「ポケットモンスターの世界へようこそ!」
わざとらしく両手を広げ、きらきら両の目を光らせる少年の前に3つのモンスターボールを並べた。
どれにしよう、と呟きながら一生懸命に頭を悩ませるその姿に、思わず口元が緩んでしまう。
「ほら、慌てなくていいから」
落ち着かせようと声をかけると、少年はこくりと小さくうなずいた。
「…これ。この子にする!」
「へえー、レッドはヒトカゲを選んだか」
レッドはにこにことボールを受け取ると、宝物のようにぎゅうと大事そうに握った。
「ありがとう、グリーン」
そう微笑む少年は、俺にとってかけがえのない存在だ。
なのに、俺はこの子の夢を叶えてあげられない。
*****
俺は11歳の頃、ポケモントレーナーとして旅をしていた。
ポケモンの研究をしている祖父の夢であったポケモン図鑑を完成させる為にはじめた旅だったが、ポケモンの生態に夢中になっていて戦法やポケモンの育成方法ばかりに力が入っており、そして気が付けばジムバッジを8つ集めてしまっていた。
バトルが特別得意というわけではなかったが、ポケモンのことをより深く知ることで様々な戦法を編み出せたことが功を奏したのだと思う。
図鑑の登録も進めていたが、俺はとにかく今の自分の力を試したくてこのままリーグに向かおうとした。
(もしかしたら、チャンピオンになれるかもしれない)
そう考えるとわくわくした。もっと強いトレーナーと戦いたい。自分がどこまで通用するのかこの目で確かめたい。
だが、人の夢とはそう上手くはいかないものだ。
いざリーグへ向かおうとした時、祖父が倒れたと知らせがあった。
その時の俺の頭にはもうリーグのことなんか無かった。祖父に会いたい一心で一目散に祖父のいる病院へと向かう。
病院では走ってはいけないと叱られたことを思い出すが、俺の足は一度だって止まらなかった。
「……じいさんッ!」
勢いよく病室の扉を開けるとベッドには祖父が眠っており、その横には姉が立っていた。
「グリーン、帰ってきたのね」
「ねえちゃん、じいさんは…」
「ええ、大丈夫よ。今眠ってるだけだから」
姉のその言葉を聞き、途端に体中の力が抜けた俺はへろへろとその場に尻もちをついてしまう。
(良かった、本当に良かった)
安堵に胸を撫でおろしていると、姉は俺をぎゅっと抱きしめた。
「グリーン、おじいちゃんはね――」
祖父が倒れたと聞いた時は肝を冷やしたが、命に別状はないという事で一週間ほどで退院できた。
だが今までのように自由に歩き回ることは難しいらしく、図鑑の完成も目前だと言うのに研究を続けられない体になってしまっているそうだった。
走ったりは難しいが家と研究所の往復ぐらいはできるらしく、今も研究所の一室で向かい合って祖父と話をしている。
俺は悔しさと悲しさで両手を握る。なのに祖父本人はなんでもないように笑い、心配するなと俺の肩をぽんぽんと叩いた。
俺は笑った祖父の目尻のしわが好きだった。なのに、今はこの笑顔を見たくない。
(そんな、じいさんの夢の為にここまでやって来たのに)
どうすれば良い。どうすれば、じいさんの夢を叶えてやれる?
