till death do us part

殿堂入り。それがどれほど名誉なことか、子どもの自分でも理解が出来る。
フロアにぽつんと置かれたパソコンにレッド――自分の名前だ――と、ともに勝ち抜いてきたポケモンたちが登録されていく。

ポケモンバトルをしている時が、生きている中で最高の瞬間だ。
何度繰り返しても胸の高鳴りが止まらない。勝っても負けても興奮が冷めない。
ポケモンと自分との絆が目に見える瞬間、それがポケモンバトルだ。
世の中には自分のようなポケモン同士を戦わせるトレーナーもいればブリーダーやコーディネーターとしてポケモンと関わっている人間もいる。
自分がこのトレーナーという決めた道を外れることは生涯無いと思う。だけど強さを求めれば求めるほど、自分と並ぶ相手がいないことに気が付いてしまう。
昔は強いトレーナーが何人もいた。敵わないと挫折しそうになる瞬間が多々あった。なのに、今ではどうだろう。自分のまわりのトレーナーが皆、自分に敵うレベルとは思えなくなってしまった。

僕は11歳の時にカントー地方のチャンピオンになった。この年齢でチャンピオンになったのは前例が無いことだったらしく、しばらくテレビの取材やらインタビューやらで騒がしかった。
故郷のマサラタウンに戻り自分はチャンピオンになった、カントー地方で一番強いトレーナーになったのだと母に報告すればそれはもう自分のことのように喜び抱きしめてくれた。
母親だけではなく、町中の人々は祝いの言葉を送ってくれる。お前は町の誇りだ、と。
だけど僕の旅はここで終わりでは無かった。なにもポケモンリーグはカントー地方だけで行われているわけではない。別の地方に行けば、より強いトレーナーと出会えるのだろう。
チャンピオンと呼ばれるトレーナーは勿論、そんな肩書に縛られないトレーナーともたくさん戦いたかった。それほどまでに僕は、ポケモンバトルに魅入られていた。
「僕、もっと強いトレーナーと戦いたい」
そう告げれば、それを聞いた博士がふむと顎に手を添えた。
「そうか、ならばカロスへ行ってみるか?」
「カロス?」
その地方の名前を聞いたことはあったが、どんな場所なのかは知らなかった。
「今ちょうど孫が留学に行っておる。歳もレッドと同じで…あいつもなかなか腕の立つトレーナーでな」
それを聞いた途端、また胸の奥がざわざわした。
博士の孫がどれほどの強さなのかは知らないが、同じ年齢のトレーナーというのは興味があった。
思い返せば、旅の途中で強いと感じたトレーナーは年上ばかりだった。ジムリーダーの中には子どももいたが、それでもほんの数人だ。
その時の僕はもう、博士の孫だと言う存在に興味津々だった。
「カロス、行ってみたいです」


カロス行きの話はあれよあれよという間に進んでいき、気が付けば僕はカロスの地を踏みしめていた。
武者修行のつもりでやって来たが、博士からは「ついでに孫の様子も見て来て欲しい」と頼まれていた。
カロス行きの細かい手続きや支援などは博士が担ってくれていたし、そもそも自分の博士は恩人だ。その頼みを無下にはできない。
博士の孫という人には僕が今日カロスへ到着することを事前に連絡をしてくれていたらしく、ミアレシティの空港で待ち合わせることとになっていた。
だけど僕はその孫がグリーンという名前であるということと、僕と同じ年の少年ということしか知らされていない。博士に写真でも見せてもらえば良かったと到着してから後悔した。
空港の入り口付近でそれらしい人物を探していると、後ろからぽんと肩を叩かれた。
「誰か探してる?」
振り返ると、そこには自分と同じほどの背丈の少年がいた。
オレンジがかった茶髪に少しつり目の瞳が印象的なその少年は、人当たりの良い笑顔でこちらを見ている。
そこで胸の奥がざわざわとしていることに気が付いた。バトル中の高揚感と似た何かがはじまっている。
知らない土地で突然話しかけられて、緊張していたのかもしれない。ただでさえ僕は無口で、バトル以外であまり他人と関わったことが無い。
話しかけてきた少年は腰にモンスターボールを所持していたのでトレーナーだということは分かる。これはきっと、初めての土地でトレーナーと出会えた高揚感だ。胸のざわつきはそのせいだと自分に言い聞かせ、このままではいけないとなんとか口を開いた。
「えっと、グリーンって人を探してて」
「なるほど」
ふふ、と少年が口の端を持ち上げたかと思うと、その瞬間には腕を掴まれ空港の外に向かって引っ張られた。
「ちょ、ちょっと!」
いきなりなんですかと声をあげれば、少年はけらけらと楽しそうに笑った。
「じいさんの言ってた通りだ。お前、ぼーっとしてんのな」
「え?」
その時くるりと振り返ったその少年の笑顔が、とても眩しかったのを覚えている。
「レッド、鈍すぎ。俺がそのグリーンだよ」


