大概の人間は第一印象を顔で決める。
その顔が完璧に近ければ近いほど、中身が良ければ尚のこよ、近寄って来る人間が多いだろう。
だから今目の前で広がっている光景が別段おかしなこととも思わないし、これがある意味では人間のあるべき姿だとも思う。
ただ、当の本人は困っているようで時折こちらに視線で助けてほしいと訴えている。
それを少し面白がって気が付かない振りをしていたが、そろそろ潮時か。
学校内の中庭にあるベンチから腰を上げ、前へと進む。そこには女子の群れに囲まれている一人の金髪の男がいた。
こんな晴れた良い天気の下で、普段から眩しい顔を更にまばゆくさせている、気がする。
「よぉ、色男」
彼の隣に立ち肘で小突くと、明らかにほっとしたような表情でこちらに視線を向けていた。
まわりの女子たちは皆訝しげに俺のことを見ている。彼女たちには申し訳ないが、俺は隣の男の肩に腕を回し片目を閉じてみせた。
「悪いな。これからこいつとデートなんだ」
「さっきはすまなかった、クロード」
申し訳なさそうに項垂れているディミトリが何度も謝ってくる。その様子が面白いような可愛いような可哀そうなような、そんな風に見えた。
「もういいって。で、なんで囲まれてたんだ?」
放課後の校内を並んで歩きながら先程の状況について訊くが、彼は首を横に振るだけだった。
「俺にも分からなくて…困っていたところに、お前が来てくれた」
だから助かった、と微笑むのはやめてほしい。ただでさえ良い天気なのに、さらに眩しくなる。
俺はというとどこか思い当たる節があり、制服のポケットからスマホを取り出した。
「ああ、なるほど」
画面に映し出された日時。そう言えば、今朝のニュースでも取り上げられていた気がするし、どこか校内全体もそわそわとしていた気がする。
俺は一人で納得してたが、ディミトリはまだ分かっていないようだったのでスマホの画面を目の前に突き出してやった。
「王子様、今日は彼女たちの祭典だ」
画面には、はっきりと二月十四日と映し出されている。
優秀なスマホには日付の下にバレンタインデーと小さく補足まで付け加えられているので、いくら鈍い彼でも流石に気が付くだろう。
これまでのことに納得がいったのか、ディミトリは困ったように視線を逸らすだけだった。
俺たちが通う高校は仮にも進学校だからか、菓子類の持ち込み自体は禁止されていないものの生徒間での食べ物の受け渡しは禁止されている。
他人から貰ったものを食べて何か問題があったら困るからなのか生徒たちのいざこざを避ける為なのかその全てなのかは分からないが、とにかく禁止されている。
生徒同士の直接チョコレートを渡している場面など教師に見られようものなら即没収であるし、きっと親や家にも連絡が行く。それぐらい厳しく取り締まられていた。
だが、「直接渡しているところ」さえ見られなければ問題はない。菓子類の持ち込み自体は禁止されていないからだ。
だから皆、鉄板ではあるが意中の相手の下駄箱や机、はたまた鞄の中へとチョコレートを忍ばせる。
ディミトリが中庭で女子たちに囲まれていたのはきっと、既に彼へチョコレートを渡したことへの報告だったのだろう。
気が付いた途端、校内の甘いにおいがやけに気になってきた。そう言えば、知らないうちに机に何か入っていたことを思い出した。何故あの時に気が付かなかったのか。
教室へと戻ると、もう他の生徒たちは残っていなかった。
さて帰ろうと鞄を持つと、どうしてかやけに重い。開けると、ラッピングされた見知らぬ小さな箱がいくつか入れられていた。
それを見たディミトリは「なるほど」と一言。一体、何が「なるほど」なんだ。
二人で下駄箱へ向かうが、そこでも事件は起きるわけで。
