ナンセンスなふたり

午前の授業が終わり、昼休みをノクトと一緒に教室で過ごしていた時のことだ。
「プロンプト、ちょっといいか?」
声がした方を見ると、そこには隣のクラスの男子生徒がいた。
特別仲が良いわけではないけれど、選択授業が同じで時々話をする相手だ。
「いーよ。どしたの?」
「えっと、あっちで話していいか?」
そう言いながら、彼は教室の外を指差した。
ちらりとノクトを見ると、「行って来れば」とぶっきらぼうに言われた。
「うん、じゃあちょっと行ってくるね」
ノクトごめんね、と言うと小さく「おー」とだけ返ってきたが、すぐスマホとにらめっこを始めた。キングスナイトでもして待っているつもりだろう。

教室から出たすぐの廊下で、男子生徒はふぅと大きく息を吐いた。
「なに?そんな言いづらい話だったりする?」
「じゃなくて、王子の前だとなんつーか…緊張するって言うか」
「そっか。ちょっと分かるけどね」
「でもお前は、なーんか違うっていうか…特別だよな」
苦笑いでそう言われた。これを言われるのは初めてではない。他の生徒にも時々言われることがあった。
みんなノクトを特別だという。そりゃそうだ、彼はこの国の王子様だ。
王子様というのはただの肩書ではなく、見た目の印象もそのまま王子様だった。
確かに顔良しスタイル良しで女子生徒からの人気は高い。スポーツも出来るので男子生徒からの評価も高い。
そして、そんな「ノクティス王子」に選ばれた俺もまた特別だという。
選ばれたってなんだ。俺は努力して努力して努力して「ノクト」と友達になった。
運命でも奇跡でもなく、努力の結果なんだ。
そんな考えが顔に出ていたのか、男子生徒は気まずそうに頭を掻いた。
「気分悪くさせたならごめん。ただ、他になんて言ったらいいか分かんないし」
「いいよ、気にしてない」
そして本題はなんだと聞くと、写真部に入らないかという相談だった。
彼は高校入学と同時に写真部へ所属しているが、部員が少なくこのままでは廃部になる可能性もあるという。
彼が写真部であることは知っていた。以前同じように勧誘を受けたことがあったが、その時は即座に断っていた。
「悪いけど、写真部に入る気は無いから。俺、部活動とか向いてないだろうし」
「入部する気が無いのは知ってるよ、だから名前だけでも良いんだ。廃部になるかもって話、お前も聞いてるだろ?」
「だけど…」
「な、だから頼むよ。お前にしか頼めなくて」
正直、この言葉は刺さるものがあった。
俺じゃないと、なんて適当に見繕った言葉で、本当は他の人にも同じようなことを言って勧誘しているのだろう。
でも、今まで他人との関係の築き方を知らなかった俺には、どうしようもなく心を揺るがす一撃となった。
「分かったよ…考えとく」
「本当か?!」
「入部するってわけじゃないからね、考えとくってだけだから」
「オッケオッケー!次授業で会った時にでも返事聞かせてくれたらいいから!」
ありがとうと眩しいくらいの笑顔で言われ、少し眩暈がした。もしかしたら、大変な返事をしてしまったのではないだろうか。


「なんだったんだ?」
「なにが?」
「さっきの」
教室に戻るなり、スマホから顔を上げずにノクトが言った。
「ああ、写真部に入らないかって」
「それ前に断ってなかったか?」
「そうなんだけどさー」
「で、入んの?」
写真部、と小声で言うノクトの目が少し不安そうで、思わず笑ってしまった。
「なんだよ…」
「いや、なんかさ…うん、なんでもない」
「なんだそれ」
やっとスマホから顔を上げたノクトが不満そうに眉を寄せた。
そんな顔を見ていたら、入部しますなんて絶対に言えないと思った。
自信過剰と言われるかもしれないが、ノクトはこんな風に、時々俺が別の人と仲良くすると少し不満そうにする。
本人には絶対に言えないが、そんな様子が普段のキラキラしたイメージとギャップがありすぎて少し可愛いと思ってしまう。
「大丈夫、入部はしないから」
「大丈夫ってなんだよ」
「べつにー?」
不安そうにする姿は可愛いが、ノクトにはいつも笑顔でいてほしい。
なら答えは一つだ。他の人と一緒にいる理由が無い。
ノクトの隣にだけいればいい。


