ふたりぼっち

風に揺れる草原の草花と、遠くに見える真っ赤な夕日が眩しい。
前を歩く青年の長い影に追いつこうとするが、思うように足が上がらない。
途切れつつある苦しい呼吸。額から流れる汗。
肌をなでる風が気持ちいい。このまま、風になってしまいたい…と思ったところで、先を行く青年がこちらを振り返った。

「なんだ、もう限界か?」

勇者様もそんな顔するんだな、と歯を見せて笑う彼は僕の命の恩人のカミュだ。
悪魔の子と汚名を着せられ牢獄へと放り込まれた僕を救い出してくれた人。
今でこそ爽やかな青い髪が印象的な彼だが、最初はフードを目深に被っていた為よく顔が分からず、もしかしたら救いの女神なのかも…と命の危険の背景で考えていた。絶対に本人には言わないけど。
今はお互いの目的の為一緒に旅をしているが、僕と言えば故郷の村を出たばかりで旅の勝手など知らない。
一方カミュは長いこと旅をしているらしく、その辺りの事情に詳しく世話になりっぱなしだ。
天候の予想、食料の調達方法、休むタイミング、僕には何もわからない。カミュについて行くだけで精一杯だ。
今だってそうだ。疲れたことを言い出せず、ただ前を歩く彼の背中を追っていた。
カミュは小さくため息をつき、足の止まった僕の方へ歩み寄る。
視界に広がる彼は僕より幾分か小さい体なのに、どこか頼もしい。
「今日はこの辺りで休むか。川も近いしな」
「まだ、大丈夫だよ」
「ばーか。自分のこともわかんねーのかよ」
眉をひそめたカミュにピンッと額を細い指で弾かれる。
イテ、という声と共に体がよろけ、思わずその場に尻もちをついてしまう。
「な? 先輩の言うことは聞いとけって」
意地悪に笑うカミュだが、内心僕のことを心配してくれているのは分かっている。
カミュは盗賊をやっていたということだがどこか面倒見がよく、それに甘えてしまっている。
このままではいけない、今は同じ旅をしている仲間なのだから助けあわねば。
いつもそう思うのだが、気が付けば彼に助けられている。情けない。
地面から起き上がり砂を払っていると、カミュがバケツを差し出してきた。
「ほら、水頼む」
「う、うん」
荷物をキャンプ地に置き手渡されたバケツを手に川辺へ向かう。
西日でキラキラ光る水と、遠くに仲間と戯れているスライムが見えた。
(こうして見ると、すごく平和なんだけどなぁ)
世界の危機とはなんだ。自分の知らないところで起きている何かを、僕は知らない。
気が付いたら、しばらくその場で立ち呆けていたらしい。
「ったくお前は、水も汲んでこれねーのか?」
後ろから肩を勢いよく叩かれる。
バケツに汲んでいた水が、少し溢れた。
「大丈夫かよ、お前」
「…大丈夫だよ」
「そう見えねぇから聞いてんだけど」
腕を組み、少し苛立った口調で問われる。
カミュは正直だ。そういう所も、彼の信頼できるポイントなのかもしれない。
「ちょっと、故郷のこととか、自分のこととか、色々考えちゃって」
「意外とセンチメンタルだな」
「カミュは考えないの?」
故郷のこと、と言って気が付いた。僕は彼の故郷のことを何も知らない。
「さぁ。…どうだろうな」
カミュは会話を濁すと僕が水を汲んだバケツを持ってキャンプ地へ向かった。

「ほら、置いてくぞ、勇者様」

簡単な夕食を済ませた後、明日も早いからと早々に寝具に潜った。
とにかく食べて寝て体力をつけたい一心で床に就いたが、しばらく目を瞑っていただけで夢の中へは入れなかった。
今夜は雲の無い満月らしく、テントの外が明るい。
こんな夜は、よくエマと一緒にこっそり家を抜け出して星を見に行ったっけ。
翌日母にばれて怒られ、少し泣きべそをかいた後にあたたかいシチューを出してくれるのだ。
ほかほかのじゃがいも、甘くてやわらかいにんじん、ミルクたっぷりのクリーム。思い出すだけで、大好きだった母のシチューの匂いが蘇ってくる。
シチューをお腹一杯食べた後、母が優しいキスをしてくれるのだ。いつもの笑顔でおやすみなさいと言われてベッドに入ると、その後は決まって良い夢が見れる。
…駄目だ、昔のことばかり考えてしまう。
思考を他のものに向けたくて寝返りを打つと、隣で寝ているはずのカミュがいないことに気が付いた。
「…カミュ?」
小さく名前を呼ぶが、返事はない。
トイレか何かだろうと思ったが、しばらくしても戻ってくる気配はない。
もしかして、魔物に襲われているのか…!?
そう考えてしまった時にはもう飛び起きており、剣も持たずテントを飛び出した。
嫌な汗が頬をつたう。カミュ、もし君の身に何かあれば、僕は…。