そう考えていると、ひとりの研究員が「お話し中すみません」と声をかけてきた。
「たまごが孵化しそうで」
「おお、そうか!」
祖父は嬉しそうに椅子から立ち上がるが、またすぐに座りなおしてしまう。体力の減った祖父には、立ち上がることが負担になるようだった。
「すまないがグリーン、肩を貸してくれるか?」
お礼に特別なものを見せてやるぞ。そう言われ、俺はいいぜと一言返し、祖父の体を支えた。
祖父からお願い事をされるのは、図鑑を受け取ったあの時以来だった。
「わあ…!」
ピキッとひびが入ったと思うと、白と緑の柄のたまごから孵ったばかりのヒトカゲが顔を出した。
ポケモンはたまごから産まれると聞いたことはあったが、その瞬間を見たのはこれがはじめてだ。
俺は高揚感に包まれ、ヒトカゲに顔を近づけてじいっとを見つめる。
するとヒトカゲは、俺の頬に自分の顔をすり、と寄せた。図鑑を受け取って旅に出たあの日と同じぐらいの感動で、思わず涙が出そうになる。
「グリーン、もしお前さえ良ければこのヒトカゲを育ててみんか?」
「え、いいのか?」
「ああ。だが、条件がある」
この研究所で研究員として一緒に働くこと。それが祖父の出した条件だった。
「お前ももう分かっておるだろうが、わしはもう好きに研究を続けられる身体じゃない。だからお前に傍で手伝ってもらいたい」
ここで、じいさんと一緒に、研究を。
考えてみれば俺は、バトルよりもポケモンという存在そのものに興味があった。
図鑑に載っていないことを知った時はわくわくした。珍しいポケモンを見た時は胸が躍った。
それに俺は、何よりも祖父の夢を叶えたかった。
「ああ、もちろん」
差し出されたしわしわの祖父の少し大きな手を、俺はぎゅうと握り返した。
———-
時が経つのははやいもので、あれから6年の月日が経っていた。あの時のヒトカゲは今では立派なリザードンになっている。
そして俺も研究所の助手の立場から責任者にまでになった。
祖父は研究者としての一戦は退いたものの、今でもたまに研究所へ顔を出してはお節介を焼いたりアドバイスをくれたりする。
姉はポケモンコーディネーターとなり、数年前にマサラを出て行った。そして家には俺一人となり、少しだけ寂しい。
祖父にと一緒に暮らそうと提案したこともあったが、年寄り扱いするなと笑顔で断られた。
ほぼ毎日家と研究所の往復なのに加え、このマサラタウンはドのつく田舎町だ。見知った顔しかいないこの町で、俺は少し物足りなさを感じていた。
ポケモンの研究は楽しい。図鑑だって、もうすぐ完成という時に決まって新種のポケモンが現れるものだから仕事が減らない。
図鑑の中身だけではなく外見もどんどん変わっていった。俺が最初に貰ったブックタイプのものが、今では腕時計のような小さなものになっていた。
(ほんと、かがくのちからってスゲー)
昼下がりののんびりとした時間をリザードンと一緒に研究所の裏庭で過ごしていた時、いつもは大人しいリザードンが突然グルルと喉を鳴らした。
「どうした?」
落ち着かせようと撫でてやるが、どうにもリザードンはそわそわしたままだ。
野生のポケモンでも入って来たかなと辺りを見やると、庭の奥から影が顔を出した。
「誰だ」
研究所にはそこそこ珍しいポケモンがたくさんいる。金儲けに泥棒が入ろうとしたことが何度かあったことを思い出し、俺は警戒した。
「出てこい」
低くした声でそう言うと、思ってもみなかったものが姿を現した。
「あ、あの…」
おどおどと奥から出てきたのは、人間の男の子だった。
赤い帽子をかぶった少年は、帽子を深くかぶりなおすと頭を下げた。
「ごめんなさい、勝手に入ったりして」
声が震えている。俺は何故だか少年に申し訳なく思い、駆け寄って目線を合わせるように膝をついた。
「いや、脅かして悪かったな。お前、名前は?」
「…レッド」
レッドと名乗った少年は、まだ10歳かそこらぐらいに見えた。こんな子ども、マサラにいただろうか?
「レッドか。俺はグリーン、こいつは…」
「知ってる。リザードンだ」
俺のすぐ後ろに佇むリザードンは、レッドにぎゃおと小さく鳴いて見せた。
俺にとっては可愛いもんだが子どもが見ればすぐ泣き出してしまうと言うのに、レッドは目をキラキラさせてリザードンをじっと見つめている。
「詳しいんだな。どうだ、撫でてみるか?」
「いいの?」
「もちろん」
そう言って、レッドをリザードンの前へ立たせる。リザードンは俺が先程したように自ら首を降ろし、目線をレッドに合わせた。
おどおどとするレッドに「大丈夫」と声をかけてやる。そうすると、恐る恐る伸びた小さな手がリザードンの頭を優しく撫でた。
「わ、わ、すごい…!」
感動で頬を赤くしているレッドを見て、昔の自分を思い出す。はじめてポケモンを貰った時の俺も、こんな風に興奮していたのだろうか。
