うんざりなんだ - 1/2

 腹が立つほどにまるい月を見上げながら、ベジータは月明かりだけが降り注ぐ人が寄り付かない岩場に立っていた。
 謎の青年から3年後には人造人間が現れると言う話を聞かされ、今頃は各々が修行に明け暮れていることだろう。ベジータもブルマの父親が用意した重力室でトレーニングを行っていたが、システムの不調だとかなんとかで、修理の為に部屋から追い出されてしまった。
 頭上の月に視線をやり、ベジータは舌打ちする。この体からはサイヤ人の特徴であるしっぽは既に失われているが、満月の夜はどうも調子がおかしくなる自覚があった。大猿化するわけでもないのに、なぜか胸の奥がざわざわとする。普段よりも思考が鈍るので余計なことを考えないよう重力室でトレーニングに集中していたかったが、今はそれが出来ない。このままでは何かに当たり散らかしてしまいそうで、夜中だと言うのにこうしてCCを出て人気のない場所へとやって来たのだった。
 とりあえず体を動かしていれば気も紛れるだろうと思い、岩壁に向かって軽く気弾を放ってみる。するとベジータが予想したよりも大きな衝撃が生まれてしまい、気弾は岩壁を突き抜け森の木々を真っすぐ倒したのちに遠くの海の向こうへと消えてしまった。
 力のコントロールが出来ていない。それに気が付いて、ベジータは再び舌打ちをする。こんな状態ではまともなトレーニングができないと月を睨む。
 
「よっ、ベジータ」
 月をバックに上空から山吹色の道着に包まれた男が現れ、突然のことにベジータは目を丸くした。男が瞬間移動を会得したと言っていたことを思い出し、ため息をつく。
「何をしに来た、カカロット」
「お前もオラと同じかなと思ってさ。ほら、今日って満月だろ?」
 ベジータの隣に降り立った悟空はまんまるの月を指差し、害の無さそうな顔で笑いかけてくる。月に照らされた屈託のない笑顔を見て、ベジータは少し鼓動が速くなるのを感じた。
 悟空は腕を組みながらきょろきょろと辺りを見渡す。そしてベジータが作った岩壁の穴に気が付き、困ったように眉を下げ笑った。
「普通にしてればどうってことねぇんだけどよ、どうも落ち着かなくなっちまって……しっぽはもう無いのに不思議だよな。それでベジータはどうしてるかなと思ったら、ここから気を感じたからさ」
「何故オレを気にするんだ」
「だって、同じサイヤ人だろ?」
 ベジータは「悟飯は変わりないから純血のサイヤ人だけ影響が出るんかな」と惚けた表情で話す悟空を見る。こんなに近くで悟空の顔を見たのは初めてかもしれない。死線を潜り抜けてきた横顔は初めて会った時よりも凛々しさが増している気がして、戦闘民族としての仕上がりが出来ている男の姿に嫌気がさす。どうしてオレはこの男に追いつけないのだろう、どうしてこの男はオレを殺さなかったのだろう、どうして助けたのだろう、どうして、どうして、どうして……。
 ベジータには悟空という男が分からない。今まで深く関わってきたわけではないが、表裏が無いようでどこか影を感じる瞬間があった。この男が腹の底に何を隠しているのか暴きたい気もした。それが強さの秘訣なのではないか。本当はサイヤ人としての本能を完全に思い出しているのではないか。
 そんなことを考えていると振り返った悟空と目が合ってしまい、ベジータはつい悪態をついてしまった。
「間抜け面で勝手に見るな」
「なんだよ、ベジータがオラのこと見てたんだろ?」
「うるさい……なんなんだ、お前は」
 誰かの背を追うのは性に合わない。いつかこの男を追い抜いてやると誓ったが、悟空はベジータを見ない。いつも見ているのはこちら側だ。お前がオレを逃がした癖に、見向きもしないのか。それがどれほど屈辱的なことか分かっているのか。
 そう問いかけるように眉間にしわを寄せる。鼓動が更に速くなる。どくどくと脈打つ音が耳障りで、他の音が聞こえなくなりそうだった。
「なあ、ベジータ」
 悟空がベジータに向かって手を伸ばす。その手を払いのけようとしたのに、思ったよりも強い力で腕を掴まれてしまった。見れば惚けた表情は一変し、鋭い視線がベジータをじっと見つめていた。
「お前も落ち着かなくって、こんな状態じゃ修行なんてできねえって分かってるからイライラしてんだろ。オラも同じだ。だからさ、オラと組み手やらねぇか?」
 肯定以外の言葉は聞き入れる気が無いのだろう。腕を掴まれる力が強まり、ベジータは顔を顰めた。状況は悟空と同じなので組み手を受け入れる価値はあるのに、それでは目の前の男の言いなりになっているようでどうも気に入らない。
 冗談じゃないと逃げ出そうとしたのに、ふいに顔を近づけてきた悟空が耳元で囁いた。
「お前じゃないと駄目なんだよ、ベジータ」
 
 きっと、その言葉がベジータの心を弱くしてしまったのだろう。小さく頷けば安心したように微笑んだ悟空が「場所を変えよう」と呟き、気が付けば木に囲まれた森の奥に来ていた。組み手ならば先程の開けた岩場の方が良いのではないかと思ったが、今はそんなことどうだっていい。カカロットに求められている、オレを見ている。今のベジータにはそれだけだった。
 だが、そう思った一瞬の隙にベジータは背後の大木に押さえつけられており、気が付けば目の前に悟空の顔があった。上から縫い付けるように悟空がベジータの両手首を掴んで離さない。
「おい、なにを……」
「悪いベジータ。やっぱり無理、かも、しんねぇ……」
 何が組み手だ、馬鹿野郎。そう言って蹴とばしてやりたいのに上手く力が入らない。先程悟空が顔を寄せて来た時から力が抜けていたような気がすることを思い出し、何かがおかしいとベジータは身体を捩った。こんな森の中では草木のにおいしかしないはずなのに、どうしてか甘いような香りに包まれている。それの正体が分からず、ベジータはただ悟空にされるがまま動けずにいた。
「本当に最初は組み手がしてぇと思ってたんだ。なのに、なんでかな。お前の顔見たら変になっちまって。お前もそうだったらいいのに、なんて思ってて」
「変に、って……お前……」
 ごり、と太ももに硬いモノが触れる。それに気が付いた瞬間ベジータの額に汗が浮かんだ。恐る恐る視線を下にやると、悟空が身に着けている道着の予想していた箇所がしっかりと膨れていた。こいつ、どうしてこんなことになっているんだ。
 嫌な気配を感じたベジータは今の悟空から逃げなければならないと理解しているのに思うように身体が動かない。この匂いのせいだ。だけど、一体どこから。
 熱を含んだ悟空の視線がベジータを射抜き、ごくりと喉が鳴る。近づいてくる呼吸からは逃げられないと腹をくくり黙っていると、ゆっくりと二人の影が重なった。