がちゃがちゃ

君みたいに笑えなくても

 春の訪れを感じるかのような柔らかい風を頬に受け、カミュは顔を上げた。下を向いている場合ではない。やっと、前を向いて歩けるようになったのだから。
 
 少しの躊躇いを胸に、カミュは目の前に広がるメダル女学園の敷地内へ一歩、また一歩と進んでいく。大きな校門を潜り抜けて校庭に入ると、多くの女学生達が楽しそうに会話をしている声が聞こえてきた。ちらりと視線を送って彼女たちの様子を見ると、その手には大きな鞄や荷物を抱えていた。
 このメダル女学園はこれから長期休暇へ入る。だからカミュは、数か月前にこの学園へ入学した妹を迎えにやって来ているのだが、約束の時間は過ぎていると言うのにその姿は見当たらない。何かあったのでは、と不安になったカミュはしかたがなく学園内へと入ったが、どうにも視線が痛い。それもそのはずで、この女学院には生徒達と年の近い男性が訪れることはほぼ無い。だからカミュのような客人は珍しいのだろう。カミュ自身はそれを理解はしているものの、やはりじろじろと見られるのはいい気分はしない。はやく妹を見つけて去ってしまいたいと思ったところで、ドタバタと騒がしい足音と大きな声が聞こえてきた。
「兄貴!」
 声の方へ振り返り遠くを見ると、そこには高く結った長い三つ編みを揺らしながら駆けてくる制服姿のマヤがいた。忙しなく走る様子は相変わらず元気なようで安心したとカミュは胸を撫でおろすが、長い丈のスカートでそんなに走っては転んでしまうのではないだろうかと内心そわそわしてしまう。
 マヤはカミュの目の前で立ち止まるとスカートの裾を払うと、そのまま腰に手を当てて険しく眉を寄せた。どうしてそんなにも不機嫌なのかと訊ねる前に、その小さな口が大きく開かれた。
「もう、兄貴は目立つから外で待っててくれって言ったじゃん!」
「それは、お前がはやく来ないから……」
 理不尽な怒りだとは思うが、妹には強く出ることができないカミュはつい宥める様な口調になってしまう。それでもマヤは止まらず首を横に振ると周りの女学生たちの方へと振り返る。
「外出の手続きに思ったより時間がかかったんだよ!ほら、みんな見てる……。は、恥ずかしいから、さっさと行こうぜ!」
 マヤは顔を反らすとカミュの前を速足で進んでいき、先程くぐったばかりの校門を再び通ることとなった。久しぶりに会ったというのにこの態度はどうだろうとは思うが、そうは言っても可愛い妹ということに変わりはない。カミュは背と髪が伸びた以外に以前とは変わらないマヤの様子に、少しだけ表情を和らげていた。

 メダル女学園を出た二人はキメラの翼を取り出し、早速ある場所へと飛び立った。到着した先には自然豊かな景色が広がっており、しかし辺りには大量の木材や石材が積まれていたり、大勢の人々が大きな資材を運んだり何か大きなものを作っていたりと忙しなく働いている。始めて見る景色にマヤは多少なり緊張しているのか、きょろきょろと辺りを見渡している。そんな妹が安心できる様にカミュが細い肩を叩いてやると、ゆっくりと大きな目が見上げてきた。その目の奥には多くの期待が満ちているようで、カミュはここに妹を連れてきたことは間違っていなかったのだと確信する。
 そして二人が一息つく間もなく、遠くからこちらへと向かって走って来る足音が近づいてきた。
「カミュ!」
 数か月ぶりに見たその顔は相変わらずだった。ああ、でもまた背が伸びたのではないだろうか。よく知っているその姿は何度見ても飽きない。ただでさえ妹と会ったことで胸が躍っているというのに、カミュの鼓動がどんどんうるさくなっていく。
「……イレブン」
 カミュは愛しいその名を呼ぶと、一歩前へと踏み出した。名前を呼ぶだけで、何かがじわじわと体の奥を駆け巡っていく。そして駆け寄ってきたこの世界を救った男は、言葉を交わすより先に力いっぱいカミュを抱きしめたのだった。
「会いたかった!今日ここに来るって聞いて、ずっと待ってたんだよ。ああ、君がいないと本当に寂しいんだ!」
 普段はとんでもなく無口な男が驚くほど饒舌になっている。興奮気味な姿に圧倒されて、イレブンの腕の中でカミュは暴れるでもなく大人しくされるがままだった。本当は今すぐにでも抱き返したいのに、今はそれができない。その理由を教えてやらねばならない。
「わ、分かったから!ほら、離してくれ。今日は……そ、その……」
 カミュが斜め下の方向へ視線を送る。イレブンがその視線を辿って行くと、カミュの後ろから物珍しいものでも見るかのような視線でこちらを見上げている少女の姿があった。それに気が付いたイレブンは慌ててカミュから手を離すと一歩後ずさり、小さく頭を下げた。
「久しぶり、マヤちゃん。少し背が伸びたのかな、制服もよく似合ってる。一瞬分からなかったよ」
「……まあな。今日は、えっと……その……」
 何かを言いたげにもごもごと口を動かすマヤの背中をカミュが優しく押す。するとマヤはイレブンを見上げて、礼儀正しく頭を下げた。その姿にイレブンは驚きつつ、顔の前で両手を振った。
「ど、どうしたのさ」
「その、ちゃんとお礼をできていなかったから。おれを助けてくれたこと……あれが夢だったのか現実なのか、いまだに分からないけど」
 視線を泳がせながらも、マヤは丁寧に言葉を紡いでいく。そしてイレブンは、少し男勝りで口調も強い彼女の意外な一面に「メダル女学園に入学したことで変わったはずだ」と話していたカミュの言葉を思い出していた。
「それに……うちの兄貴も随分と世話になってるみたいだし?」
 マヤは腕を組んで目を細めると、イレブンとカミュを交互に見やる。何かに感付いている様子の妹の様子に慌てたカミュは「ところで!」と声を上げた。
「とりあえずマヤを着替えさせていいか?ほ、ほら。これから荷物を運んだりもあるだろうし、制服を汚したらまずいからな!」
「あ、ああ。そうだね。二人の部屋を用意してあるから着いて来て」
 カミュはマヤと並んで前を歩くイレブンの後を着いて行きながら、ここでの生活のことを考えていた。

