がちゃがちゃ

儀式の意味を知っている

 孫悟空という地球人が死んだ。
 カカロットというサイヤ人が死んだ。
 それはあっという間の出来事だった。爆発寸前のセルとともに消えていき、瞬きした次の瞬間には気を感じられなくなり、命を落としてしまっていた。
 セルが消滅したあと、ひとり戦場に残ったベジータの胸の内はどうしようもなく荒れていた。
 平和を取り戻したことなど、強敵がいなくなったことなど、関係が無い。たった一人の好敵手と思っていたサイヤ人が消えてしまった。ずっと追ってきた影を突然奪われ、目的を失い、いったいどうすれば良いというのだ。
 戦う意味が無くなった。戦ってもどうしようもない。戦士としての生きる道を失ったサイヤ人など、なんの価値も無いのだ。

 悟空が死んでから数年経った頃、ベジータは少しずつおかしな夢を見るようになった。夢の中では、気が付けば誰もいない山中でひとり佇んでいる。いくら歩いてみても飛んでみても人間や動物が見当たらない。ただただ木と草だけが続く山道を進むだけの夢はまるで悪夢の様で、なかなか現実に戻ることはできなかった。
 そして目が覚めると、決まってあの男のことを思い出す。こんなことならさっさと忘れてしまえばいいのに、それが出来ないのは己の弱さだと自分を呪った。

 そんな日々の中、悪夢の中で変化が起こった。
 ずっと人の手が入っていない景色が続いていただけだったのに、倒れた木や草道など、明らかに何かが通ったような形跡があった。これは自分以外の生き物がいるに違いないと、ベジータはその跡を追った。すると開けた場所に大きな滝が見えてきて、きらりと光る水面には魚が、木々には鳥が止まっていた。今まで夢の中では、虫ですら見かけることがなかったのに。
 突然の変化に驚いたベジータは人間がいないか気を探った。すると少し離れたところに、恐らく人間と思われる気を感じてそこへと急ぐ。向かった先には先程の滝から続く大きな川が流れていて、そこでやっと、自分以外の人間を見つけることが出来た。
(あれは……)
 知らないはずなのに、見たことがある様な後姿にベジータは息を呑む。その背はどう見ても、どう見たって、自分を呪い続けるあの男そのものだった。
 しかし、文字通り夢にまで見たその男の背であることには違いないのに、そうは言いきれない。その理由は――。

「あれ、お前だれだ?」
 こちらを振り返った顔は、少年そのものだった。
 まだ幼く丸みを帯びた輪郭。力強さなど感じることが出来ない腕。無垢な色を宿す大きな二つの目。しかし、その特徴的な跳ね方をした髪型と、言い逃れできない『気』から、その少年が追い求めていた男だとすぐに分かった。
「――カカロット」
 つい声に出してしまい、ベジータはゆっくりと川辺に座っている少年へと歩み寄る。
「お前カカロットって言うのか?」
 じっくりと見下ろしてくるベジータに臆することなく、少年は不思議そうに見上げてきている。
「違う、それは貴様だ」
「何言ってんだよ、オラ孫悟空って言うんだ」
 やはり、この少年は孫悟空だった。幼少期の姿など知るはずがないのに懐かしい気持ちになるのは、あの頃と気が同じだからだろうか。
 悟空は座っていた川辺から立ち上がると、ベジータの周囲を忙しなく歩き回りはじめた。
「な、なんだ」
 幼い悟空は両手を頭の後ろで組むと、ベジータを見上げながら大きく口を開けて笑ってみせた。
「オラ、死んだじいちゃん以外の人間を見たのはじめてだ!」
 その笑顔が、記憶の中の男と重なってしかたがない。夢だと分かっているのに手を伸ばしてしまいそうになる。
 
 しばらく悟空の話を聞いて、ベジータはここがパオズ山なのだと知った。孫悟空はのちに、ブルマとともにドラゴンボールを探す旅に出たと聞いている。まだこのパオズ山にいるということは、『今』はそれより前だということなのだろう。念のためドラゴンボールの存在についても聞いてみたが、何も知らないようだった。

「なあ、そういえば名前はなんていうんだ?」
「……さあな」
 先程から、夢の中だというのにやけにリアルだ。下手なことを言えば現実に影響があるのではないかと危惧したベジータは、正直には答えなかった。
「ふうん。お前変わった服着てるなぁ、都ってところから来たんか?」
「なんでもいいだろうが」
「そうだけどさ。なんか……うーん、はじめて会ったはずなのに、懐かしい気がする」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返す大きな瞳に、ベジータは息を呑む。やはりこれは、ただの夢などではない。しかし、だとしたら一体なんだというのか。
 結局のところ、目を反らしたい現実から逃げているだけだ。カカロットは死んだ。孫悟空はもういない。存在しない記憶を埋めようとしているだけだと、ベジータは必死に自分を言い聞かせる。

「カカロット、貴様は――――ッ!」
 ほんの一瞬のできごとだった。振り返ると、そこには幼い悟空はいなかった。代わりに、見慣れた山吹色の道着を着ている男が荒野の真ん中に佇んでいた。
 険しい表情でこちらを見上げてくる男は、ゆっくりと構え始める。砂埃とともに戦闘前のぴりぴりとした空気が頬を辿り、ベジータは頬が緩みそうになるのを感じた。
(あの時と同じだ。はじめて地球で戦ったときの、あの光景と……)
 ベジータは悟空と同じように構える。久々の胸が躍る瞬間を目の前にして、正気でいられる気がしない。
 なのに、どうしたことか。突然辺りが真っ暗になったかと思えば、たちまち景色が変わっていった。地球とは違う空と平原を見渡して、ベジータはここがかつて存在したナメック星だと気が付く。
 少し離れた場所でギニュー特戦隊との戦闘を終えた悟空の姿を見て、ベジータは息を吐いた。まるで走馬灯のようにフラッシュバックしていく悟空の姿に、強く殴られたかのように頭がぐらぐらと揺れている気がする。
(これは、夢の中で今まで見ていたカカロットの姿を思い出しているだけだ。現実じゃない。しかし、だとしたら、あの子どもの姿は……)
 ベジータは子どもの頃の悟空を知らない。なのに、最初に出会った少年は孫悟空だと名乗った。
 混乱し始めた頭を整理しようと目を閉じる。

 次に目を開けて広がった光景は、地球に戻ってきた悟空を迎えた時のものだった。
 瞬間移動だの人造人間だの、地球にやって来てから信じられないことばかりだったような気がする。しかしすべて現実で、その結果、ひとりのサイヤ人が命を落とした。
 そしてもう一度瞬きをすると、あの日見た時と同じ光景が広がっていた。
「バイバイ、みんな」
 嘘のような光景を二度も見ることになるとは思わなかった。しかしどうしようもなく、消えていく男の背を静かに見送る。夢の中でさえ何も出来なかった。ただ同じことを繰り返していた。
 姿が見えなくなる前に、一瞬だけ振り返った悟空と視線が交わった。少しだけ驚いたように目を見開いた後、男は困ったように笑って消えていった。