Never Really Over

その日は最高に運が悪かった。
学校からの帰り道、他校の見知らぬ数人の男子学生に呼び止められたかと思うと、そのまま人通りのない薄暗い路地裏へと連れ込まれた。
見ると、僕を連れて行った男子生徒は、素行の悪い学生が多いことで有名な学校の制服を着ていた。
制服を見た時点で気が付いて全速力で逃げれば良かったかなと思っていたら、目の前に手を差し出される。
彼らの目的はシンプル。金だった。
面と向かって財布を出せと言われたことは初めてだったが、存外僕は冷静だった。
このまま大人しく財布を差し出せば彼らはあっさりと引き下がるだろう。だが、それも癪だ。
そして僕には、両親の教えにより幼い頃から多少の武道の心得があった。
この人数ならば一人で相手が出来るかもしれない。だが、もし運悪く誰かに見られてしまい、教師や学校に連絡が行くとそれはそれで面倒だ。心配性な両親にも心配をかけたくない。
さてどうするかと考えて言えると、しびれを切らしたのか不良グループの一人が拳を振りかざした。
避けようとも考えたが、どうせ力勝負になるのなら一発ぐらい殴られて証拠を残してからの方が良いかもしれない。
そう思い身構えたが、拳はこちらに振りかざされることは無く、天に向かって掲げられたまま止まっていた。

「おい、何やってんだ」
新しい声が聞こえ、見ると振りかざされた拳をギリギリと音が鳴りそうなほど強く掴んでいる男性がいた。
少し背の低い青色のツンツンした髪型の彼は、男子生徒の腕を掴んだまま「今のうちに逃げろ」とても言いたいのか、ちらりと視線を此方へと寄こす。
だが見ず知らずとはいえ今助けてくれた人を置いて逃げれる程、僕は薄情ではなかった。
さて加勢しようかという時、奥にいた別の男子生徒が青髪の男性へ殴りかかろうと駆け寄る。
彼はそれをひらりと躱し、さっと片足を出す。男子生徒はそれに躓くと、そのまま呆気なく転んでしまった。
ぱっと拳を離された男子生徒と残りのメンバーは、何かを察したのか全員逃げだしてしまった。
結局、僕は何もできなかった。

肩にかかった鞄をかけ直し、助けれくれた恩人へ慌てて感謝を述べた。
「あ…、ありがとうございます」
彼に近づいて、僕は心臓が止まるかと思った。今まで暗くて分からなかったが、恩人の彼はとても綺麗な顔をしていた。
髪の色が特徴的だと思っていたが、目の色も髪と同じ澄んだブルーだ。
すっかり見入ってしまったが、こんなことをしている場合ではないと頭の中で言い聞かせる。
だが肝心の返事がないので「あの」と再び声をかけると、彼は僕の頭からつま先までじろじろと見た後ハァとため息をつき、やっと返事をくれた。
「お前、ユグノアの生徒だろ」
それは僕が通っている学校の名前だった。制服の校章を見れば、この辺りの人は誰だって分かる。それぐらい、名の知れた学校だった。
学校名が当たっていたのでこくりと頷くと、彼は僕を見上げ、後ろ頭を掻いた。
「そんなお坊ちゃんが、こんな所までのこのこ着いて行くなよ」
危機感が無さ過ぎると付け加えられ、僕は凹んだ。確かにその通りではあるが、そこまで言われなきゃいけないのか。
ユグノアは、確かに有名な私立学校だった。僕はきっと今「金持ち学校の世間知らずなお坊ちゃん」と見られているのだろう。
なんだか悔しい。そう思って、咄嗟に彼の手首を掴んでいた。
「あの、確かに僕の不注意が原因であなたまで巻き込んでしまいました」
「おい…」
逃げようとする腕を強く握る。焦っているのか、青髪の恩人の額に汗が一筋見えた。
「この後、良ければお礼を」
「別に、そんなつもりじゃない」
彼は僕から逃れようとするが、生憎僕も伊達に鍛えていない。自分より細く小柄な人間を捕まえておくことは容易だった。
「お前、見かけによらねぇな」
皮肉が籠った言葉に、僕はまるで意味が分からないというように微笑んで見せた。
そしてチッと小さく舌打ちが聞こえたかと思うと、空いていたもう片方の手で僕の首元を掴み、ぐいっと顔を引き寄せられる。
一気に顔は近づき、目の前の綺麗な顔に鼓動が高鳴る。
そのまま彼は僕の耳元で甘く囁いた。
「運が良ければ、また会えるさ」
その一言に動揺した僕は手を離してしまい、その隙に恩人の彼はさっさとどこかへ消えてしまった。
せめて名前を聞いておけば良かったと、離してしまった手をじっと見つめた。
今日は、最高に運が悪い日のはずで。
でも、運命の出会いがあって。
僕はそのまま、しばらく動けずにいた。


