最近のフェリクスの様子がおかしいことにシルヴァンが気がついたのは3日前のことだった。
おかしいというのは、具体的にはフェリクスがシルヴァンを避けている、ということだ。
まず講義の後の訓練場に顔を見せなくなった。自主練は日課だったはずなのに。おかげでなかなか講義後のフェリクスが捕まらない。
夕食の献立が肉だったとしても、食堂で食べることがなくなった。部屋に持ち帰って食べているらしい。なので、シルヴァンがフェリクスと他愛もない会話をしながら食事を楽しむことは無くなり、代わりにイングリットやディミトリに小言を言われながらなんとも言えない食事の時間を過ごさねばならなくなった。
最後に、挨拶や必要最低限以上の会話をしなくなった。…シルヴァンに、だけ。
他の級友とは、いつも通り会話をしているのに。
いよいよ不安になったシルヴァンが何かフェリクスの気に触ることでもしただろうかと、食堂で向かいに座っているイングリットに相談してみたところ、自分がフェリクスを怒らせているのはいつものことだと言われてしまった。
確かに彼女の言う通りなのだが、それでも長い付き合いではあるので多少のことが起こったとしてもここまで拒絶されたことは無かった。
今、この食事の場にもフェリクスはいない。今日も自室に引っ込んでいるのだろう。そんなに自分と一緒にいたくないのかと、胸の奥が痛む。
今度は隣に座っているディミトリに相談してみたところ、特に思い当たることはないと、イングリットと同じ答えしか返ってこなかった。
大げさに肩を落としてみせると、ふむ、とディミトリは顎に手を添え「お前自身に思い当たることは無いのか」とまっすぐに問う。
「なーんにも。…本当に、何も無いんですってば!」
ディミトリから、じ…と疑いの視線が向けられ、シルヴァンは慌てて否定する。
「本当に何も無いのなら、フェリクス本人に直接聞いてみればいいだろう」
「そうなんですけど…俺、極端に避けられちゃってるから、どうにも聞き辛くて」
なるほどと納得したらしいディミトリは、何を思ったのか急に立ち上がりスタスタと食堂を出ようとしている。
「ちょ、ちょっと殿下!どこに…って、まさか」
「級友の問題を解決するのも、級長の務めだろう?」
振り返ったディミトリは絵に描いたような笑顔だった。畜生、眩しい笑顔だな。
「ねぇ、本当になにも思い当たることが無いの?」
向かいで一部始終見ていたイングリットが疑わしいとでも言わんばかりに目を細める。
「無い!…というと、ちょっと嘘かも?」
「どっちなのよ」
「いやー…、ちょっと前に、街へ行って一緒に女の子ナンパしようぜって誘ったけど」
ジルヴァンが苦笑しつつ頭をかくと、「最低」と眉間に皺を寄せたイングリットが一蹴する。でもいつものことじゃないかと反論したが無駄だった。
これが原因だというのなら、今まではなんで何も言わなかったんだ。なんで、今になってこんなことで俺を拒絶するんだ。シルヴァンには、全てが分からなかった。
***
最悪だ。何もかもが。
この世の終わりのような絶望感に苛まれながら、フェリクスは自室の床をぼうっと見つめる。
目につくのは、花、花、花。
色とりどりの見事な花たちは、全部、自分の口から吐かれたものだ。
普通ならありえない状態に誰にも話せずにいた。こんなこと、誰に相談できるというのか。
床に散らばる花を一つ一つ手に取り適当な袋に詰める。誰にも見つからないように処分しなければ。あと何回これを続ければ終わるんだ。
この体の異変に気がついたのは丁度3日前のことだ。
講義を終え、訓練場に向かおうとしたところでシルヴァンに一緒に街へ行こうと誘われた。
さらに数日前にシルヴァンとはちょっとした口論をして自分から距離を置いたこともあったが、その後は謝罪をして二人の関係は元どおりになり、二人で食事に街へ出る機会も増えた。
きっと今回も「飯でも奢ってやるから街へ行こう」だとかなんとか言われると思っていたが、フェリクスへの誘い文句は「街へ一緒に女の子をナンパしに行こう」だった。
別に、その内容で街へ誘われたことは初めてじゃない。
ただここ最近は二人で行動することが多くて、シルヴァンが意味もなく女子を口説くことも減って、なんとなく穏やかな毎日だったから、だろうか。
何かもやもやものが体の中を巡っているようだった。いつもの人懐っこい笑顔で誘ってきたシルヴァンに、フェリクスは「断る」の一言だけ言い残し、訓練場に行く気にもなれず、自室へと戻った。