今思えば、あれは一目惚れだったのかもしれない。カロスに辿り着いて一週間後、僕はそんなことを考えるようになった。
ミアレの空港で出会ったあの日から、グリーンとはよく顔を合わせた。カロスのことをあまり知らないだろうからという彼なりの親切心なのか、ミアレを中心にいろんな所を案内された。普段は研究所にいるという話を聞いて、僕からグリーンに会いに行くこともあった。
何度も顔を見て言葉を交わしているのに、会う度に身体の奥があつくなる。話すたびにもっとその声を聞きたいと思ってしまう。これは、誰がどう見たって恋そのものだった。
出会ってまだ一ヵ月も経っていないというのに、どうしてだろう。まだグリーンについては知らないことばかりなのに自分でも不思議だった。恋とは、そういうものなのか。
「レッドはカントーでチャンピオンになったんだろ?」
それはある日の昼下がり、グリーンと一緒にミアレの郊外を散歩していた時のことだった。
「何度もお前の顔を見たよ。だから、ずっと会いたかったんだ」
会いたかった、と言われてどきっとする。だけど、同時に何か違和感もあった。
「確かにチャンピオンになった時はテレビの取材をいっぱい受けたけど、カロスでもそんなに名前が出てたの?」
訊いても、グリーンはふふ、と笑うだけだった。
「お前はいつだって有名人だ。カントーでも、カロスでも、他の地域でも」
「…どういうこと?」
「それだけの実力者ってことだ、それに」
景色が草むらになったあたりで、グリーンが自分のモンスターボールを構える。
「会いたかった、ていうのも事実だ。俺だってトレーナーだからな、カントーのチャンピオンを前にして黙ってられないさ」
今僕の目の前にいるのはオーキド博士の孫ではなく、一人のポケモントレーナーだ。
バトルを挑まれれば、やることは一つ。
僕もボールを構える。久しぶりに血沸くバトルが出来そうだ。