**********


あの運命の出会いから三日ほど経ったが、未だに彼の青髪と声が忘れられずにいた。
授業に身が入らない。家に帰ってもぼーっとしてしまう。普段からよくぼーっとしていると言われるが、ますます悪化している気がする。
また彼に会うことが出来たなら。そう想いを馳せるが、名前も何も分からないので探しようがない。
今日も学校帰りに、彼と出会った路地の近くを通ってしまう。
また同じ場所で出会えないかという淡い期待があったが、そんなに上手くはいかないものだ。
彼らしき人影を見つけることが出来ずさっさと帰ろうとしていると、通りに彼とよく似た髪色の女の子を見つけた。
頭の高い位置のポニーテールが特徴的なその女の子は、男性に言い寄られているようだった。
彼女は迷惑そうにしているが、言い寄っている男性はとにかく彼女を離そうとはしていない。
ああこれ、僕が彼にやったことと同じかもと一人反省していると、彼女と目が合ってしまった。
僕の勘違いではなければ、彼女は「助けて」と言っている。
もしかしたら彼女も嫌がっているようで、本当はまんざらでもないのかもしれない。
ただ、彼女の髪色が彼と同じだったことと、目が合った時の微かなSOSが頭から離れない。
僕は気が付くと、二人に近づき女の子の肩に手をかけ身を寄せると、「待たせてごめん」と二人の間に無理やり割り込んでいた。
女の子は驚いている様子だったが、逃げようともせず大人しくしている。やっぱり、助けを求めていたのか。
男は面白く無さそうに何か下品な言葉を吐き捨てると、この場を離れ姿が見えなくなった。
それを確認してから彼女から手を離し、僕は「突然すみません」と頭を下げた。
女の子はイシシと笑い、「助かった」と言う。良かった、僕は間違っていなかった。
「あいつ、なかなか離してくれなくて困ってたんだ。これから兄貴と会うってのに…」
言いながら、乱れた制服を整えている。
よく見ると、彼女はこの辺りの有名な女学園の制服を着ていた。
「いえ…では、僕はこれで」
もう他校の生徒と関わるのは避けた方が良いだろうと思いその場を去ろうとしたが、女の子は「待って」と僕を呼び止めた。
「何か礼をさせてくれよ。助けられっぱなしってのは気持ちが悪くてさ」
こんなことでお礼なんて、と断ろうとも思ったが、何かが引っかかる。
「オレ、マヤっていうんだ。お前は?」
彼女が名前を名乗った為、僕は無言で立ち去るわけにもいかず「イレブン」と名乗った。

「よし、イレブン。この後暇か?」
女の子は可愛い外見のわりに、男勝りな口ぶりであった。
だがその口調と髪色、さらに目つきが運命の彼を彷彿とさせる。
そして今の今、彼女は身の危険があったばかりだ。彼女を送り届けるぐらい、しても良いだろう。
僕はやはり、黙ってこくりと頷くのだった。