靴を履き替えようとしないディミトリにどうしたと聞く前に、原因を見てしまい思わず苦笑した。
下駄箱に詰め込まれた恐らく菓子が入った箱の数に、もう笑うしかなかった。
「こんなこと、本当にあるんだな?」
本人が何も言わないので茶化してしまったが、たぶん困っているのだろう。先程から微動だにしていない。
「しばらくはお茶のお供に困らないな」
「その時はクロードも付き合ってくれ」
「嫌だね」
きっと菓子以外にも、彼女たちの想いが綴られた手紙なんかも入っているのだろう。
俺の横に並ぶこの男も、いつかは俺の知らない人の横を歩くのだろうか。誰かの告白を受け入れたりするのだろうか。
その時俺は、どうなっているのだろうか。全く想像がつかなかった。
二人で校門を出て駅まで向かう途中で、「そう言えば」とディミトリが呟く。
「あの時…中庭で、助けてもらった時なんだが」
「ああ、あれならもういいって」
「いや、そっちではなく…」
どうにもはっきりしない王子様に、なんだよと軽く小突く。
「これから、その、デートだと」
そこかよ、と思わず吹き出しそうになったのを堪えた。なんでも真剣に受け止めるのが彼の困った所であり、そして俺が気に入っても所でもある。
「あんなの、お前をあそこから連れ出す冗談だよ」
だから気にするなと付け加えたが、どうやらディミトリはこの話を終わらせる気が無いらしい。
「嘘だったのか?」
「嘘というか…」
じ、と穴が開きそうなほどこちらを見る目があまりにも真っ直ぐだった。
こういう時、俺はこいつを揶揄いたくなる。これが俺の悪い所であり、俺らしい所でもある、
「なんだ、王子様は俺とデートしたかったのか?」
わざとらしく首をかしげて聞けば、さっきまでこちらに向かっていた視線がさっと逸らされる。
耳まで赤いんじゃないかと思ってしまうほど照れてしまっている彼が少し可哀そうになり、冗談だ、と言おうとした。
そのはずだったが。
「お前が…嫌で、無ければ」
再びこちらを見据える目は真剣そのものだった。
「俺では駄目だろうか?」
「お前、それは」
まるで愛の告白みたいだ。いつもの軽口のつもりだったのに、そこまで言って後悔した。否定されなかったからだ。
何か別の話題で話を逸らそうとも思った。だが、俺たちの鞄の中はどうだろう。きちんと自分の気持ちをしたためた人達の想いが入っている。
俺がここで答えないのは逃げになるのか、ならないのか。分からないが、俺はもう目の前の男に逆らえなかった。
「ちょっと待ってろ」
近くにコンビニを見つけた俺は、ディミトリをその場に残し店内に急いだ。
そのまま目当ての物を購入して戻ると、お行儀よく俺を待っている王子様が俺を見つけて微笑んだ。
俺がこいつをどう思っているのか、正直分からない。だが、いつも眩しいと思っている笑顔が他の誰かに向けられるのは嫌だった。
「口開けろ」
訳が分からないと言いたそうにするも、大人しく口を開ける姿が愛おしいのも確かだ。
俺は先程購入したばかりの商品の箱を勢いよく開け、中身を目の前の男の口に突っ込んだ。
それを飲み込んだ後、何を食べさせられたのか気が付いただろうディミトリの顔面に一つ数百円程度のチョコレート菓子のパッケージを押し付けた。
「つまり、これは」
「イエスってことだよ」
分かれ、と彼の顔面にぐいぐいパッケージを押し付けていたが、程なくして両腕を馬鹿力に掴まれ、先程まで見えなかった顔が露になる。
こんなにも嬉しそうな顔が、他の誰かに向けられるのを想像したくなかった。
「俺も、ちゃんと言葉にしても構わないだろうか」
「もう好きにしろよ…」
「良かった」
これからはきっと、迷いもない。
そう確信できるほど、目の前の言葉は俺に効いたのだった。