「なあレッド、なんでこんなところにいたんだ?」
レッドが落ち着いてきた頃に気になっていたことを聞いてみた。ここは小さな子どもが遊びで入ってくるようなところではない。
「ぼく、今日ここに引っ越してきたんだ。おかあさんにその辺で遊んでなさいって言われて、迷子になって、それで…」
「なるほどな」
この裏庭は、町のはずれの林につながっている。大方林を探検している時に迷い込んだのだろう。
近所の子どもならまず無いが、今日引っ越してきたばかりなのならば仕方がない。
そういえば最近研究所に泊まっているから気が付かなかったが、新しく人が越してきたと誰かが言っていたことを思い出す。
しかも、その家の場所は。
「お前、俺のお隣さんか!」
「おとなりさん?」
「グリーン!」
ばたばたと駆け足でやって来るのは、いつもの赤い帽子をかぶった少年だった。
「おおレッド、よく来たな」
レッドは俺の腰に抱き着くと、顔を上げて「ポケモンみせて!」と目をキラキラさせる。
俺はこいつの純粋そのものな目に弱い。それはもう、ものすごく。そのせいでずっと「白衣が皴になるから抱き着くのはやめろ」だとか「研究所では走るな」だとかを言えずにいる。
レッドの両肩を押してやんわりと体を離す。昔はよかったが、最近は少し心臓に悪いのだ。
というのも、最近いつもこの調子だからだ。
レッドがマサラに越してきてから1年が経った。最初は無口だったあいつも、俺と研究所の人間には明るく話すようになった。
俺になついてくれているのは嬉しいが、かわいい弟のような存在にこうも毎日抱き着かれていると少し気恥ずかしさがある。
「今日はどんなポケモンみせてくれる?」
「うーん、そうだなあ…」
俺はそばにあったボールを投げた。中から出てきたコラッタははじめて見るレッドを少し警戒して、少し身構えている。
「コラッタは見たことあるよ?」
「そうだな、でもこいつは少し特別でさ」
「特別?」
首をかしげるレッドに、俺は昔トレーナーだったことを話した。
たくさんポケモンを集めたこと。
ジムバッジも8つ集めたこと。
リーグの目前まで行ったこと。
「トレーナー辞めて自分でポケモン捕まえることってほとんどなくてさ。このコラッタは、この間久しぶりに自分で捕まえたんだよ」
「そうだったんだ…」
レッドはその場にしゃがみ、コラッタの頭を撫でた。
先程まで警戒していたコラッタも目を細め気持ちよさそうにしている。良かった、二人は仲良くなれたようだ。
「近所のポッポにいじめられててな。つい助けちまった」
「グリーンって優しんだ」
「当たり前だろ。レッドも困っている人やポケモンがいたら助けてあげられる強い男になれよ」
ちゃんと理解しているのか分からないが、レッドは大きくうなずいた。
「ねえ、なんでトレーナー辞めちゃったの」
「夢を叶えたかったから」
夕方になり、俺はレッドと一緒に研究所を後にした。
近頃は落ち着いていて、日が落ちる前には仕事を終えることが出来るため余裕がある時はレッドを家まで送っている。
「グリーンの夢は、チャンピオンになることじゃないの?」
「チャンピオンも憧れるけど、俺は俺じゃなくて誰かの夢を叶える手伝いがしたいんだよ」
祖父の顔を思い出す。もう研究所に顔を出すことはほとんど無くなったが、たまに顔を見せに行けば嬉しそうに出迎えてくれる。
「じゃあグリーンの夢は、誰かの夢を叶えること?」
「そうなるのかなー」
昔チャンピオンになれるかもと思った時のあの興奮は、今でも忘れない。
ただ、あのまま祖父を放ってチャンピオンになっていたとしても俺はきっと心から喜べていない。だからこれで良かった。大切な家族と大好きなポケモンと一緒に暮らしていける。
今ではかわいい弟のようなレッドもいる。だから退屈なんて感じない。ずっとこのままなら良いのに。
もうすぐで家に着くという時に、レッドが俺の手を握った。
「どうした?」
レッドが立ち止まるので、俺も足を止め声をかけた。
「今日、グリーンの家に泊まりたい」
「えっ」
「もっと、いっぱい話が聞きたい」
そう言いながら見上げられ、大きな目が真っ直ぐとこちらを見据える。
俺はこの目に弱いんだ。そう、ものすごく。
きちんとレッドの母親には断りを入れ、一晩レッドを預かることになった。
「レッドがごめんなさいね」と気を遣われたが、俺としては一晩預かるぐらいどうってことなかった。
それに長い間一人でいた家は広く感じていたので、こうして自分じゃない誰かが家にいるのは久しぶりで少し楽しい。
オムライスを作り、ケチャップでピカチュウの絵を描いてやるとレッドはそれはもう喜んだ。可愛すぎる。
口いっぱいにオムライスを頬張ったレッドに「母さんのよりおいしい」と言われたので「それ絶対おばさんには言うなよ」とだけ釘を刺しておいた。
