ADDICT

朝日が昇ると共に目が覚め、上半身を起こす。
隣で眠っている勇者様は、まだ夢の中から出てくる気配がない。
寝顔を覆う髪をさっと手で払ってやれば、伏せられた目とむにゃむにゃと寝言を言う口が小さく動く。
その顔を今日も一番に見ることが出来るのは自分だけだ。それを人生の喜びとも思うし、この先ずっとこうでありたい、と思っている。
思っているだけで、それが現実になるかどうかは分からない。勇者様の隣に最後にいる人間を選ぶのは、俺ではない。勇者様自身なのだから。

勇者様を起こさないよう気をつけながら、簡単に身なりを整える。自慢の髪を手でかき上げテントから出ると、丁度向かいのテントからセーニャが出てきたところだった。
「おはようございます、カミュ様」
まだ辺りは少し暗いが、朝一のセーニャの笑顔は輝いて見えた。それでも勇者の笑顔の方が俺にとっては眩しいな、なんて考えてしまい、頭を左右に振る。
「…はよ」
挨拶を返すと、優しく微笑んだセーニャは早速荷物から朝食用の食材を取り出し始めた。
「はりきってるな」
「今日は、皆さんの朝食を作らねばなりませんから!」
とびきり美味しいものを作ってお姉さまを驚かせてみせます!と、セーニャは拳を天へと掲げた。
俺たち勇者一行は、当番制で朝食係を決めている。今日は俺とセーニャの日だった。
少し前までは俺だけで作ることがほとんどだったが、今は人数が増えたため二人体制となった。
と言っても、調理のメインは主に俺だった。他の面子がセーニャと一緒の時はどうしているのか知らないが、俺とセーニャの二人の時はそう決まっている。
というのも、お世辞にもセーニャの料理の腕がそう高くは無かったから……というのは建前で、本音は自分の手料理を食べさせたかったからだ。もちろん、勇者様に、だ。
二人旅の頃からそうであったが、あいつは俺の作ったものを何でも「おいしい」と言ってよく食べていた。
自分ではよく分からないが、勇者様本人がおいしいというのだから、きっと嘘ではないのだろう。
口いっぱいに頬張って食べている姿がなんだかおかしくて頬をつついた時に、へへ、と照れくさそうにした笑顔が好きだった。
自分の手料理でここまで喜んでくれるのなら、この役目は旅が終わるまでずっと自分が良かった。
だからセーニャとベロニカが仲間に加わった時は、女子二人が何を言おうと料理係は譲らなかった。
だが、シルビアのおっさんが仲間になった時、変化が起こった。
「それじゃあカミュちゃんが大変だし、アタシだってたまには手料理を振舞いたいわ!」
その意見に、俺以外の皆が賛成した。勇者も頷くところをみて、正直言ってショックだった。あんなに俺の料理をうまそうに食ってたのに、と。
だが、皆に気を遣わせていたのは事実だし、結局俺はその申し出を受けた。たまには他の連中が作った料理を食べるのも悪くない。そう自分に言い聞かせた。
そしてマルティナとロウのじいさんが加わってからは、ついに料理当番は二人体制となった。人数も増えたし、一人で全部用意するのは無理がある。これは仕方のないことだ。
だから俺は、自分が料理当番の時はなるべく俺がメインとなるよう立ちまわった。「キャンプ飯は作り慣れてるから」とかなんとか言えば、大抵納得されるのだ。
セーニャと朝食の準備を進めていると、セーニャがもじもじと恥ずかしそうにしていた。
鍋をかき混ぜながら「どうかしたか」と声をかけると、セーニャはこほんと咳ばらいを一つ。
「えっと、あの…カミュ様が、とても楽しそうで…」
「楽しそう?」
「はい。以前からでしたが、朝食をお作りになる時は、いつも…」
確かに、あいつは今日もおいしいと言ってくれるだろうかとか笑顔で食べてくれるかとか、そんなことを考えながら準備しているので俺の顔は緩んでしまっていたかもしれない。
「私も、いつもお姉さまにおいしいと言っていただけるようにと思って作っています。なので、カミュ様もきっと、私と同じなのかと思うと、なんだか照れてしまいまして…」
ふふ、とはにかむセーニャは、きっとベロニカのことを思い浮かべているのだろう。
俺が、勇者のことを考えているのと同じように。
「誰かの為に何かをするというのは、とても素敵なことだと思うのです」
「…そうだな」
「カミュ様も、同じなんですよね?」
そう言ってこちらを真っすぐ見るセーニャには、全てを見透かされているようだった。