**********


「「あっ」」
声が重なった瞬間、本当に運命ってあるんだと思った。
マヤちゃんに連れられ近くのカフェまで来たと思ったら、案内されたテーブルに、運命の彼がいた。

「兄貴!」

マヤちゃんが、運命の彼に向かって手を軽く振る。
兄貴?兄?お兄さん?本当に?と、僕は脳内で何度も「兄」という単語を繰り返した。
案内されるがまま、彼の向かいの席に座る。テーブル越しに明るい店内で見る彼は、薄暗い路地裏で見た時よりも輝いて見えた。

(天使だ)
そう思って見つめていると、向こうは何のつもりだとでも言いたそうにこちらを睨んでいた。
それもそうだ。彼からしたら、なんでここに僕がいるのか分からないのだから。
マヤちゃんは彼の隣に座ると、またイシシと可愛らしく笑った。
「オレ、さっきイレブンに助けてもらってさ」
「イレブン?助けてもらった?」
意味が分からないと彼が首を捻る。

追い付いていない兄の為に、マヤちゃんが順を追って説明を始めた。
まず、僕の名前はイレブンであるということ。
学校帰り、このカフェに向かう途中でマヤちゃんが見知らぬ男性に言い寄られていたこと。
そこに僕が偶然通りかかり、彼女を助けたこと。
そのお礼に、僕をここまで連れてきたこと。
「お礼って言ったはいいけど、オレ金持ってなくてさー」
だから兄貴お願い!とマヤちゃんがウインクとしながらお兄さんに向かって手を合わせる。
青髪の彼はやれやれと肩をすくめると、やっと僕の方を向いた。
「カミュ」
「…え?」
突然の事に声が裏返りそうになる。
「オレの名前だよ」
面倒くさそうにそう言う彼は、一層眩しく見えた。
やっと、やっと思い焦がれていた彼の名前を知ることができた。僕はテーブルの下で密かにガッツポーズをきめる。
「カミュさん」と声に出すと、「カミュでいい」と返ってきた。その後に「敬語も使わなくていい」とも。勝手に彼に認められたように思えて、余計に嬉しくなる。
「妹を助けてもらったことは礼を言う。けどな…」
「なんだよ、兄貴いつも言ってるじゃん。筋は通さないといけねぇって」
イレブンは恩人だぞ、というマヤちゃんに反論できず、カミュはぐっと声を押さえていた。
なんだか見ていられなくて、僕から切り出すことにした。
「あの…僕、ここまで着いては来たけど、何かお金のかかることをしてもらおうなんて思っていないから…」
「じゃあ、なんで来たんだよ」
カミュがこちらを鋭く睨む。ここで負けては駄目だ。
「あのままマヤちゃん…妹さんがここに向かうまでも心配だったし…」
それに、あなたの面影を見たから。とは、とても言えなかった。
「なんだよー、礼だって言ってんじゃん」
マヤちゃんは頬を膨らませ、腕を組みながら言った。
「それは…僕もカミュに助けてもらってるから、おあいこと言うか」
「え、そうなの兄貴?」
カミュはばつが悪そうにマヤちゃんから視線を逸らす。だんだんと見ていて分かったが、この人は妹に弱いタイプだ。
「そっかー…でも、それって兄貴とイレブンの話じゃん?オレは何もできてないし」
「じゃ、じゃあ」
どうしてもお礼をと引き下がらないマヤちゃんに、僕は食いついてしまった。

「一つ、マヤちゃんにお願いが、あります」
「オレに出来ることならなんでも言ってよ!」
何か言いたそうな向かいのカミュが少し怖いが、このチャンスを逃すともう二度と彼に会えないだろう。
快活に笑うマヤちゃんには申し訳ない気もする。が、僕は全身全霊を込めて制服のポケットに入っていたスマートフォンを取り出し、テーブルに置いた。