二人で夕飯を食べた後、レッドを風呂に入れねばと風呂場へ連れてった。
「シャンプーとか好きに使っていいから」
「うん、ありがとう」
「あ、一緒に入るか?」
「…いい、入らない!」
そのまま力強く扉を閉めたレッドに脱衣所から閉め出され、少し寂しさを感じた。
俺には男兄弟というものがいなかったので、兄弟で一緒に風呂というものに少し憧れていたのだがあっさりと振られてしまった。
(研究所では平気で抱き着いて来るのに。あいつも多感な時期なのかもなあ)
レッドも大きくなったな…と考えながら、リビングへと戻った。
俺も風呂に入り、さて寝るかと俺の部屋にレッドを連れて行き、ベッドの上に座らせる。普段使っているベッドの上にレッドが座っているのはかなりおかしな光景に思えた。
その横に来客用の敷布団を引き寝頃がると「一緒に寝ないの?」と頭上から声がした。
「今から一緒に寝るだろ」
「そうじゃなくて、同じベッドで」
「狭いだろ」
「くっつけば大丈夫だよ」
「暑いだろ」
「今日は寒いぐらいだよ」
「ええと…」
「グリーン、ぼくと寝るの、イヤ?」
その目はやめてほしい。特に、今だけだ。
だって次の瞬間には、俺はレッドの座っているベッドに上がってしまったのだから。
こども体温とはよく言うが、レッドの体は湯たんぽのように暖かかった。
俺の予想通り大人と子どもと言えどベッドは男二人にはかなり狭い。だから俺はまだ柔らかい小さな体をぎゅうを抱き寄せた。
腕の中で小さく身じろぐレッドが何も言わないので、俺が口を開いた。
「レッドも、もうすぐで11歳だな」
それは俺がトレーナーとして旅に出た時と同じ年齢だった。
「やっぱりレッドも旅に出るのか?」
「ぼくは、マサラでずっとグリーンと一緒にいたい」
そのまま顔を胸に押し当てられる。
この町には子どもが少ない。レッドと同じ年頃の子どもなんていない。その寂しさからなのだろう、俺への依存が強まってきている気がした。
「そうか、旅も楽しいんだけどな。そうだ、誕生日にプレゼントやるよ。何がいい?」
「プレゼント…」
もぞ、とレッドが動く。
「ぼく、グリーンが欲しい」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。お前それ、意味分かって言ってるのか?
「毎日一緒にいるじゃねーか」
「ちがう、ちがうんだ」
ぐいっと顔を上げたレッドに、まっすぐ見つめられる。
「グリーン、僕と結婚して」
そのまま小さく柔らかそうな唇が近づいて来て、その後のことはあまりよく覚えていない。
———-
「ポケットモンスターの世界へようこそ!」
ついにレッドもトレーナーとして旅立つ時がやって来た。
こうして旅立つ若者にポケモンを渡す役目は祖父が担っていたが、今ではこうして俺が行っている。
そして最初の相棒としてヒトカゲを選んだレッドは、研究所を出る前に俺にこう言い残していった。
「あの約束、忘れないでね」
レッドを泊めたあの日、俺は人生で初めてプロポーズをされた。それも、10歳の少年に。
「結婚って…」
突然のことに口をパクパクさせてしまう。しかもこいつプロポーズだけじゃなくて、今俺にキスしたよな?
「グリーンが好き。ずっと一緒にいたい。これが僕の夢」
グリーンは人の夢を叶えるのが夢なんでしょ?そう問われ、俺は唸るしかなかった。
「グリーンは、僕のこときらい?」
「好きとか嫌いとかじゃなくてだな…」
何から説明しよう。説明って何を。説得?それも違う気がする。
ねえ、と見つめてくるレッドは俺の答えを欲している。何か彼が納得する返事をしなければならない。できればこの純粋無垢な少年の心を傷つけたくない。
そうだ、と思い、俺は軽率な発言をしてしまった。
「レッドがチャンピオンになったら、結婚してやるよ」
これがいけなかった。
旅には出ないと言っていたレッドが、次の日突然「トレーナーになって旅に出る」とおばさんに言い残し研究所にやって来たのだ。
あの後無理やり寝かしつけて次の日の朝家に帰したが、まさかその足で研究所に来るとは思わなかった。
「ぼく、必ずチャンピオンになってグリーンのこと迎えに来るよ」
「お、おう…」
ぎゅ、と両手を包むように握られる。どこで覚えてきたんだ、そんなの。
だが可愛い弟(のような存在)の旅立ちに、つい目の奥を熱くなる。
「旅って言うのは予想もしないことがたくさん起こる。だから、これだけは約束してくれ」
「うん、約束する。なに?」
「危ないことは、絶対にするな」
そして互いのおでこをこつんと当てた。
「なあレッド。そのヒトカゲな、ちょっと特別なんだ」
「特別?」
「ああ、俺のリザードンのたまごから産まれたヒトカゲなんだ」
そう言うと、レッドは驚いたのかボールの中のヒトカゲと俺とを交互に見やる。
