You Don’t Know Me

じりじりと燃えるような炎、なんてのんびりしたものではなく。実際の想像よりも素早い火球がアネットの方へ飛んでいくのが見えた。
それに気が付いてしまったが最後、体が勝手に動いていた。
掴んだ細い腕、振り返ったアネットの驚いた表情、体の焼ける痛み、そして。
「---フェリクス!」
遠くからでもはっきりと聞こえる声に、思わず口角が上がる。俺より弱いくせに、俺の心配をしている場合か。
盗賊の盗伐と聞いていたが、まさかその中に魔導士がいたとは。
アネットに火球を飛ばしたであろう魔導士が倒れるのと同時に、槍をふりかざしたシルヴァンが遠くに見えた。
倒れた俺にアネットが何かを言っているが、内容をうまく聞き取れない。傍までやってきたシルヴァンの横にはメルセデスがいて、治癒の魔法を俺にかけてくれているのが分かった。
治癒の魔法というのはあくまで怪我の回復能力を高めるだけで、傷を無かったことにするわけではない。それは分かってはいるが、すぐには消えない痛みが煩わしい。
ぼやけてくる視界の中でも三人の表情が酷く歪んでいるのが分かる。俺は今、そんなに酷い姿なんだろうか。


次に目が覚めた時はベッドの上だった。
体を起こそうとするが、うまく動かない。視線だけを動かし足元と天井を見ると、ここは自室で、自分の体には包帯が過剰なほど巻かれていることが分かった。
その割には包帯はきれいで、体も不快感がない。痛みもさほど無いが体は怠い。
どうしたことかと視線を横にずらすと、ベッドの縁にうつぶせて居る赤毛が視界いっぱいにひろがった。
いつもはセットされているのに今は少し乱れた髪を、重い腕を上げてぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
すると顔を上げた今にも泣き出しそうな男に、髪をかき混ぜていた手を両手で強く包まれた。
「…フェリクス」
ああ、俺の名前だ。
「心配してたんだぞ…俺も、みんなも、ずっと」
そうだろうな。目の下の隈がひどい。
「あれから3日経ってるんだぞ。お前は、覚えていないだろうけど」
随分と長く眠っていたものだ。道理で体がだるいわけだ。
ぎゅ、と掴まれている手に力が入った。
「シルヴァン…」
名前を呼び、そのまま自分も握り返してやると、驚いた表情のシルヴァンと目が合った。
「もう、どこにも行かないでくれ」
掠れたか細い声でそう言われて、思わず泣きだしそうになる。
俺はここにいる。
今も昔も、俺はずっとお前の隣にいるのに。


あれから更に一週間が経っていた。
しばらくは安静にしていたが、すっかり回復した俺は講義や訓練にも参加するようになっていた。
そして今日は、たまたま課題で必要な調べ物があり図書室へと向かっていた。
普段は図書室へ足を運ぶことなんて滅多に無い。目当ての本を探そうと探索している途中で、思いもよらない人物を見つけてしまった。
リンハルトやイグナーツ、リシテアといった普段から本を読み漁っているような生徒達の中に、ひと際目立つ赤髪。
端の方の席で真剣に何かの本を読んでいる彼は、集中していてこちらには気が付いていないようだった。
そのまま無視しても良かったが、何故彼がこんな所にいるのかという好奇心が勝ってしまい、気が付いたら名前を呼んでいた。
「シルヴァン」
名前を呼ばれ、やっとこちらに気が付いたシルヴァンは本から顔を上げるなりにこっと人懐っこく笑った。
自分から声をかけてしまった手前そのまま逃げるわけにもいかず、彼の向かいの席に座り何の本を読んでいたのか確認する。
「白魔法?」
お前が?と言う前に、さっと本を隠されてしまった。
「えーっと、今の目標が白魔法の習得でして…」
それは知っていた。しかもシルヴァン自ら先生に頼んで白魔法の習得を目標にしてもらったことも、だ。
だが、別段得意でも興味があるわけでもないであろう分野を何故急に学ぼうとしているのかが分からなかった。
じ、と隠された本を見ていると、シルヴァンは慌てて話題を変えてきた。
「フェリクスはなんでここに?」
「丁度調べ物があってな」
「へぇ…」
言いながら、シルヴァンは白魔法の本を抱え席を立つ。本を近くの棚に戻すと、何やらばつが悪そうに「部屋に戻る」と言い残し、図書室を出て行ってしまった。
自分は何かまずい現場にでも出くわしてしまったのだろうか。そう思えるほど、シルヴァンのいつもと違う様子が気になっていた。
シルヴァンが棚に戻した白魔法の本を手に取り、パラパラと適当にページを捲ってみる。
てっきり初級の本かと思っていたが、そこそこ経験を積んだ魔導士が読む本であることは、魔術が苦手な自分でも分かる程だった。
もしかしたら自分が知らないだけで、シルヴァンは想像以上の白魔法の技術を身につけているのかもしれない。
そう思うと、自分だけ置いて行かれてるような気がして、漠然とした不安だけが残った。


