ラストダンス

その言葉は、まるである種の脅しのようだった。
いつもはなかなか合わない視線が今は恐ろしいほど真っ直ぐとこちらに向けられていて、まるで頭の中のその奥まで見透かされているとさえ思える。
恐怖とはまた違う感覚が全身を襲う。これが初めてではないのに、口の中はすっかり乾ききってしまっているようだった。
自室のベッドの上は男二人が座るには少し狭い。シーツの擦れる音が、妙に生々しく感じた。
「なぁ」
猫が喉を鳴らす様な愛らしさを含んだその声が好きだ。
「ディミトリ」
普段は呼ばない名前を声にされる瞬間が好きだ。
「お前、俺のこと好きか?」
頬に触れるクロードの手は心地良いのに、その指先から熱は感じなかった。
勿論、と今まで何度返しただろうか。
最初はただの事実確認なのだと思っていたが、十を超えたあたりでそうでないことに気が付いた。


俺達の関係は、二人きりの時に俺が彼に想いを打ち明けてから始まった。
眠れぬ夜の静かな大修道院の中庭で偶然出会い、気が付けば好きだと口走っていた。何も隠さず素直に好きだと誰かに伝えることがこんなにも苦しいことを知らなかった。
そしてこの言葉は受け入れられることなど無いと思っていたのに、彼は返事の代わりにキスを寄こしてきた。
突然のことに唖然とする俺のことなど構いやしないと言わんばかりに先へ先へと進めようとするクロードの肩を掴み押し返すと、月夜に照らされた彼はまばゆい笑顔でこう言った。
「お前、俺のこと好きか?」

それから俺たちは、ほぼ毎日のように夜眠るまでの時間を二人で過ごした。
大抵は雑談をして過ごしていた。学級の違う俺たちは講義や課題の内容も異なるため、互いに情報共有をしたり興味のあることについて語り明かした。
たまに訓練場や食堂で顔を合わせることもあるが、どちらかが言ったわけではないがそういった場では二人になるのを避けていた。
普段のクロードは俺のことを見ない。通路ですれ違う時もぶつかりそうな視線がぎりぎりで逸らされる。振り返ると、先ほどまで近くにあった横顔がいつも遠くにある。
だがこうして二人でいる時、彼はいつも突然こちらをじっと見据える。
どうしたと聞くと、決まってこう訊ねるのだ。
「なぁ、俺のこと好きか?」
その問いへの正しい解が、未だに分からない。
「勿論だ」
そう答えると彼は満足そうに笑い、そしてキスをする。この行為にも慣れてしまい、動揺することは無くなった。
いつもこちらがされるがままなのが癪で今日はこちらから仕掛けたが、肝心の相手は面白そうに目を細めるだけで俺はもう負けた気になっている。
体重がかかり、どんどんクロードがベッドに沈んでいく。ランプと月明りだけの部屋だが、彼の姿だけははっきりと認識できている。
二人の吐息が濃く混ざる時、このまま一つになれそうな気がした。
そして唇を離す時の切なさも束の間、彼の顔の横に手をつくと、じっとそのエメラルドグリーンがこちらを見据える。それだけでもう、俺には充分なんだ。
自分の部屋に彼がいることに最初は戸惑いもしたが、今では当たり前のように傍にいてくれる。
額をその薄い胸に押し当てると、わずかに鼓動を感じた。
「クロード」
名前を呼べば、いつもは身軽に弓矢を扱う指が俺の頭を撫でた。
「俺は、お前のことが好きだ」
顔を見ないままこれを言ったのは初めてかもしれないと、発言した後に気が付いた。
「知ってるよ、ずっと前から」
「この先も、だ」
顔を上げると予想外にもきょとんとした表情が待っていたので、ほんの少しだけ意地悪な感情が現れる。
手を伸ばし服の隙間から肌を撫でると、「王子様は物好きだ」と呆れたような声が降ってきた。
「俺は、お前が好きだから」
何度でも言えば良い。何度でも返す。ただ、それだけだ。

組み敷いた体は想像以上に細かった。
押し殺した声を美しいと思えるのは、おかしなことなのだろうか。
苦しそうな彼の目がいつもより輝いて見えたのは、俺のエゴなのだろうか。
触れる彼の肌がどこもかしこも熱い。冷え切っていたのは、俺のほうだったと気づかされる。
「クロード」
名前を呼べば、こんな時でさえ彼は俺の頭を優しく撫でる。
おいでおいでと伸ばされる両手に誘われ彼の体に自分を重ねる度に、蜘蛛に捕まった蝶のような気分になってしまう。
こんなことを何度も繰り返して行為や態度で示しても、最後に必ずクロードは俺に問う。
「俺のこと好きか?」
いつもはすぐに言葉を返していたが、それだといつもと同じだ。何も変わらない。
だから今日は、勿論と返す代わりに体を起こして彼を強く抱きしめた。
「折れる」と弱々しい声が聞こえたが、これでも手加減はしている。彼はオーバー気味に話しているのは傍にいて分かったことだ。
「何故、いつも好きかどうか聞くんだ」
抱きしめたまま問えば、「だって」と案外はやく返ってきた。
「お前が、聞かないから」
肩を押され、体が離れる。先程まで汗ばんでいた肌は、もうすっかり乾いていた。
「お前だって欲しがって良いんだよ、なのに、いつも最初から諦めてるだろ」
言いながら、クロードが俺の頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
「俺だってお前のこと好きだよ。もっと欲張りになれば良い、目に見えないものを欲しがったって、誰も咎めないさ」
視界が塞がってクロードの表情が分からない。彼は今、どんな顔で話しているのか。
「俺はもう充分お前から欲しいものを貰った。お前ももっと欲しがったって良いんだ」
「もう、良い」
クロードの両腕を掴み、真っ直ぐ彼と向き合う。
「俺は、口下手で」
「知ってる」
「不器用で」
「それも知ってる」
「だから」
ぐいっと腕を引くとクロードが俺の胸の中に倒れ込む。二人で再びベッドに倒れ込むと、どこまでも沈んでいきそうだった。
「ずっとお前に甘えていた」
「気が付くのが遅いんだよ」
「すまない…」
腕の中でもぞもぞと動くクロードを解放すると、ふい、とそっぽを向かれてしまった。
「クロード」
名前を呼べば、いつも傍にいてくれる。
これからも、ずっとそうであってほしい。
「お前も、俺を好きでいてくれるだろうか」
「王子様は本当に物好きだ」
その答えは、俺達だけが知っている。