「俺のリザードンはいつだって俺を守ってくれた。だからそのヒトカゲも、いつもレッドを守ってくれるよ」
チャンピオンという存在は、その地方でたった一人だ。
ジムバッジを8つ集めるだけでも大変で途中で脱落するトレーナーがほとんどなのに、さらには待ち受ける四天王を突破したものだけがチャンピオンに挑戦できる。
チャンピオンに挑戦できる人間なんてほんの一握りで、そしてそのチャンピオンに勝利するなんて夢のまた夢だ。
(夢、夢かあ…)
このまま旅に出たレッドは、今よりポケモンに夢中になって多くのトレーナーと出会い、俺のことなんて忘れてしまうかもしれない。
それならそれで良かった。マサラに帰ってきたときにおかえりと出迎えてやることが出来れば、それで充分だ。
そして彼が大人になった時、あのプロポーズを笑い話にしてやろう。そうすれば、全て無かったことにできるのだから。
レッドがマサラを旅立って数か月がたった。
研究所にあのバタバタと騒がしい足音が聞こえないのが寂しくて、俺は意味もなくうろうろとしてしまう。
だけどそうしていると決まってまわりのポケモンたちが心配そうに近寄って来るので、大丈夫とみんなを撫でてやる。
レッド大丈夫かな。怪我とかしてないかな。風邪ひいてないだろうか。
レッドが俺に依存していたように、俺も過保護が度を越してきたことに今更気が付いてしまった。
その日の昼、研究所でなんとなくつけたラジオからでロケット団という組織がシルフカンパニーを占拠しているというニュースが流れてきた。
ロケット団という名前には聞き覚えがあった。テレビやラジオでたびたび見た名前だったし、ポケモンを使って悪さをしている集団だとかなんとか。
物騒な世の中だな、なんて他人事のようにラジオを聞いていると「赤い帽子をかぶった少年が警察が止めるのを押し切りシルフカンパニーに入った姿が目撃されている」と聞こえ、俺は反射的に椅子から立ち上がった。
(レッド……!)
祖父が倒れたと聞いた時と同じ勢いで、俺は研究所を飛び出した。
ラジオで聞いたニュースの少年がレッドなのかどうかは分からない。だが俺には黙ってじっとしていることなんて出来なかった。
ボールからピジョットを出し、まっすぐヤマブキシティへと向かう。
どうか、ニュースの少年がレッドではありませんように。レッドだったとしても、何かの見間違いで、けろっとした顔で無事でいてくれますように。
ヤマブキに着いた頃には、シルフカンパニーのまわりは警察や民間人であふれていた。
状況がつかめず辺りを見回し、近くの人たちの会話に耳をそばだてた。
「ロケット団のボスを10歳ぐらいの男の子が倒したんだって」
「本当に?見間違いじゃないの?」
「嘘じゃないよ。さっきその男の子だって見たんだから」
それを聞いて、俺は会話をしていた男の肩を掴み声を上げた。
「あの!その男の子ってどこに」
「レッド!!」
いつも研究所でしてたような騒がしい足音で、今度は俺が警察署にいたレッドに抱き着いた。
レッドを見たという男から、彼は警察と一緒だったという話を聞きなんとか居場所を探し当てた。俺、久しぶりに走り回ったな。
「危ないことするなって言っただろ!なんでロケット団のボス倒してんだよ!」
気が付けば俺は、レッドとまわりの警察の前でわんわんと泣いてしまっていた。こんなに力いっぱい泣くの、いつぶりだろう。
「俺がどれだけ心配したか、もう、死ぬかと思った…」
そこまで言い切り、俺はぐったりをその場に倒れ込んでしまった。まわりの警察の方々はおろおろとしている。そりゃそうだ、誰だコイツって感じだよな。
「グリーン、あの、ごめんね」
レッドが俺を抱きしめ返してくれる。懐かしい体温に胸の奥がじんわりとあたたかくなり、また涙が出そうになった。
「ひとつ約束破っちゃったけど、でも、ひとつ約束守ったんだ」
「え?」
「グリーンが言ったんだよ。困っている人やポケモンがいたら助けてあげられる強い男になれって」
いつの話をしてるんだ、というか、ちゃんと覚えてたのかよ。
いろんな感情でぐちゃぐちゃになった俺は、レッドが痛いと声を上げるまで強く強く抱きしめた。
「俺がああ言ったから、シルフカンパニーに乗り込んだのか?」
そう訊くと、レッドはこくりと頷いた。マジか、と俺は頭を抱える。
間接的にではあるが、俺がレッドを危険な目に合わせたことになる。最低だ、本当に。
「確かにロケット団のせいで人やポケモンは困っていたと思う。でもな、お前がそれで怪我でもしたら…」
あの後警察から解放されたレッドを連れ、近くのポケモンセンターまでやってきた。
もう日も暮れていたので今日はポケモンセンターに泊まると言ったら、レッドも着いて来たのだ。
「でも、おかげでグリーンが会いに来てくれた」