 世界を救った勇者一行は、その後それぞれの故郷や帰るべき場所へと戻っていった。イレブンはイシの村へと戻り、カミュはマヤとしばらく二人であちこちを旅をしていた。しかし呪いのせいなのか妹の体がまだ本調子では無いのと今後のことを考え、マヤをメダル女学園へと入学させた。そんな時、イレブンが再び一人になったカミュをイシの村へ来ないかと誘った。まだ世界を旅をしていた時にはイレブンと同棲していたこともあったので、カミュはすぐにイシの村へと馴染んでいった。長いこと旅を続けていたから一つの村に留まるのはどうにも落ち着かないと思っていたが、案外慣れるものだとカミュはここでの心地よさに浸っていたのだった。
 そして、イシの村で二人で生活をはじめてしばらく経った時のことだ。夜も更けた頃、イレブンはもう一つの故郷であるユグノアを復興させるために奮闘しているロウを手伝いたいと話してくれた。だから数日後、イシの村を出てユグノア跡地へと向かうらしい。寂しくなるな、と困ったように笑うカミュへ、イレブンはさらにもう一つ、大切なことを話した。
「カミュ、僕はずっと前から君のことが好きなんだ。だから、僕と一緒に来てくれないか」
 その言葉を聞いたとき、カミュは自分の耳を疑った。イレブンと同じ気持ちだったからだ。こんな都合の良いことが起こるはずがないと黙ったままのカミュに、イレブンは畳みかけるように愛を囁いた。
「思えば地下牢で会った時から……一目惚れなんだ。はじめて太陽の下でカミュの顔を見た時のことを今でも覚えてる。君は僕を相棒と呼んでくれた。ぜんぶ信じて最後まで着いて来てくれた。それだけで良かったのに、いざ離れると耐えられなくなりそうなんだ。……ごめん、こんな急に、困っちゃうよね」
「イレブン」
 名前を呼ばれたイレブンはカミュへと向き直る。絡まった視線を離さぬまま、カミュはそっと手を伸ばしてイレブンの頬を撫でた。
「これも、勇者の奇跡ってやつかもな。これからも一生お前に着いて行くよ」
 好きだよ。消え入りそうな声でそう伝えれば、ぱあっと表情を明るくさせたイレブンに強く抱きしめられた。もう旅もしていないのに相変わらずの力強さに感心してしまう。一つ一つの小さなことに惹かれていって、また好きになって、どんどん心の奥が重たくなっていく。これが恋だというのならば、悪くないものだとカミュは目を閉じた。
 
 そんな時、妹から学園が長期休暇に入るという便りが届いたのだった。マヤ曰く寮に残ってもいいが大半の生徒が帰省するため暇なのだという。要は迎えに来い、ということだろう。そして更に、イレブンに会いたいとも書かれていた。その理由はイレブンに助けてもらったことについて改めて話したいということと、カミュがあまりにもイレブンのことばかり話すので気になった、ということだった。どうせなら休暇中は旅をしたかったらしいが「そこまでの時間はないから」と手紙には書かれていたが、これからカミュがイレブンを追ってユグノアへ向かうことを知っているので、それならば兄に会うついでに復興作業を手伝いたい、というのがマヤの本心なのではないかとカミュは考える。昔のマヤは自分からこのようなことを言い出す性格ではなかった気がする。知らないところで大人へと成長しているのだと実感すると同時に寂しくもあった。こんなことを他人に話せばまた兄馬鹿だと言われそうな気がするので胸の内に秘めておくことにする。
 そうしてカミュは、妹を迎えに行った足でユグノア跡地へと向かったのだった。

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