「僕に、お兄さんの連絡先を教えてください!」


**********


自室のベッドに寝そべったまま、ごそごそとポケットからスマートフォントを取り出す。
慣れた手つきでメッセージアプリを開き、今日連絡先一覧に追加されたばかりの二つのアカウント名を眺め、普段が無表情と追われることの多い自分の顔が緩むのを感じた。
登録された名前の一つは、マヤと登録されている。今日偶然出会い、そして僕にとっておきのチャンスを与えてくれた、感謝してもしきれない女の子だ。
残る一つは、カミュと登録されているアカウント。僕の運命の人。憧れ。目に焼き付いて離れない人。だがこの感情を表す言葉を、僕は持ち合わせてはいない。
名前をなぞるように画面を指で撫でると、今日の出来事が蘇る。
あの時の自分の行動力は、我ながら大したものだと思う。これはこの先何年も、それこそ死ぬまで、きっとそう思い続けるだろう。


「僕に、お兄さんの連絡先を教えてください!」
僕にお礼をと引き下がらないマヤちゃんに放ったこの台詞は、今思えば…今じゃなくても、誰から見てもバカバカしかっただろう。
恐る恐る顔を上げ前へと視線を向けると、頭を抱えているカミュが視界に入る。
最悪だ。黙ってこの場を立ち去ろうとも思ったが、お腹を抱えて笑い始めたマヤちゃんの「いいぜ」という声に、僕は食いついてしまったのだ。
「兄貴の連絡先なんて、本当にそんなので良いのか?」
涙が出そうなほど笑ったマヤちゃんは自分のスマートフォンを取り出すと、僕も使っているメッセージアプリの画面をこちらへ向けた。画面には、連絡先を追加するための二次元コードが表示されている。
「ほら」
気が付けば僕は、今までないくらいのスピードでそのコードを読み取ると、彼の連絡先を登録していた。
ついでに、とマヤちゃんは自分の分の連絡先も教えてくれた。もちろん、そっちも有り難く登録させていただいた。
カミュとマヤちゃん。二つの連絡先が、Newというアイコンと一緒に画面に映し出される。
登録している間のカミュの視線は痛かったが、何も言わない辺り異論は特に無いのだろう。
それでもなお視線で何かを訴えるカミュに、マヤちゃんは「なんだよー」と肘でカミュをつついている。
「どうせ兄貴の連絡先、オレ含めて5人ぐらいしかいないんだろー?」
「ほっとけ」
ふい、とそっぽを向くカミュの横顔に思わず見とれる。綺麗な人は、横顔も美しいのだと実感した。
「あの」
弱々しい声を絞り出し、僕はまっすぐと彼を見つめる。
連絡先、名前、知りたいことは解決した。でも、それだけじゃ駄目なんだ。
膝の上で握りしめていた右手をカミュへと差し出した。こんなに緊張したのは、中学受験の時以来な気がする。
「改めまして、イレブンです。どうぞ、よろしくお願いいたします」
テーブルの上で固まったままの右手と、きっと今にも泣きだしそうな僕の顔を見比べ、カミュは溜息を一つ。
そして、そのままふわりと優しく微笑んだ。
「お前には、負けたよ」
差し出した手を握り返される。
握手した。運命の彼と。どうしよう。長くて細い指は思った以上にすべすべとしている。どうか、だらだらと流れる汗には気が付かないでほしい。
だけど、確信した。これで終わりではない。ここから始まるのだと。


それが数時間前の出来事だった。
あれから僕は、何故だか突然やってきた羞恥心に勝てず適当な言葉を並べて二人に別れを告げカフェを出た。
あの場から逃げるように飛び出した僕は、自宅に帰るなり自室のベッドの上でこうしてメッセージアプリと睨めっこをしている。
カミュに何かメッセージを送りたい。でも何を?挨拶?今更?
カミュとのトーク画面を開いては消し開いては消し、繰り返すうちに馬鹿らしくなる。
学校の友人には頭を悩ませずとも思ったことをそのまま送れるのに。カミュには嫌われたくないという気持ちが先走り、何も送れなくなる。
どうしようと考えたのも束の間、開いたままのメッセージアプリ通知音が鳴る。
それは思い焦がれている彼からのもので、慌ててメッセージを開いた。
『頼みがあるんだけど』
その簡素なメッセージの冒頭は、僕を行動させるのには充分だった。