嬉しいな、とレッドは頬を赤くして笑う。今そんな笑うところじゃないだろうとツッコみたかったが、その笑顔を見たらなんだかどうでも良くなってきた。
「とにかく、もう危ないことはしないでくれ。約束だ」
「うん、わかったよ」
小指を向けると、レッドが少し大きくなった手の小指を絡めてきた。
必ず無事で帰ってきてくれよ。チャンピオンなんて、ならなくなって良いんだから。
そしてレッドが旅経ってそろそろ一年が経とうという頃、研究所内は大騒ぎだった。
「レッドがチャンピオンになった!」
テレビとラジオで大々的に流れる緊急速報『史上最年少のカントーチャンピオン!』。それがレッドだった。
テレビ局のインタビューをたどたどしく受ける姿はマサラから見送ったあの頃より大人びている。
そして俺が呆然としてる中、まわりの研究員たちははしゃぎまくっていた。
研究所で遊んでいたあの小さかったレッドがチャンピオンになった!マサラの名前が全国に知れて人が増えるかも!
「博士も、嬉しくないんですか!?」
研究員の一人にそう言われ、俺ははっとした。
そうだ、レッドを迎えに行かなければ。
リザードンに乗りセキエイ高原に向かう。リーグ本部の前で座っている小さな影を見つけ、俺はリザードンから飛び降りた。
「グリーン」
久しぶりに聞いた自分の名前を呼ぶ声は、ヤマブキで聞いた時より幾分か低くなっていた。
「テレビ局の奴ら、もういないんだな」
「うん、あの」
レッドは帽子を深くかぶりなおす。
「分かってるって!おめでとうレッド、今日はお祝いだな!」
バンッと肩を叩いてやると、レッドは無言でこちらを見上げた。
まだ俺の方が高いが、あの頃と比べるとかなり背が伸びていることに気が付く。弟の成長は、思ったよりはやいようだ。
「迎えに来てくれて嬉しい。これで約束、守ってもらえるよね?」
約束?なんの?と俺が首をかしげると、チャンピオンになったと言うのにレッドは不機嫌そうに眉を寄せた。
「おいおい。チャンピオンになったんだぜ?もっとこう、嬉しそうな――」
全て言い切る前に服の襟を掴まれ、そのまま引っ張られる。
前にもこんなことがあったな、なんてぼんやり考えている内に互いの唇が重なり、俺は思い出した。
「グリーン、僕と結婚してよ」
目の前の少年、いや、男はカントーの救世主。そして現チャンピオン様だ。
なのに俺は、レッドの夢を叶えてやれない。
———-
「グリーンの嘘つき」
「だから、俺はチャンピオンになったらとしか言ってない。カントーの、なんて言ってないから…」
「グリーンの嘘つき」
一緒にマサラに帰ってきてからも、レッドはずっと不機嫌だった。
まるで子どもみたいな言い訳でレッドの渾身のプロポーズを断ったのだ。でも仕方が無い。こればかりは諦めてほしい。
マサラの入口ではレッドの母親がそれはもう嬉しそうに盛大に出迎えてくれて、足腰の弱い祖父や他にも研究所の奴らやマサラの住民全員じゃないのかってぐらい集まってきてレッドを称えていた。
新チャンピオンが誕生すると言うだけでも大ニュースなのに、それがまさか故郷の人間とくればお祭りにもなる。俺もレッドが誇らしい。なのに当の本人はちっとも嬉しそうにしていない。
「ほら、今ぐらいは笑っとけって」
そう言ってみんなの前にレッドを押し出すと、あっという間にレッドは大勢の人たちに囲まれてしまった。
俺はその隙に逃げ、研究所に戻って裏庭でリザードンを休ませてやる。
「なあ、俺って悪い男だよな」
そう呟くと、リザードンは全部分かってるとでも言いたそうにしっぽをゆるく振った。
「俺がチャンピオンになったら…なんて無理吹っ掛けたのに、あいつは約束を守ったのに」
俺、誰の夢も叶えられないのかも。祖父の夢も、レッドの夢も、自分の夢も。
そもそも、自分の夢って、なんだっけ。
そんなことを考えていると、リザードンがぎゃう、と小さく鳴いた。
「グリーン」
振り返ると皆から解放されたらしいレッドがいた。
「ねえ、僕はどうしたら良い?」
「どうって…」
「どうすれば、グリーンは僕を好きになってくれるの」
僕がチャンピオンになれたのも、英雄と呼ばれるのも、全部全部グリーンのおかげだ。
旅の途中、いつも君のことを考えてた。
何をしている時も君の顔が浮かんだ。
そう捲し立てるレッドの気配がいつもと違い、俺は一歩後ずさる。
そのせいかリザードンが興奮してしまいそうだったのでボールに戻してやると、近づいて来たレッドに両手首を掴まれた。
「ねえ、答えてよ」
「俺は…」
自分のことが分からなかった。
レッドのことは好きだ。でもそれは家族を想うような愛情であり、レッドのそれとは違うものだ。
「俺は、レッドのこと好きだよ」
「なら、なんで」
「レッド」
名前を呼ぶと、一瞬レッドの顔が強張った。
お前は知らないんだ。好きという気持ちだけで、物事は上手くいかないという事を。
「ね、グリーン…」
