
ベッドの上でレッドに触れてほしいと思った箇所に順に触れていく。もっと、もっと別の熱が欲しいのに足りない。下へと向かう手が慣らされていない箇所に触れて、ますます涙が止まらなくなる。
(こんな、こんなこと、どうして)
液体を纏った指がナカをどんどん押し広げて、ぐちゅぐちゅとかき混ぜて、その度に小さく声が上がる。レッドが戻って来てから、どんどんこの行為に夢中になっていた。
イイところなんてとうに知り尽くしている。擦る様に自分で触れて、熱が集まるのを感じて声が抑えられなくなっていく。
「あ、ぁっあ、は、あ、あっ」
熱が吐き出されて、はあ、と重たい溜息が出てしまった。こんなこと、もう終わりにしなければ。
レッドとの妙な関係を終わらせたくて、これを最後にとレッドを部屋に呼んだ。涙を流さず普通に接していれば、元の関係に戻れるかもしれない。そう思っていたのに、レッドが土産だと言って以前自分が話した酒を持ってきたので計画は台無しに終わる。
アルコールに意識を乗っ取られながらも、傍に座っているレッドはちゃんとそこにいてくれる。自分が駄目になればなるほどレッドに依存していく。こんなこと、さっさと終わらせたいのに。
それが口に出ていたのか、レッドが徐に口の前あたりに指を出してくる。しばらく眺めた後、いつもはしているキスがないせいか口が寂しくて、ついそれを舐めてしまった。
少し驚いた様子のレッドの表情が面白くて、今度はぱくりと加えてみる。舌先で遊んでやれば、やり返す様に指が曲げられ口内をなぞられる。
「ねえ、グリーン」
熱のこもった声と、ほんの少しの期待。大丈夫、オレ達は何があっても変わることは無い。
見慣れた寝室のベッドの上に転がされて、自身の上に乗り上げるすっかりでかくなってしまった幼馴染を見上げる。部屋が暗いのではっきりと見えるわけではないが、きっと困った顔をしているのだろう。
ベッドの上で何度も何度もキスをして、頭がふわふわしてきて、だんだんと楽しくなってくる。いつかこうなりたいと思い描いていたからこの先の展開を待ちわびていると言うのに、レッドはいつまでも恐る恐る触れてくる。いい加減じれったい。ナカを触れてきたときだって何度も「痛くないか」と問うのを辞めない。ああもう、はやくお前が欲しいのに。
だけども慣れてきたからか、指の動きがスムーズになってくる。触れてほしいとこを押しつぶされた時、つい声を上げてしまった。もっと欲しくて、腰が止まらなくなってしまう。
すると少し気まずそうな表情のレッドが、しどろもどろに口を開いた。
「グリーンって、僕が思ってたよりも、その……」
「な、んだ……よ……」
隠したって無意味だ。だって、お前が何を言いたいかなんて、全部分かってるんだから。
「えっと、想像よりもずっとえっちな人なんだなあって思って」
いざ言葉にされると、やっぱり恥ずかしい。両腕で顔を隠すと、調子を良くしたレッドの声が降って来る。
「ねえ、自分で触ってたんでしょ……いつから?」
「……ぅ、ばか、ばか。そんなんだから、オレ以外に相手にされねえんだ!」
間違ってはいないのだが、正面から言われるのは耐えられない。
「いいよ、君にさえ相手にしてもらえられれば」
レッドが耳元に顔を寄せて来たので、堪らず「いれて」と呟いた。はやく、はやくお前が欲しい。
レッドとオレの間に壁はいらない。例えそれが、0.01ミリであろうと。
それを奪い取ってしまえば観念したレッドがナマで入口に入り込んでくる。くち、と音がして、待ちわびた瞬間ではあるが緊張で体が強張ってしまう。
「力、抜いて」
簡単に言ってくれると思いながら、脚を広げる。目の前いっぱいにレッドがいて、また泣きそうになってしまう。
そうしていると頭を撫でながら大丈夫かと問われた。
「……、へーき、だから」