運が良いことに、あれから次の日は休日で、おまけに僕は予定もなく一日フリーであった。
連絡先を交換したばかりのカミュから『用事に付き合ってほしい』と連絡を受け、こうしてショッピングビルの立ち並ぶ通りの最寄りの駅前で待ち合わせている。
約束した時間は15時。なのに僕は朝5時から目が覚めると二度寝することも出来ず、今日着ていく服を選びなおしたり何度も歯を磨いたりと大忙しであった。
一体どうしてしまったのか。彼の何が僕をそうさせているのかは、まだ分からなかった。

そして約束の15時。待ち合わせ場所にカミュは現われた。通りを歩く誰よりも輝いて見える。
出会いがしらに「今日はすまねえな」と気まずそうにカミュから言われ、僕は首を横に振る。
「気にする必要ないよ。むしろ、まさか会ってもらえると思ってなくて…」
どうにも彼の前では緊張してしまい、言葉が尻すぼみに終わる。
だか別段気にされる様子もなく、「行こうぜ」と告げられ僕は彼の後をついて行った。
「で、今日の用事って?」
メッセージでは、用事の内容までは教えてもらえなかった。
会った時に話すだけ言われていたが、まだ教えてもらっていない。
「あー…それ、な」
気まずそうにしていたカミュは、突然真剣な目で僕を見て、一言。
「お前、彼女は?」
呼吸、もしくは心臓が止まるかと思うほどの衝撃が全身を走る。彼は、今なんて?
「えっと、いないけど…」
どうして…、としどろもどろに言葉をつづけるが、彼の質問の意図が分からず混乱するばかりだ。
「そうか。じゃ、妹か姉は?」
「僕、一人っ子でして」
「なるほどなぁ」
言いながら、カミュは足を止めた。
僕も並んで立ち止まると、そこは女性向けファッションブランドの店舗が多く入っているビルの前だった。
まさか、まさかと思うが。僕はごくりと息をのむ。
「お前に頼みって言うのはな」
僕の予想が正しければ、その続きはできれば聞きたくはない。
「その、プレゼント選びを手伝ってほしくて」
ああ、やっぱり。だから、僕に彼女がいるかを聞いたのか。
ぎゅ、と目を瞑りたくなるような、それでもカミュの顔をみていたいような、胸の奥がぐちゃぐちゃとかき乱される。
カミュに彼女がいたとしても僕には何も関係なんてないじゃないか。むしろ、憧れの彼のプレゼント選びのサポートに任命してもらえるなんて、とても光栄なはずだった。
なのに、どうしてこうも心が乱れるのか。
ふと、彼と視線がぶつかる。僕より背の低いカミュは、僕の顔を見るとき少し上目遣いになる。駄目だこれ、こんなのずるいよ。
そんな僕の胸の内など知らないカミュは、平然と言ったのだ。