外に出て、焚火のそばの丸太に腰掛けているカミュを見つけた。
彼は自分の武器の手入れをしていたらしく、俯きがちに短剣を磨いていた。
「ん? どうしたんだ」
僕に気が付き顔を上げたカミュと目が合う。その瞬間、安堵から足の力がどっと抜け、その場に膝をついてしまった。
「お、おい。どうしたんだよ?」
心配そうな表情のカミュが近寄ってくる。
そのまま僕をひっぱり起こしてくれて、近くに二人並んで座った。
「カミュ、良かった、良かった…」
「おいおい、何があったんだよ」
「カミュに、何かあったのかと思って」
それから僕は、カミュがなかなか戻ってこなかった為に心配になりテントを飛び出したことを伝えた。
「何も言わずに出てって悪かったよ」
「…」
「なぁ」
どう返していいものか、分からなかった。だってカミュは悪くないのだ。自分が勝手に早とちりして、また彼に心配をかけて、こうして気を遣わせてしまっている。
情けない。仮にも勇者なのに。いつになれば、胸を張って歩けるんだろう。
気が付けば、涙で視界が歪んでいた。
よく見えないが、きっとカミュは驚いた顔をしている。
ぎょっとして、おいおいマジかよって冗談みたいに笑い飛ばしてほしい。そうしてくれれば楽だから。
だがこちらの考えとは裏腹に、カミュは僕を優しく抱き寄せると、頭を撫でてくれた。
状況が呑み込めず慌てて涙をぬぐいたカミュを見る。
そこには、優しい笑顔の、遠い存在のような青年がいた。
「昔な、こうしてやると泣き止む奴がいて」
「…うん」
「生意気で面倒事ばっかり起こす奴だったけど、大切な…」
カミュは、その続きは言わなかった。
少しの間、黙ったまま僕の頭を撫でてくれていた。気持ちよかったが、「もういいだろ」と手と体が離れて行った。少し、名残惜しい。
「俺、お前のこといまいち信用してなかったのかもな」
「カミュ?」
「勇者の奇跡とかなんとか言ってお前と一緒にいたけど、自分の目的のことばっかり考えてた」
お前は俺のこと頼ってくれてたのにな、とカミュは少し寂しそうに笑った。
「それは、僕が頼りないからで」
「そうかもな。でも、それじゃあ信頼していける関係にはならねぇ」
違う、違う。カミュは悪くないのに。
「どうすれば良い?カミュにこれ以上心配をかけたくないし、僕はもっと君に頼られる存在になりたい」
「それはどーも」
「違う、そうじゃなくて」
「俺だって不安なんだよ」
先ほどまで明るかった月の明かりが雲で隠れ、カミュの表情が分からなくなる。
「お前と無事に目的を果たせるのかって。どちらかが欠けてしまったら…って」
顔こそ見えないが、カミュの声が震えているのが分かる。
「させないよ、そんなこと」
僕はカミュの手を取り、強く握った。
「まだこんな僕だけど、君が背中を預けられるぐらい強くなる。安心して一緒に戦える存在になるよ」
「お前、」
「誓うよ」
真っ暗で虫の声一つない。まるで僕ら二人だけの世界のようだ。
「だから、カミュも泣きたくなったら言って。今度は僕が慰めるよ」
「泣かねーよ、ばーか」
例え泣かないとしても、カミュはきっと悲しみや苦しみを一人で抱え込む。
そんな寂しい思いを、もう彼一人にさせたくない。
「故郷の母が、僕が泣いたり悲しそうにしてると、いつもしてくれることがあるんだ」
やっぱりカミュの顔は見えない。でも、構わない。
僕は握っていたカミュの手を引き寄せ、勢いで僕に倒れ掛かった彼の頬にキスをした。
「!? おま、え」
ほんの一瞬の短いキスだ。母親が子をあやす優しいもの。
「昔、こうしてると泣き止む人がいて」
「それはお前だろ…」
手を解いたカミュにぐいっと胸を押され、体が離れていく。
雲が晴れ、徐々に辺りが明るくなってきていた。
月明かりに照らされたカミュの顔がほんのり赤い。
あ、手で隠した。
「馬鹿なことしてないで、さっさと寝ろよ」
「分かった。でも、一緒が良い。一緒に戻ろう」
「はいはい。…あー、調子狂う」
カミュは自分の短剣を拾うと、 頭をかきながらテントへ戻っていった。
取り残された僕は、何故カミュにあんなことをしてしまったんだろうと急に恥ずかしくなってきていた。
彼を安心させたくて、その一心で…。また、困らせてしまっただろうか。
もやもやとおさまらない思考に頭を抱えていると、テントからカミュが顔をのぞかせた。
「おーい、いつまでそこにいるんだよ」
一緒がいいんだろ?と声をかけられ慌てて振り返ると、それと同時にカミュはテントへ引っ込んだ。
ああもう、いつになれば彼に追いつくことができるのか。
この二人だけの世界は、いつまで、続くのだろう。