自分のことも理解できないのに、他人のことなんてもっと分からない。「どうしてあの時」だなんていくら考えても仕方がないのに、目の前を去っていく背中を、どうして黙って見送ってしまったのだろうと何年も経った今でも思い返してしまっては自己嫌悪に陥ってしまう。
長い時を経て、実家の隣に住む幼馴染は好敵手へ、親友へ、そして今では恋人となっていた。徐々に変わっていく関係性に戸惑うこともあったが、今ではお互いすっかり慣れてしまってその立ち位置でなければ違和感を抱くほどになっていた。
そしてその恋人は、ローテーブルを挟んだ向かいのソファに足を組んで座り買ったばかりの真新しいマグカップに注いだコーヒーを啜りながら、冷めた目でこちらを見据えていた。
「で、レッドくんはなんて言った?」
やっと口を開いた恋人の声に安堵しつつ、向かいに座り膝の上で握りこぶしを作る。
「嘘でも冗談でもない。グリーンを信じて、今話したんだ」
「だろうな。だって笑えねえし」
今しがた吐き出された彼の吐息がコーヒーの熱を冷ます為の吐息なのか呆れの意味を込めた溜息なのかは分からない。けれど、もう一度ゆっくりと口を開く。
「アローラに行きたいって、そんなにおかしいこと?」
こちらの言葉に、ぴくりと彼の眉が動いた気がした。怒らせてしまったのだろうか。だけれど、ここで引くわけにはいかなかった。
以前から、アローラ地方に興味があった。地方によって生息するポケモンが違うことは知ってはいるが、アローラは少し特殊でカントーに生息するポケモンが違う姿をしているらしい。いろいろな地方を巡って知見を広げてきたとは思っているが、この世界は未知で溢れている。紙面だけではなく自分の目で見てみたいと思った。
以前であれば黙って一人で旅だっただろう。だけれどもう、それをする気も無いしできないことは理解している。だからこそ、勇気を振り絞ってこの地を離れようとしていることを真っ先に彼へ伝えた。
「勝手だって分かってる。けど、もう決めたから」
緊張感が走る部屋に、目の前の彼がマグカップをテーブルに置く音が響いた。そのまま立ち上がると、何も言わず部屋から出ようとするグリーンの背を今度は黙って見送ったりなんてしなかった。
「ま、待って!」
腕を掴むと「痛い」と言われ、反射的に話してしまう。すると振り返った彼が、困ったように笑っていた。
「なんだよ、どこにも行かねえよ」
「だって、怒ってるんじゃないの?」
「まさか。今更こんなことで怒ったりなんかするもんか」
そう言いながら肩をすくませたかと思うと、首元を掴まれ彼の顔前に引き寄せられた。
「お前は好きな所に行けばいい。だけど、オレも好きにさせてもらう」
「それって、つまり」
昔から変わらない、眉を吊り上げ意地悪そうに笑う表情に自然とつられてしまう。
顔の角度を変えて頬に口づけると、首元を話した手が今度は肩へと回ってきた。
「ああ、二度とオレを置いていけるなんて思うな」
* * * * * * * * * * * * * *
行きたい場所へ行きたいと願った時に行けるというのは、とても幸福なことだと思い知らされる。水平線が見える海と砂浜、大量の観光客、照り付ける日差し、全部本物だ。アローラの地へ着いた時、本当に来たんだと胸が躍った。
初めて見たポケモンもバトル施設も自分が求めた経験だった。ここにグリーンと一緒に来ることができて良かったと、宿泊施設で帰り支度をしながらレッドはぼんやりと思い返していた。
最初に想定していたよりも随分長居してしまったが、ずっとここにいるわけにはいかない。明日ここをグリーンとともに発つ。本当に、あっという間だった。
「どうせもたもたするんだから早めに帰り支度しとけ」という恋人の助言に従うが、そもそも自分は荷物が多い方ではない。常に身軽であることを心がけている……というわけではないが、気がついたら自然とそうなっているのだ。
荷物の整理をしている途中、そういえば用があって出てくると言って出て行ったグリーンが帰って来ないことに気が付いた。買い物かと思ったが、それにしても遅すぎる。
あまり眺める習慣の無い携帯端末を確認するが、何も通知は無い。普段はことあるごとに連絡しろと言ってくる彼が何も言わず帰って来ないのは初めてのことだった。
気が付けばスーツケースを開けっ放しにしたまま、レッドはホテルを飛び出していた。外は陽が沈みかけていて観光客の姿も少ない。どこかもの悲しさを感じるその光景に、レッドは不安を募らせていった。
どこだ。どこに行ったの。小走りに彼と一緒に行った場所へと向かってみるが、どこにも思い描いた姿は無い。気が付けば本気で走っていて、首筋を汗が流れていく。
あの街角も、あのショップも、あの広場も、自分の思い出の中にはいつだってグリーンがいるのに。息が上がってきて、レッドは腕で額を拭った。
そして、夕陽で赤く染まる海が目に入った。こんなに広い海は見たことがないとはしゃいだのも随分と前に思える。気が付けば浜辺に向かっていて、そこで一つの影を見つけた。
「グリーン」
走りながら声をかけると、浜辺で海を眺めていたグリーンはこちらに視線を向けた。
「あれ、どうしたんだよ」
「どうしたって、君が帰って来ないから!」
彼の目の前で立ち止まり、つい大きな声を出してしまう。すると驚いたのか、目を見開き両目をぱちぱちと瞬きさせたグリーンは途端に腹を抱えて大笑いし始めた。
「まさかレッドにそれを言われる日が来るなんてな!」
「……それは、そうだけど。でも、何も連絡がないから」