その直後だった。急激に気分が悪くなりベッドに横たわると、吐き気を催した。
気がついた時には、床に花々が散らばっていた。
嘘のような光景にさーっと血の気の引くような感覚に襲われ、目の前の光景を信じたくなくて慌てて花を処分した。
きっと何かの間違いで、自分は少し体調を崩していて、悪い夢を見ているだけなんだ、と。
念のためマヌエラから風邪薬だけ貰ったフェリクスは今日はさっさと休んでしまおうと床についた。
それから数日経った今日も、フェリクスは毎日花を吐き続けた。
花を吐く時に気分が悪くなることはなくなったが、こんなこと慣れたって何も嬉しいものではなかった。
そして何回か回数を重ねて分かったことがある。花を吐くのは、決まってシルヴァンと話をした後だった。
その後のフェリクスは自ずとシルヴァンと接触することを避けるようになった。
シルヴァンには申し訳ないと思いつつも、理由も話せない。自分は元から愛想が良い方でもない事は幼馴染も理解している筈だから数日はこのままでも大丈夫だとフェリクスは高を括っていた。
だが、事態は思ったより深刻だったと、ディミトリの訪問によってフェリクスは思い知らされた。
「フェリクス、入るぞ」
申し訳程度のノックの後、部屋主の返事も待たずにディミトリは勢いよく室内へと入ってきた。
ベッドで蹲っているフェリクスを見るなり、ディミトリは側にあった椅子へ腰を下ろすと心配そうに部屋主へと声をかけた。
「体調でも優れないのか?…ここ数日、シルヴァンを避けているようだが」
来訪者が来ているのにベッドで横になっているわけにもいかず、フェリクスはもそもそと起き上がるとそのままベッドに腰掛けた。
「…猪には関係ない、だろう」
こうも直接的に聞かれてしまうと、なんと答えたら良いのか分からずフェリクスは口ごもってしまう。
「確かに俺に直接は関係ないな。だが、学級内の連携に関わる」
それに、とディミトリがため息混じりに言う。
「シルヴァン本人が、ひどく落ち込んでいるぞ」
そんなことは、フェリクス本人もよく分かっていた。
見て見ぬ振りをしているのも本当は胸が痛むが、それよりも自分の異常な状態に感づかれる方が避けたかった。
何も喋らないフェリクスに、ディミトリはやれやれと肩をすくめる。
「話しづらいことがあるんだろう。だが、俺にも相談できないことか?」
声色から、ディミトリが本気で心配してくれていると分かる。
もうきっと誰かにバレるのは時間の問題だ。なら、一番はじめに話すのはきっとディミトリが良い。
そう判断したフェリクスは、後で処分しようとベッドの隅へ隠すように置いていた袋を手繰り寄せ、ディミトリに渡した。
「これを見れば、お前だって俺を異常だと思うさ」
皮肉混じりに言うフェリクスから袋を受け取ったディミトリは、中を見て目を見開いた。
「全部、俺が吐いたんだ」
はあ、と息が漏れる。
ここ最近毎日こうなんだ。自分でも分からないがシルヴァンと関わるたびにこうなってしまう。シルヴァンを避ける理由はこれだ。笑いたければ笑えば良いさ。
投げやりな言葉をディミトリに投げつける。
だが、笑い声も哀れみの声も聞こえてこない。
きっと軽蔑されると思っていたのに、ディミトリは何かを察したようにフェリクスを見据えた。
「ああ、お前…そう、だったのか」
「…何か知ってるのか?」
「昔、なにかの文献で読んだことがある」
ディミトリが言うには、こういうことだった。
フェリクスの病状は花吐き病。主に片想いをしている状態に現れる症状で、片想いを続ける限り花を吐き続ける。
完治するには、両想いになるしかないのだ、と。
そんな話を真面目に話すディミトリも、真剣に聞いてしまった自分のこともおかしくなり、フェリクスは笑った。
「…は、なんだそれは。俺をからかってるのか?」
「俺も本で読んだだけで、実際に見るのははじめてだ。とりあえず、マヌエラ先生に診てもらった方が…」
「それだけはよせ!」
つい声を荒げてしまい、フェリクスは自分の口を手で覆う。
「…マヌエラ先生に話してしまったら、…もしその花吐き病とやらの話が本当だったとしたら、俺はいい笑いものだ」
フェリクスの気持ちを察したのか、ディミトリはそれ以上話すことをやめ、椅子から立ち上がった。
