さいごの悪夢

その日、俺は夢を見た。
どこか分からない、ふわふわとした空間に浮かんで彷徨っていた。
得意のシフトも使えず、走ることも出来ず、声を出すことも出来ず、流されているだけの空間。
たぶんこれは夢だと気が付くまでそう時間はかからなかった。夢と決まれば話は早い。とっとと目覚めればいい。
だが、寝ることは得意でも起きることは苦手な俺はその方法を知らなかった。
頬でもつねれば良いのかと考えていた時、遠くにプロンプトの後ろ姿が見えた。
遠すぎてぼんやりとしているが、あの眩しい金髪はプロンプトだ間違いない、とどこか確信を持てた。
なんとか腕を動かしてプロンプトの姿がはっきり見える場所までやって来ると、こちらにくるりと振り返った。
プロンプトは、今まで見たことが無い笑顔だった。
幸せそうな、楽しそうな、俺の心までもを満たしてくれるような笑顔だった。
不覚にもどきりとしていると、プロンプトの方から俺の方にゆっくり近寄ってきた。
気が付けば鼻先がふれてしまいそうなほど近い距離にいて驚いたが、俺はその場を動けなかった。
プロンプトの目がまっすぐ俺のことを見ていて、全てを見透かされているような気がした。
そして優しく頬に触れられ、俺たちはそのまま――――


「……最悪だろ、俺」
アラーム音を響かせたまま投げ飛ばされたスマホを見て、頭を抱える朝を迎えた。


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控えめなノックの後、「ノクト入るぞ」とドア越しに落ち着いた声が聞こえた。
「体調が悪いと聞いたが」
少し不機嫌そうな表情のイグニスが出来たてのおかゆを持って俺の部屋に入ってきた。
私物が散乱した床に躓くことなくベッドまでやって来て、近くのテーブルにおかゆを置いてくれた。
ベッドへ投げ出したままだった体を起こすと、イグニスはため息をついた。
「元気そうだな。今からでも学校へ行けるんじゃないか?」
「あー、今日は…無理、ほんと、無理」
「熱は無いのだろう?」
少し心配そうな表情をするイグニスには申し訳ないが、今日だけは本当に無理だ。
今日だけは、プロンプトに会えないんだ。
だって、夢も中であいつとキスをした。こんなの、許されない。
思い出しただけでくらくらしてきて、俺は再びベッドへ倒れこんだ。
その様子を見て体調が悪いのは本当だと思ったらしいイグニスは、しばらく寝ていろと言って部屋を出て行った。
一人になった途端、再びあの光景が蘇った。
プロンプトとキスをした。キスだなんて言えたものかは分からないが、確かに唇がふれた。
優しく頬に触れられ、ゆっくりと唇を重ね、視線が交差した瞬間に目が覚め、ひどい罪悪感に苛まれた。
夢は人の心を映し出す鏡と言う。ならば、あれは俺が望んだことなのか?
馬鹿な!あいつは友達で、大切な親友で、決してやましい目で見てなんかいない。
そう思うのに、どうしてこうも顔が熱くなる? 分からない、どうして、どうして。
枕を抱えて思考を巡らせていると、再びイグニスが入ってきた。
「俺は用事があるから今日は帰るが、午後からグラディオが来るからな」
「はぁ!?なんで…」
「学校を休んでいる分、家で勉学に励んでもらわないとな。その見張りと言うわけだ」
マジかよ…と嘆いた。よりにもよってグラディオ。妙に鋭いあいつのことだ、何かに感づきお節介してくるに違いない。
では頑張ってくれと言い残し、今度こそイグニスは出て行った。
グラディオが来るのは午後だと言っていた。ならばもう少し寝ていよう。余計なことは考えたくない。
おかゆを食べ終え、再び眠りに落ちる前にあの夢の続きが見られないかと少し期待してしまった俺は、もう駄目なのかもしれない。