結果から言えば、僕の勝利だ。なのに全然勝った気がしなかった。
昔からそうなのだが、僕はバトルでは少々ごり押しする気がある。力で押してはダメだと分かっていながらも、熱が入るとどうもそうなってしまう。
一方グリーンは僕とは真逆の頭脳戦タイプだった。さすが研究所にいるだけのことはある、僕なんかよりもポケモンの特性について理解している。
ピンチな時も優勢な時も常に冷静で、ポケモンのことをしっかりと見ている。
今回僕が勝ったのは手持ちのレベル差もあったからだ。もしこの差が無かったら、どちらが勝っていたかは分からない。
よくやったとポケモンをボールに戻し、草むらに倒れ込んだ。
「こんなバトル、久しぶりだよ」
ぎりぎりの戦いなんて、それこそいつぶりだろうか。カントーのチャンピオンになった時、最後に戦ったワタルとはこんなバトルをしたかもしれない。でもそれも、もう過去の話だ。
事実、グリーンの腕前はかなりのものだった。僕のようにバトルをメインにしているトレーナーならともかく、そうでないグリーンがここまでのレベルなのには正直驚いた。
「グリーンならチャンピオンだって狙えるかも」
「それ、俺を負かした現役チャンピオンが言うのか?」
隣に座るグリーンの横顔は、きれいだった。バトルの後なのに汗一つかいていない。僕はもう疲れきってくたくたなのに。これではどちらが勝者なのか分からない。
見上げた空は高い。さわさわと流れる風が頬を撫で心地よく感じていると、ふと視界に影が差した。
「…グリーン?」
気が付けば顔の両脇にグリーンが手を突き、僕に覆いかぶさっている。
彼の吐息がわかる程に顔が近い。一体、これはどういうことなのか。
「なに、…してるの」
「俺、レッドにずっと会いたかったんだ」
それは先程も聞いた台詞だった。
「会いたかったんだ、本当に…、レッドは?」
そう問われ、僕は返答に困ってしまう。グリーンの存在を知ったのはつい一か月程前のことだし、それ以前のグリーンのことも知らない。
オーキド博士から彼の話を聞いた時、確かに会ってみたいと思った。だけどこれは、グリーンの言う「会いたい」とはどこか違う気がする。
会いたかったかと訊かれても、そもそも僕は彼のことを知らなかったのだ。
なのに、どういうことだろう。「会いたかった」と言うグリーンを以前も見たことがあるような気がした。
不思議と懐かしさを感じる声と表情に戸惑う。僕は、彼のことを知っていたのか?
「…僕は」
口ごもる僕に微笑みかけるグリーンは僕を見ているはずなのに、どこか別の場所を見ているようだった。
「分からないけど、君に会えて良かった、と思う」
「なら、俺のこと好きか?」
「えっ」
好きか、だなんて。そんなの、決まってる。
「………好き、だよ」
顔が近いせいもあって、ぼそぼそと小さな声で答える。
「ふふ、そっか。そっかぁ…」
僕の言葉に満足そうにするグリーンの顔がきれいだなと見つめていると、気が付けば互いの唇が重なっていた。
触れるだけだったキスが角度を変え、音をたてはじめた頃に僕は体勢を変えグリーンから離れた。
「なに、するんだ」
「何って。だって、俺のこと好きなんだろ?」
グリーンのその言葉から、何かがズレているのを感じる。
口元を腕で拭うと、あからさまに不機嫌そうに睨まれた。
「なんだよ、はじめてでもない癖に」
「は…?」
僕の記憶が正しければ、他人とキスをしたのはこれが初めてだ。
ピカチュウとたわむれでキスをすることはあっても、そんなのポケモンとのコミュニケーションの一つだ。人間とはしたことがない。
「さっきから何言って…」
「俺のこと、好きじゃないのか?」
そう首を傾げるグリーンを見て、存在しないはずの記憶が脳を駆け巡る。
先程度同じように僕にキスをするグリーン。何度も僕に「好きか」と問うグリーン。
記憶の中の僕たちは一緒にマサラタウンを飛び出して、旅の道中なんどもバトルをしている。そんなこと有り得ないのに。
「君は、グリーンは……誰なんだ」
「はは、俺が誰か、だって?」

ぐにゃり、と綺麗だと思っていた顔が一瞬歪んだ気がした。
「俺は、レッドが好きになった男だよ」
僕は、グリーンが確かに好きだ。今も昔も、この先も。

昔?
昔っていつのことだ。だって僕は、カロスに来るまでグリーンに会ったことすら無かったはずだ。

この先?
知らないはずの未来が頭の中をよぎる。知らない土地で、二人で一緒に並んでいる。

無いはずの記憶に混乱して頭が痛くて割れそうになる。
誰か、誰か、誰か。

「レッド」
頭を抱えてうずくまる僕の肩にグリーンが優しく触れる。
涙で視界は歪んでいるが、それでも青空の下のグリーンはきれいだった。こんな時でも、僕は彼のことが好きだと思える。
「お前を苦しめたいわけじゃないのに、ごめんな」
「な、にを」
「次は、次こそは上手くやってみせるから」
手を伸ばしてグリーンに触れようとするが、視界が光に包まれてその場に自分以外何もなくなってしまう。