「おはよう、カミュ」
しばらくして、テントからのそりのそりと皆の勇者様が出てきた。
まだ夢から完全に冷めていないのか、目をこすりながら鍋を覗き込む。
「わぁ、今日もおいしそうだね」
さっきまで眠そうだったのに、鍋の中を見た途端に目がぱっと輝く姿がたまらなく愛おしかった。
「ほら、冷めないうちに食っちまえよ」
スープをよそった皿を渡すと、無邪気にわーいと言いながら受け取り焚火近くの丸太へと腰かけた。
他の仲間たちも全員集まり、全員に皿が行き渡ると勇者がこちらを見て片手をあげた。
「カミュも、はやく」
上げた片手を下ろし、自分の隣の空いたスペースをとんとんと叩く。
そこはいつまで、俺の特等席なのだろう。

昼過ぎ頃、目指していた町が見えてきた。
今日はここで情報収集と買い出し。そして一泊の後、また昼頃に発つ予定だ。
「久しぶりにベッドで眠れるわね」
そうはしゃぐベロニカに続き、女性陣は皆嬉しそうだ。
ここ最近はキャンプが続いていたので、久しぶりのベッドは皆嬉しいだろう。俺だってそうだ。
だが隣を歩く勇者は、別段嬉しそうな様子は無く。
「なんだよ、キャンプばかり飽きただろ?」
そう訊くと、困ったような笑顔が返ってきた。
「うん、嬉しいんだけどさ…でも」
「でも?」
「僕、キャンプで食べるカミュのご飯、好きだから」
しばらくお預け食らうのは少し寂しい。そう言った勇者の顔を、俺はまっすぐ見られなかった。

宿で夕飯を済ませた後、皆割り当てられた部屋へと向かった。
こういう時、俺は自然と勇者と二人部屋になる。それが当たり前となっているのがむず痒く、そして嬉しくもあった。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、勇者はベッドに寝そべりレシピブックを眺めていた。
「ほら、お前もシャワー浴びてこい」
「うーん…」
頭を軽く小突くが、歯切れの悪い返事しか聞こえなかった。これはしばらく無理だなと思い俺は自分のベッドに腰かける。
まだ少し濡れている髪をタオルでがしがしと拭いていると、目の前に影が落ちた。そこには、ベッドから降りた勇者が目の前に立っていた。
「どうした…?」
訊くと同時に、頭を抱きかかえられる。
咄嗟のことに反応できず、何がどうしたと暴れるが、頭から勇者の腕が離れない。
「おい」
「カミュ、いいにおいがするね」
いつもなんだけど、と鼻を寄せたであろう勇者の、すん、とにおい確かめる音が耳元で聞こえる。
視界いっぱいの相棒と、頭を抱きかかえられている感覚しかない。俺は、一体どうすれば。
「寝ぼけてるのか…?」
「……ううん、ごめんね」
案外あっさりと離れてしまった勇者は、そのままシャワールームへと向かってしまった。
どうしてか俺は、なんだか惜しいことをしてしまったような気がして、しばらく固まったまま動けなかった。