「来週、マヤの誕生日なんだ」

ほら、やっぱり。
………やっぱり、違うじゃないか。


**********


年頃の女ってのは、どういったものが好きなんだ。
そう言ったカミュの照れているような怒っているような表情は、なんとも言い難かった。
結局カミュの彼女だと思った事件は僕の杞憂に終わり、マヤちゃんのプレゼント選びをすることとなった。
来週のマヤちゃんの誕生日に何か贈りたいが、彼女の喜びそうなものが分からないというカミュに僕は協力することになったのだ。
正直言うと、何を選んでもマヤちゃんは喜びそうな気がする。例えそれが、その辺のドラッグストアで購入したボックスティッシュだったとしても。
だが兄のプライドというものもあるのだろう。それに、なんとか妹の喜ぶ顔が見たい彼の力になりたかった。
それから小一時間ほどマヤちゃんぐらいの年齢の女の子が好きそうな店を何店かまわったが、いまいちしっくり来ない。
このまま探して何か見つかるとは思えず、ちょっと休憩、と近くにあったカフェに二人で入った。
店内に人は多くはなかったが、半分以上がカップル、もしくはそれに近い関係と思わしき男女であった。僕たちも今からこの中に加わるんだと思うと、なんだか少しそわそわする。
カウンターでメニューを見せられ、カミュに「何にするんだ」と聞かれカフェラテと答えると、彼は自分のホットコーヒーと僕のカフェラテを一緒に注文して支払いまで済ませてしまった。
財布を取り出すタイミングを完全に失った僕は、格好悪くもカミュがスマートにコーヒーとカフェラテを店員から受け取る姿を眺めるだけだった。
そのまま丸い背の低いテーブル越しに向かい合うように座ると、腰を下ろしたソファが思ったより柔らかくて驚いた。
「うわっ」と間抜けな声が出たが「何やってんだ」とカミュが少し笑ったので、自分の中で良しとしておく。
カミュからカフェラテを受け取り、すぐさま財布を取り出そうとしたが片手で制された。
「そんなわけにはいかないよ」
「良いって。年下は黙って奢られとけ」
そう言われ、僕は頭をひねる。そう言えば、カミュの年齢を知らない。
勝手に同い年ぐらいだと思っていたが、それは外見での印象だ。
僕と同じ高校生と言われればそんな気もするし、もっと上だと言われても下だと言われても違和感が無い。
「年下って、カミュっていくつなの」
聞けば、カミュは飲んでいたコーヒーのカップをテーブルに置き「19」とだけ簡素に答えた。
「じゅ、19」
そんな。3つも上だったなんて。
どことなくお兄さんぽい雰囲気はあるが、まさかそこまでとは。
だってカミュは、ものすごく可愛いのだ。
「お前今、ものすごく失礼なこと考えてるだろ」
組まれた膝の上に頬付けを突き、眉を寄せたカミュは僕を睨む。ほら、やっぱり可愛い。
「確かにお前より背も低いしひょろいかもしれねーけど、言っておくが背はお前がでか過ぎるだけだからな」
そう捲し立てられ、カミュは身長のことを気にしているのかと察する。
この話題は彼の機嫌を損ねるだけかもしれない。意識を変えるべく、話を変えることにした。

「ところで、どうしてプレゼント選びに僕を誘ってくれたの?」
これは、本当にずっと疑問だった。出会ったばかりの僕よりも、マヤちゃんのことをよく知っている人と選んだ方が効率的ではないのだろうか。
カミュは足を組みなおすと、また僕から視線を逸らしてしまった。
「お前が、女の好きなものに詳しそうだったからだよ」
ぽつりと吐き出された返事は、意外なものだった。
「それはまた、何故」
「なんか…モテそうだし、お前」
勝手なイメージだけど、付け加えたカミュの耳が少し赤い、気がした。
「そう思ってくれたのは嬉しいけど、実は全然そんなことはないというか……、なんでモテそうって思ってくれたの」
「背、高いし。雰囲気とか…あと、顔?」
聞いたのは僕だけど、恥ずかしさのあまり顔を両手で覆いたくなった。
こんなに堂々と外見について感想を言われるのは初めてだったし、何よりそれがカミュの口からというのが大きい。
僕のこと、そんな風に思ってたんだ。喜びと驚きと恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうだった。
だがカミュにはきっと、僕をほめちぎっているという自覚が無い。でないと、こんなにはっきりと言わないだろう。
「まー、だから女モノのプレゼント選ぶの得意そうっていう予想だったわけだな」
外れちまったけど、と笑うカミュに、僕は期待をされていたのに何も返せない自分が不甲斐なく感じた。
決してそれは僕自身の責任ではないし誰も悪くは無いのだけれど、なんとかカミュの助けになりたい。
そう思い、閃く。違う形で役に立てるかもしれない。
思い立ったら早速行動だ。僕がスマートフォンを取り出すと、カミュは首をかしげた。
「やっぱり、調べたほうが早いか?」
「そうだね。でもネットの情報より、もっと確実なものがあるよ」
へえ、と興味を持ったのか、カミュは僕の手元を見つめる。