グリーン、行かないでよ。また僕を置いて行ってしまうのか。
また、置いていく?なんのことだ?知らない記憶に苛まれる。
徐々に頭がぼんやりとしはじめて、僕は意識を手放した。


**********


「ほんとレッドはどんくさいなー!」
そう言って幼馴染のグリーンが、転んだ僕に手を差し伸べた。
その手を取り立ち上がると、グリーンは腕を組み僕をまじまじと見つめる。
「チャンピオンになったんだから、もっとしっかりしてくれよ」
「うん、気を付ける」
ぱっぱと膝の汚れを手で払い、グリーンと並んでトキワとマサラの間の草むらを歩く。
僕はつい先日、カントー地方のチャンピオンになった。リーグでの最後のバトルの相手は幼なじみでライバルのグリーンで、あれは旅をしてきて一番良いバトルが出来たと思っている。
グリーンは僕に負けて悔しそうにしていたが、これからもっと強くなってお前に勝ってやると意気込んでいた。
今はグリーンと一緒にマサラへと向かっている。久しぶりに故郷に帰ってきた懐かしさもあり、せっかくだからとポケモンの背には乗らずに昔のようにグリーンと歩いてマサラを目指していた。

「この辺りも変わったよな。昔はいなかったポケモンも見かけるようになったし」
「…そうだね」
「レッド、今日なんか変じゃねえか?」
隣を並んで歩くグリーンは怪訝そうにこちらに視線を寄こす。この幼馴染は妙に勘が鋭い。確かに僕には今日、落ち着いていられない理由があった。
僕は旅に出る前からこの幼馴染に恋をしていた。勘違いではないと断言が出来るほど、何年も彼に焦がれていた。
だから強くなることに必死だった。バトルで強くなれば、もっと僕に興味を持ってくれるかもしれないと期待をしていたのだ。
チャンピオンになれば、僕を認めて好きになってもらえるかもしれない。そして僕はチャンピオンとなった。だから今日、僕はグリーンに告げなければならないことがあった。
「グリーン」
立ち止まって名前を呼べば、なんだよと振り返ってくれる。
無防備な彼のその手を両手で包むように握り、言葉にしなくてもここから想いが伝われば良いのにとぎゅうと力を込めた。
「レッド?」
じい、とこちらを見据える瞳が好きだ。ツンツンしているのに柔らかそうな髪が好きだ。いつも元気で明るいところが好きだ。努力家なところが好きだ。嫌いなところも愛おしくなるほど、君のことが好きだ。

「僕、君のことが好きだ」
ぎゅ、と再び手を握りしめる。するとグリーンは、ふふ、と柔らかく微笑んだ。
「俺も好きだよ」
お前よりもっと前から。そう告げる声がひどく優しい。そのまま抱きしめられ、頭がふわふわとする。
「俺、お前に好きだって言ってもらいたかった」
「何度も言ってるじゃないか」
自分で言っておいて、おかしなことに気が付く。何度も?グリーンに告白したのは、今日がはじめてのはずだ。
「レッド、俺の好きなレッド、今度こそうまくいくかな」
グリーンの話すことの意味が分からなかったが、それでもグリーンに何年もあたためていた気持ちを告げられてよかった。彼も僕を好きでいてくれてよかった。
抱きしめ返すと、どちらともなくキスをした。他人に告白をしたのも初めてだったが、キスをしたのも初めてだった。
だと言うのに、まるでその先を知っているかのように重ねた唇が深くなっていく。混ざる吐息に熱が混じり、離れがたくなる。
「もう絶対、俺の前からいなくなるな」
「そんなことしないよ」
君の前から姿を消したことなんてない。
そう告げれば幸せそうだったグリーンの表情が一変して歪んでしまった。
「だったら」
ぐい、と肩を押され離れてしまう。掴もうとした腕は振り払われ、代わりに痛いほど鋭い視線に射抜かれる。

