がちゃがちゃ

君みたいに笑えなくても

 はじめてのキスの味を覚えている人間などいるのだろうか。そんなどうでも良いことを考える余裕がある程、カミュは拍子抜けしていた。
 イレブンの要望にカミュは表情を変えぬまま「いいぜ」とだけ答え、目の前の唇を同じもので塞いだ。本当にそれだけだ。その後のイレブンは「キスってこんな感じなんだぁ」などと言いながらやたら恥ずかしそうにしていたのと、その流れで手に触れてみたがどことなく離れたそうにしていたので、とても「その続き」について話せる様子ではなかった。
 もしかしてイレブンにはその辺りの知識が無いのかと予想したことがあるが、いつしか旅の途中でムフフ本についてロウやグレイグと話していた気がする。シルビアは「まったくフケツで嫌ねぇ」などとぼやいており当時はカミュもそれについては同感だったが、今になって思えばもっと知識を与えてやるべきだったのかもしれない。ちくしょう、やっちまった。
 ドがつくほど健全な王子様の性教育はどうなってやがる、とカミュは内心毒づいた。勝手に期待していた自分が嫌になる。期待していたという事は自分は“それ”を望んでいるということで、だが相手は違うのだ。この感情をどこへぶつければいいのか分からず、イレブンを部屋から帰したあとはベッドに蹲ったまま結局ほとんど寝ることができなかった。
 そのせいで次の日の朝、寝不足のカミュは起きて早々にマヤから「兄貴ひでぇ顔してるぞ」と言われる始末。せっかく用意してもらった上等な朝食の味も覚えていない。分厚いベーコンも野菜たっぷりのあたたかいスープも半熟の目玉焼きも焼きたてのパンも、すべて胃に収まったというのに。
「おはよう、カミュ!」
 宿から外に出ると、すでに職人たちへ指示を出しているイレブンが出迎えてくれた。その眩い表情を見て自分の汚れた感情など綺麗さっぱり忘れてしまいそうになる。なんとなく照れくさそうにしているイレブンを見て「そんなに昨晩の“あの”キスが良かったのか」と揶揄いたくなるが、それは八つ当たりしている様なのでなんとか我慢した。
「えっと、早速だけと二人には素材集めをしてきてほしいんだ。組み立ては専門の職人達がやってくれるから、ここに載っているものを向こうで作業している人達と一緒に運んできてもらえる?」
 昼になったら一度戻って来てね、と話すイレブンの指示に頷き、カミュとマヤは作業を行っている集団へと加わることにした。

「なあ、兄貴」
 集団と一緒に森へと向かっている途中、隣を歩くマヤが声をかけてきた。
「なんかあったのか?朝からずっと機嫌が悪そうだけど」
 心配そうに見上げてくる妹に、カミュは思わず涙が込み上げそうになる。兄の情けない部分を見せてしまったと心の中で猛省して、無理やり笑顔を作った。
「別に……いや、そうかもな。悪い、まだ顔に出てたか」
「ううん、他の人は分からないと思う」
「……そうか」
 それ以上何も訊いてこない妹に感謝しつつ、カミュは昨夜のことを思い返す。自分は、イレブンについて知らないことがあまりにも多すぎる。今まではなんでも分かっていると思っていたが、実際はそうでは無かったのだ。それが悔しいと同時に悲しくもある。自分ばかりが求めているのだ。
 ――イレブンに、もっと求められたい。それが、カミュの出した答えだった。
 だが、どうすればいいと言うのか。無言のまま前の集団に着いて歩いていると、再びマヤから声をかけられた。
「昨日さ、学園にレンアイの話が好きな同級生がいるって話、しただろ?」
「ん?あ、ああ」
 マヤから同世代の友人の話が聞けることは嬉しい。幼い頃まわりが大人や柄の悪い男ばかりだったので、今は健全な環境で人間関係を築いているのだと分かって安心できる。
「そいつ、コンヤクシャっていうのがいるらしくてさ。卒業したらすぐに結婚するらしいんだ」
「……そうか。それは嫌な相手じゃないのか?」
「ぜんぜん。昔からの幼馴染で、ずっと好きな相手なんだってさ。だからはやく卒業して結婚したいって言ってた。この前も帰省中に会えるって喜んでたんだ。だけど……」
 だけど、と話すマヤの表情が少し曇る。その理由が気になって待っていると、マヤは眉を寄せて続きを話してくれた。
「長期休暇のたびにそのコンヤクシャに会ってるらしいんだけど、手を繋いだり二人きりになったりすると嫌がるんだって悩んでた。この前はキスしようとすると顔を反らされるって文句言ってたよ。変だよな、お互い好きなはずなのに」
「……べつに、変なんてことはないんじゃないか。触れあうのが嫌なやつだっているだろうし、好きだからって一緒になんでもするわけじゃないだろ」
 幼い妹とこんな話をしていいものか分からないが、昨夜の自分と重なってしまいカミュはつい会話にのめり込んでしまう。そうだ、そういう恋人がいたっていいじゃないか。健全で何が悪い。心さえ通っていれば、別にその先が無くたって――――。
「本当にそうかな」
 まるで自分の心の奥を見透かされたようなマヤの言葉に、カミュは息を呑んだ。
「おれ、そいつに言ったんだ。ちゃんと思ってることを話せばいいのにって」
 妹の成長に涙が出そうになる。今までの経験から隠し事をしても良いことなんかないということは分かっている証拠だ。
 マヤだって分かっていることだ。イレブンと正直に話せば、いつか……。
「でも、他のやつがそれは上級者のやり方じゃないって言い始めたんだ。言葉にするんじゃなくて……よく分かないけど、相手をその気にさせる、とかなんとか……」
 一体、最近の女子はどうなってやがる。しかしその意見も一理あるかとカミュは妹の話に真剣に耳を傾けていた。
「ま、とにかく。何もしないままじゃ駄目ってことだと思うんだよな。くよくよするぐらいなら当たって砕ければいいんだ。まあ、おれは砕けるのは嫌だけどな!」
 にしし、と笑う妹に釣られてカミュも「違いない」と笑顔になる。
 もしかしたら、マヤはカミュがイレブンとの関係で悩んでいることに気が付いたのかもしれない。それでこんな話題を振ったのかもしれない。だとすれば、なんて兄想いなのだと胸の奥がじんわりとあたたかくなった。幼い妹に心配されるような不甲斐ない兄貴でごめんな、と心の中で何度も謝った。
 なんであれ、妹を安心させてやりたい。自分のことで悩ませたくない。思い切り学園生活を謳歌してほしい。目的の作業場に着いたカミュはマヤへの想いを胸に、目の前の作業へと集中することにした。

Category: