最後に視界で捉えたものは、こちらに向かって振りかざされる剣の切っ先だったように思う。
丁度逆光であった為、剣を握る相手の顔が見えなかったことが悔やまれる。
相手が分からないのでは、後を追って復讐することも、化けて出てやることも出来ない。
倒れる間際にそんなことを考えている自分がおかしくなった。
周りの仲間たちの悲鳴と、あやふやな視界の中でもドゥドゥーがこちらに向かって来ているのが分かる。
傍まで来たのか、殿下、と弱々しく呼ばれる声が聞こえた。どうした、お前らしくもないな。そんなに俺は、酷い有様なのか?
麻痺しているのか痛みはほとんど無い。ただ呼吸が覚束ず、少し息苦しい。
体を支えられ他の仲間たちから治癒の魔法をかけられたりして徐々に乱れた呼吸が整ってきた。
だというのに視界は依然としてぼんやりとしたままで、ただそこに仲間たちがいる、ということしか分からなかった。
いつの間にか戦況も落ち着いていたのか、前線にいたはずのフェリクスの、罵倒とも哀れみとも思えるような声が聞こえる。
「猪、お前はこんなところで死ぬような奴ではないだろうが」
ああ、そうだな。俺にはまだ、やらねばならないことが山ほどある。
家族、仲間、過去、復讐、何も成し遂げていない。頭の中がぐるぐるとかき混ぜられる。
青獅子学級の仲間たちと先生の顔を思い浮かべ、そして、眩しい一人の男の顔が頭をよぎる。
ここにお前がいたら、なんて声をかけてくれたんだろうな?
徐々に暗くなっていく視界の中で、フェリクスに「そうだ」と答える代わりに、きっと俺は笑っていた。
「やっとお目覚めか?」
次に目が覚めた時は、俺は何もない真っ白な空間にいた。
厳密にいえば、確かに周りには何もないのだが。
体を起こした俺の目の前には一人の男が、屈んだまま頬に手を当て俺の顔を覗き込んでいた。
「…お前は?俺は、一体」
慌てて立ち上がると、目の前にいた男も「無理すんなよ」と言いながら追うように立ち上がった。
「お前、大怪我したばっかりなんだからさ」
そう言われ、確かに俺は仲間たちが駆け寄ってくるほどの怪我をしたはずだという事を思い出した。
だが体のどこを見ても怪我は見当たらず、身に着けているものに血の痕一つ無く綺麗なままだった。
あれだけ息苦しく喉が焼けるような状態であったのに、いつものように声も出る。呼吸も整っている。自分の足で立ち上がっている。
これはどういうことなんだと男を見ると、男の口元は笑っていた。
男は真っ白な長いローブを身にまとっており、目深に被ったフードで顔はよく見えなかった。
ただ俺の挙動から察したのか、男はこの状況の説明を始めた。
俺は、先の戦いで命に係わるほどの大怪我を負ったこと。
ここは現実世界ではなく、死に最も近い世界だということ。
つまり俺はまだ死んでいないということ。
だが仲間達の治癒も虚しく、命は尽きかかっていること。
説明を始めた男の声は、子どもをあやす様な優しい声色だった。
こんなことは日常茶飯事とでもいうように落ち着いていて、まるで事の結末を全て知っているかのようにも思えた。
「俺は、生き返るのか?」
「生き返るって言い方は正しくないな。まあ、間違っても無いか」
死んではいないから、お前次第では生還も可能だと男は言う。
元の世界に戻るための方法までは分からないから適当に頑張れ。ただここに長居をするとお前は死ぬと淡々と説明される。そう説明をされ、俺は驚くほどそれを冷静に聞いていた。
ただ男の説明を聞いても、分からないことが一つある。
「それで、お前は何者なんだ」
そう聞くと、男はやはり口元で笑った。
そして目深に被っていたフードを取り、現れた素顔に俺は驚愕した。
「…クロード」
目の前のローブの男は、確かにクロードであった。思惑にまみれた瞳が、じっとこちらを見ている。
「ああ、そういう名前なのか、この男は」
そう言うと、目の前のクロードは手を広げ、片足を軸にくるりと一回転した。
「お前は、クロードではないのか?」
聞くと、男は頬の横に結ばれた一房の髪をいじりながら答えた。
「俺はクロードだけど、厳密にはクロードじゃあないな」
「どういうことだ?」
「俺はな、お前が会いたいと願った人間になるように出来てるんだ」
どうだ?と、男は腰に手を当てにこりと笑う。顔だけではなく、声も、行動も、口調も、全てその人間そのものになるのだと男は言う。
この男は、この世界に堕ちた人間の最期を見届ける役割の存在で、話をしやすいよう様々な姿になるそうだ。
ただ対象は生きている人間のみで、死んだ人間にはなれない。
そこまで説明され、そんなことがあるのかと思ったが、そもそもこんな夢の中のような世界だ。何があっても不思議では無いのだろう。
俺は確かに、意識が薄れる前にクロードの顔を思い浮かべた気がする。
だが一番会いたかったと言えば、果たしてそうなのだろうか。
考え込んでいると、クロードの顔をした男はゆっくりと俺に近づいて来た。
そして胸の辺りを人差し指でトン、と軽く押され、「お前、不器用そうだな」と一言。
「このクロードって男に、お前は何かを隠してる。そうだろ?」
「隠す…?」
「鈍感だな、王子様?」
普段クロードが俺を揶揄う時のような口調で小首を傾げながら答える。
ぐいと首元をひっぱられ、顔が近づいたかと思うと耳元で囁かれる。
「この男のことが好きなんだろ?」
同時にぱっと手を離され足元がよろける。
俺が?クロードを?好き?