「なんで、あの時いなくなったんだよ」

ああ、まただ。
ぐにゃりと歪む視界、あるはずのない記憶、グリーンの悲しそうな表情。
何度も見てきたはずだ。全部、これがはじめてのはずなのに。


**********


俺のチャンピオン人生は、一瞬にして消えてしまった。目の前に佇むレッドは俺に同情するでもなく慰めの言葉をかけるでもなく、そのままじいさんに連れられ殿堂入りする部屋へと向かった。
レッドは昔から俺の一歩先を進んでいた。俺が追い抜いたと思った瞬間、あいつはもうその先を走っている。
ついに今日からチャンピオン。そう喜んだのも束の間、俺はレッドに敗北した。だけど、それでも良かった。このポケモンリーグという公式の場で、最高のライバルと最高のバトルができたのだから。
敗者の俺はもうここにいる理由は無い。さっさとマサラに帰って姉に結果報告をしようと決めた時、慌ただしく駆け寄って来る音が聞こえた。

「…グリーンッ!!」
振り向いた瞬間、正面からがばっと抱きしめられ転びそうになる。
なんとか転ばずに受け止めたそれは、泣きじゃぐりながら飛びついて来たレッドだった。

「ぼく、ぼく、だめなやつだから!グリーンとここでバトルができて楽しかったし嬉しいって思ったのに、何も言えなかった!」
痛みを覚えるほど強く抱きしめてくるレッドもその口から発せられる言葉の意味も理解が出来ず、とりあえず情けないその背中に腕を回して叩いた。
「レッド、落ち着けって…」
「グリーンはいつだってかっこよくて、ぼくの憧れで、ずっとライバルでいたいから頑張って来たんだ!」
幼馴染からの突然の告白に開いた口が塞がらない。レッドが俺に向けた言葉は、ずっと俺がレッドに大して向けてきたそれと全く同じだったからだ。
「なのに、これで終わりみたいなの嫌だ。ずっとグリーンと一緒にいたいのに」
レッドはきっと、先程のバトルの後のじいさんと俺のやり取りを気にしているのだろう。
黙って見ているなとは思っていたが、あの状況では例えレッドでなかったとしても口は出せなかった。
何もお前が気にすることではないと言ってやりたいのに、口が震えて声が出ない。
目の奥が熱くなったその瞬間、俺もレッドと同じように思い切り力を込めてその背中を抱きしめた。


二人してわんわん泣いた後、どうやってマサラまで帰ったのか覚えていない。
久しぶりの自室のベッドに寝転がり、リーグでのレッドとのやり取りを思い出す。
(あいつがあんなに大声出してたの、はじめて見た)
まだ小さいときに喧嘩をしてお互い泣いてしまった、ぐらいのことはあったが、その時でもレッドは静かに泣いていて決して声を荒げたりはしなかった。
自分の感情をあまりはっきりと出すことが無かったのに上手くやってこれたのは、気が付けば幼馴染の考えていることが言葉にされなくても手に取るように分かってしまうようになったからだ。
だからこそ、あんなにはっきりと感情を言葉にされたことが衝撃だった。それほどまでに、どうしても俺に伝えたかったこと、なのだろう。

そして俺は気が付けば家を飛び出し、レッドの家に向かおうとしていた。
だけどすぐ隣に住む幼馴染も同じことを考えていたようで、家に着く前に鉢合わせてしまう。
「…あー、その」
気まずさに頬をかく。するとレッドからこちらとの距離を詰めてきた。
「グリーン」
名前を呼ばれ、腕を引かれる。
「君に、伝えたいことがあるんだ」

