乖離点
会話などないまま、王泥喜は牙琉に手を引かれて明かりのない寝室へと連れて行かれた。辿り着いた後はどうすれば良いのか分からず立ち竦んでいると背中を押され、柔らかなシーツに倒れ込んでしまう。
慌てて体を捻り仰向けになったときには牙琉もベッドの上にいて、ギシ……とスプリングが音をたてている。
「あの、牙琉検事」
返事はない。何も言わぬまま、だけど表情は和らげで、牙琉は服を脱ぎ始めていた。
徐々に目が暗闇に慣れていき、目の前の光景が露になっていく。はじめて見た牙琉の身体は、綺麗だった。彼は普段もやたらとはだけた格好をしているので胸元や腹は見えていたが、はじめてはっきりと全てを見た王泥喜は目が離せずにいる。
その視線に気が付いた牙琉はわざと脱いだ服で胸元を隠しながら「すけべ」と呟いた。
「なッ……だって、こんなの見るなって言う方が無理で……!」
王泥喜の必死に弁解に、牙琉は声を上げて笑った。
「いいね、その反応。おデコくんはいつだって見ていて飽きないなぁ」
牙琉は倒れたままの王泥喜の上に乗り上げる。そのまま服を脱がしにかかり、穏やかに、丁寧に、手を進めている。
もうなんとでもなれといった状態の王泥喜に、牙琉は柔らかい声色で話しかけた。
「ねえ、おデコくん。一応聞いておくんだけどさ、こういうのってはじめて?」
「え……」
こういうのって、どういうのだろう。王泥喜が頭の中で考えを巡らせていると、うまく伝わっていないことを悟った牙琉は手を止めてしまう。
「女性相手でも、男性相手でも。僕としては、さ。おデコくんがしたいようにしてほしいから」
そこで王泥喜は牙琉の言いたいことが分かった。男同士の行為というものは、異性同士よりも無理が伴う。それぐらいの知識は持っていた王泥喜は、牙琉の問いに何と答えるべきか考えあぐねていた。
結論から言ってしまうと、王泥喜に性交渉の経験はない。かといってそういったこと全般に興味が無いというわけではない。今まで溜まっても一人で処理するだけで満足していたし、特定の誰かと親友と呼べる関係性以外で個人的な深い仲になったことがないのだ。だから自分が行為のどちらを望んでいるのか、いまいちはっきりしない。
だが、一度だけ。たった一度だけ。王泥喜にとって自分の中のラインを越えたことがあった。
それはつい先月、裁判所で牙琉と会った日のことだった。その日は彼と同じ法廷に立つことは無くたまたま同じ時間に居合わせただけだったが、二人だけで顔を合わせたのはこの時がはじめてだったので何故だか緊張してしまったのを覚えている。
そして、ほんの少しだけ雑談をしたあと帰ろうとしていた王泥喜に向かって、牙琉は「なんだか妬けちゃうな」と言った。
何が、と訊くと、彼はまっすぐと王泥喜を見ながらこう言った。
「おデコくんが、ぼく以外の検事と向き合っているなんてさ」
また、普段のように揶揄われていると思った。だからその時は気にも留めず適当に「オレもですよ。検事がオレ以外の弁護士と一緒だなんて」と返してしまった。
すると、いつもの調子で子ども扱いしてくると思った牙琉が何も言わなかった。不思議に思い王泥喜が顔を上げると、顔を赤くした牙琉が口元を抑えて何かを考え込んでいたのだ。
その横顔を見て、つられてしまいそうだった王泥喜は軽く挨拶をしてすぐに裁判所を出た。あの時の、彼の表情。うっすら感じた香水の匂い。おだやかな声色。すべてが全身を駆け巡る様だった。今までは、なんともなかったはずなのに。
その夜、寝る前の王泥喜の頭からあの時に見た牙琉の姿が離れなかった。はやく寝てしまおうとすればするほど記憶の中の男は濃くなっていき、最終的には体に現れた。最悪だ、と王泥喜は自分を呪った。
生理現象だと己に言い聞かせて処理をしている時も、頭の中は彼の赤くなった横顔でいっぱいだった。検事、検事、牙琉検事。オレは、オレってやつは、なんてことを。
脳内で何度もその男を汚しながら欲を吐き出した。今まで自分でも気が付かない振りをしていた僅かな恋心を自覚して、どうして今更、と視界がぼやけていく。
そのあとの胸の中はひどく空虚なもので、次に牙琉と顔を合わせた時はどんな顔をすればいいのか、だなんて考えていた。結局、特別なことなんて何もなかったのだけれど。
そして、今日と言う日が訪れた。今、目の前にあの時に自分を支配した男がいる。それも、裸の状態で。
自分はこの男をどうしたいのか。どうなりたいのか。夢心地のような頭の中で、ぼんやりと答えを出していく。
「オレ、は……検事を抱きたい、です」
意を決してそれを伝えると、牙琉は垂れさがってきた髪をかき上げながら目を細めた。
「そっか」
それは予想していたよりもあっさりとした返事だった。牙琉はそのまま躊躇うことなく王泥喜の股間に向かって手をやったかと思えば、そのまま下着ごと服を脱がされてしまった。
「うわ、……ッ!」
既に熱と質量をもったソレが勢いよく現れ、王泥喜の気を知ってか知らずか牙琉はまじまじと眺めている。そして後ろに体をずらしたかと思えば迷いなくソレに顔を近づけて、ねっとりと舌を這わせ始めた。
「がりゅ、けんじ……ッ」