「本当にごめん、やっぱ写真部の件、断らせてほしくて…」
約束通り、次の選択授業の終わりに例の男子生徒に入部の件を断った。
手を合わせ、頭を下げ、この上なく丁寧に断った。
だが、相手は納得いかない様子だ。
「…なんとなくそう言うだろうとは思ってたけどさ、名前だけでも無理?」
「うん、なんか活動しないのに、申し訳ないし…」
「そうだけどさー」
不機嫌を隠す気は一切無いらしく、彼は腕組みをしたままじっと俺のことを見ている。
あまり良い雰囲気ではないが、授業の終わりでおまけにこの後はホームルームで教室には俺たち以外いない為、そんなことを気にする人間はいなかった。
「なぁ、そんなに入部が嫌な理由って何?」
「嫌ってわけじゃ…」
「忙しいとか?」
詰め寄られ、返答に困る。
ノクトと一緒にいたいから、なんて言うとこの男子生徒はなんて言うのだろうか。
ぼんやりそんなことを考えていたら「真面目に聞けよ」と睨まれた。
不穏な空気を感じ逃げ出そうかと思ったが、腕を強く掴まれてしまった。けっこう痛いし、振り払えない。
ああ一刻も早くこの場から立ち去ってノクトのところへ戻りたい。
そして神様は、俺の願いを聞いてくれたようだ。
「その辺にしとけば?」
教室の入り口から声がして、そこには夕日に照らされキラキラしたノクトがいた。(本当にキラキラしていたんだ。)
まっすぐこちらに向かってきたノクトが男子生徒の腕を払うと、そのまま今度はノクトに腕をひかれ外へと連れて行かれる。
「悪いけど、そういうことだから」
そう言い放ったノクトは、俺の方を見ない。
男子生徒はと言うと、ぽかんとした表情でこちらを見て固まっていた。


廊下に出て、やっとノクトが手を放してくれたところで恐る恐る聞いてみた。
「なんで、来てくれたの?」
俺は、どんな返事を期待していたのだろう。自分でも分からない。
ただノクトが「ホームルーム始まっても帰ってこなかったから」と言って、何故だか少し残念に感じた。
「そっかー、心配かけちゃったね。でも、別に喧嘩してたわけじゃないから…」
「喧嘩じゃないなら、なんだったんだよ」
そう言って振り返ったノクトの目に怒りの色が見えた。
「…ノクト?」
「俺には、あいつがお前を脅してるようにしか見えなかったけど」
そうなのかもしれない。
こんなはずじゃなかった。ノクトに嫌な思いをさせたくなかっただけなのに、結果としてノクトの表情を曇らせてしまった。
「ごめん、結局ノクトのこと巻き込んじゃったね」
「そんなの気にしてねーし。俺は、ただ…」
ノクトが何かを言いかけた時、丁度チャイムは鳴り響いた。
しばらく黙った後、「帰ろっか」と言うと、ノクトは無言で頷いた。


**********


後日、写真部の件をきちんと謝りたいとノクトに相談した。(一人で勝手に行くとまた何か起こりそうだったから。)
ノクトにはやめとけと一蹴されたが、うやむやのままにしておくのは気持ちが悪いと言うと、ノクトも一緒に行くことを条件に許可が下りた。
そして放課後、写真部の部室の前までやって来た。
「ノクトはここにいてね、一緒に行って俺が一人で謝罪も出来ないやつって思われても嫌だし」
「はいはい…つーかお前が謝る義理なくないか?」
「いいのいいの、これは俺の問題だから」
そういう所なんだよな…とノクトが小言を言っていたが、無視して部室の扉に手をかけようとした。
その時。

「ねーねー、アージェンタム君の入部ってどうなったの?」
「それが断られてさ。あとちょっとだったのに王子本人に邪魔されて」
「えー、アージェンタム君呼べないとノクティス王子も呼べないじゃん」
「ホント、あいつらいつも一緒だからプロンプト餌にしないと王子ぜってー来ないし」
「アージェンタム君、いつもノクティス王子といるもんね。あれじゃ王子に近づけないよね」