あれから図書室でシルヴァンの姿を見ることは無かった。
シルヴァンに自分から白魔法についての話題を出すこともなかったし、向こうから振られることも無かった。
結局、自分が知らないことが圧倒的に多すぎる。彼については他の人間よりも詳しい気でいたが、実際はそうでなかったのかもしれない。
そんなどうしようもない考えを切り捨てたくて、訓練場へと向かった。
丁度居合わせた生徒達何人かと手合わせをした後、腕に軽い痛みを覚えた。
袖を捲り確認するが、外傷はなかった。手合わせの最中に手を無理に捻ってしまったか、そんなところだろう。
今日はもう切り上げようと訓練場を出たところで、遠くに良く映える赤髪を見つけてしまった。
腕を捻ったなんて知られたら子ども扱いされそうで、気が付かなかった振りをして通り過ぎようとした。
だがそう上手くいくはずもなく、自分を見つけた彼は眩しく微笑む。
「フェーリークース!」
一段と明るい声色で名前を呼ばれるものだから、無視も出来なくなってしまった。
舌打ちしそうなのを我慢して、シルヴァンがやってくるのを待つ。
「今日も訓練か?」
「そうだ」と返し自室へ向かおうとすると、その後ろをシルヴァンが付いてくる。なんでついて来るんだ。早く帰って腕の手当てをしたいのに。後ろでシルヴァンが何か喋っているが、それどころではなかった。
結局、部屋の前までついて来たシルヴァンに振り返り、帰れと言わんばかりに睨んでやる。が、やはり俺はシルヴァンという男をよく知っている。彼はこんなことでは諦めない。
「部屋、入ってもいいか?」
断れるはずなんて無いことを知っているくせに質問するのは、卑怯だと思う。
結局自室にシルヴァンを上げてしまったが、怪我のことを知られたくなくて内心焦っていた。
そもそも何故部屋にまで入ってきたのか。何か用事があるようにも見えないが。
「フェリクス」
突然名前を呼ばれてどきりとした瞬間、怪我をした方の腕を掴まれた。
そのまま袖を捲られ、捻った部分に優しく触れられる。手のあたたかさが心地よい。
「…何の真似だ」
訊くと、シルヴァンは困ったように笑い、治癒の術を唱えた。
ぽわ、とあたたかい光に包まれて、腕の痛みが引いていく。
最後に優しく腕を撫でられて、袖を戻される。
俺はそこで、シルヴァンが白魔法を使っているところを始めて見たことに気が付いた。
「俺さ」
ぽつりと呟かれた声は、いつも以上に優しかった。
「お前のこと、なんでも知ってる気でいたんだ」
「俺も、そうだった」
そう返せば、シルヴァンの表情が驚きに変わった。ハハ、と乾いた笑いも、シルヴァンらしくない。
シルヴァンも自分と同じ気持ちだったことになんとなく安心する。
「前にフェリクスが怪我をしたとき、何もできない自分が情けなくて仕方がなかった」
「だから、白魔法を学んでたっていうのか」
「ああ」
そのままシルヴァンにぎゅう、と強く抱きしめれ、驚きと困惑で頭がぐちゃぐちゃになった。
「何をやってるんだ」
「俺が、見逃すはずがないんだ。さっきの怪我だって、すぐに気づいたさ」
なのにあの時間に合わなった、と震える声で言うシルヴァンの腕から無理やり抜け出し治癒してもらったのとは反対の手で顔を叩いてやった。
「え、え…?」
叩かれた頬を手で押さえ、困惑した様子のシルヴァンこちらを見ている。
「阿呆が。俺がいつお前に守ってほしいなんて頼んだんだ」
お前の方が弱いくせにと付け加えれやれば、シルヴァンはいつもの調子で困ったように笑った。
「お前は自分を犠牲にしすぎなんだ」
「じゃあ、どうすればいい?」
はあ、とため息が出る。まったくお前は分かっていない。
「昔みたいに、ずっと隣にいるだけでいい」
言ってから気恥ずかしさに顔が熱くなる。
今度は勢いよく抱き着いて来たシルヴァンの体重を支え切れず、二人そろって後ろにあったベッドに倒れこんでしまった。
それでもまだ離れる気配がない幼馴染に、不思議と悪い気はしなかった。