「僕たちが女の子の喜びそうなものが分からないのなら、女の子自身に聞けばいい」
そうだ、何故もっと早く思いつかなかったのか。女の子のことは、女の子に聞くのが一番良いに決まってる。
画面を滑らせ、メッセージアプリに並ぶ友人一人一人に事情を説明しマヤちゃんが喜びそうなものを聞いていく。
すぐ返事が来るとは限らないが、何か一つでもヒントが手に入れば。そんな期待を持って、彼女たちへメッセージを送る。
「ええっと、セーニャにベロニカ、マルティナ、エマ…」
それは僕自身も気が付かない程の本当に小さな独り言だった。
だがカミュは、はあ、と息を吐いて言った。
「お前、やっぱりモテるじゃねーか」


**********


結果から話すと、僕は友人に恵まれている、ということだった。
連絡を取った女の子たち全員、返事をくれるどころか律儀にオススメアイテムの売られている店舗のアドレスや、画像まで送ってきてくれた。
貰った情報をもとにカミュと相談し、マヤちゃんにはゴールドのバングルを贈ることになった。協力してくれた彼女たちへは後日きちんとお礼をしよう。
妹もそろそろ着飾る歳だ、というカミュは少し寂しそうだった。けれど包んでもらったプレゼントを受け取った時、妹の笑顔を想像したのだろうか。まで見た中で一番やわらかい笑顔だった。

二人で建物を出るころには日は傾いており、街灯がつき始めていた。
今日は付き合わせて悪かったというカミュに慌てて気にしないでと返した。むしろ本望というか、どんな理由であれ自分が選ばれたことが嬉しかった。
「何がいい?」
「えっ」
ふりに投げられた言葉に、間抜けな返事しか出来なかった。
「今日の礼だよ」
こういう所が、彼は律儀だ。そして、そこが好ましいと感じている。
だが礼と言われても、今日も大したことは何もしていない。
困ったな、と数秒考えた後、あることを思いついた。

「カミュのこと、知りたい」
「俺のこと?」

怪訝そうな表情を向ける彼に、ちょっと正直に言い過ぎたかなと反省する。
だが彼は、スマホで時刻を確認しながら問いかけてきた。
「まだ時間あるか?」
本来ならば高校生の僕は帰宅した方が良いのかもしれないが、まだ彼と一緒にいたかった。
父さん、母さん、ごめんなさい。今日は少しだけ、不良になります。


カミュに連れてこられたのは、大通りを少し外れたところにあるレストランだった。
小さな建物だが入り口は植物やガーデンオーナメントで飾られており、可愛らしい印象で交換が持てる。
カミュの背を負い店内に入ると、「いらっしゃいませ」と明るい声が聞こえた。
と同時に、その声は「カミュちゃん!」とひと際高くなった。
「どうしたの?」
薄暗い店内のカウンターの奥から、背の高い店員が小走りでやってくる。
「今日シフト入ってないけど」
「ああ、客連れてきた」
カミュがこちらに振り向き、にやりと笑う。
あ、なんだか分かって来たぞ。
やって来た店員が僕に気が付くと、目を細め「あら」と呟いた。
「ふふ、案内するわね」