俺はレッドをあの時以来自分の部屋に招いた。何も言わないまま自分の腕を引く年上の男はさぞかし怖かっただろう。
自室に着くなりそのままベッドにレッドを押し倒しキスをする。そうすれば、レッドの身体はますます強張った。
何をするのかされるのか、想像もつかないだろう。それで良い、それで良いんだ。
今まで仕掛けられたような幼稚なキスじゃない。角度を変えて舌をねじ込めば、「うっ」とくぐもった声が聞こえた。
目を開けたままのレッドの耳元に唇を寄せ「こういう時は目を瞑るのがマナーだ」と言うと、彼は大人しく目を閉じた。
生々しい音が響く中、膝でレッドの両足の間をぐいぐいと押してやる。硬いものが触れた。
「お前、一丁前に男になってたんだな」
「なに…」
顔を下げジーンズのファスナーを口で降ろしてやると成長途中のそれが顔を出す。
「お前があんまり俺を好きだ好きだっていうから。これでも好きだって言えるのか、試してやるんだよ」
指で震えるものを取り出し、口をつけてやると更にびくびくと震えた。これを少しかわいいと思っている俺も、どうかしてる。
「グリーン、なにするの」
「大人しくしてろ」
舌を這わすといちいち反応するのが面白い。他人の物を舐めるのなんてはじめてだったが、たぶんまあ、やり方は間違っていないのだろう。
そのまま口に含んで上下すると「う」とか「あ」とか小さい声が聞こえる。
「もう、離して」
「……」
離せと言うわりに俺を引きはがそうとしない辺り、気持ちいいのか頭が馬鹿になってるのかどちらかだ。前者であることを願っている。
指を添えて舌を使い、俺は一体何をしているのか。
でもそんなことどうでも良くなるぐらい、俺もこの行為に夢中になっていた。
「グリーン、もう、」
その言葉が終わる前に、口の中が熱で広がった。
そこでやっとレッドは俺から離れ、何故か何度も「ごめん」と謝っている。お前が謝る必要なんて無いのに。
ごくりと喉を上下し熱を飲み干すと、レッドの赤かった顔はますます赤くなった。昔だったらオクタンみたいだと揶揄えたのに。
「なあレッド、怖かっただろ」
出来るだけ優しく微笑んでそう言った。
「お前の言う好きは、純粋過ぎるんだ。俺の好きは、こういう好きなんだよ」
そう言えば、レッドは素早く服を戻し部屋から出て行った。
それで良いんだ。俺と違って、お前の未来は光で満ち溢れているのだから。
次の日、レッドはまた旅だったとレッドの母親から聞いた。
よっぽど俺から逃げたかったのか、なんてぼんやりと考える。そのまま俺の知らない土地で、俺の知らない幸せを見つけて、そして立派な大人になってくれ。
そう願うばかりだった。
———-
あれから3年後、俺はトキワジムでジムリーダーなんてやっていた。研究も続けながら、だが。
1年前にリーグ協会からトキワジムのリーダーの後任(前任はロケット団のボスだ)が見つからないから受けてほしい、と依頼が来て断り続けていたが、俺はレッドに言った自分の言葉を思い出ししぶしぶ受けてしまった。
困っている人やポケモンがいたら助けてあげられる強い男になれ。だから俺も、そうならなくてはならない。
そもそもトキワジムに挑みに来るチャレンジャーは少ないようで、ジムリーダーと言ってもチャレンジャーから対戦の申し込みが入った時だけ顔を出せばよかったので研究には支障は無かった。
そしてそんな中、久しぶりに一人の少年がジムバッジを懸けて勝負を挑んできた。
10歳そこらの少年は、レッドの姿を思い出させた。レッドとは、あれ以来一度も顔を合わせていない。つまり3年も会っていなかった。
どこで何をしているのかもしれない。でも俺が危ないことはするなと約束させたから、たぶん平気だろうなんて呑気に考えていた。
チャレンジャーの少年はヒビキと名乗った。ヒビキは俺に見事勝利しバッジを手に入れると、これでリーグに挑めるとはしゃいでいた。
「お前もやっぱりチャンピオンになるのが夢なの?」
「えーっと、夢というか、目標ですかね」
チャンピオンは通過点だと話す少年は俺よりもっと先を見ていた。
「お前なら、きっとチャンピオンになれるよ」
そのヒビキが再びトキワジムにやって来たのは数か月後のことだった。
「グリーンさん、僕やっちゃいました!」
「ついにか!」
何をやったのかも分からず適当な返事をすると「ちゃんと聞いてください!」と怒られた。これだから年下を揶揄うのはやめられない。
「ぼく、チャンピオンになりました!でも、もっとすごいことが…」
「チャンピオン!?」
適当な返事をしたくせに、俺は気が付けばヒビキの肩を掴んで揺さぶっていた。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください!それで、シロガネ山に登る許可がおりて、そこで見たんです」
赤い帽子の幽霊!
