がちゃがちゃ

タンジェリンに酔う

 目を覚ました悟空が辺りを見渡すと、そこには顔なじみ達が床やソファに転がっていた。クリリンの上に倒れるようにして寝転がっているヤムチャ、大きなソファの上で仰向けになっている悟天の腹を枕の様にして寝ているトランクス、柔らかそうなクッションを抱きしめるようにしてカーペットの上に寝そべっている悟飯と、自分以外の他の全員が夢の中のようだった。
 酒臭い部屋の中で痛む頭を抑えながら起き上がり意識を失うまでのことを思い出そうとしていると、がちゃりと扉が開く音がして振り返る。月明りが差し込むだけの部屋は薄暗くはっきりとは見えなかったが、扉の位置に見知った人物がいることだけは分かった。
「ベジータ」
 声をかけた影がこちらに近づいて来て、はっきりとベジータの顔が見えるようになる。そして険しい表情で先程の悟空と同じように辺りを見渡し現状を把握した後こちらを見下ろし、呆れたように小さくため息をついた。
「起きたのか」
 寝ている者への配慮なのか普段よりも小さな声で呟かれた言葉を聞き、悟空は頷く。
「ああ。……なあ、確かオラ……悟飯の成人祝いをブルマんちでやるからって呼ばれてみんなと飯食ってて、そしたらいつの間にかここで寝ちまってたと思うんだけど」
「そうだな。本当に、下品な奴らだ」
 悪態をつきつつも話を続けるベジータの表情は柔らかい。月光に照らされた横顔を眺めていると、つい一週間ほど前の情事を思い出して頬が緩みそうになる。
 その時、何かが転がってきて手に当たったので見てみると、それは中身が空になった酒瓶だった。どうやら頭痛の原因はこれだと思うと思わず苦笑いになる。普段はあまり摂取しないものなのに空気に呑まれ、酒にも飲まれてしまったらしい。ベジータはまた呆れたようにため息をつくのだろうかと見上げると、空の酒瓶をじっと見ているだけで何も言わなかった。
 小言が出なかったことに胸を撫でおろしているとあることに気が付き再び部屋の中を見渡す。今日ここにいた人物の中で、足りない者が二名いた。
「なあベジータ。チチとブルマだけ見当たらねえけど、どうしたんだ?」
 徐々に目が慣れてきて、部屋に誰が残っているのかが分かってくる。悟空は体を起こすとソファの上ですやすやと眠る悟天とトランクスの傍に寄り、近くに落ちていたブランケットを拾って起こさないように二人にかけてやった。
「ああ、0時をまわった辺りで肌がどうとか慌て始めてあとは二人で女子会をするとかなんとか言って先に寝室へ向かった。貴様もそのすぐ後ぐらいに呑気にいびきをかき始めたぞ。他の奴らもここで潰れたままだが……貴様も寝るならブルマが用意している客室に行け」
 ベジータが説明してくれた二人の様子が容易に想像できてしまい納得する。ちらりと壁にかかっている時計に目をやると、時刻はそこから2時間ほど進んでいた。思っていたよりも時間は経っていたようだ。
「そっかぁ。あー、でもオラさっきまで寝ちまってたから全然眠くねえな……。そういえばなんでベジータだけ部屋にいなかったんだ?」
 ここに残っているのは男連中だけかと状況は把握できたが何故ベジータだけいなかったのかと不思議だった。確かに普段も仲間内の付き合いに最後まで残るようなタイプではないが、今日の主役は悟飯だ。ベジータが悟飯の実力を認めており密かに信頼を置いているのを知っているため、早々にこの場から立ち去ったとは考えにくかった。
「貴様らがくだらん宴会芸とやらを始めだして付き合ってられなくなったからだ。そろそろ終わった頃かと思ってシャワーを浴びて様子を見に戻ってきたらこの様だ……まったく、どうなってやがる」
 それを聞いて、確かにベジータの髪が少ししっとりと濡れていることに気が付いた。上気した肌に誘われるように視線を奪われていると、ベジータは眠っている悟飯を見て表情を和らげた後テーブルに置かれていたまだ開けられていない酒瓶を手に取り廊下へ続くドアへと向かった。
「どこ行くんだよ」
 ほんの一瞬だった表情の変化を見逃さなかった悟空が口を尖らせながら問いかける。
「飲みなおすんだ。お前も来るならさっさとしろ」
 その背中を追い、うっかり眠っている仲間たちを踏んでしまわぬよう気を付けながら慌てて廊下へと出た。先程の酒臭い部屋とはまったく空気が違い、ベジータが普段よりも険しい表情をしていた理由が分かる。
 廊下は間接照明のぼんやりとした明かりが点いているだけだったが、今は隣に並ぶ男の姿がはっきりと見える。シャワー後のために少し垂れている襟足へ触れてみると、驚いたように大きく見開かれた目を向けられた。
「なんだ」
「え?いやあ、その……」
 なんと返すべきか分からずまごまごしてしまう。ベジータは悟空を見上げたまま少し背伸びをしたかと思うと、道着のゆるい首元を引っ張りそのまま唇を重ねてきた。
 悟空は突然のことに戸惑いつつも、それをしっかりと受け止めている。角度を変えて深く重ねようとすると甘い吐息が漏れ、ベジータは身を捩った。
「ん、ぅ……」
 逃がさぬように肩を抱いても拒否されなかった。これは二人の間の承諾の合図だ。気をよくした悟空が手を肩から腰へ下ろし強く抱き寄せたところでやっとベジータが声を上げ睨みつけてくる。
「この馬鹿が……ッこんなところで盛るな。誰か来たらどうするつもりだっ!」
「だって、おめえから甘えてきたのによぉ」
 首すじにちゅ、ちゅと音を立てながらキスをすると胸板を押し返され距離を取られてしまったが、耳が赤いので本気で嫌なわけではないようだ。
「甘えてなんかいない!くそ、はやく部屋に……!?」
 言い終える前にベジータを横抱きに抱えた悟空は、長い廊下を静かに早歩きで進んでいく。抱えられたベジータが暴れはじめたが「みんなが起きちまうぞ」と言えば途端に大人しくなった。何かを言い返したそうにしているが、誰かに見られるかもしれない可能性を考えて口を噤んでいる。
「なあ、ブルマが用意してくれてたオラの部屋ってどこだっけ?」
「……そこの角を左に曲がった突き当りだ」
 ベジータが指さした通りに進めば来客用に用意されている部屋が並ぶ場所へ辿り着いた。自分用にしてもらっていた部屋へと入りベジータを降ろす。そっと扉を閉めたのちに、暗い部屋でベッドに押し倒した同胞へ再びキスをすると「酒臭い」と苦い顔をされてしまった。
「そんなに飲んでねぇんだけどな」
「知るか。それより貴様もシャワーを浴びてこい、汚いままでオレに触れると思うな」
「ええー、なんでだよぉ。いつもは修行した後でもすぐに……」
 言い終える前に顔を真っ赤にしたベジータに腹を蹴られ、痛みに顔を顰める。いくら駄々をこねても聞き入れてもらえず、結局悟空は渋々と部屋に備え付けられているシャワールームへと向かって行った。