ごゆっくり、と案内された席に、カミュと向かい合わせに座る。
何故だかまっすぐ前を見ることが出来ず、テーブルの木目を目で追ってしまう。
僕が何も言わないからしびれを切らしたのか、カミュから先に口を開いた。
「俺、ここで働いてるんだ」
やっぱり。そう思い、やっと彼に向き直った。
「そうなんだ。おしゃれなお店だね」
「内装とかメニューとか、全部店長の趣味なんだとさ」
さっき案内してくれた人な、と補足され、あの人は店長さんだったのかと頷く。
「俺のこと、知りたいって言ったな」
カミュは頬付けをつくと、こちらを見て目を細めた。
「何が知りたい?」
上がった口角とか、ライトに当たった頬とか、薄着の為あらわになってる首元とか、何もかもが目に毒な気がする。
「え、えと」
緊張のあまり、テーブルの上で手を合わせたまま動けなくなる。
汗が首元を伝う。なんとも、みっともない。
そうこうしていると、カミュは僕の煮え切らない態度にため息をついた。
「はっきりしない奴は嫌いなんだ」
「彼女はいますか!!!」
嫌いというワードについ反応してしまい、上ずった声が放たれる。
ここが一番奥の席で良かった。店員さんたちには聞こえていないだろう。
というか、僕は何を訊いているんだろう。彼に彼女がいたから、なんだというのだ。
カミュはというと、大きな目を何度か瞬きさせ、ふ、と小さく笑った。
「いないよ」
ほ、と音が聞こえそうなぐらい安心した。
いや、何を安心しているんだ。
だが、その後の言葉に喉の奥がぐっと詰まる。
「彼女は」
彼女は、いない。では、彼女ではない人が、いる?
僕はその時どんな顔をしていたのだろう。よっぽど情けない顔をしていたのか、カミュはついにあははと声を出して笑った。
「悪い、嫌な言い方したな。恋人はいない、って意味だよ」
「そ、そっかぁ…」
渇いた笑いを返すが、何かが引っかかる。
「でもな」
その次の言葉を僕は待った。
「ご注文はお決まりですか?」
だが、丁度テーブルへやって来た店員さんの言葉にかき消され、結局その続きを訊くことはできなかった。

カミュのいろいろなことを教えてもらった。
施設で育ち、小学生の頃にある家庭へ妹さんと一緒に引き取られたこと。
その家庭では妹共々うまく行っていなかったこと。
高校卒業後、家を出て妹さんを養うためにずっと働いていること。
いろんな仕事を経験した後、今の職場に落ち着いていること。
妹さんの有名な全寮制の女学園への入学は、カミュの夢だったこと(マヤちゃんも納得しての入学らしい)。
今は一人暮らしをしていて、たまに妹さんと二人で会っていること。
料理がわりと好きだということ。

ほぼ初対面の僕にここまで踏み込んだことを教えてくれたのは、何故なのだろうか。
彼にとっては「何でもないこと」かもしれない。でも、生まれてから両親と一緒に過ごしてきた僕としては「何でもないこと」に思えなかった。
運ばれてきたシチューは美味しかったはずなのに、味をまったく感じない。
僕は気が付くとあの日のようにカミュの手を両手で握り込み、彼をまっすぐ見つめた。
「ぼく、僕…余計な事、聞いたよね」
「俺が勝手に話したんだ。気にするなよ」
「でも」
でもでも、という僕にカミュは苦笑いを向ける。僕は、まだ子ども過ぎるのだろうか。
目の前の青い髪の天使は笑っている。でもその笑顔は、どこに向けられているのだろうか。
彼の人生を僕が予想できるはずもない。彼の幸せも不幸も分からない。過去も未来も良そうに過ぎない。
だけど。
「ぼく、君を幸せにしたい」
自分の口から出た言葉が、信じられなかった。


「まさか、いきなりプロポーズされるとはなぁ」
店長さんにお見送りされ店を出ると、辺りは真っ暗だった。
街灯がちかちかと光る道をカミュと並んで歩く。
「それ、言わないでほしい…」
「なんでだよ、俺は感動したぜ?」
きっと彼はまた意地悪な顔をしている。見たいけど、今は見たくない。
「そういう意味では…無かったんだけど…」
顔を片手で覆う。ああもう、うまくいかない。
格好悪いと思いつつ、前をまっすぐ見れない。
とろとろと歩いていると、カミュが足を止めた。
僕ら以外に人通りが無いので誰かとぶつかることは無いが、どうしたのだろうか。
「カミュ?」
「お前は、さ」
つられて僕も足を止める。こちらを見上げるカミュの顔は、やっぱり綺麗だった。
瞬きされるたびに揺れる睫毛が、小さな口が、全て僕の頭をぐちゃぐちゃにする。
「お前は、いい奴だよな」
それだけ言うと、カミュはまた歩き出してしまった。
待ってよと背中を追うが、結局隣に並ぶことはできず、駅までの道をただ急ぐのみだった。