「目で分かる。お前は特に分かりやすい気もするが…」
そう言われ、クロードの顔をした男を見ると、やはり楽しそうに笑っていた。
「初心な王子様に教えてやるよ。お前はもっと積極的になるべきだ」
積極的、と口の中でつぶやく。
確かに、クロードに会えた日は気分が良かった。
食堂でたまたま会い並んで食事をした時も、訓練場で一緒になった時も、廊下ですれ違った時も。
言葉を交わさない日も、遠くにその姿を見つけたら視線で追いかけていた気がする。
ただそれを恋と呼んで良いものか、俺には分からなかった。
「そうか…俺は、クロードが好きなのか」
そうぽつりと言えば、「どうしようもないな」とため息交じりに飽きれた声が聞こえる。
「まだ想いを伝えていない王子様。これは未練となってお前の足枷になる」
「つまり」
「お前は、生き返ることができるよ」
頬に優しく手を添えられ、どきりとする。だって目の前の男は、中身は違うと言え外見は完璧にクロードなのだ。
「俺もお前ともう一度会いたいよ」
きっとこの男もこう言うさ。そう言って、悪戯っぽく目を細める。
男が背伸びをして、再び鼻先が触れそうなほど顔が近づく。
唇が触れそうな瞬間、俺は目の前の瞳の奥にきらりと光りを見た。
「続きはまた後でな、王子様」
再び目が覚めた時、視界に広がったのは医務室の天井だった。
全身が重くてだるい。痛みもある。俺は、帰ってきたのか。
ベッドに寝かされた体は思うように動かないが、起き上がれない程ではなさそうだった。
ぐるりと辺りを見渡すと、部屋の隅の椅子に腰かけ、本を読む男の姿を見つけた。
男は視線を感じたのか本から顔を上げ、にこりと笑い立ち上がった。
「やっとお目覚めか?」
俺が会いたいと願った人物に、自然と頬が緩む。あの男が言う通り、確かに俺は恋をしていた。
軋む体を起こし、息を吐く。鼓動が、速い。
クロードはこちらに近寄るとベッドの隅に腰かけ、これまでのことを説明してくれた。
倒れた俺を青獅子の生徒達と先生で運び、看病してくれたこと。
丸二日意識が戻らなかったこと。
先程までは青獅子学級の生徒たちがいたが、俺の容体が良くなっていたのと緊急の課題で修道院から出なくてはならなくなったらしい。そんな時たまたま近くをフラフラしていたクロードが捕まり代わりに見舞いにきていたこと。
「もうちょっと早く目が覚めてたら青獅子の奴らに会えたのになー」
運悪いな王子様、と笑うクロードがベッドから降りるので、気が付けば慌てて手を握り引き留めていた。
え、と声を漏らしたクロードになんと言えば良いか分からず口ごもっていると、頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でられる。
「マヌエラ先生を呼んでくるだけだよ」
「いや、いいんだ」
何がと言いたそうなクロードは、大人しく再びベッドに腰を下ろした。
「お前で良い…いや、違うな」
「王子さ…ディミトリは、もっとはっきり言った方が良いな」
にやりと笑う口元は、少し前まで見ていた表情とよく似ていた。
「もう少しで良い、もう少し…このまま、ここにいてくれ」
お前が良いんだ。そう言ってしまった後に、握っていた彼の手に、もう片方の自分の手を添えた。
両手で掴んだ手は思ったより細く、大人しく俺の手の中に収まっている。
「続き」
ぽつり、と。
「続きは無いのか?」
見上げてくる瞳の奥に光を見た。
そうか、これが。俺と同じなんだな。
添えていた手を握り返され、俺は目を閉じた。