本当は全然平気なんかではない。痛い、けど幸せだった。レッドが今一番欲しいと思っているのはオレで、オレが欲しいと思っているレッドがオレの中にいる。これが嬉しくないはずがないだろう。
必死に痛みに耐えていると、入口の浅いところをずんずんと突かれて声が溢れてしまう。
「ん、んッあぁ、あっは、ぁんっ、ん、はあ、あっあ!」
我慢していた涙までぽろぽろと出てしまい、声がとまらなくなる。
「ごめん、痛い?」
不安に思ったのか、レッドの動きが止まってしまう。
「ちが、ちがう……」
離れたくなくて手を伸ばすと「だけど」と返され、消え入りそうな声で必死にレッドを求めた。
「きもち、いい……ッだけ、だから、ぁ」
ナカでレッドに反応があったのが分かって、少しだけ気分が良くなった。
「や、あッあ、んっあっぁ、ッあ!」
絶頂を迎えたはずなのに、奥を突かれるたびに何度もレッドを締め付けてしまって、その度に自分の体もどんどん溶けていきそうになる。
「……ねえ、そんなにきもちいい?」
「きく、な……そん、なのッ」
止まらない涙も、目の前のレッドも、全部本物だ。なんだか信じられなくて、ずっとこのままならいいのにと思ってしまう。
「昔から、きみの…グリーンの、泣いてる姿が、好きだった」
いきなり何を言い出すのかと思えば、レッドの目が普段と違い鋭くなっていることに気が付いた。
「そ、んなの……この、へんたいが」
悪態をつくと、ずんっと更に奥を突かれて喘いでしまう。
「……好きに言っていい、けど、だけどッ僕を、こうさせたのはグリーンだよ」
なんの話をしているのか分からなくて黙っていると、ふいに「好きだ」と聞こえてきた。
何かの間違いなんじゃないかと思っていると、何度も好きだと繰り返される。
「僕以外のものにならないで、僕の前でだけ泣いて、でないと」
好きなのは、お前だけじゃない。オレだって、ずっと前から。
「なら、ないし……お前だけ、ッなんだ、よ。オレには、ずっと昔、からッ……、……」
言えば、安心したように微笑んだレッドにキスをされた。こんなに優しい笑顔のレッドをみたのはいつぶりだろう。
ずちゅずちゅとピストンを繰り返され、何度も絶頂を迎えた体はずっかり馬鹿になっている……気がする。
「れっど、も、無理……ぅ、とまって、え」
「ごめん、もうちょっと、がんばって……?」
ね?とあやす様に言われ、つい許してしまう。これは自分の悪い癖だった。
「ね、グリーンのなか、気持ちいいから」
「そん、なのぉ、あっ!あん、やぁ、あッあ」
自身からはすっかり薄くなったものが吐き出されるようになっている。自分を突く体にしがみついて必死に耐えてはいるが、もう限界が近いのが分かる。
「や、らあ、あ、またイッちゃ、う、もうやだ、ぁ」
「うん、いいよ、……涙、止まったね?」
目元にキスをされて、ひと際強く腰を打ち付けられたかと思えばどくどくと熱いものが注ぎ込まれた。一滴だって逃さまいと彼の腰に両足を絡める。
ぜんぶ、ぜんぶ、オレのなんだ。一つだって手放してやるもんか。耳かかる熱い吐息を感じながら、もう一度目の前の男を抱きしめた。
「子どものころに、お前がケーキくれたの、覚えてるか?」
眠りに落ちそうなレッドの横でそう話し始めれば、レッドは「覚えてるよ」と一言。
それが意外で少し驚いたが同時に嬉しくて、そのまま続きを話した。
「姉ちゃんやじいさんは、ああいう時は全部くれるタイプでさ。半分こって、初めてだったんだ。だからかな、オレ……お前となら、全部分けてやってもいい」
ふふ、と勝手に笑ってしまう。おかしなことを話している自覚はある。
「全部、って」
「全部は全部。人間ってさ、一人で生きていけないんだよ」
だから、と胸に顔を埋めるようにして抱きつく。他人の熱は、どうしてこうも人を欲張りにさせるのだろう。