陽の落ちたマサラは薄暗い。街灯なんて無いし、家も数えるほどなので明かり自体が少ないからだ。
人工も乏しいため町の中なのにレッド以外の誰ともすれ違わない。ほんとうに、小さくて静かな町だ。
川沿いまで来た辺りでレッドが立ち止まる。
「ぼく、まだ君とライバルでいたい」
告げられた言葉と視線を受け止める。俺は今、どんな顔をしているのだろう。
なんとなく、そんな気はしていた。だって俺は、お前の考えていることはなんだって分かってしまうのだから。
「グリーンも、そう思っていてくれたら嬉しい」
目の前で帽子のつばを握り顔を隠す動作はこれまで何回も見てきたのにどこか初々しさを感じる。
「そっか。じゃあ、良かったな」
「…え?」
顔を上げるレッドの顔が赤いのは、気のせいではないだろう。
「俺も、お前のことライバルだと思ってるよ」
いつの間にか、俺もレッドのことしか見えなくなっていたんだ。


いつしか俺はトキワジムのリーダーになっていた。
ジムリーダーになって数年経ったころ、行方不明だったレッドが帰ってきた。
ひょっこり顔を出したかと思えば突然「バトルしよう」なんて言い出したものだからその涼しい顔を殴ってやりたい気持ちだった。
レッドはカントーのチャンピオンになった後、どこかに消えてしまっていた。
はじめは心配もして探したりもしたが、何故だかどこかで生きてるという確信があったし、そのうち帰って来る気がしていた。
(だって、あいつから俺とライバルでいたいなんて言ったんだ)
だから勝手にいなくなったとしても、きっとレッドの中では俺は永遠にライバルでい続けるし、俺のライバルもレッドのままだ。
それだけで良かった。そのはずだった。

今日は挑戦者がいないのをいいことにジムでレッドとバトルをした。
レッドは、あの頃から変わった。外見だけではなく、戦い方が以前とは比べ物にならない。
勝つことにがむしゃらになっていたあの頃ではなくなっていた。今はまるで未来が見えているかのような冷静さがある。先を読まれていることの恐怖と、ライバルの成長に身震いがする。
まるで歯が立たない、というほどでもなかったが結果は負けだ。いつかレッドの背中を追うことすらできなくなるのかもしれない。
だけどそれが怖いかと言えば、そうでもなかった。だってレッドが言ったんだ。ライバルでいたい、と。

「グリーン、変わったね」
そう言いながら手持ちのポケモンたちの治療をするレッドに、思わず「はあ?」と素っ頓狂な返事をしてしまった。
「変わったのはお前だよ。今までどこで何してたんだ」
「えっと、山籠もりで修行…とか」
「なんだそれ」
深くは聞かなかった。本当はどこにいたかとか何をしていたのかだとか、どうだって良かった。

ジムトレーナー達も帰してしまっていたので(バトルを見たいとせがまれたが)、いつもよりジムが広く感じる。
ポケモンをボールに戻してしまえば俺が口を開かない限り静かだ。だけど、この静かさは嫌いじゃなかった。
「そういえば、今日はマサラに帰るのか?」
気が付けば随分と遅い時間になっていた。今からマサラに帰るとなれば、着くころにはかなり暗くなっているだろう。
「…実を言えば」
ちら、とレッドが視線だけこちらに寄こす。
「ちょっと期待してるんだけど」


「お邪魔します」
俺がトキワに借りている部屋にレッドを招いた。玄関で礼儀正しくしている幼馴染の姿に「適当にその辺座ってて」と言えば、レッドはちょこんとソファに収まる。おかしな光景なのに、何度も見たことがあるようにも思える。
家族以外の人間をこの家にあげたのは初めてだった。その筈なのに、今この瞬間がごく自然のように感じるのは何故なのか。
「グリーンが泊めてくれて良かった」
その言葉にため息をつきつつ、俺はレッドの隣に腰をおろした。
「数年ぶりの再会なのにいきなり泊まらせてくれなんて、とんでもない図々しさだよ」
「そこは…グリーンだし」
「なんだよそれ」
隣の肩を小突けば、まるで昔に戻ったようだった。
まだ旅に出る前のような、ライバルでもジムリーダーでもチャンピオンでもない、ただの幼馴染だったあの頃だ。
「昔から君にならなんでも話せるんだ」
「遠慮が無いだけだろ」
「それも、あるかもしれないけど」