気が付くと朝で、目が覚めると同時に昨夜の出来事が蘇った。
ごろりと寝返りを打ち、隣のベッドを見る。勇者はまだ、眠っているようだ。
(近頃、何かが変わってきている)
自分と勇者の距離感は、確実に変化していた。
それが良い方向か悪い方向化は分からない。だが、願わくは良い方向でありますように。
俺たちの出会いは奇妙で、歪で、だけど確かに運命的で、奇跡であった。
歳の近い友人、頼りになる相棒、気の置ける旅の仲間、すべてにカテゴライズされる俺たちの関係は、実際なんだろう。そう考えることが増えた。
この頃、色んな事があった。
宿で朝起きると、目の前に勇者の綺麗な顔があった時は驚いた。
何故同じベッドで眠っているのかと問うと、寝ぼけていた、と言った。
戦闘後あいつが怪我をしていたので指摘すると、ホイミを使うまでも無いしやくそうを切らしているので昔のように手当てしてほしいとねだられたこともある。
勇者と言ってもまだ16歳だ。成人していても、子どもと大人の境目の際どい年頃だ、まだ甘えたい時もあるのだろうと思って特に気にしないでいた。それに、自分が一番に頼られるのは嬉しかった。
だが、まだ子どもっぽいところもあるのかと思っていた矢先、ある街で人通りの多い道を歩いた時は「はぐれないように」と手を握られた。
これは普通逆だろうと後で少し怒ったが、「怒るところそこなの?」と笑われた。どうしてか、負けた気分になった。
戦闘に支障が出ているわけではないのだから気にする必要もないのだろうが、何かが引っかかる。
そう思いながらも、勇者に甘い俺はベッドから出ると寝息を立てる彼の肩をゆすった。
「おい、起きろ……!?」
同時に、ぐいっとゆすっていた手を寝ているはずの勇者に引かれる。
そしてバランスを崩し、彼の上に覆いかぶさるように倒れてしまっていた。
「いてて…」
体を起こそうとするが、動かない。とんでもない力で拘束されている。
「お前、本当に強くなったよなぁ…」
はあ、とため息をつきながら言うと「えへへ」と悪びれる様子の一切ない声が聞こえた。
「おはよう、カミュ」
この声を聞くと、もうどうだって良くなるんだ。

昼過ぎに町を出て日が傾きかけたころ、運よくキャンプ地を見つけることが出来た。
皆がキャンプの準備を始める中、勇者は近くに鍛冶に使える素材があるから見てきたいと要望を出した。
反対する者などいるはずもなく、俺も行って来いよと手を振ったがその手を掴まれる。
「どうした…?」
俺の手を掴んだままにこりと微笑まれたその瞳の奥に、自分の胸の奥の何かと似たものを感じた。
「カミュ、一緒に来て?」
こいつは、俺が逆らえないことを知っている。

キャンプ地からそう遠くない川辺に、きらきらと光る箇所がいくつかあった。
いつものように素材を探し始めていて、目当てのものはすぐ見つかったらしく、勇者は満足げであった。
「それじゃ、帰るか」
何故自分がここに呼ばれたのかも分からないが、とにかく用事は済んだ。
だが勇者は、そこから動く気配が無かった。
おい、と声をかける前に、勇者がこちらを振り返る。
「カミュ」
自分の名前を呼ぶいつもより幾分か低い声に、肌が強張る。俺は、何か彼を怒らせるようなことをしたのだろうか。
「最近、変なんだ」
視線を川辺へと移した勇者の声は、淡々としていた。
「どこにいても、何をしていても、カミュのこと考えてる」
そう言われた時、正直に言えば、困惑よりも嬉しいという気持ちが勝った。
だがどうしてか返事が出来ない。俺は、なんて答えるのが正解なんだ。
「この先ずっと、カミュの一番でありたい。今、君の一番は僕であってる?」
もう一度振り返った夕日に照らされたあいつの顔は、今まで見たことないぐらい綺麗だった。
「そんなの、聞いてどうするんだ…」
そもそも、一番ってなんだ。頭をよぎる最愛の妹はこの世で一番の宝に違いない。だが、目の前の勇者様は…。
「カミュも同じ気持ちなら嬉しいとずっと思ってた。これがなんなのか、教えてほしい」
差し出された手には、勇者の印。
それを握ることは、相棒の務め。
だがきっと、これには違う意味が込められている。
「俺でいいのか」
「君がいいんだ」
こいつは、俺が逆らえないことを知っている。
その手を握った時、少しだけ答えが分かった気がした。