「ああ、悪い。用事ついでに寄ったんだけど時間見てなくって」
そんなに長いしちまったかぁ、と何でもない様に言うグリーンに、レッドは湧き上がる安堵と苛立ちで混乱してしまっていた。それと同時に、彼に同じ思いをさせていたことに気が付いてその場にしゃがみ込んだ。
「なんだよ、腹でも痛いのか?」
グリーンは同じように砂浜にしゃがみ、俯くレッドの顔を覗き込もうとする。波の音にかき消されそうなほど小さな鼻をすする音に、グリーンは首を傾げた。
「泣いてんのか」
「……そうだよ、悪い?」
「馬鹿だなぁ。お前、オレがここに来る前になんて言ったか忘れたのか?」
レッドが顔を上げると、グリーンは膝の上で頬図絵をついてこちらをじいっと見つめていた。なんでも知ってるその目が憎くて憎くて、だけれど大好きだった。
「オレはどこにも行かねえよ。お前だって、オレを置いて行けないだろ?」
目を細めてそう話す姿に視界が歪む。どうして君はいつも僕の心をかき乱すのだろう。距離をおいても壁を破って来るのだろう。だからこんなにも好きになってしまった。
「ここにだって二度と来られないわけじゃない。いつかまた来ようぜ。感傷に浸るのは、オレ達がトレーナー辞めてからだって遅くはないだろ」
死ぬまでトレーナーを辞める気が無いのはグリーンだって同じはずだ。そう思うと、彼のことが愛おしくてたまらなくなった。
立ち上がりこちらに手を差し伸べるグリーンの背景で、夕日が沈んでいく。その手を掴むと、いつの間にか涙は渇いてしまっていた。
* * * * * * * * * * * * * *
ホテルの部屋に戻るなり、レッドは後ろからグリーンを抱きしめた。むき出しの首筋に顔を埋めると「待て」をくらってしまった。
「汗かいてるだろ。お前もだけど、オレも……」
「いい、そんなの」
「あのな、お前が良くてもオレが良くないんだよ……って聞いてないな?」
レッドが彼のシャツの下から手を入れてまさぐっていると、諦めたのかグリーンがため息をついた。
「ああもう好きにしろよ、オレも好きにするから」
暗い部屋のベッドの上で諦めたように身を放り出している恋人の両脇に手をつき、レッドはやめろと言われるまで肌の薄い部分にキスを落としていた。
「ちょ……っと、どうしたんだよ、お前」
普段はこんなことはしない。とにかく彼のいろんなところに自分の痕をつけたくて仕方が無かった。ちゅう、と吸う度に身を捩ったり小さく声を上げる彼の姿は、レッドの胸の奥を乱していった。
キスをしながら一緒に気持ち良くなりたくて後孔に指を添わせていく。中を解す指を増やしていくと溢れる声が大きくなっていった。
「あ、あッ」
かわいいと言えば怒られることを心得ているので「もっと聞きたい」と言えば「調子に乗るな」と小突かれてしまった。だけどそれが照れ隠しなのも知っている。知らないことなんてないぐらい全部暴きたい。どうすれば、と考えながら彼の好きな箇所を指で擦っていく。
「んっぁ、あ!そこ、だ、めッれっど、あ」
「グリーンの言う駄目って、もっと、って意味だよね」
涙目で睨まれたってなんのダメージもない。髪も顔も身体も乱れている彼の姿を、僕だけが知っている。なんて、なんて、素晴らしいことか。
夕日に照らされて少し赤くなった肌を吸って、彼と一緒に海にいたことを思い出す。あの時、綺麗だと言えられれば良かった。
「ねえ、いい……?」
そう問いながらレッドが自身を押し当てるように彼の後孔に擦り付ければ、グリーンが紅潮させた顔を隠しながら小さく頷いた。
返事はしなかった。彼だって待ち望んでいるだろう、なんて思ってしまうのは思い上がりだろうか。
ぐちゅ、と音を立てながらゆっくりと中へと侵入していくと、横たわる身体がびくびくと震えた。
「いたい…………?」
何度も繰り返した行為だけれど、受け入れてくれる彼の方が圧倒的に負担が大きい。だけれど一度も拒まれたことなんてない。自分が思い上がってしまうのは、これが理由だった。
「だいじょうぶ、だから……はやく」
ああ、やっぱり好きだなあ。なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。どうしてあの背中を追わなかったのだろう。どうして、距離を置けば解決するなんて思ってしまったのだろう。
「グリーン」
名前を呼べば、ぼんやり蕩けた視線がこちらに向いた。
その瞬間、先端だけ侵入していた屹立を一気に奥へと貫いた。
「あッァん、んっん、れっど、や、ぁ!」
「こっち、見て」
覆いかぶさる様にして腰を打ち付け、視線を逸らさぬようにキスをした。舌を絡めては糸を引き、溢れる唾液を舐めとれば応えるように上あごを突かれる。
「どこにもいかないで」
ぱちゅんぱちゅんっと何度も音が鳴り、肺いっぱいにグリーンのにおいが満たされていく。幸せなんて言葉では片付かなくて、これを表す言葉を僕は知らない。
ぐり、と一点を刺激してやれば高い声が聞こえて心地が良い。
「れっど、んッ、ぁん、あ、ァ!いく、も……いっちゃ、う」
喘ぎ続ける恋人に「いいよ」と一言耳元で囁いて、もう一度最奥を突く。
レッドがどくどくと中へと注いだと同時に、彼も果てたのが分かった。息を乱した姿が好きで、自身を抜いた後もついつい眺めてしまう。
「……悪趣味」
つい見すぎたのか、近くに転がっていた枕を投げつけられてしまった。
「知ってるよ、そんなの」
睨みつけられたって怖くなんかない。
その姿すらも、愛おしくて仕方が無いのだから。