これからも君とライバルでいたい。隣の男は、レッドは、確かにそう言った。
俺も同じ気持ちだ。これから先、レッド以上に並んで張り合える人間なんてきっといないと断言できるほど、俺もレッドに執着している自覚はあった。
だけど、どこか違う。レッドと俺は昔からずっとすれ違っている。その理由が分からないまま、ここまで来てしまった。
俺の記憶も感情も頭の中も何もかも通り抜けて、何かが押し寄せてくる。

「レッド」
名前を呼んでも、レッドは返事をしなかった。
「ずっと、会いたかった」
小さい声ではあったが、今度は確かに「うん」と声が聞こえた。
「ぼくも、会いたかった」
視線が交われば十分だ。
言葉なんて、初めからいらなかったことに気が付いた。


こんなの、全然変なことじゃない。
ただ俺のベッドの上で二人して半裸になってレッドが俺を組み敷いてる。ただ、それだけだ。
必死に自分にそう言い聞かせる。他人の体温がこんなにあたたかいことをはじめて知った。
ずっとごわごわしてると思っていたレッドの髪は案外指通りが良くて気持ちが良いとか、でも唇は乾燥していて触れると痛いとか、とにかく発見ばかりだ。
こんなに近くでレッドの顔を見るのはいつぶりだろうか。いや、もしかしたらこれも初めてかもしれない。
俺の初めては、いつもレッドと一緒だ。友達と言える存在が出来た時も、旅に出た時も、ポケモンを戦わせた時も、そして道を違えた時も。
この行為も初めてのはずなのに、緊張はあれど恐怖は無い。どこか他人事のように思いながら手を伸ばして俺の声を拾おうとする耳に触れれば、向こうも小さく声を漏らした。
「弱点見つけた」
そう言えば俺の身体をまさぐる手がぴたりと止まった。
「効果は抜群?」
「…そういうの、いいから」
むにむにと耳を触っていた手を振り払われてしまう。残念。
その動作に気を良くしていたのも束の間、下へと伸びていた俺よりも少し大きな手が足の付け根を撫でてきた。
「あー、本当にお前とするんだ」
俺の言葉にレッドは眉をしかめ、吸い付いてばかりだった首元から顔を離した。
「嫌だったらそう言って欲しい」
「そうじゃないんだけど」
俺は必死に言葉を探しながら、離れたレッドの体温を取り戻そうと両手を伸ばした。
「なんか、全然はじめてって気がしない」
そう言えば、レッドは子どものように口を尖らせる。
「これって、嫉妬するところ?」
その姿に少しかわいいと思ってしまったが、言葉にはしなかった。これ以上へそを曲げられては困る。
「しなくて良いんじゃね?」
「なんでそう言い切れるの」
「だってさー」
まわした両手にぐいっと引き寄せれば、レッドとの距離が再び縮まる。
「俺、お前のことしか考えられないから」
お前もだよな?
そう訊いても返事は無かったが、真っ赤になった弱点を見た俺は声を出して笑った。


一度繋がってさえしまえば、あとは思っていた以上に単純だった。
脳と身体が勝手に動く感じだ。互いの熱が交わっている間、俺たちは対等だった。
はじめは恐る恐るしてきた行為も、慣れてくればなんてことない。
あの日からレッドは、トキワジムを訪れる度に俺の部屋にやってくる。もはや習慣だった。
回数を重ねてもレッドはずっと「気持ち良いか」とか「つらくないか」とか、そんなことばかり聞いて来た。
でもそんなのどうだって良い。俺がこの場から逃げないことがその答えた。
「ねえ」
腰を打ち付けられる力が若干弱まり、いつになく柔らかい声が耳を掠めた。
「大事なこと話してない」
行為の最中に何を言い出すのかと思えば、レッドの途切れ途切れになっている必死な声に耳を疑った。