部室から聞こえた会話に絶句した。
餌。俺が。ノクトの。
ノクトにも先ほどの会話が聞こえていたのだろう。後ろから小さな舌打ちが聞こえた。
それと同時にノクトが部室の扉を開けようとしたのを必死に止めた。
「ッノクト、やめようよ」
「なんで」
「俺が悪いんだ、俺が、全部…」
ノクトの友達になったこと、今でも後悔していない。自分から離れる気なんて更々ない。
ただ、それがノクトの足枷になっている。ノクトの邪魔をしている。そんなのは絶対に嫌だ。
「俺は利用されようが何されようがどうだって良いんだ。ただ、俺なんかじゃなくて、もっと別の人がノクトの傍にいたら…」
「…それ本気で言ってるのか」
同時に、ガンッと音と共に部室の扉が開いた。
その音に驚いたのは部屋の中の人間も同じらしく、全員が「なんで」とも言いたそうに、こちらを見てぎょっとしていた。
「ノ、ノクティス王子…?」
先日の男子生徒がノクトと俺を交互に見ている。
「や、二人から来てくれるなんて思ってなか…」
「言い訳とかいいし。そんなの聞きに来たんじゃない」
ノクトがぴしゃりを言い放つと、男子生徒は肩を震わせた。
「じゃあ…」
「卑怯な手なんか使わずに、正面から来れば良いだろ」
それだけ言うと、ノクトは俺に「行くぞ」と言って踵を返した。
すぐに後を追うことが出来ず立ち尽くしていると、背後から「…お前のせいだからな!」と男子生徒の声が聞こえた。
俺は振り返らず、急いでノクトを追いかけた。


その後、ノクトは黙ったままだった。
一緒に学校を出て帰路を歩いているが、話しかけても返事が無い。
俺はひたすら後ろを歩いているだけだったが、誰もいない河川敷まで来たところでノクトが足を止め振り返った。
「プロンプト、スマホ出して」
言われるがままスマホを取り出しノクトへ手渡す。
何をするのかと思ったら、ロックがかかっているはずの画面をノクトが操作している。
なんで、と言う前に「お前のことで知らないことなんてないから」と何でもないようにノクトが言った。
反射的に右腕のリストバンドを抑えると、そこのことは知らないから安心しろと言う。
そのまま俺のスマホを操作し続けるので、何をやっているのか聞くと「必要無いものを消してる」とノクトは手を止めない。
意味が分からない。必要ないものってなに?
急いで画面を覗き込むと、連絡帳から先ほどの生徒達や他のクラスメイトの情報を削除していた。
あまりのことに唖然としていると「親とか大切っぽい人のは残してるから平気」と無表情のノクトが俺にスマホを返した。
「大切って…大切じゃない人なんて、いないよ!」
「さっきの奴らも?」
「それは…」
「俺なりに、いろいろ考えたんだけど」
まるで明日の天気の話でもするかのように、ノクトの声は自然だ。
「プロンプトと会って、一緒にいるようになって、それが当たり前になって…お前がいない瞬間なんか、もう想像つかない」
「それは、俺だって…」
「お前のことだから、どうせ自分なんかが「ノクティス王子の友達で良いのか」なんて考えてるんだろ? でも、逆なんだよ」
お前じゃないと駄目なんだ。
そう言ったノクトの目が、寂しく揺らめいていた。
ノクトのこの言葉は、きっと嘘なんか一つも混ざっていない真実なのだろう。ずっと一緒にいたから分かる。
誰でもない。俺だけに言ってくれている。
胸の奥がじわじわと熱くなる。
「俺言ったよな、初めてじゃないって。小学生のあの時から、ずっと待ってた。お前が来てくれるの」
「だからお前を手放すなんてこと絶対にしない。どれだけ待ったと思ってるんだ」
「他のものなんて必要ない。お前と俺の邪魔になるものなんか…」
そう畳み掛けるノクトを、俺は目一杯抱きしめた。
ごめん、ごめんと何度も謝りながら。
「なんで謝るんだよ」
「分かんない…でも、ノクトが悲しい思いをしてるのは俺のせいだから」
ノクトが優しく抱きしめかえしてくれた。嬉しい。
夕暮れ時で、周りに人がいなくて良かった。しばらくこうしていられる。
「プロンプトのこと、もっと知りたい」
「さっきなんでも知ってるって言ってたじゃん…」
「適当だあんなもん。スマホのロックは誕生日にしてるお前が悪い」
「そっかー…。ね、俺たちって友達だけど、友達じゃないよね」
「なんだそれ」
俺たちはきっと、友達だけど友達じゃない。
でも、この関係がなんなのかは分からない。
この答えを見つけるには、もっと時間がかかるのだろう。