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「入るぞー、サボり王子」
イグニスとは違い少し力強いノックの後、さぞ楽しそうな笑顔のグラディオが入ってきた。
「珍しいなーサボりなんて。学校は真面目に行ってたのによ」
「っせーな、サボりとかじゃねーし…」
そうか、と笑いながらグラディオは近くの椅子に座った。
「で?本当のサボりの理由は?」
だからサボりじゃねーって。つーかやっぱり感づいてやがる。
「別に、ただ体調が悪かっただけで…」
言いかけで、枕元でピコンと俺のスマホの通知音が鳴った。
画面を見ると相手はプロンプトで、慌てて内容を確認すると「体調悪いって聞いたけど大丈夫?今日お見舞いに行ってもいい?」と書かれていた。
来てほしくはある。が、正直今は会いたくない。
しばらく画面とにらみ合っていると、すぐ隣から「女か?」とグラディオの声が聞こえたとともに肩が跳ねた。
「ッッッちげーし!つーか勝手に見んな!」
「王子様も隅に置けないな~?」
「だから違うって」
「じゃあなんだよ?」
友達、と言おうとしたのにすぐに言葉にできなかった。
ずっと良い友達だと思ってた。今朝、夢から覚めるまでは。
違う、あいつは何も悪くない。俺だけが、…最低なんだ。
「おいおいなんだよ、そんなに訳ありの奴なのか?」
「…いや、ただの友達、だし」
「友達、ねぇ」
ニヤニヤとした笑みを顔に張り付けたグラディオが、がしっと俺の肩に腕を回す。
「一国の王子様がタダのオトモダチの連絡に百面相するのか?」
「何が言いたいんだよ」
グラディオの腕を振り払おうとするが、解けない。この馬鹿力め。
「別に変な意味なんかねーよ。ただ、変わったなって思ってよ」
他人に執着しないお前が、と、今度は優しく笑うものだから困ってしまった。
確かに、少し前まではクラスメイトとの関係なんてどうだって良かった。どうせみんな俺に好奇の視線しか送らない。「ノクティス王子」にしか興味が無い。
だからプロンプトと出会って変わった自覚はある。あいつは他のクラスメイトとは違う。いつも俺だけを見てくれる。
なら、俺もそれに応えるのが当然だ。俺もプロンプトだけを見る。余所見なんて絶対にしない。それが間違っているのか?
…間違って、いたのだろう。
あんな夢を見たのだから。

「…特別、なんだ」
「あいつだけは違う。俺と同じものを見て、同じものを感じてくれる」
「ずっと出会う日を待ってた、だから特別なんだ」
考える前に、ぽつりぽつりと勝手に言葉が零れた。
しまったと思った時には既に遅く、グラディオに全て聞かれてしまっていた。
茶化すか馬鹿にされるかと思ったが、グラディオは「そうか」とだけ言うと肩に回していた腕を解き、俺の頭をわしわしと撫でた。
「とりあえず、それ返信してやれよ。勉強は、まぁ…イグニスには上手いこと言っておいてやる」
「良いのかよ」
「つっても完全にサボるんじゃねーぞ。ちょっとは勉強した跡残しとけ」
無言でグラディオに感謝の視線を送ると、全部わかってるみたいな顔で白い歯をキラリと輝かせた。
こういう所がモテるのだろう。分かんねーけど。
「グラディオは、もし」
「ん?」
「もし、友達と思ってた相手と…」
その続きは、怖くて聞けなかった。
否定されたら。気味悪がられたら。無理だろうと言われたら。
どうしてこんなことを聞いてしまったのだろうと、後悔の念に駆られた。
そんな俺の心配とは裏腹に、グラディオはそうだなーと腕を組み、真剣な表情で答えてくれた。
「俺は至極簡単な問題に思えるが」
そんなもん自分と相手の気持ちを確認しちまえば良い、と。
「ノクトはどうなんだ」
「どう、って」
「そのトモダチのこと、好きなんじゃないのか?」
好き。プロンプトのことを。俺が?
ふと頭にあいつの笑顔が浮かぶ。俺の名前を呼んで、輝く金髪が風に揺れて、眩しい太陽みたいな姿が焼き付いて離れない。
そして「その顔」とグラディオが言った。
「どんな顔だよ」
「好きな奴のこと考えてる顔」
マジか、と言いそうになったのを堪えて、ぐっと息をのんだ。
「はぁー、ノクトもそんな顔するようになったんだな…」
わざとらしく涙ぐむような仕草を見せるグラディオに溜め息が出る。
「そんなに大切な相手なら、嘘なんか絶対につくなよ。思ってること全部ぶつけりゃ良い」
お前が選んだ相手なら必ず応えてくれる、と言うグラディオがいつも以上に頼もしく見えた。
「なんで、そんなこと言えるんだ」
「何年お前と剣の稽古してると思ってる」
「関係あんのかそれ」
拳は口以上にものを語る、と言うグラディオに、つい笑ってしまった。
「ま、俺から言えるのはここまでだな。あとは自分で頑張れ」
そこまで言うと、俺の返事も待たずにグラディオは部屋から出て行ってしまった。
頑張れって。どうすればいいんだよ。
とりあえずプロンプトに返信をすることにした。
まじでやばい、死にそうと冗談で送ると、即座に心配だという旨のレスが送られてきた。
悪いことをした気分だが、こんなところが可愛い、と自然とほほ笑んでしまう。
好き、なのだろう。きっと。ずっと前から。プロンプトのことが。
俺は自分の気持ちに気が付けない鈍感で、でも自分の欲望には忠実で、絶対に手放したくないものがある。
(それがプロンプトだって、言えられれば楽なのにな)
どうにも難しい俺の葛藤は、あと何回続くのだろう。