「君が好きだ」

馬鹿か。正直に言えば、最初の感想がそれだった。
お前は好きじゃない相手とこんなことするのか。そう言い返したいのに、声が変に高くなったり良いタイミングで揺さぶられる身体が言うことを聞かない。
「好き、グリーンが好きだ、ずっと前から」
「そんなのッ、俺だって…」
好きだ、ずっと前から。自分の言葉が引っかかりながらも、俺はいつものようにレッドを受け入れている。
必死に俺を求める自慢のライバルの表情が愛おしくて、つい抱きしめる腕に力を入れてしまう。
好きだとかなんだとか、言葉にしなくても良いと思っていた。
でも、そうじゃなかった。聞き慣れているようにも感じるその言葉が、俺たちの身体をもっとあつくした。

「もし過去をやり直せたら」
ベッドの上でぐったりしている俺を横目に突拍子もないことを言いはじめるレッドは、相変わらず涼しい顔をしている。
「ぼく、もっとちゃんと君に好きだって言いたいな」
「お前がそんなことをこだわる奴だとは知らなかったよ」
「だって、こういうことは大事だから…」
何かごにょごにょ言っているレッドの頭を抱え込み、「あのなー」と髪を雑に撫でた。
「もし過去が変わったら、俺はお前と出会ってすらいないかもしれないんだぞ」
「そうかな」
「そうだよ」
うーん、と腕の中でレッドが唸る。
「でも僕、何があっても君と出会って好きになる自信がある」
そんなの、俺だって。
もしここで、そう素直に返事が出来ていたらどうなっていたのだろう。


**********


レッドと共にアローラのバトルツリーのボス役となって数日が経った頃だ。
施設からホテルへの帰り道、夕暮れで真っ赤に染まった海を見ながらレッドが「懐かしい」と呟いた。
「レッドってアローラ来たことあったっけ?」
「いや、今回がはじめて、なんだけど…」
どうにも歯切れの悪い幼馴染にどうしたと声をかけると、突然何かを思い出したかのように腕を握られた。
「なんだよ、何かあったか?」
「いや、そうじゃなくて」
手を解こうにも相手の方が力が強く敵わない。
「ぼく、グリーンに伝えなきゃならないことがあった、気が…し、て」
だんだん力が無くなる声に心配していると、今度は掴まれた腕をぐいを惹かれレッドの胸に顔をぶつけた。
「おまえ、本当にいい加減に…ッ」
「君が好きだ」
「…は?」
俺がかたまっているのを良いことに、よろけた体をそのまま力強く抱きしめられる。
「好きだ、ずっとずっと前から、君が思っているより前から」
「待て、何の話だ…!?」
好きだ。何度もそう言われ、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
だけと不思議と心地が良い。まるで昔から言われてきたみたいな…。

「…ああ、そっか」
気が付いてしまえば簡単なことだった。俺もレッドのことが好きだ。何度も言われているように、ずっと前から。
ぐらぐらする視界の中であるはずない記憶が駆け巡る。

カロスで出会った時のこと。
ポケモンリーグで勝負した帰りのこと。
トキワの俺の借りている部屋でのこと。

「お前、俺のことずっと好きでいてくれたんだな」
「うん…何度やり直したか、覚えてないや」
夕暮れ時でまわりに人がいなくて良かった。ここから逃げ出さなくて済む。
「きっかけなんて分からないけど」
ぽつりぽつりとレッドが口を開く。
「いつも、いつの間にかグリーンのことを好きになってた」
返事はしないまま、ただレッドの声に耳を傾けた。
「いろんなことを思い出してグリーンが好きだって気が付くのに、いつも最後は上手くいかないんだ」
「…そうだったな」
「何がいけなかったんだろう」
どれだけやり直しても辿り着くところはいつも同じだ。

「また、これも忘れちまうのかも」
「そうかも。でも、また僕のこと好きになってくれるよね?」
そんなこと聞かなくても分かるだろう。
それを言葉にする代わりに、記憶より広くなっていた背中を抱きしめた。