そう言ったヒビキの顔を、俺はまっすぐ見れていたかどうか分からなかった。
「「あ」」
シロガネ山の麓のポケモンセンターで、よく知った顔を見つけた。
逃げようとするその後ろ姿を捕まえるとバタバタと暴れるのでまわりの人間に変な目で見られてしまう。
「そんなに俺の顔なんか見たくなかったのか」
思わず漏れた本音にすぐさま「違う!」と返ってくる。
「レッド」
名前を呼ぶと大人しくなったので、そのまま引きずって外へ出た。
「ヒビキに聞いたよ。お前シロガネ山にいたんだな」
案外近くにいたことに驚いたのと、なんで山なんだとツッコみたい気持ちが交差する。
「強く、ならなくちゃいけなくて」
「なんで。お前もうチャンピオンになったじゃん」
「それはカントーだけだ」
ええ?と首を傾げると、レッドはハアとため息をついた。
「カントーだけじゃなくて、全部のリーグでチャンピオンになる」
「え、まさか」
「言ったよね、チャンピオンになれば僕と結婚してくれるって」
あの約束、まだ有効なのか。
「お前、それでシロガネ山に籠ってたっていうのか?」
「知らない地方は知らないポケモンでいっぱいだから。もっと強くならなくちゃチャンピオンになるどころかバッジも集められない」
なんだかもう、俺はここまで一途に想ってくれるレッドへの自分の感情が何か分からなくなってきた。
だから、今度はこの夢見る少年を応援したい。夢を叶えてやりたい。そして一緒に俺の夢も叶えたい。
そう思うとレッドを強く強く抱きしめて、まわりなんか気にせずキスをしていた。
「がんばれよ、みらいのチャンピオン!」
そして更に月日は巡り、またしても3年が経っていた。
この間またもレッドには一度も会っていないが、テレビでよく姿は見るので以前より遠くに感じない。チャンピオンになりトロフィーを持ったままインタビューに下手くそに答えるレッドはやっぱりかわいい。
それに今ではポケギアを持たせているので時々連絡をくれる。無口な彼はメールでも言葉数が少なく、訪れた地方のポケモンの写真を送って来るだけ、なんてことがざらにある。
リーグって何個あるんだっけ。あいつ、いくつ制覇してたんだったかな。
レッドがまめにいろんな地方のポケモン図鑑を更新してくれるおかげで、祖父の夢だった図鑑の完成はいよいよ目前だ。これならきっと祖父の夢は叶う。そう思うと研究も捗るってもんだ。
そんなことを考えていると、またテレビでレッドがインタビューを受けていた。
『レッド選手はこれでリーグを全て制したのではないでしょうか?』
『…はい』
え、そうなの?これいつ収録だよ?とテレビにくぎ付けになっていると、家の裏庭からバサバサと音がして俺はすぐさま裸足のまま向かった。
昼間の裏庭には大きな影が出来ていて、見上げるとリザードンの腹がしっかりと見えた。
「おかえり」
リザードンから降りてきた待ちわびた姿を抱きしめる。
「ただいま」
「ありがとう、夢を叶えてくれて」
「うん、あのさ」
顔を上げると、懐かしいその顔をやっぱり赤くしていた。
「グリーン、僕と結婚してくれる?」