 * * * * * *

 下着だけを身に着けた悟空がシャワールームから出てくると、ベジータは持って来ていた酒瓶を開けており窓の外を眺めながらグラスに口を付けていた。こちらに気が付くとベッドのふちに座ったまま視線だけを向けられ、酒を飲む手は止めずに喉を上下させている。
「ベジータがそんなに飲んでるの珍しいな」
 隣に腰かけると、酒のせいで若干潤んでいる目が見上げてきた。
「うるさい、オレだって飲みたい日ぐらいある」
「ふぅん。それよりさ……」
 中身の無くなりかけたグラスを取り上げベッドサイドのチェストに置くと抗議されたが、その声を塞ぐように口を押し当てた。静かになった代わりなのか背中を強く叩かれ、顔を離す。
 酒のせいでぼうっとした表情のベジータを見て、悟空は小さく息を吐いた。
「さっき、寝てる悟飯のこと見てただろ」
「は……なんだって?」
 一体何を言っているのか。自分でもおかしなことを気にしているとは思うが、訊かずにはいられなかった。
「おめえが悟飯のこと気に入ってんのは知ってるけど、なんか……なんだろう、オラにもよく分かんねえや」
 悟空は自分が思う以上に心境の変化に戸惑っていた。どうしてこんなに胸が痛むのだろうか、と。
 ベジータと体の関係が始まって二年が経つ。正確な経緯は覚えていないが、二人で修行をする時間が増えたことがきっかけだった気がする。ある日の修行後に興奮の収まらない悟空がうっかり下半身を反応させてしまった時にベジータから誘ってきたことがあった。あれからずっと、この関係が続いているのだった。
 熱を持ったベジータの目に惹かれたのを覚えている。それに導かれるようにキスをして、肌に触れ、身体を重ねた時に心が満たされたような気がしたのは何故なのかなど、考えたこともなかった。
 ただ気持ちが良いからだと、純粋なサイヤ人同士だから得られるものがあるのだろうと一人で勝手に解釈していた。だけど、どうやらそうではないらしいと気が付いたのはつい最近のことだ。以前よりも会う回数が減った。いつも体を重ねるわけではなくなった。拒否される度に胸の奥がちくりと痛んだのを見て見ぬふりをしていた。そういうものなのだと己の中で割り切っていた。
 だけど、どうだろう。ベジータの自分以外への執着を見ると目を反らしたくなってきていた。ベジータはいつだって自分の背を追いかけてくれていると慢心していたのかもしれない。何を言っても最後は「カカロット」を求めるのだと思っていた。
 だけど極めつけは先程の悟飯への視線だった。悟空はどろどろと良くない感情が溢れ始めたことに頭を抱えたくなっている。執着されているのだと思っていたのに、いつの間にかその逆になっていた。人は、地球人は、サイヤ人は、これをなんと呼ぶのだろう。
 
「カカロット」
 名前を呼ばれ、悟空は息を呑む。今はベジータの感情の読み取れぬ表情が怖かった。
「貴様が何を考えているのかは知らないが……、勘違いしているようだから言ってやる」
 ぎゅう、と抱き寄せられベジータの胸に顔を埋める体勢になる。服越しでも心臓がどくどくと強く脈打つ音が聞こえてきて、こちらまで顔が赤くなりそうだ。
 ちらりと視線を上げると、どこかうっとりとした顔でこちらを見ていた。
「悟飯と貴様は違う。知っているだろう、そんなこと……でないと誰が貴様とこんなことするか」
 どんどん言葉尻が小さくなっていったが、聞き間違えでなければ自分の都合の良いことを言われた気がした。
 体を起こし、心なしか微笑んでいる頬に触れる。ふ、と和らぐ表情にこちらも釣られてしまい、触れるだけのキスをした。