牙琉は王泥喜の反応を楽しんでいるかのように口に含むと、大げさにじゅぽじゅぽと音をたてながら奉仕を始めた。他人にこんなことをされるのは初めてのことで、王泥喜の頭の中はすっかりパニックになってしまっている。
時折こちらの反応を窺うように舌を動かしていることが分かる。視線を向けられるたびに集中している熱が増えている気がして、王泥喜はまともに牙琉の顔を見ることができなくなった。
「検事、おれ、も……もう、ぁ」
ちゅう、と強く吸われた時に一気に弾けたのが分かった。王泥喜は血の気が引いていくのを感じて慌てて体を起こし、牙琉の顔をそこから引き剥がす。はやく吐き出せと伝えても目の前の男は言う通りになんかしなかった。少しだけ満足そうに微笑んだあと綺麗な喉が上下するのを確認して、王泥喜は自身の顔を手で覆った。
「なん、で……」
恥ずかしさ、気まずさ、後ろめたさ……と様々な感情が全身を巡っていく。
こんなにも正常でない王泥喜を面白がっている牙琉はまだ止まらず、先程吐き出して萎えている王泥喜自身に再び手を這わせながら本人の体もシーツに押し倒した。
「どうしたんだよ、王泥喜法介。君は僕を抱きたいんだろ?」
彼の言葉に返すことが出来ず、王泥喜は息を呑む。見上げた先にある整った表情はしっかりとこちらを見据えていた。
牙琉が王泥喜に跨ると腰を上げ、手を後ろに回した。余裕が現れていた顔が少し歪んで、かと思えが少しもどかしそうに視線を動かしたりと忙しない。そんな様子から彼が何をしているのかが想像できて、王泥喜は強張っている彼の身体に触れた。
「んッ……見すぎだよ、おデコくん」
はあ、と熱い息が漏れている。これからお互いもっと恥ずかしい姿を見せることになるだろうに、何を言っているんだと返したかった。だけど何かを言って機嫌を損ねるかもしれないと思い、無言のまま震えている太ももを撫でてやった。
すると緊張していた体が小さくぴくんっと跳ねて、なんだか胸が躍る様な気持ちになってしまった。自分が他人に対してこんな感情を抱くことを初めて知った。もっと早くこの先を知りたくて、待ちきれなくなった王泥喜は彼の名前を呼んだ。
「牙琉検事、おれ、アンタのことが好きです。きっと、あの裁判のころ、から」
いつものように大きな声が出せるはずもなく、吐き出された声はどんどん小さくなっていった。
牙琉は何も言わず、ただ行為を続けているだけだ。
「オレはアンタの過去を知らない、アンタだってオレを知らない。だけど、オレは」
「おデコくん」
いつの間にか手を止めている牙琉がシーツに手をつき、ゆっくりと腰を落とそうとしている。
「これは全部僕の意思だ。君は……関係ない」
先程と同じように熱を持っている自身が天を向いており、それを目の前の男が双丘で扱く様に撫でている。もどかしさにごくりと喉が鳴ったのを見られて恥ずかしさに目を反らすと、男の手が頬に触れた。
「目を反らしちゃダメだよ。ちゃんと、検事じゃない僕のことを見てくれないと」
ぐ、と押し込まれていく未知の感覚に息が詰まりそうになる。男は「んんっ」と普段よりも甘ったるい声をあげながら腰を落とし、ゆるゆると上下させている。
「あ、ぁ……ッ♡」
イイトコロを掠めているのか声がより一層高くなっている。先端を飲み込まれて肉で挟まれ、お互いが感覚を共有するように動いている。半分ほど収まった辺りできゅうと締め付けられて、情けない声を出していると腹の上で乱れている男が声を上げて笑った。
「はは、おデコくんって本当にかわいいね」
この男が自分に向かって放つ「可愛い」とは、幼稚さのことを指しているのだろう。経験不足を見透かされているようで悔しさが募り、王泥喜は牙琉の腰を掴むと下から思い切り突き上げた。
「あ、ン!や、だァ♡」
「今更イヤだなんて無し、でしょ……ッ」
ずちゅずちゅと音が響いて、それに合わせて跨っている男が腰を振っている。何度も下から突いていると身体がバランスを崩しそうになっていたので無意識に手を伸ばすとその指を絡ませるように握られた。
「ん、ァあっ、あ♡おく、おでこくんのが当たってきもちい、ィ♡うう、イっちゃ、う♡」
「……がりゅ、けんじ、オレは、あッぁ」
いつも余裕そうに微笑んで、綺麗な顔で整った言葉を並べる男が今まで見たことないほどに腹の上で乱れている。
この姿を知っているのは自分だけなのか、それとも――――。
「けんじ、オレのでイっていいですよ、オレも……もう、我慢できません、から」
「そんな、生意気、なこと……んぅ♡あ、アあ……ッッ♡♡」
ぴくんっと震えたのち、ぴゅるっ♡と熱が吐き出されたのが見えて息を荒げた牙琉が果てたのが分かった。同時に彼のナカに欲を注いだ王泥喜も行為後はシーツ上にぐったりと倒れている。
牙琉が腰を上げると、繋がっていた箇所からはとろ……と王泥喜が出したものが溢れてきている。その感覚と余韻を味わいながら、果てたばかりの男は「ん……♡」と無意識に声を漏らしていた。
とろんと蕩けそうな目でこちらを見つめくる牙琉を見て、王泥喜は自分の中でまだ収まっていない感覚をどうしたものかと考えている。
求めていた人が目の前にいて、まだお互い足りない顔をしている。体を起こしてキスをすると、今度は激しく迎え入れられた。