Tenderhearted - 2/2

(グリーン視点)

トキワジムのジムリーダーに就任して早数年。時が経つのは早いもので、その間に新たなチャンピオンが生まれたり失踪中の幼馴染が見つかったりと色々あった。
目まぐるしい日々の中で小さなことからは目を背けがちであったが、幼馴染の発見は地元ではかなりの事件となった。
シロガネ山から取れ戻し一緒にマサラに帰ってからは、まずは母親と再会させる為にあいつの家へ、次にじいさんへの報告もかねて研究所へ、続いて町の知り合い達のもとへ、そして最後に俺の家へと向かった。
玄関で姉が出迎えてくれた時にはお互い疲れ切っていて、すぐにリビングのソファへと倒れ込むように二人で崩れ落ちてしまった。
「レッド君、またゆっくりと話を聞かせてね」
話の通じる面倒見の良い俺の姉は飲み物の入ったグラスをテーブルに出すと、自分がいると休めないだろうからと席を外した。
姉だってレッドと話したかっただろうに、なんだか申し訳ないことをしてしまった気がする。
ならばせめて姉の用意してくれた飲み物がぬるくならない内にとコップに手を伸ばそうとした。
だが、体を起こそうにも俺の肩に頭を乗せもたれ掛かるようにしている幼馴染が邪魔で、うまく手を伸ばせない。
「レッド、重い」
どけろと言いながら肩をゆすってやったところで、はたと気がつく。シロガネ山でこいつを見つけた時から、記憶の中のレッドと目の前の本人に妙にズレがある気はしていた。
でもそれは最後にリーグで顔を合わせてから何年も経っていて記憶が薄れているからだと思っていた。
実際は違った。手で触れた肩が、記憶の中のものと違う。
手を伸ばすことは諦め、代わりに隣の男の顔を覗き込む。
目が、鼻が、口が、顔のパーツがどれも記憶の中のものと違う。俺が思っていたよりも時が経っていたことを改めて実感する。
一緒に故郷を旅立った時は体格にはあまり差が無く、でも背は俺の方が高かった。顔つきだって、まわりから大人びていると言われていた俺と違ってこいつは年相応のそれだったはずだ。
だからかもしれない。俺の方が成長が早いからと、俺があいつよりも大人だからと、俺が先を走らねばならないと思い込んでいた。
多少の見栄やプライドもあったと思う。でもそれより、いつも無口な幼馴染のことが気がかりだった。
一人で知らない土地に行って何が起こるか分かったものじゃない。ならば俺があいつの前を歩けば良い、そうすれば導いてやれるのでは、と。
今思えば馬鹿なことをしていた。誰に頼まれたわけでもない、何をやっていたんだろう、俺は。
気がづけば思ったより長いあいだ隣の幼馴染の顔を見てしまっていたらしく、レッドは帽子を深くかぶりなおした。
「部屋の中でぐらい脱げば良いのに」
レッドはどこにいる時も帽子を脱がない。さすがに寝る時にまで被ってはいなかったので、それこそ風呂や寝室でぐらいしか脱がないのではないだろうか。
「だって、慣れないから」
「なにが」
「人と目を合わせるの」
そう言って、ふいとそっぽを向いてしまう。
「俺しかいないから平気だろ」
そんな態度のレッドを俺は何故だか揶揄いたくなってしまい、帽子を無理やり取ってやろうとつばを握る幼馴染の手を掴んだ。
そこでまた、気が付いてしまう。こいつの手、こんなにでかかったか?
いつの間にか俺からいろいろなものを追い越していた幼馴染に戸惑いを覚える。もう記憶の中のレッドは、どこにもいないんだ。