「俺は忠告はした。先生達に話すつもりもない。だが、お前自身が向き合わないといけない相手がいるだろう」
さっとシルヴァンの顔が頭を過る。
頬が熱くなるのを感じた。ディミトリの話が本当だったとしたら、この症状の引き金は…。
「いつまでも隠し通せるとは思えない。俺に言えるのは、ここまでだ」
それだけ言うと、ディミトリは部屋から出て行ってしまった。
フェリクスは再びベッドへ崩れ落ちる。
シルヴァン、お前のせいだ。お前の、お前の、全部お前のせいだ。
きっとこの話をしたって、シルヴァンはいつもの笑顔で気にするなとか俺たちの友情は変わらないだろとか、そういう決まり文句を言ってフェリクスのご機嫌を取ろうとするだろう。
軽蔑もせず。いつものように。何をしてもされても、シルヴァンは変わらないんだ。
***
「…ああっ殿下!待ってましたよ!」
ディミトリがフェリクスの部屋から出るなり、今にも泣きそうな顔をしたシルヴァンが駆け寄ってきた。
「シルヴァン、お前…まさか、ずっとそこにいたのか?」
「え!?いや、まぁ…あはは」
ばつの悪そうな笑顔を貼り付けて、シルヴァンが頭をかく。
「それで、えっとー…フェリクス、怒ってました?」
やっぱり俺がやらかしてたんですかねー、とシルヴァンが悲しそうに眉を下げる。
そんなシルヴァンの様子を見て、ふ、とディミトリは思わず笑ってしまった。
「え、今笑うところでした?」
「いや、そうではないが。シルヴァン、お前…」
案外、恋愛下手なんだな。
そう言われたシルヴァンは、は?と言いそうになったのをぐっと抑え、固まってしまう。
「殿下、すみません…よく意味が分からないんですが…」
「シルヴァン、俺は気になることがあるのであれば本人に直接聞くのが一番だと思うわけだが」
あとは分かるだろうとでも言うように、ディミトリはシルヴァンの肩をぽんと叩くと一階へ続く階段の方へと行ってしまった。きっと、もう出来ることは全てやり尽くしてくれたのだろう。
ここはフェリクスの部屋の前。この部屋の中には、顔を合わせてくれない親友がいる。
意を決したシルヴァンは、恐る恐るドアをノックする。
返事は無いかと思ったのに、意外にもすぐに「空いてる」と声が聞こえた。いつもの、友人の不機嫌そうな声だった。
ゆっくりドアを開けると、ベッドの上で布団にくるまっているフェリクスがいた。
まさか何か悪い病気なのかと思い、慌ててシルヴァンはベッドへと駆け寄った。
「フェ、フェリクス、どこか悪いのか?」
「うるさい、そうじゃない…」
そう言うが、フェリクスの声はどこか元気がない。
布団を頭まで被っているので顔も見えない。
何かできることはないかと思ったが、生憎自分には医学の知識は無い。
ふと、布団の隙間から少しだけフェリクスの手が出ているのが見えた。
いつも訓練場で剣を振るっているわりに白く長い指は、シルヴァンの大好きな指だった。
気がついたら、フェリクスの指と自分の指を絡めていた。
「…シ、ルヴァン」
何か言いたそうにフェリクスがシルヴァンの名前を呼ぶ。
「昔はさ、こうやってよく手を繋いでやってたよなー」
ベッドの少し空いたスペースにシルヴァンが腰を下ろし、フェリクスの指を握ったり解いたりを繰り返す。
「兄貴に勝てないーって泣いてたお前をあやす為に、手ぇ握って散歩に連れ回してさ。はは、あの時のお前可愛かったな」
「…いつの話をしてるんだ」
こんなことをしている間にも、布団の中は少しずつ花であふれていく。
シルヴァンへの思いが募るたび、もう抑えられなくなる。
「なあ、…俺、ずっとお前のそばにいたから、お前のことはなんでも知ってるつもりだったよ」
でも違ったんだな、とシルヴァンの弱々しい小さな声。
「シルヴァン、ちが」
「いいんだって。お前が俺を避けてる理由が分かんなくてさ。結局、俺は兄貴分としてはまだまだだったんだなー」
「…いいから話を聞け、阿呆が!」
はは、と乾いた笑いを飛ばすシルヴァンに居た堪れなくなり、フェリクスは思わず布団から飛び出してしまった。
しまった、と思った時には既に遅く。
二人の周りには色鮮やかな花の絨毯が出来上がっていた。
ふわ、と舞う花弁を見て、シルヴァンは目を丸くした。
「フェリクス、これ…」
戸惑っているシルヴァンをよそに、フェリクスはまるで絶望の淵のように青ざめている。
もうお終いだ。シルヴァンにバレた。ちゃんと説明しなければならないのに、一体何から話せば良い?