「グリーン」
名前を呼ばれ、はっとする。掴んだままだったレッドの手が少しあつい。
「ええと…、悪かった」
手を離そうとして、今度は逆にその手を掴まれる。
自分のものより少し大きなそれが、少しだけおそろしく思えた。
「君は、変わったんだね」
俺の手を掴んだままぽつりと呟くレッドの声が、記憶の中のものより少し低い。
「変わった?俺が?」
「うん、なんだか…変な感じだ」
俺がレッドにしたみたいに、今度はレッドはこちらの顔をじいっと見つめてくる。いつまで経っても純粋で迷いのないと思っていたその目に、戸惑いの色が浮かんでいるのが分かる。
「大して変わってないだろ、そりゃあ背は伸びてるだろうけど」
「違う、そうじゃなくて…」
ならなんだよ。何が言いたいんだ。
どうにももどかしいレッドは少し目を泳がせた後、再びこちらを見て口を開いた。
「昔のグリーンはもっと、嫌なやつだった」
喧嘩売ってんのか。そう言いたかったが、真面目な顔で言われてしまうとどうにも反論する気になれなくて息をのむ。
確かに、旅に出たばかりの俺はレッドにとっては嫌な人間だっただろう。自分からそういう態度をとったのだ、何を言われても仕方がないとも思う。
「なのに、今は全然嫌なやつじゃない」
「お前それ、褒めてんの、それとも貶してんの?」
「どっちでもない」
結局、レッドが何を言いたいのか分からない。それに掴まれたままの手に力が入り始めているのか、少し痛みを感じる。
「レッド、とりあえず手はなせ」
「だって、おかしいよ、変だ」
「だから何が」
無理やりレッドから離れようと腕を引くが、向こうの力が強くてびくともしない。
雪山に数年籠ってた男だから相応の力はついているだろうが、こんなにも差が付くものなのか。
「なあ、レッド…」
「グリーンのこと、一番知ってるのは僕のはずだったのに、今はみんなが君のことを知ってる顔をする」
こいつは、何を言っている。誰のことを話しているんだ。
「君がみんなに僕を会わせてくれた時、気付いたんだ。僕はもう、グリーンの一番じゃないって」
人は他人と話さなくなると声が出なくなると言うが、それは嘘だと断言できるほど目の前のこいつの舌はよくまわっている。
そして、随分と勝手なことを言っている、と思った。
普段何を考えているのか分からない、それでも自分はこの幼馴染のことをよく理解しているほうだと自負していたが、こんな子どものようなことを言うのか、と。
「僕の知ってるグリーンは、もういないんだって」
「……いい加減にしろ!」
衝動のまま、空いていたもう片方の手でレッドの顔を殴っていた。シロガネ山でも一発殴ったから、これで二発目だ。自分でやっておいてなんだが、口の中は無事であって欲しい。
そして殴った時の衝撃でバランスが崩れ、二人そろってソファから転げ落ちた。背中から落ちてしまったが床に絨毯がひいてあったおかげで痛みはさほどない。だが俺の上にレッドが覆いかぶさる形になってしまい、重いし苦しい。なんでこんなにでかくなってるんだ、こいつか。
「そもそもお前がッ勝手にいなくなったんだろ!なのによくそんなこと言えるな、俺のことなんか本当は気にもしてないだろ!」
こんな状況でも、俺は構わず叫び続けた。
悔しい。俺にこんなことを言わせるこいつも、こんなことを言われてもまだ好きだと思っている自分も、なにもかも本当なのか分からない。
「俺が変わった?笑わせんな、変わったのはお前だよ、レッド」
「…グリーン」
「うるさい、名前なんか呼ぶな!」
俺たちは、長い間離れすぎた。
俺はレッドのことを分かっていたつもりだったのに、本当は何も分かってなんかいなかったんじゃないか。そう思えるには十分なほど時間が流れた。
「ああ変わった、俺もお前も変わったよ。だからなんだよ、ずっと同じでいられると思ってたのか?」
目の奥が熱い。涙なんて流したくない、なんの涙なのかも分からない。胸の中が怒りか悲しみかさえ不明でぐちゃぐちゃとしている。
レッドは仰向けの俺の顔の横に両手をつくと、殴られた頬はどうでも良いと言いたげに俺の目をじっと見つめ、そしてぐいと顔を近づけてくる。
そのままキスをした。こんな状況で。馬鹿じゃないのか、本当に。俺も、お前も。
体勢のせいで反攻ができない。肩を押し返そうとしたが力で負けている。
くそ、もう好きにしろ。そう思い始めた頃、やっと視界に光が差した。
「…自信が無かった。グリーンが、変わってしまった僕を本当に好きでいてくれるのか」
顔を離すや否や、レッドが口を開く。
「僕はどんな君だって好きだ。なのに、君が執着していた僕はもういない。それが、悔しくてたまらなかった」
バトルの時はどんなに不利な状況になってもまっすぐ前だけを見つめて立っていた男が、こんなにも弱々しいことを言うなんて。
「グリーンは、ずっと僕だけを見てくれていたのに」
そう言われた時、気が付いた。レッドをこんな風にさせしまっているのは俺なんだ、と。
「俺の、せいなのか」
その言葉の後、レッドの目がにぶく光った気がした。
やっぱり、そうなのか。お前を長い間縛って苦しめているのは、俺だったのか。
夢も未来も自分で掴みに行ける力があるのに、何故俺なんかをずっと待っているんだ。
「レッド、ごめん…、ごめん」
気が付けば、目の前の記憶の中と違う幼馴染を夢中で抱きしめていた。
抱き寄せた胸も耳にかかる吐息も全部本物なのに、どうして信じてやれなかったんだろう。
「好きだよ、あの頃のお前も、今のお前も。信じられない、かもしれないけど」
「君の言うこと、疑ったことない」
どうして迷いもなくそんなことが言えるんだ。今までさんざん、俺はお前にひどいこともしてきたはずなのに。
「何も変わってなかったな、俺たち」
そう言えば照れくさそうにこくりと頷くレッドが、少し可愛く思えた。
俺たちはいろんなことを何度もやり直している。
いつだって、今この瞬間がスタート地点なんだ。
「悪い、さっきの痛かったよな」
「うん、まあね」
少し赤くなった頬を撫でてやる。すると、「でも」と一言。
「僕、グリーンに殴られるの、嫌いじゃないかも」
そういうことは俺の前以外では絶対に話さないでくれ。
そう告げると、レッドは分かってると笑った。